| 《マリンさんの記録》 2 | 1へ |
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昨晩から体位変換のサイクルが短くなった。 どの位置にしてもしんどいし、痛みがでている。 化膿止めの点滴を午前と午後2回行う。 今の所、足の腫れ、むくみなどはなく、かなり良行。しかし尿に血が混じっている。 「心配はない」とS先生は言うが、TVドラマ「星の金貨や振り向けば奴がいるの主題歌が好きな、死亡医者のドラマファンに不安を感じるのは当然だろうが」と思いましたが、さすがに、ちゃかす元気は無かった。 さらに最悪は、午前と午後に化膿止めの抗生剤点滴を、今日は午前も午後も3度の失敗で痛い思いをした。 原因は、私が注射嫌いで点滴を刺す瞬間に力を入れすぎることがこの結果を招いたようです。 看護婦さん本人は「新人みたいや」としょげて詫びていた。 夜また熱が上がった。38.5度になっている。 これは、治そうとする体が体内で戦っているために発熱するらしく、その方がむしろ良い方向となると聞いて安心した。 明日離床しても問題はトイレで、車椅子専用のところまで行き、看護士さんにスボンを降ろされるのはなんとも恥ずかしい限りで、上げるときも看護士さんを呼ばなくてはならなくなり、人間の尊厳というと大げさだがそれに近いものがあると私は思う。 |
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尿管が撤去。予定より3日遅れの離床。 予定より車椅子に早速乗り込み、病院内や仲間にご挨拶に回った。 朝着替えを看護婦さんに見てもらうなど、すべて私の行動は看護婦の監視の元で行うことになった。 人工関節脱臼を未然に防止するために、ちゃんと道具が使えるかどかのチェックもある。 なるほど、手術前からトレーニングさせられたのは、筋力もそこそこつけておかないとこの日常ではあたり前の着替えもかなり困難な状態になるからです。 自助具やマジックハンドは私の場合は左足が妙に起用なので、左を駆使して着替えは短時間でできました。 午後、シャンプーをしてもらった。 気持ちがいいし、看護婦さんは流石にうまい! 今日で点滴はすべて終了。明日から内服薬になる。 ケフラー250mg毎食後、増血剤のフェロミアも今月中までは使用する。 ガーゼ交換。脊椎専門のドクターの代打ちで、いきなり股関節を内転させようとして、看護婦さんが、「だめー」と叫んでくれたおかげで助かった。 熱もなく快調な車椅子の1日、でもやっぱりトイレのたびに看護婦さんを呼んでズボンの上げ下ろしは情けない。 21時にガーゼ交換。 |
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術後リハビリ初日:8時30分に着替えをして(看護婦さん監視の元)いざ、リハビリ室へ。 担当の先生は休みのために別の先生がついてくれましたが、マッサージだけで痛い! 「ギブアップ!」の叫び声の連続。 午後看護婦さんに体を拭いてもらった。 午後からS先生のガーゼ交換、リハビリの様子を聞かれ、足が上がらないことを申し出る。 「時間がかかるけど、心配しないでいいから、脱臼しないようにくれぐれも注意するように」とつれない返事。 実は、動きが良すぎるようでちょっとした不注意や油断で私のような状態の人ほど脱臼が多いらしく、要注意だったらしい。 午後ガーゼ交換。 今日は七夕の笹が病院1階に飾ってありました。 入院患者が書いた「一日も早く、パパがお家に戻ってくるように!」「老いてもなお願う、生きていたいと天の川」「先に天の川で釣りを楽しむよ。ゆっくり後から来ればいいからね、今までありがとう!」の3本の短冊には涙が止まらなかった。 私の不謹慎な短冊も吊るしてあったが、内容は「牛丼・かつ丼・ねぎトロ丼・天丼が食いたい!」「看護学生が私の部屋にも来てくれますように」の2つだった。 なぜか、私たちの部屋には、看護実習の可愛いい学生たちが来なかったのです。 他の部屋は、専任になっていたので、私が部屋を代表して看護婦長に聞くと「あんた達の部屋に入ると、あの可憐な学生たちに悪影響!ばい菌が移ると困るからねぇ」と答えられてしまった。 私は笑うしかありませんでしたが、しかし、婦長の予想と反して、携帯番号など我が部屋の若い猛者たちはちゃっかり親交を深めていた。 |
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昨晩は、内緒で持ち込んだ睡眠剤でぐっすり眠れたが、寝返りを寝ているうちにやったために、看護婦さんが、巡回中大騒ぎになりました。 朝8:00から、部長回診。 私へは「うまく人工関節と付き合ってくださいね」無茶のないようにと簡単だが、重みのある部長のお言葉。 S先生は「完璧や、いい出来やね!」レントゲンを何度も同僚医師に見せて自慢している。 11時にシャンプー。12:40ガーゼ交換。 午後先日まで同室だった、N君が訪ねてくれた。 このN君は朝6時起床時の目覚まし時計変わりだった現役サッカー選手。 看護婦さんから「早く起きや、リハビリやで!」と6時になると背中をパッシ!「N君これが目覚ましやで」とたたかれる。 次ぎに「夜遅くまで、ゴキブリみたいにごそごそ何しているねん」と怒られるのが日課でした。 深夜1時から3時まで1階の喫煙ルームで行っている「気さくなパーティ」がばれていたようだ。 しかし、私の部屋は「ゴキブリ」扱い??ばい菌より格上げだったが、ひどい問題児部屋のように思われたものです。 もちろん差し入れを持ち寄ってのささやかな夜食をたしなむ程度で飲酒などはまったくなかったのですが、、、首謀者の私の責任です。 本格的なリハビリ開始。 膝をたてたり、伸ばしたり、腹筋100回、2kgのウエイトで左足の上げ下げ100回、松葉杖での免荷状態で800m。 とにかく、左足に負担を掛けているのに術足も結構きつい。 内転しないようにとベッド上以外で付けている、股間節枕(看護士さんはたぬきさんと呼んでいた)これが、ちょっとやそっとの不細工さではなく、股に「ブランブラン」とぶら下がっている。 病院用の足全体をカバーするための弾力包帯のような袋の中がペットボトルで作っているので、これがどうも人目をはばかるので、私のオリジナルの阪神タイガースのハンカチを縫ってカバーを作った。 さすが阪神ファンの地元、ばかうけでした。 「強い阪神を股に挟んでいるのですから、すぐに完治しそうですな」とはリハビリ部長談。 このR病院には、内部の阪神応援団が存在していました。 理由は阪神の選手たちが故障して、診察をうける指定病院で、館内放送では「職員の皆さんへ、本日午後6時より、玄関西側からバスがでますので、T会(仮名)の皆さんは遅れないように集合してください」 「入院患者の皆さんへ、巨人ファンの方もいらっしゃいますので、ランチルームの応援はなるべくお静かにお願いします」などが流れていた。
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朝6時に採血検査。 これが一番の苦手で看護婦さんからいつも笑われる。 M看護婦から16:00、骨の栄養分や壊死の進捗を見る検査とのことを聞く。 リハビリの松葉杖免荷は左足の痛みの具合いを見るためのものだと説明があったが、悪いことはわかっているのに酷使してよいものだろうか。 夜の寝返り防止用の新作枕(大型)がやってきた。 これで万全だと思っていたら、深夜1時20分、看護婦さんの叫び声で寝ぼけ頭を揺すられた。 「大丈夫?足が落ちているでしょう」腰や足をさすって、感覚あるかどうか、脱臼していないかをチェック。 どうやら、寝ているうちに股に挟んでおいた大きなマットがベットガードの下から落ちたらしい。 ラッキーに脱臼はなかった。 明日おそらく、ベッドへ固定される状態にされるかもしれない。 |
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5時起床、8:20分リハビリで足上げ左右、腹筋、足の筋肉増加トレーニング、作業療法士さんの曲げ運動。 (90度まで)結構キツイし痛い。 屋外で800mの免荷松葉杖での訓練。10:00終了。 プール療法は3週目で開始のこと、12:30分に1回目のリハビリ回診。左足のことを相談する。 骨壊死の場合は両方なのでしばらく経過を見ることになった。 痛みが大きくなるなら、人工関節の手術を左股関節にも行う可能性も捨てられない。 S先生の判断もあることだろうと、あまり詳しい説明はなかった。 18:40分。S先生により半分抜糸、ホッチキスみたいなクリップで止めているのを見せてもらった。 抜糸は半分だけ、「痛いですか?あれだけの手術を乗り越えたのだからもう、これぐらいは慣れたでしょう」 私は「ちょっと痛いですよ」 先生「私はされたことないのでわからないですね、、」 看護婦さん「私もいっしょ、されたことないので、どのぐらいの痛みかわかりませんね」 んな??この連中には痛がるとおもしろがる習性があるようです。 その晩、目が覚めると、ベッドの周りに柵があった。 「やっぱり」って感じで看護婦さんのご配慮?でこの赤ちゃんベッドにされてしまった。 「あーなんてこった!」 |
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リハビリで飛ばしすぎて、転倒しかかった。 松葉杖の訓練中にウォークマンを聞いていたのが悪かったかもしれない。 S先生、笑いながら16:00全抜糸。 「左足の痛みに注意して、リハビリを強化しましょう」ガーゼから傷口に防水オプサイトを貼る。 日曜日からシャワーOK。 あまりの長時間による喫茶室行きでちょっと看護婦さんから睨まれました。 夜の寝返りの件はさらに動かないように工夫するとのこと、「両手をベットに固定(くくりつけるの)もいいかも」などとS先生が提案する。 S先生とはこのころから、同級生のような感じになってきていました。 |
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昨晩からベットガードに布団でがっちり固定したので、ゆっくり眠れた。 気になっていた体位変換もうまくいって、無意識のうちに移動することはなくなり、これで脱臼の恐れもなくなった。 「安心、安心」今日同室のMさんが転院することになった。 Mさんは究極の車椅子の達人です。 スピードとテクニックはおそらく院内No1で車椅子レース(最近は毎週土曜深夜の開催の連続優勝の記録を持っていた。賞品が食料品ばかりだったので当然かも?) 朝8時に自主トレ。足上げ150回、腹筋、背筋のセット。 松葉杖歩行訓練は体力温存のために中止。 午後、食事の後のかたづけ中、車椅子から降りて左足一本で支えて食器を片付けていた時、ワゴンが動き壁に頭をぶっつけてあわや転倒! 体を支えて転倒を阻止し、脱臼を防ぐまでは上出来でしたが、頭を直接壁にぶつけて痛いし、「ぽたぽた」落ちる血を見ながら看護婦さんの助けを待っていました。 入院患者に笑われっぱなしだった。 |
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17:00。関節部分の音なりがする。 「カクカク」と振動しているので当直の整形医が言うに「関節がまだ完全にできていないので、筋力が弱いところにほんの少しの隙間ができるためにそんな感じがするのだろう。気にする必要はないし、脱臼などの恐れもない」との結果。 しかし、よく鳴っているし、同部屋の元プロボクサーのMちゃんが「へんな音なら僕のひざも鳴るけど」と言うので「どれどれ」って、股関節と膝の音の出し合いでしばらく楽しむ。 本日寝返り用の枕を作った。 中はハッポウスチロールで軽量しているので一人でも移動できる。 創作意欲が旺盛でベッド周りは、派手な枕だらけになってきましたが、このころから入院生活を楽しむコツを開眼し始めていました。 日曜日のため看護婦さんの人数が少なく、シャワー浴中止にする。 |
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関節90度以上に曲がることが可能。 一応、90度で止めることになったが、回復も早く、筋力もUP。 リハビリの先生からは「あせらずゆっくりやりましょう」と間接的に無茶をしないように注意を受ける。 13時レントゲン撮影。 前日の音なりの件で2日早まった撮影。 17時にシャワー室へ、着替えや洗体の状態を看護婦さんに見られながらの恥ずかしい格好。 「六甲おろし」を3番まで唄ってごまかす。 シャワー椅子への移動は簡単だったが、取っ手の長いボディブラシ必須アイテム。 以後のシャワーは移動だけ看護婦さんにお願いして、後は自立でOKの許可をもらったので毎日でも大丈夫! |
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リハビリは、荷重1/3(18日)荷重1/2(22日)の松葉杖歩行になったが、「クラッシャーじいさん」のFさんが登場してリハビリ室の問題になる。 歩行練習をしていると「にいちゃん、汗がすごいで、もうやめたらどうや」「このコース何週回るんや、誰も見てへんで」「しんどいやろ、わしゃ1周したら休んでいるんやで」とこっちのやる気を完全に失わせるという特技のじいさんだった。 無視していると、リハビリルーム内の年配の女性のところへ移動して一言「なんぼやってもあかんもんはあかんやろな」と言っていた。 退院前に出会ったときは「今日が最後のリハビリやから、階段上がったろ」 いつもは「痛い痛い」と言って敬遠していた階段歩行を簡単にやってのけた。 私は「できるんやったらさっさとやらんかい」 しかし、その階段を昇降している姿が私より数段うまいのに怒りが倍増で腹立たしい。 この時期ブール療法で歩行練習が始まった。 午前は恐怖の筋力トレーニングで午後から1時間プールに入って楽しんだ。 ビーチボールと浮き輪を持って入った初日には、担当員から「ばか」にされたことは言うまでもない。 ただ前進したり、横になって「蟹さん」歩きをさせられているだけではつまらない。 やっぱり、夏のプールはビーチボールが必須でしょうが・・・・ |
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7月26日に転院することになった。 25日は送別会が一部の不良入院患者が開催してくれた。 両膝同時靭帯断裂の元プロボクサーのM君や頚椎のプロのバイクレーサーのK君、高校生ボクサーのNちゃん、阪神の試合をデイ・ルームで熱心に応援していた女性軍団など楽しいメンバーの送別会だったが、病院内のためにアルコールは一切ないし、かわいいものでした。 最高だったのは、婦長さんから差し入れをもらったことです。 なんやかんやと言っていたが、私はこの優しい人たちを一生忘れないでしょう。 荷重は3/4になったが、このころから右膝が突然痛みだす。 初めは、たいしたことは無いだろうと思っていたが、転院直前には、痛みの箇所がはっきりしてきた。 |
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転院先のベッド数はR病院より少ないが、その分信じられないほど、看護婦さんたちは親切で丁寧だった。 膝のMRIをこの転院先のW病院で撮影してもらった。 担当は副院長のK先生でR病院のS先生の先輩、関西屈指の膝の専門家だったのがラッキー。 MRIの結果は「やはり、壊死の状態が荷重を掛け出して痛みとともに出たようや。以前の検査より、数段悪いね」と丁寧に説明してくれた。 S先生の所見にもこの状態になる可能性は書いてあるし、私から診断も聞きたいとのことで、その場で電話をかけてくれた。 「膝の手術をどうするか検討してくれ」と言うなんとも以外な結果になってしまった。6階の病棟に入院した。 28日、午後車椅子に乗り移る寸前、ブレーキを掛け忘れていいたために、車椅子が「さぁー」と遠くに離れたために、おもいっきり転倒した。 前のめりだったので、脱臼はしなかったが残念なことに右手首をひねって「捻挫」、転院後1日で迷惑を掛けしまった。 私なりには、股関節をかばったつもりでしたが、このために、せっかくの松葉杖訓練の状態から、移動は車椅子常用の指示にかわった。 おまけに移動は看護婦同伴の「楽ちん移動」になりました。 |
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右膝の痛みを軽減するために、重装備の装具で右膝を固定することになり、早々に病室に届いた。 装具は結構な値段だったが、7割は申請で戻ると知って「ほっと」する。 膝の装具をすると不思議に痛みが減少するが、よく考えるとこれって、ずーとしていないと痛みが減らないってことになる。 それにしても膝折れがしないことで階段の昇降は楽になったが、太腿と脹脛がどんどんと細くなってくる。 このW病院は午前と午後2時間リハビリ室でみっちり筋トレを行っているが、R病院と違ってお年寄りの患者さんが多く、歩行訓練中は私の後ろをPTといっしょに「よい!よい!よーい」と妙な掛け声で歩いてくるおばあちゃんや、私が車椅子移動用に膝に抱えていた黒のバッグを見て「可愛い猫ちゃんを抱いているんやね!なんて言う名前?」と聞かれ、とっさに私はバッグを撫でながら「黒猫のキキですよ」と答えた。 老人性痴呆症らしいので「違うよ。これは」と答えないようにした方が適切らしく、えらく看護婦に褒められが、私は「冗談には冗談でお返しするのが礼儀だ」との程度しか思っていなかった。 ランチ・ルームもお年寄りの中に「ポツン」と一人で食事を食べていた私は完全に浮いていた。 将来、特別養護老人ホームなどでごやっかいになった時にこの経験が生かされるだろうと思ったが、じっくりお付き合いすると年寄りの行動はとても可愛い。 お人形さんみたいに揃いの病衣を着たおばあちゃんの4人組には「ポッキー4姉妹」と名づけたが、えらく私は気に入られた。 「ポッキーとは、お菓子ですけど、ポキッと骨折しているから」との命名理由は受けた。 この4人姉妹は3時になると私に「おやつ」と称して、おせんべいやお団子・ケーキをくれた。 私の同部屋(3人部屋)のおじいちゃんは、骨頭の置換術で人工関節一歩手前でしたが、81歳の高齢?にしては、すごく動きが良く、小走りにランチルームにやってくる。 杖を持っているのに、いつも忘れているし、私の自宅から持参した8kgの鉄アレイを軽々持ち上げる。 また、終身時間前にすぐに寝てすごい「いびき」をかいている。 ある日の検温のとき、「お年はいくつですか」と聞かれて、「1歳や」と80歳もさばを読むし、「食事は全部食べた。全然足らん」と答えて、看護婦さんは「体調はいいのね?」の返答には「無茶苦茶悪いし、寝つきも悪い」と答えた。 私ともう一人のルームメイトは「うそや!無茶苦茶よく寝ているし、元気やんか」と声を揃えて言った。 耳が普段は聞こえない振りをしていたらしく、なんと「そんなん、ゆうたらあかんやんか」と即座に文句を言っていた。 凄まじい「じいさん」だった。 それから、このおじいさんには「フェイントじいさん」のあだ名をつけました。 |
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8月13日にリハビリ室で低血糖により倒れてしまった。 転院後これまでの間に人工関節の負荷軽減のための1日1,200カロリーの減量計画をたてていた。 栄養士さんや調理職員の方々の協力のおかげで、転院前の体重82kgが−5kgの77kgになっていたし、最終的に9月までに70kgにするつもりだった。 しかし、かなりの運動量に対して1,200カロリーでは少なく、この事態になったようです。 これで都合3度目の転倒でしたが、この時はさすがに意識もうすらいで、何がなんだか覚えていない。 病室で点滴を受けるはめになった。 21日の退院予定はすっかり延期になった。 脱臼はありませんでしたが、今度は肋骨の一部に「ヒビ」が入ったらしく、コルセットをすることになった。 お見舞いの友人たちは「ばーか」と呆れ顔だし、残存機能が左足のみでは情けない限り。 益々、全荷重は遠くなり長丁場の入院を覚悟しました。 右膝の状態は良くなく、レントゲンでも壊死の部分が薄くなって映りだし、「骨移植手術」を提案された。 「このままでは、車椅子に乗っていた方がいいかもしれない」と「口は悪いが人は良い」が口癖のK先生から言われたのが、かなりショックだった。 どちらにしてもせっかく股関節を人工にしても、歩行に関しては意味が無くなるように思えてきました。 こんなことを考えていると、良いことは起こらないもので、とんでもない事件が起こった。 なんと、車椅子に乗って、気分転換に玄関の外で出たが、大きな蜂がこともあろうに、私の唯一の残存機能・左足太腿に「ちくり」と刺されてしまった。 初めはたいしたことはないと思って、病室の処置室で看護婦さんに見てもらったら、足が腫れあがってきていました。 担当の女医さんが注射針とピンセットで「蜂の針跡」を処置してくれたが、看護婦さんは「これまででこの病院で入院患者が蜂にさされたことはないでしょうね。やっぱり歴史に残ったね」と意味ありげな発言。 担当の女医さんは「笑うね。これって、スズメ蜂でしょうね。医者にかかる前に厄神さんで御祓いが必要かもね。しかし、色々やってくれるね」 私はまさにこれが、「泣きっ面に蜂」だと言ったら、これがまた、入院患者のポッキー4姉妹の耳に入り、病室では、私の蜂に刺された跡の見学者が絶えない。 婦長さんも私の顔を見るたびに何度も「蜂刺されはどう?」と聞かれるし、後から入院してきた患者さんからは「ほー?蜂刺されで入院ですか?」とばかにされるし、大変な目にあった。 左足も使えなくなったらもうおしまい。 この週からしばらく、車椅子生活が再度始まった。 7日に肢体障害4級の申請書が届いた。 病院の相談員さんのDさんが病院長からの診断書をもらってくれて、あれこれと丁寧に教えてもらった。 8日に市役所へ申請書他を提出してくれた。交付までに約2ヶ月かかるそうですが、すぐにでも必要なのに、肝心な時にお役所は「現場を知らないですよね」とDさんの意見に大賛成! |
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こんな状況では体調不良の食欲もなく、結局この週で74kgに体重が減ってしまいました。 マイナス8kgは減りすぎで栄養士さんと婦長さんが心配して病室を訪ねてきた。 「夏バテですよ」とごまかしては見たものの、さすがプロです。 ランチルームではなく、自室へ食事を運んできては、特別なメニューを提供してくれました。 これには、答えなくてはならないとがんばって食べた。 18日に車椅子を降りて、松葉杖で全荷重の生活を始めた。 ちょっとでも遅れた時間を取り戻そうと焦ったが、リハビリの先生方の熱心な指導でどうにか、24日・25日に一度外泊してみてはどうかと言うところに到達しました。 かなりハードなスケジュールでしたが、当面の治療は肋骨だった。 レントゲンでは、肋骨は順調、右膝は悪くなっていた。 左の股関節あたりにも痛みが出るようになってきて、何度もK先生に聞いた。 診断では左の股関節は「筋肉痛」らしいが、明らかに以前の右股関節の痛み出した感覚と同じために、9月5日にR病院で精密検査をすることになった。 20日に病院近くの小学校で地域の盆おどり大会が開催され、入院患者の外出可能な者は参加OKだった。 中々、盛況で夜店なんかもあって、すごく楽しい雰囲気。 看護婦さんの浴衣姿も素敵だったし、車椅子用(高さが丁度良い位置)の「ヨーヨーつり」には笑ってやらせてもらった。 私たち入院患者には、少し遅れた夏祭り。 ちなみにほとんどの入院患者は「焼きそば、たこやき」に走っていました。 ビールっていいのかな?? その日だけは看護婦さんも知らん顔だったが、病棟内にしばらく焼きそばとビールの匂いが立ちこめていました。 |
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24日と25日に外泊するために自宅へ戻った。 約2ヶ月ぶりだったが、家路までの風景も変わらないし、やっぱり家はいい! ゆっくりお風呂に入ろうと挑戦したが、湯船をまたげないし、取手がないために不安定。 シャワー用の椅子でなんとかシャワー浴をしましたが、近くお風呂の改装をしないと入浴は不可能。 改装は障害者手帳が必要だし、まだ交付まで時間がかかるし退院できてもしばらくこのままでシャワーのみ。 ベッドは51cmの高さの新品が届いていたので、後は足枕や落ちないように工夫すれば問題なし。 テラスへはもう少しリハビリしないと危険、8階から落こっちたくないので出なかった。 25日夜に病院に戻ると看護婦さんたちが、ニコニコして迎えてくれた。 自宅の生活に問題がなければ、退院していいとのカンファレンスがあったようで、私だけが知らなかったようでした。 本来なら9月15日ごろの退院だったが、とても嬉しい。 おそらく忘れられない日になった。 26日は朝から、27日の退院準備やこの病院の先生方の所見書や膝のレントゲン・MRI写真など次ぎの手術の準備も含めてあわただしい。 26日夜には看護婦さんたちから、詰め所でケーキをご馳走になった。 食欲不振が一挙に解決したようにおいしく食べることができ、看護婦さんから「長く病院にいると精神的に、そうなるのよ」 「でも、また、手術する予定なんでしょう。また来てね」なんて言われると「また、手術してがんばるか」と思ったりする。 |
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退院の朝、9時からK先生から所見書とレントゲン・MRIなど、今度はW病院から資料を貸してもらいました。 K先生は「いつでも、調子が悪くなったら、おいでよ。両方の足はまだまだ諦める状態じゃないし、S先生と自分でしっかり、サポートしてあげる」と励ましの言葉をかけてもらいました。 考えて見れば、66日間、R病院とW病院にはご迷惑をかけたし、楽しいことや辛いこともスタッフの皆さんでフォローしてくれたおかげでここまで来ることができました。 しかし、両方の腕には、ロフストランド・クラッチと膝には装具、肋骨のサポーターとものすごい姿での家族の迎えで、子供たちが不安そうに「すごい格好になってるやんか」と言ったことに、「ごめん、走って帰ると約束したのにね」と謝った。 私の人工関節での生活はこれから始まったばかり、今後はこの病と闘うのではなく、仲良く付き合いたいと誓った。 |
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地元の温水プールで午前2時間、毎日ウォーキング。 筋トレは、自宅で器具で自主トレ。2週間に1回の検診がしばらく続きます。 仕事に復帰はまだ時間がかかると思いますが、自分でできることは自分でやっています。 |
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