|
昭和25年生まれ56歳。 左足人工関節手術から一年、忘れていることもありますが思い出しながら書いていきます。 小さい頃は左足が悪く、かなりキツイびっこをひいていました。 大人になるにつれて目立たなくなり、母も兄弟も自分も足が悪いことをすっかり忘れていました。 ただ足を使いすぎた時は痛みがありましたが別に気にもしませんでした。 24歳で2人目の子供を生んだ時足がひどく痛み、初めて整形外科を受診しましたがあまり詳しい説明も無く、そのうち痛みも治まりました。 それからずーっと、重いものを持ったり足を使う仕事をしてきました。 48歳ぐらいから足がしくしく痛み出し、プールへ通いだしました。 プールは最初のリハビリ目的を超えて、かなりのめり込みました。 評判の整骨院にも通いましたが限界がありました。 痛みはだんだん強くなり、日常生活のちょっとした動きでも足の角度によって痛みが走ります。 常に下半身に力を入れて不意の痛みに備えていました。 あちこち病院を廻りましたが、どこも術後15年ぐらいで再置換が必要ですと言われました。 手術数が多いので有名な某先生は、「あなたは太っているのでもっても7年ぐらいでしょう」と言われ落ち込みました。 そこで、ネットで知り合った方に教えていただいた、再置換の必要があまり無い手術方法の大阪難波のT病院へ行きました。 色々お話を聞き、この先生にお任せしようと手術を決めました。 手術の待ち期間は4ヶ月でした。 貯血は通院で2回行きましたが、思ったより平気でした。 |
|
55歳 手術の前々日に入院 平成17年7月1日午後3時から手術。 手術室に入って知らない間に眠っていました。 起きたら、病室のベッド横でO先生が名前を呼んでおられました。 足首を動かすように言われて夢見心地で動かしました。 術後の、心配した熱や吐き気などの不快な症状も無く食欲もあったけど、自分でトイレに行けるまでは大のほうを我慢したかったので、あまり食べなかったら看護師さんにしかられた。 7月2日、(手術1日目)一日中ベッドに上向き寝で腰が痛かった。足首を動かすように、水を充分飲むように何度も言われた。 7月3日、色々な管が取れてすっきり。 車椅子でトイレへ。 自分でトイレに行けたので嬉しかったが、術足が重く持ち上がらない。 足をもちあげる輪になった装具の布を借りて助かった。 私の場合足がいつまでも持ち上がらなかった。 他の人は早い時期に軽々と持ち上げていた。 7月4日、リハビリ開始。 足が重くて動かせられない。 毎日病室の廊下を歩行器で歩き回った。 足が重く少し歩いたら疲れてしまうので、休みながら歩いた。 7月9日、今日から一本杖になった。 嬉しくてそのまま病院の隣のオーキャットショッツピングセンターへ買い物に行った。 病院のすぐ隣のお店なのに随分遠く感じた。 この日から毎日難波の町を歩き回った。 最高で一時間ぐらい歩いた。 夏だったので、朝5時頃からそーっと病室を抜け出して歩きに行ったことが、懐かしく思い出されます。 (先日の検診で聞いたところによると、最近は外出の場合書類の提出が必要になり前のように気軽に外へ行けない、と聞きました) リハビリの先生に迷子にだけはならないでくださいと、釘を刺されました。 7月24日あっという間に退院。 もっと病院に居たかった。 |
|
私の手術した病院は痛み止めの座薬を使ってでも術脚を動かすように指導され、私は退院後もしばらくは座薬を使って動いていました。 退院時自転車の許可を貰っていたので、退院したあくる日から自転車に乗って買い物に行き、簡単な食事の用意をした。 私の家は男ばかりなので仕方がありません。 早朝近くの公園を毎日歩いた。 しばらくしたら近くのトレーニングルームへ行き、ルームランナーで負荷を付けて歩いたり、エアロバイクを使ってひたすら筋肉を付けました。 この時ずいぶん足に力が付きました。 たまにやりすぎて痛みが来て心配な時もあったが、検診の時、先生がどんどん使いなさいと言われたので安心した。 8月末位から杖をはずした。 9月20日、手術の2日前から休んでいた仕事復帰。 早速3時間ぐらいの立ち仕事があったが術前より楽にできて嬉しかった。 立ち仕事より1日何度も昇降する会社の手すりのない階段がやっかいだ。 今、術後一年近くなって足の動きも滑らかになってきました。 手術から別に問題も無く今までこられたことを感謝しています。 駅の階段ぐらいなら、手すりを使わずに小走りで昇降もできます(やりませんが) ほとんど困ることはありませんが、以前から太り気味の体重が最近又5キロも太ってしまって、足の爪きりが余計大変です。 これからの課題はダイエットです(何年も前から言い続けています) |