ホーム講話(メッセージ)

永遠の命の言葉

       黒 田 浩 史 牧師

キリスト教の信仰は頭で理解できるものではなく、心から主キリストを慕い、信じて深い交わりに入る奥義です。

キリストとの交わりとして、パンを食べ、ぶどう酒を飲む、聖餐という儀式があります。これらにあずかることにより、主キリストの御体を食べ、御血を飲んだ ことになるというものです。
人食いでもあるまいし、「それは実にひどい話だ」と多くの弟子たちは主のもとを去ってしまいました(ヨハネ6:60)。
聖書の話も、人生論としての教えなら誰もが耳を傾けます。しかし、いざ自分が十字架を背負ったり、人のために犠牲になるという話になると、「実にひどい話 だ。わたしは抜けさせてもらおう」と言ってキリストのもとを去っていく私たちの姿です。
主キリストの教えは、知性や理解を乗り越え、脇に投げ捨てて、幼子のような心で信じ、従う以外にはありません。

主キリストは残ったペトロたちに向かい「あなたがたも離れて行きたいか」と尋ねられました(6:67)。
去っていった弟子たちも、残ったペトロも、どちらも私たちの姿で、ときには主を否んだり、ときには主に従ったりしている姿です。
ですから、「ひどい話だ」と言ってなかなか本当には信じられない私たちに対しても、主は「本当に離れて行きたいのか、それともわたしに従いたいのか」と問 うておられるのです。

ここで主キリストが問題としておられるのは、私たちが何を望んでいるかです。できるできないはともかく、主に従うことを望む心をこそ受け止めてくださるの です。
ペトロは「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」と答えました(6:68)。主キリストにこそ永遠の命があるとの信仰です。
信仰を言い表す言葉はいろいろあり、同じペトロも「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたり(マタイ16:16)、トマスは「わたしの主、わたしの 神よ」と答えました(ヨハネ20:28)。使徒信条などはもっと長い言葉で信仰を言い表しています。
しかし、問題なのはキリストに従いたいのか、離れたいのか、という心です。
主キリストを心で信じ従いたいと願って御言葉と聖餐に与る人に、主は永遠の命を約束されました(6:54)。教えをちゃんと守ってきた人は永遠の命を得 る、と言われたのではないのです。

主キリストを慕う気持ちを新たにして、主に従って行きましょう。   

(「教会だより No. 134」より)