ホーム講話(メッセージ)

万民のための救い (ルカによる福音書2:22-40)
       黒 田 浩 史 牧師

クリスマスは救い主キリストのご降誕をお祝いする日です。
聖書には主キリストの誕生の場面が詳しく記されており、教会ではクリスマスに子どもたちが聖誕劇を演じたりもします。ご両親のマリアとヨセフは人口調査の ために旅に出たとか、宿には泊まる場所が無くて、主イエス様は馬小屋でお生まれになったとか。

生まれてきた幼子と非常に対象的に、主のご降誕の直後、聖書には2人の年老いた信仰者が登場し、彼らも主のご降誕を喜び祝います。そのうちの一人は84歳 の女性で、若いときに夫に死に別れ、もう恐らく50年以上も独りで神殿の境内で祈りと断食に専念していたという女預言者でした。
子どもの成長、そして子孫の繁栄が殆んど唯一の喜びであった古代世界においては、身寄りのない老人は不幸な人の代表のようなものでした。
しかし、聖書に登場するこれらの老人は決して不幸ではありませんでした。この世の諸々の事柄には全く希望を持てず、何の喜びや楽しみもありませんでした が、信仰によって神様だけを生きがいとしていたからです。
もう一人の老人は男性で、名をシメオンといい、救い主が世に現れるのを待ち望んでいました。彼は幼子主イエス様を腕に抱き、神様が今こそ救いを実現された ことを喜び、神をほめたたえました。
年老いていましたから、シメオンは間もなくこの世を去ったことでしょう。しかし、幼子はやがて十字架に掛けられ復活することまで預言し、自分も復活の命に 生きることができると確信して喜んだのでした。この世にはもはや何の楽しみも期待していなかったからこそ、死後の希望である復活を仰ぎ見ることができたの でしょう。

シメオンは主のお母様マリアに対して、「剣で心を刺し貫かれるでしょう」と預言しました。十字架の場面を見て心が刺されるような辛い思いをするという意味 ですが、これはお母様に限ったことではありません。私たちも心が刺し貫かれることにより、心の思いがあらわになるというのです。神に逆らっていた人は神へ の敵意がますますつのり、神を大事にしていた人は信仰の思いが明らかになってくるのです。

十字架の場面に居合せたローマ軍の百人隊長は、もともと信仰者ではありませんでしたが、息を引き取られた主イエス様を見て、「この人は本当に神の子であっ た」と言い、心の奥底に宿っていた信仰心が表に出てきました(マタイ27:54)。
聖書の御言葉に接すると、信仰者でなかった人も、信仰の思いを呼び起こされるのではないでしょうか。

(「教会だより No. 126」より)