| 私は現在39歳の主婦です。
生まれつき先天性股関節脱臼があり、両足あわせて3〜4回手術したようです。
他の部位の手術もあり、今回は6回目の手術になりました。 1歳のときの手術が結果的に失敗に終わり、私はずっとびっこを引いたまま育ちました。 それがトラウマになり、股関節では絶対に医者にはかからないと心に決めていたのです。 違和感や多少の痛みはあるものの、生活には困らなかったので結婚、出産、子育てと、それなりにこなして来ました。 3人目を産み終えた頃から(26歳)徐々に歩き方がひどくなり、少し痛みも出てきました。 でも医者には行かず、子供達が幼稚園に上がった頃から仕事も始め、かなり頑張り屋の主婦をやっていました。 「この頃に受診したら、きっとRAOで大丈夫だった」と、後に主治医である教授に言われました。 3人抱えて生活の事もあるので、本当によく働きました。 自分でも、痛いという事が何だか恥ずかしい事の様で、主人にも子供達にも痛いとは絶対言わなかったのです。 後に平成13年の春、もう痛みで歩けないようになり、初めて主人に打ち明けて病院に行ったのです。 先生に『よくここまで我慢したね。痛かったろうに』と言われ、その言葉を聞いたら泣けてきて。 今まで足の事で人前では泣いた事なかったんですけど、分かってくれる人がいたと思ったら、不覚に涙がでました。 その後家族と相談の結果、平成14年5月に手術を決めました。 |
| 受診してから約1年自宅にいたので、ゆっくりと準備ができました。
ネットで色々調べて、本当に助かりました。 洗濯を自分で動けるようになったらするつもりで下着を買いに1人で出かけた時、どうしようもなく切なさがこみ上げてきて苦しくなった事を覚えています。 筋トレに関しては先生からも重々言われていたんですが、足の状態があまりにもひどくてほとんど出来なかったです。 プールにも行ってたんですが、水と遊んでいるような状態でした。 |
| ゴールデンウイークを控えた1日に入院の支持がありました。
連休中は救急車で整形の患者さんが沢山搬送されてきて、連休明けはベッドの空きがない可能性があるとのことで。 主人と2人で行きました。 採血、心電図、尿検査、肺活量、胸と股関節のX線。 受持医のN先生が私があんまりしょんぼりとしていたので、今日から外泊してもいいとおっしゃってくれて、喜び勇んで家に帰りました。 いるはずのない私がいたから、子供達は驚いてました。 |
| 骨密度や他のX線など、残り少しの検査のみだったので、暇でした。
途中、頭がどうしようもなく痛み、血圧が200近くになり、N先生はあわてて循環器の検査を入れてくれて、検査の結果、機能的にはまったく異常なし。 手術からくる不安とストレスで一時的にこんな状態になったとの事でした。 内服でその後快復して落ち着きました。 自分では大丈夫と思っていたんですが、やっぱりどこか我慢したり、無理をした部分があったのかもしれません。 夜、娘が火傷をして救急外来に連れてこられたり、自分が今大きな手術控えているのに、なんで自分の事だけ考えられる環境が与えられないのかと少し不足に思いました。 |
| 夕方1人でお風呂に入り、右足をなでていたら涙が出てきました。
“今までありがとう” その後、麻酔科の先生からの説明を聞き、夕食後、主人と娘達3人でM教授の手術説明を聞きました。 子供に聞かせるのはどうかなと思ったのですが、N先生が『今後の生活にも家族の助けが沢山要るから是非聞かせてあげたら』と言ってくださったので、同席させました。 教授の話を聞きながら、3人とも無言で涙を流してました。 『お母さんの頑張りに、これからは貴方達がお父さんと答える番ですよ』と言われ、“よろしくお願いします”の彼女達の言葉で締めくくられました。 もうその時には不思議と、怖さも不安も消え、静かな気持ちでした。 “私には今必要としてくれている家族がいるから逃げないで頑張らないと” |
| 6時 浣腸
8時 同室の人達のエールに送られてリカバリ室で筋肉注射。 その後意識がなくなりあまり覚えていません。 手術室で友人の看護士さんが“さちぶーさん大丈夫、頑張れ”と言ってくれたことと、点滴が入らず痛いと言っていたことのみ覚えてます。 14時 手術室から出る。 その時点で麻酔が効いておらず“痛い”“痛い”と泣き叫んでいたようです。 今でも忘れません、術後の痛さは。 麻酔の後遺症で吐き気もひどく、おまけに上を向いた状態で寝ていたので、傷の痛みより腰と背中が痛くて、このままどうにかなってしまうのではないかと思うくらい、辛かったです。 |
| 朝一番で体位交換を横向きにしてもらった。
傷の激痛より背中が楽になると思うと我慢できる。 本当に楽になった。ベットも45度まで上げてもらえた。 朝食がでたけど食欲なし。 昨夜心配顔で病院を後にした両親がやってきて、横を向いたり話をしている私を見て安心したようでした。 午後より発熱、N先生が顔を見せてくれるたびに安心。 抗生剤、増血剤の点滴1日2本ずつ。 夜麻酔科の先生が謝りに来た。 やっぱり麻酔がよくきいてなかったらしい。 本当に手術後は痛かった。このまま死んでしまうかと思ったほど。 先生にそのことを告げたらすっかり恐縮していた。 |
| 体が随分楽になってきた。一般病棟に移る。
午後より発熱、とっても体がだるかった。 抗生剤と増血剤の点滴。 |
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廃液を流すドレーンと背中の麻酔の管がとれる。
受持医の先生が金曜日は他の病院に出張だったらしく、知らない私は朝から先生を待ち続けていてすごく疲れた。 今日は夜しかこれないと、昨日言ってほしかった。 夕方、痛みと心細さで辛かった。 点滴同じ |
| 便秘で、浣腸してだしてもらう。こんな恥ずかしい事はなかった。
しょうがないけど。。。 点滴同じ |
| 昨日の晩から熱が下がらず、今日は友人や家族のお見舞いを皆辞退する。
主人が1人でそ〜とやってきた。 点滴同じ |
| 朝、M教授の回診があり、もう全荷重の許可がでる。
ベット90度まで上げる。 増血剤の点滴のみ |
| 尿管はずれる。今日から車椅子。
座る練習から、看護婦さんに支えられて車椅子に乗る。 自分でトイレに行けるのが、こんなに嬉しい事だとは思わなかった。 病衣から自分のパジャマに着替える。すっかり快適な気分になる。 車椅子に乗ってリハビリ室に行く。 いきなり平行棒での全荷重歩行。 数歩歩いたらめまいがして今日はそれでおしまい。 リハビリの先生から、これからは寝てないでなるべく座っている状態にしてください、と指示がでる。 |
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半分抜糸して2日後に全部抜糸する。
内転筋の抜糸が痛かった。 傷のつっぱり感がなくなり、とっても楽になった。 やっとシャワー許可が下りる。本当に気持ちよかった。 お風呂場はすべるからものすごく神経を使った。 手術前から家に父を残して来てくれていた母が帰った。 自分が動けないイライラをぶつけたり、随分ひどい事を言ったけど、私の体を心配しながら帰っていった。 親ってありがたいものだなと、つくづく思えた日だった。 リハビリが本格的になってきた。 私は、幼少の頃の手術の後遺症で右足が外に開かない状態になっていたらしく、人工を入れて骨は正常な状態になったのだけど、筋肉や回りの組織が今まで30数年間培ってきた状態を、すぐには変えられないと抵抗が激しく、本当に辛いリハビリです。 でもここで柔軟性を少しでも取り戻しておかないと、これからの自分の生活がすごく困るし、将来再置換の時のリハビリもきっと困るはずです。 でも、体が中々ついていかず、あせりまくってます。 |
| 整形の病棟から、療養型の病棟に移動。
広くて明るくていい感じです。 日常生活に、車椅子から歩行器の指示がでる。 足が重くて思うように前に出ない。 毎日のリハビリで筋肉痛がものすごく、椅子に座るだけで足が悲鳴を上げている。 シップや塗る消炎鎮痛剤を貰っているけど、気休めかな。 とにかくやるしかないです。 ここまで柔軟性のない患者さんはいないかも、とリハビリの先生に言われ、少し落ち込んでいる私です。 |
| 今週から1本杖の指示がでる。
以前、ネットで素敵な杖を注文して持っていたんです。 入院前は使うのがすごく抵抗あって、新品の様な状態で病院に持ってきました。 病院では抵抗も少なく、術前から使ってました。 今週から、その杖で歩く練習。 杖がことのほか皆さんに好評で、看護婦さんやケースワーカーさんが部屋まで見に来るほどでした。 それで希望者でまとめて注文という事になり、なんと20本もありました。 杖は結構黒や茶のような地味な色が多いけど、ちょっとステッキ感覚で持つならやっぱり明るい色がいいですよ。その後、皆でカラフルなステッキで散歩しました。 |
| もうこの頃になるとほとんど投薬もないし、治療といってもリハビリに通うことぐらいで、ほとんどすることがない。
朝6時過ぎに屋上に上がり、少し歩く。 夜は1階の外来ロビーで、股関節仲間と談笑しながらまたまた歩く。 こんな単調な毎日で、やっぱりストレス解消はおしゃべりです。 人工を入れた人達と今後の事を話したり、何でもいいからしゃべっているとストレスが消えていく感じです。 リハビリは十人十色で、みなさん全部状態が違います。 私と比較すると、他の人達はすごいですね。 私はまだ50度くらいしか曲がりません。 この頃からリハビリの先生は、もう貴方なりの進歩でいいからと言ってくれるようになりました。 他の人の様には絶対快復しないからと。 少し気が楽になりました。 |
| 単調な入院生活と家族の心配で胃が痛くなり、検査、検査の毎日でした。
結局は疲れからくる胃腸炎と言うことで、家が気になる。 この頃から夜遅くなると長女からメールが届くようになった。 1日の出来事が事細かく書いてあり、いらいらしたり、はらはらしたりして読んでいた。 毎日、夜の定期便のような感じでやり取りしていると、“父さんむかつく”とか“○子は家のこと何にもしなくて腹が立つ”“母さんの気持ちよくわかる”とか、結構大人になったなと感じるられるようになった。 |
| 隣の部屋のご婦人が脱臼しました。
彼女は膠原病を患っていて長い間ステロイドを服用して、大腿骨頭壊死になり、人工に置換した人です。 彼女のような場合は、筋肉が中々つかず脱臼しやすいらしいのですが、全然知識がなく、お風呂場で捻ったようです。 1番最初同室だったので仲良くしていたから、それはそれはショックでした。 その後、彼女は4週間寝たきりで、今まだ入院中です。 |
| 術後経過のいい人はこのくらいで退院の話が出るのですが、私の足はどうもいうことを聞かないので、全然話題にもでません。
相変わらずリハビリと歩くことのみの、単調な毎日です。 今の目標は階段を上がれるようになることでした。 右足を上げる時、内側に入るので絶対してはいけない体勢なので、家に帰ってからのことを考えて、一生懸命練習しました。 |
| 夏休みが近づいてきたので家に帰りたくて、受持の先生にお願いして、21日に退院を決めたんです。
途中外出して娘のバスケットの応援に行ったり、気持ちは退院モードでした。 17日に急に体の調子が悪くなり、いきなり40度の高熱が出始めました。 |
| 熱が下がらず、原因もわからず、まさか感染と、本当に心配しました。
色んな検査の結果、急性扁桃腺炎ということで、抗生剤や栄養剤など、点滴を続けました。 とりあえず熱は下がったけど、体が思うように動かず、しんどい思いをしました。 感染の数値が手術直後より高くて先生も心配してくれて、本来ならもう暫く入院なんですが、家族も私も限界に来ていたので、通院という条件で28日(日)に帰る事に決めました。 |
| 退院の前日、町で花火があり、皆で屋上に上がって見ました。
去年はこの花火を娘達と見に行ったなと思い、今自分がここにこうしていることが何だかとっても不思議な気がしてました。 幸い状態も落ち着いてきて、延びたけど、28日に無事退院となりました。 先生や看護婦さん、年配の方たちはエレベータの前まで送ってくれて、股関節仲間は皆、玄関まで見送りにきてくれました。 不思議な縁で知り合った皆と、こんなにも楽しく過ごせるなんて夢にも思わなかったけど、お陰で楽しい入院生活が出来ました。 |
| 退院してからも週に1〜2回はリハビリに通院しています。
柔軟性はまだまだですけど、筋肉が少しずつ付き始めてきました。 今は、家の周囲は杖を持たず歩いてます。 少し長めに歩くときは杖を使用。 まだまだ、歩き方は改善されていませんけど、気長に構えていこうかと思ってます。 今、人工にしてしまった私に、入れてよかったかどうかという事は愚問ですけど、本当に今手術してよかったと思えるような、日々を過ごして行きたいと思ってます。 人それぞれに思いはあるはずでしょうけど、たった1回きりの人生をどういう風に過ごすか、自分自身よく考えて悔いのない人生を送ってほしいです。 |