《 マリンさんの記録 vol.2  2005/1〜 》
- 左膝人工関節置換術(顆部外側置換) 《81日入院》 -


    手術前に
右の股関節を人工にして快調に活動していましたが、やっぱり、「やり過ぎ」は禁物ですね。
両股関節と両膝関節の壊死はまだ、完全に破壊されていないところもありますが、少しずつ人工関節に置換していくことになります。
今回は、左膝の外足をチタンの割と薄いものを使って、置換しました。
内足は壊死部分をドリルで穴を開けたり、外足から取った、軟骨などを移植した手術になりました。
念願の自分のオペをモニターで見ると言う希望も「全身麻酔」のために不可能になりました。
今回も楽しいご報告ができると思います。


    1月11日
午前10時W病院着6階の例の病棟へ入る。
窓側ののんびりした場所でさすがに2回目になると待遇が違うのかなとも思いました。
車椅子が入るスペースもあり、快適です。
早速に採血・検尿、心臓エコー・胸部レントゲン・心電図・呼吸テスト・止血テストなどありました。
おかげで昼食が食べれなかったのが残念でした。

15:00 担当医と面会、手術の手法について再チェック。
膝を開いて見て、最終的な決断を行う。
MRIをもう一度撮影しておくことになりました。

20:00 病院のディルームが私のオフィスになっており、仕事も快調でネットも快適アクセスで問題はありません。
膝関節鏡検査の際に実験済みの念の入れ方ですね。


    1月12日(入院2日目)
9:00 MRI検査があったのと心臓エコーの再検査がありました。
抗生剤のテストなど、股関節のときと同じようなスケジュールで、クリティカルパスも ほとんど同じでした。

15:00 担当医と面談、変則人工関節置換術で行くことになると決めましたが、内足の処理は最後まで決まらず、明日の手術中になることを承諾しました。


    1月13日 手術当日
6:00 起床、血圧130−78 体温36度

8:30 膝レントゲン5枚。

9:00 手術室から本日の日程を説明。

10:00 悌毛、常注射用処置。

12:00 気分が乗らないので、タイガース車椅子の操作を誤り、後ろに転倒、プッシュロッドとフレームも曲げてしまい修理がいる状態の破損でした。
頭は打ったので頭部CTを急遽取りましたが、問題なし、しばらくベッドの上なので、車椅子は、別の、自宅で使っていた「ぷーさん1号」↓と交換で修理を出しました。「ふらふら・ゆらゆら」


14:50 手術室へ入る。
もちろん「私の好きな曲、六甲おろし」でお出迎えです。
しかし、助手の医師が「さあ、全身麻酔しますからね」と口に酸素マスクをつけて、点滴が入ったとたん、約2秒で意識がなくなりました。
ジャズを聴きながら手術をしたらしいのですが、私はもちろん記憶もありません。

19:00 手術完了で一般病棟へ移動しました。
かなりの痛さと麻酔の余韻で、部屋でも酸素マスクをしたままでした。
やたらハイテンションで麻酔が効いた状態だったらしく、「気合だー」とベッドを一人で移動しようとしたり、つまらない、親父ギャグの連発だったようです。
とてもうるさくて、同部屋の方々にはたいへんご迷惑をおかけしました。
「手術は大腿骨顆部壊死、外足部はインプラント人工関節置換、内足部ドリルで穴を開けて、血流を送る処置と、一部軟骨などを埋め込んでいます。」との説明を受けました。
(そんなようなことを言っていたと後で家族から聞きました)


    手術1週間目
片側の人工関節にしたところは調子良かったのですが、内側に痛みがありました。
担当医は「そのうち、無くなるから心配しない」と不安げな顔をしていた。
リハビリプランの作成、いつもの先生なのでスケジュールを確認し、腹筋や背筋を軽くと300回と書いてあったプランに「びびった」

1月15日CTと腰のレントゲン。
点滴のドレーンはそのまま、尿道バルーン撤去。
なぜ、CTを取ったかというと、車椅子に乗れるとなると動きたくなる私です。
看護婦さんの支え方が悪くて「ぷーさん号の車椅子から落ちた」その際に、右の股関節を打ったので、そのままストレッチャーで移動させられ、しばらく、ベッド固定されてしまった。
異常なしだったのですが、やばいところだったですね。(みなさん気をつけましょう)
婦長さんは、股関節の人工関節レントゲンが気にいったらしく、大きさに驚いておいででした。
「これ、マツタケみたいなやね」には、閉口した。

17日看護婦付き添いの散歩。これは楽しかったです(おもいっきりのネタで笑わす)

19日に念願のタイガース号が到着した。



    手術2週間目 (〜1月27日)
レントゲンを見て驚いた。
なんと、内側の膝部分に亀裂なようなものがあるではないか?
担当医は「2mmのドリリングの跡ですよ」と言うが、この辺には壊死はなかったはずだったが??
あまり深く聞いても、その内ひっつくだろと思った。

マジックで痛む場所に円を書いて、「MAX」「痛み2」「痛み3」のように書いて、担当医に見せたら、一歩引き下がった。
なんで?受けると思ったのにね。
きっとこの辺の場所に今回の手術の秘密があるのだなとだけは理解できました。

リハビリもこの頃から、超音波を使ったり、ホットパックだけのものになった。

膝が腫れるので、毎晩アイシングしますが、これが、専門の整形外科病院なら色々アイテムがあるのに、なかったので、自からネットショップで購入して使っていますが、看護士の驚く姿に「どうだ、参ったか」などと楽しんでおります。


    手術3週間目 (〜2月3日)
この頃になると入院生活が、飽きてくるころなのですが、それはそれ、コーヒーショップや喫煙所でいろいろな情報交換をして楽しむことにしました。
自然にリーダー的な存在になって、2月9日はロビーを開放して、「日本VS北朝鮮」サッカー応援企画を、管理課長に承諾を取り付け、宴会まじりのイベントを行うことにしました。

リハビリで浴槽入浴することになったのですが、どうも、私の今の状態では、シャワーが限界で、入浴するには無理がありましたが、病院のメッセージボードにこんな張り紙がありました。
「この度、車椅子利用者の方が簡単に入れるシャワー自動チェアーを購入しましたので是非、ご利用ください」です。
早速、使ってみましたが、なんと、体の余ったお肉は挟むは、足の部分は引っかかるし、動かすのにヘルパーさんが汗だくになる、脅威のマシンでした。
1度で諦めました。
お見舞いの方も少しづつ増え、中には貴重なお酒を頂戴したkeraさんを筆頭に、なんで、病院に焼酎ハイ(氷結)を2ケース届けたのか理解できない友人もおりますよ。
Keraさんとはゆっくりお話できて楽しかったです。
節分の夕食にお豆さんではなく、乳ボーロが出たのには笑った。


    手術4週間目 (〜2月12日)
手術した左膝に装具を装着して、トレーニングすることになりました。
あの派手な松葉杖が再登場するとは思いませんでしたが、(前回の記録に写真があります)2月8日には、PT2名とドクター2名と私で今後の車椅子利用が少しでも少なくなるように、「100mは歩きたいなあ」とのドクター発言に、「いえ、私は4関節すべてを機械化キャシャーン状態になっても、ゴルフがしたい」と言った。
明日は日本と北朝鮮のサッカーで9時30分まで、ロビーでイベントをしますので、準備に忙しかった。

まさか、その日に最良の人を失うとは思いもしませんでした。
サッカーで盛り上がるロビーに1本の私への電話がなり、父の急変と救急救命センターへ搬送されたと聞いた瞬間、私にはすべてが理解できました。
急いで、駆けつけましたが、すでに心停止状態でした。
1週間前にお見舞いに来てくれて、「この病院いいな。俺もここへ入れてもらおうか」などと冗談を言いながら、私の車椅子や父のステッキを同部屋の人たちに自慢していました。
病院には、電話で事情を話して、帰れないことになったことを告げ、父が苦しまずに亡くなっていることや、父のペースメーカーを外すなどの処置を一人で待って、母たちには自宅を掃除しておくように言って、霊安室で父を抱きしめながら、「ごめんね。しんどかったろうに、入院させていれば、今年もいっしょに旅行にいけたのに!今まで、ほんとによくがんばったよな。いっしょにゴルフや旅行もしたし、俺のためならなんでもしてくれたよね。」と話かけても返事はありません。
顔は穏やかで、まるで笑っているようでした。
あと1時間でもいいから話をしたかった。
「ありがとうございました」と言わせて欲しかった。

9日10日は自宅で父といっしょに寝て、11日に通夜式、12日に告別式がありました。
父の交友関係の多さには驚くと共に、天皇陛下から拝受した叙勲を胸つけ嬉しそうな父の遺影を前に、弔辞では最後に泣きながら「最高の友よ!待っていてくれ、俺もすぐに行く!」には驚きましたが、いつか別れは来ます。
しかし、父は私が歩いて元気にやっている姿を見たがっていたし、この病気の原因が私が17歳ころにかかった病気の際に父が「ステロイド」を大量に使ってもいいと「ドクターに許可したことが原因なので、自分の責任だ」と言っていたことなど父の友人から当日聞きました。
今回の手術の結果、ステロイドではないことがはっきりしたことも知らせていなかったし、なにより、こんな時に私が入院をしていたことが悔やまれてなりません。
側にいてやりたかった。

「もし、生まれ変わることがあれば、次も私は父の子供でいたいし、この楽しい家族でいたい。
とうさん長い間ご苦労さまでした。よくがんばってくれました。ありがとうございました。」と挨拶したら、父の後輩や友人、父の指導していたクラブの人たちも同じように「ありがとうございました」と言ってくれました。
12日の夜に病院に戻りました。その日は、私の頭は爆発しそうでした。


    手術5週間目 (〜2月17日)
長い外泊のためと言いたい所ですが、両膝と左の股関節のレントゲンを14日に撮影しました。
結果は、思っていたより軽症で、左膝内足部の痛みも、小さい骨折程度でした。
(実は、ふらふらしながら車椅子に乗っていたため、横向きに初めて転倒したという事故)
右の股関節を未だに擁護する癖があって、強烈に左へ転倒し、1階のフロアーは騒然となっていました。

14-17日3日間は私の移動には、看護婦さんが介助してくれることになる、「楽チン移動、楽チン散歩」となりました。
精神面のフォローもあったのでしょうが、猛犬に餌を与えるようなものですよね。


    手術6週間目 (〜2月24日)
手術後1週間ぐらいからでしょうが、下痢が続いておりました。
その結果23日に大腸ラメラの検査が入りましたが、膝が曲がらないので、点滴で眠らせ簡単な麻酔効果での検査となりました。
結果は「過敏性腸症候群」ストレスなどで起こる中々根治しにくい病気だそうです。
特に20-30代の女性に多いそうですよ。
睡眠不足やら体力の消耗なのでしょうが、担当医から「精神内科を紹介しようか」と言われて、まあ、「私の精神力の強さを信じなさいな」と丁重にお断りしました。
やっと24日にすごい装具がやってきました。
保険で出るからと言ってこんなのありかなと思うようなものです。
ドイツのGKのO.カーンが故障した折に使ったものらしく、ドイツ製の重厚な作りです。
起動戦士ガンダムのような装具です。
目立つ!派手!私にピッタリ!の装具が揃い、明日から、早ければ装具付筋トレができると思います。
PTは絶賛しておりましたし、担当医も「こんなんあるんやね。ええわー」
ただ、価格がかなりお高いらしい? 
まだ、請求書を保険申請するので負担金は不明です。



    手術7週間目 (〜3月3日)
整形なら整形だけの病棟なら、こんな苦労はないのにと思うことがあります。
この病院は、内科も外科も整形も同部屋になる場合が多いのです。
私の部屋はもちろん私のみが整形ですし、食事制限もありませんが、他の方はそうはいきません。
夜は私のオフィスになっているディルームで食事はいっしょなので、いつも私の「常食」(普通食のこと)を羨ましそうに見ては、「それ旨いんか?」といちいち聞く「おっちゃん」がおります。
あまり、食欲もない私ですし、早々に箸を置くと、勝手に私のものを食べると言う暴挙に出たらしく、私が「ごちそうさま」と言う後ろから看護婦さんが「はぁーい」と引き上げて行きます。
減量糖尿おっちゃんは、私を恨んでいるようです。

例の装具代の請求がやってきましたが、14万近でした。
「ほー・・・ドイツ製だから結構な値段と思っていたけどこんなもんね」と値段は気にしないと言った手前、カッコ悪いので本音の「うわぁ!めちゃたかいやんか」は口には出しませんが、驚きました。

しかし、この装具のすごいところは、膝の角度調整ができて手術した側のサポートをベストフィットさせる優れものです。
まだ、歩くまでには至っておりませんが、おそらく上手くいくと思います。
それと、私の足の付け根に、「おでき」(関西名)があって、28日にあまりの大きさと痛さに外科のドクターが切開しにやってきました。
痛い麻酔注射に、それを無理やり押すと膿が大量に出てきました。
その後は、毎日消毒とその開いた穴に消毒したガーゼを入れるのですが、これがまた痛い!
おかげで他の痛い部分を忘れてしまいましたが、3日に無事、穴を塞ぎました。
看護婦は「おしりのできものの消毒を・・」などと言うので「足の付け根じゃぁ」と訂正しましたが、病棟看護婦のほとんどは、「おしりのできものはどう?」と笑いながら聞いてくる。
そんなこんなで、「大腸症候群とおでき」のおかげで1ヶ月近く、右膝の関節鏡検査(絶対手術付になるに違い)が日程も決まらないまま、2ヶ月目の8週へ突入しようとしております。

次回は、右膝関節鏡のシリーズと爆笑28歳の入院している青年の話をしますね。


    術後8週目 (〜3月10日)
足の付け根は出来物を関西では「でんぼ」と呼んでいる地方もあるそうです。

さて、今週は交通事故で入院してきた青年のお話です。
当初、私のベッドの横で入院していたのですが、あまりのすごい「ゴジラとアンギラス」の両方の高音と低音「いびき」で、隣の「いびき部屋」?と呼ばれている場所へ移動していきました。
柔道家で現役なのですが、その風貌と115kg(本人申告)からとても格闘家とは想像不能の単なる○ブにしか見えません。
60km/hの車に歩行中衝突し、骨折もしなかったと言う猛者ですが、靭帯損傷と剥離骨折で全治6週間と診断されておりましたが、すでに1ヶ月を越えております。
毎週土曜日の病棟の体重測定には不参加にして、リハビリ室では体重計が計測できないほどメーターが振り切り、車椅子はパンク、木製松葉杖にヒビを入れてしまった。
それ以来、病院では、彼を痩せさせようと努力を重ねましたが、私がお見舞いでもらったお菓子類を食べてくれるのは有難いのですが、どうも、体重が増加傾向にあるようで、噂ではすでに4kgを越え、120kgの超ヘビー級になっているようです。
でも、楽しませてくれる一人になっております。

3月10日でちょうど術後8週目に入りました。
明日は「右膝関節鏡手術」が午後1時から始まります。
関節内壊死部分検査および半月版と内関節○○ととても私には読めない字で何か手術を予定しているようです。
当然、今回は、腰椎麻酔なので、「モニターをじっくり見て、笑わしたる」と意気込んでおりますが、さっき、手術室の看護師さんに会ったら、睡眠ガスが用意する指示があったとか?
あまりうるさいと本気に眠らせるつもりだろうか?
あの神秘的な関節内を見るチャンスはそうないし、右膝がどんなのか、また、押さえると凹むのか。
この目で見たいのですが・・・。
だいたい、説明が「見るだけやで、もしも悪い場合は、ちょっと色々骨を触るけど、11月にやったのといっしょやね」と「あれで、だめだこの関節って」で今回の置換手術になったのですから、また、次回もあるのだろうと想像しながら、明日の検査?手術の準備に入っております。

この分だとほんとに3ヶ月程度の入院になるような気がしてきました。
父の49日にまでにはと思っておりましたが、父が夢の中で「立って歩いて帰ってこいな」と言うものですので、3月28日は、外出はします。

ちなみに、私の主治医は30代前半のとても美人の先生です。
なんで整形外科医になったのか不思議なのですが、その先生の字もやっぱり、顔に似合わず悪筆です。
退院後に、担当医の副院長とこの先生とPTさんと私で、この辺では一番おいしいと言われる友人の経営する料理屋さんへ「無事出所?祝い」に行くことにしております。



    術後9週目 (〜3月17日)
3月11日午後1時の「右膝内視鏡半月版手術および関節内検査」の予定でしたが、骨折の急患のために3時10分に変更になりました。
もうこの検査も2度目、手術室へは3回目となれば、慣れたものです。
血圧も101と66でビビリ無し、BGMも懐かしい70-80年代サウンドシリーズでした。
サボテンの花はなぜか手術室内で合唱していたような感じだった。
矢沢永吉の「時間よ止まれ」などなど前回の「クリスマスソング」よりかなりグレードが上がったように思います。
さて、結果ですが、ドクターが考えていたと言うより、MRIやレントゲンでもはっきりしていない部分がかなり鮮明に映し出され、2cmX2cmほどの凹み壊死ですでに崩れた場所や1cmX5mmの同じようなものも内外足両方にありました。
MRIでは、表面は綺麗なはずだったのですが、すでに活断層のように崩れた状態で、主治医は「マリンさんは、元から右の痛みを言っていた」と担当医に迫ったシーンがあり、「こうなる前に左を先にやって少しでも長持ちさせることにしたのは、本人も望んだことだしね」とまあ、こんな調子でしたが、誰も悪くないし、左膝をやっておくことがなぜ、必要だったかは、担当医の言うとおり。
ただ、この右膝があと何年で破壊されてしまうのか、つまりは、このガタガタの骨で軟骨をガリガリと削っていくわけですから、あんまり持ちそうにもありませんね。
半月版は、私の意向もあって、内側を少し多めに手術してもらいました。
20年ほどまえの古傷なんですが、やっと直せてあげてよかったと思います。
今回は、3日間の安静と膝の固定が加わり、13日まで動けませんでした。

退院ですが、すでに60日を越え、予定よりかなり遅れており、この右膝の抜糸が10日後の21日で約10-14日ほどのリハビリで一応退院するつもりです。
82日間にも及ぶ前回の股関節よりさらに1週間ほど遅くなりましたが、何もなければの条件付ですから、これから、松葉杖の歩行練習が始まり、1ヶ月の半分の予定でやるのですから「転倒」もそれだけ多くなる確率になりますよね。

担当医には「もし、私の右膝が左膝より悪かったにせよ、左膝が右膝のようになる前に手術を今回したのは正解だと思うし、後悔なんありませんし、先生はMRIの画像で判断した結果であって、開けてみて、やっぱりこっちかと言うものでもないし、ギリギリまであと何年もつかわかりませんが、そのときは、右膝を全置換すれればよいことです。初めから、4つの関節が壊れることはわかっていたのだから、全く深刻な問題ではありませんよ」と励ましたのですが、泣かせてしまったようです。
医者に謝罪されたのは初めての経験です。


    術後10週目 (〜3月24日)
3月19日、右膝の関節鏡手術の抜糸「4箇所」
主治医の女性の先生は、なかなか私のギャグが通じず、笑いが少ないので思い切ってレベルを下げて「先生、抜糸はバッシッとやりましょう」と言うとこれが以外や受けてしまった。
笑顔は素敵なのですが、手元が狂ったようで、「痛い」のなんのって!
一般的な病院でのこの種の手術の入院だと、手術の1週間前からがほとんどなのでしょうが、私の場合、2日前の入院だったので、本来すでに70日を越えている長期の入院生活になりますね。
散歩道の皆さんなら、すでに退院して、職場復帰されているころだと思います。
ガンダム装具も完璧?で膝に負担を掛けないように筋トレをやっていますが、今回の関節鏡手術ではっきりした、あの「凹みと壊死」は膝の軟骨をすぐに破壊してしますだろうし、残された左股関節のみが頼りになった現在、やっぱり、4つの関節すべてを40歳代で人工関節にすることが冗談ではなくなりつつあり、その選択以外には、車椅子から降りることもできないだろうし、関節を人工にしても、今回のように骨移植した部分がしっかりしないとやっぱり車椅子生活には変わりはないのかもしれませんね。

新しい障害者申請書が届き、担当医に記入してもらいましたが、「日常生活は車椅子が不可欠、補助具なしでは、立位不可能」なんて書かれると現実はわかっているのですが、厳しさもあります。

さて、この病院は土曜日が体重測定の日ですが、私の体重がかなり激減してしまったために、食事の量のチェックが始まり、「何か悩みごとでもあるの」とご丁寧に診療内科からカウンセリングのカードがやってきました。
「エッ」悩みがあって痩せたわけではないし、まさか、病院の食事がひど過ぎるとも言えないし、さらには、整形外科から減量指示があったと思って半分程度しか食べていないだけで、最近は、筋トレが始まったのでカロリー消費が多いのだと思います。
と、お返事しましたが、カウンセリングを受けることになってしまいました。
「父の死、右膝が予想を超えた悪さ、車椅子、次回の手術のこと」など言われれば、精神的にかなりダメージなんでしょうが、私は脅威の能天気な「B型」ですよ!!と言いたいのですが、中々おもしろいテストを受けました。

3月23日、歩けた!ハイジのクララのように、10m程度ですが・・・


    術後11週目 (〜4月1日退院)
リハビリの計画書では、「歩行可能で自宅退院」となっておりましたが、やはり、筋力の衰えと左膝のガンダム装具と松葉杖を駆使しても、なんとか介助者のサポートがあって、20mそこそこ歩くだけで、右膝と左股関節が悲鳴を上げてしまいます。
壊死の独特の症状で、なんともない時は平気なのですが、この辺が難しいところです。
手術した部位は完璧なのですが、やはり、車椅子の併用は避けられそうにもありませんね。
そういうことで今回は、病院からはもう少し松葉杖が旨く使えるようになってからの退院を勧められましたが、私の仕事もかなり溜まりつつあり、これ以上長期化することも精神的ストレスにもなるので、退院を決めました。
実に81日間の入院は想像を超えました。

1週間に1度の右膝への注射と2度のリハビリが条件です。
今回の入院中に2度の手術を受け、両膝は気の毒なほど傷だらけです。
壊死は進行することがわかり、左股関節を先に人工関節にするのか、右膝全置換するのかは私には決めかねますが、「潰れるまで使う」のは、痛みが常に伴うことを意味しているし、左股関節と右膝を同時に人工関節に置換すれば4関節人工関節置換制覇を達成するチャンスでもあるのでが・・・そんなぁ無茶もね?

とまあ、強がってみても本音は、「頼むからひとつぐらい自骨で残らんかいな」と思います。
今回の入院は私にとって、あまりにも衝撃的なことが多く、何が今の自分に必要なのか、何からやればよいのか、羅針盤を失った船のようになってしまいました。
ただ、収穫もありました。
股関節や膝関節つまり大腿骨と脛骨はいづれも完璧に連動してこそ歩行が可能だと言う単純なことです。
このまま、車椅子使用して、少しでも残る左股関節と右膝関節の人工関節置換を遅らせるか、装具を外さず、右膝から近々に人工関節全置換をするかということの結論は、今は出せそうにもありません。

最後に皆さんの激励に感謝を申し上げます。どれだけ、掲示板やメールに励まされたことか、「散歩道」は私にとって大きな存在になっています。
ありがとうございました。



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