(澤井 他・編『ソオロジ カル・イマジネーション−問いかけとしての社会学−』八千代出版、1997年4月)
目 次
その結果、既存の組織、地域社会、国家の枠組みが崩れる可能性が見えてきている。
果たして、これから社会は、無秩序へと向かうのか、あるいは情報化管理社会へと向かうのか。それについての結論は見えていない。
そこで、その手がかりを得るために、1.まず、地域共同体を意味していた従来の「コミュニティ」概念と比較しながら、電話やコンピューターネットワークなどの「電子メディア」によって構成されるバーチャルコミュニティの性質をとらえることにする。次に2.電話回線やコンピューターネットワークの上で展開されるネットワーキングとバーチャルコミュニティの実態と特徴について考察する。そして、3.バーチャルコミュニティを形成する電子メディアを利用したネットワーキングが、これから社会をどのように変えて行くのかを展望する。
また、バーチャルコミュニティは、ある程度の数の人びとが、コンピューターネットワークを通じて議論を尽くし、人間関係のネットワークをつくろうとしたときに実現されるものである(ラインゴールド 1995:20)。
ところで、電子メディアによって形成されるバーチャルコミュニティについて論じる前に、社会学の重要な概念である「コミュニティ」について検討してみたい。
従来のコミュニティ概念は、人びとが生活を共にし、地理的に限定された広がりをもつ
共同体を示しており、集落、市町村、都道府県、町内会などが具体的なものとしてあげられる。
そして、日本においては、1960年代の高度経済成長に伴う農村から都市への人口移動によって既存のコミュニティが崩壊し、それと並行して、電話などの電子メディアが普及して行くにつれてバーチャルコミュニティが出現するようになった。
バーチャルコミュニティは、共通の事柄に関心をもつ者同士が、電子メディア(電話、FAX、パソコン通信、インターネット)を通して情報交流を行うことで結ばれる「情報縁」によって形成される(古川 1993:162−163)。
ここで、コミュニティの構成要素として、@一定の地理的境界を伴うこと、A構成員相互の交流があること、B共通の目標・関心等の絆が存在することが、社会学においては従来からあげられてきた。
しかし、バーチャルコミュニティにおいては、その構成員間の交流は、地理的な制約を受けないため、既存のコミュニティ概念の要素のうちの「一定の地理的境界を伴う」必要はない(古川1993:164−165)。
そこで、バーチャルコミュニティの特徴を示すならば、以下の特徴があげられる。
以上のような特徴をもつバーチャルコミュニティは、人びとが世界を認識し思考し表現する道具であるメディアの発展の結果として形成されるものである。
こうしたメディアの発展は、人びとのコミュニケーション様式を変化させ、社会関係の結び方を変えていき、その結果、社会組織や社会全体の構造が変容していくということが考えられる(1)。
そこで、第2節では、電話やコンピューター通信によって構成されるバーチャルコミュニティの実態をとらえてみたい。
電話が一般家庭に普及し始めた当時、電話は玄関の下駄箱に置かれていた。というのは、電話は、家の中に居ながら回線上で外の人と話すことができるため、玄関や勝手口のように家庭の外部と内部を結ぶという役割を果たすものであると見なされ、その役割にふさわしい場所として玄関に置かれたからである。
そして、電話の利用の頻繁化や日常化とともに、次第に応接間や台所、居間へと電話の位置が移動するようになる。つまり、居住空間のより中心部へと侵入していくのである。
さらに、親子電話やコードレス電話という電話の機能的拡充にともなって、住居における電話の内部化が一層進行し、両親の寝室や子ども部屋にも置かれ、家族一人一人を直接外部の他者と結び付け、より個別的に家族成員と外部の他者をつなぐことになる。
このようにして、家族の一人一人が自室の電話を通していつでも外部の相手と出会えるようになると、家族の共同生活が営まれる場としての家庭は、物理的には閉じていても、電子的には分解し、より広域的なネットワークを形成することになる。これによって、家庭は、多数の個室の集合体へと変容してしまったのである。
電子的な個室の典型的な例は、一人暮しの若者たちの場合である。ある大学3年生の発言によれば、「ひとり暮しになって、私が電話をかける回数はかなり増えた。ひとりでいると、意外に暇なのである。とにかく誰かと話したくなる。で、ついついダイヤルに指が伸びるのだ。・・・・・・ひとりで暮らすようになり、外界と何かしらのつながりを持っていないと落ち着かない自分に気づいてしまった。・・・・・今では、風呂に入るときや、寝るときには、コードを伸ばし、電話を手元におくようになってしまった」というように、今や、若者たちは電話を通じてもっとも親密な世界を形成し、日々のリアリティを確認している。つまり、物理的な生活の場よりも、電話回線の方が、私的な生活世界のリアリティを支える基盤となっているのである。
電話の日常生活への浸透によって、多数の電子的な個室が住居の外部にも拡散し、さらに、ポケットベルや携帯電話のような移動体通信が普及するようになり、街頭のいたるところに遍在するようになった。例えば、電車の中で携帯電話で会話をしている人の振る舞いは、まわりの人にとってしばしば奇異なものに見えるが、そうしたことが起こるのは、電話をかけている本人は、物理的には電車の中にいながら、意識的には車内にいないからなのである(吉見 1994:62−67)。
(2)電話回線の中のバーチャルコミュニティ
つまり、こうした電話の使い方では、自分と特定の相手という1対1の関係でコミュニケーションが行われ「わたしとあなただけの」単純なバーチャルコミュニティが形成されるにすぎないのである。
しかしながら、電話にコンピューターが接続されて会話が記録・蓄積できるようになり、それを複数の人の間でコミュニケーションの手段として利用できるようになると、電話回線の中で形成されるバーチャルコミュニティは、大きな広がりをもつ複雑なものとなっていく。
そこで、次に「伝言ダイアル」の中に形成されるバーチャルコミュニティをとりあげてみよう。
「伝言ダイヤル」は、直接電話をかけにくい者同士で連絡を取りあう声の伝言板としての利用を目的としてNTTが1986年から提供を開始した通話サービスである。
その利用法は、まず、伝言ダイヤルセンターに電話をかけて6〜10桁の任意の連絡番号を指定すると、30秒以内の音声メッセージを10件まで各8時間保存してくれる。しかも、利用する者が互いに4桁の暗証番号を知らないと、メッセージの再生と追加録音は不可能になっている。
ところが、間もなく、「111・・」とか、「1234・・・」とかいった誰でもが思いつきそうな単純な数列からなる連絡・暗証番号に、不特定多数の相手に向けたメッセージを入れる者が現われ、こうした伝言ダイヤルの利用の仕方をすることが若者の間で熱狂的にはやった。
このような利用方法によって生まれた不特定多数の者の間のメッセージのやりとりを目的とした掲示板とも言うべきスペースは「オープン・ダイヤル」(略して「オープン」)と呼ばれ、そこでは、ポケットベルや連絡先の電話番号(「直電」)を教え合って、見知らぬ者同士で接触を図ろうとする伝言が交されるようになった。これらは、「ナンパ伝言」とも呼ばれ、伝言ダイヤルや電話で会話しようとするものから、実際に会おうとするものまで、出会いのきっかけづくりが目的になっている。
このような未知の相手とのコミュニケーションを目的とする電話の利用の仕方は、1965年の東京から始まった話中音による「混線遊び」以来、81年頃にはやった117番の「時報ダイヤル」や使用していない番号に流れるアナウンスにかける「混線ダイヤル」といった目的外の使用方法から、「テレクラ」やダイヤルQ2の「ツーショット」や「パーティーライン」まで、連綿と続いている。
そのような不特定多数での伝言ダイヤルの使用によって、「リレーダイヤル」(略して「リレー」)というバーチャルコミュニティが形成される。
「リレー」は、伝言ダイヤルを通じて知り合った仲間とおしゃべりを楽しむグループであり、そこでは、自然発生的にできあがったルールや会話様式によってコミュニケーションが行われ、一定の秩序が成立している。
リレーの規模は、2、3人から数十人のものまでさまざまである。メンバーの年齢構成は、20歳代が中心であるが、下は中学生から上は50歳代の者まで含まれる。また、そこでのやりとりの内容も多様であり、他愛のない世間話のような会話が多いが、その他にギャグやコントを織り混ぜたり、歌を歌うなどの様々なメッセージが交換されている。さらに、「ミーティング」と称してメンバーが実際に集まる会合を開く場合も少なくない。
リレーのやりとりは、わずか30秒間に多くのメッセージを盛り込むために、早口である上に特有の隠語が使われている。
ここでの会話の特徴としては、まず、空間を示す例えが用いられていることである。例えば、最初に決めた連絡番号が10個の伝言で埋ると、次に伝言を録音する場所を示すために、暗証番号はそのままにして、連絡番号の末尾に「01」を付けた「1階」と呼ばれる連絡番号を開設し、それが埋ると順次、「2階」「3階」と増設していく。こうした空間的な例えによって、伝言ダイヤルという、視覚的な具体性をもたず、つかみどころのない場に対して一定の秩序化を図っている。
二つ目の会話の特徴としては、メンバーたちはお互いにあいさつとして名前と時間を述べ合い、お互いに匿名な関係でありながらも誰がいつその場に入って来たのかをメンバーに知らせることで、相手の社会的属性や時間的区切りが欠如した伝言ダイヤルという場に、区切りをつけ秩序を作り出している。
リレーのメンバーたちの間のやりとりは、匿名的なものであるために、日常の社会的空間や人間関係から切り離されており、彼らが電話回線の中につくりあげるコミュニケーションの場は、日常的世界とは別の擬似的空間としての性質を帯びるようになる。あるいは、それ自体、もう一つの社会的現実をつくりあげているといってもよいであろう。実際に、リレーのメンバーたちは、伝言ダイヤルを通じてできあがる人間関係の総体を「伝言界」と呼び、一般社会と区別している。
伝言ダイヤルを通じてでき上がる世界は、都会の雑踏の中で繰り広げられる匿名の人間関係と多くの共通点をもっている。つまり、都会の匿名性のもとでは、出会う者同士が互いにもとからの知り合い同士ではないため、職場や家庭の人間関係では許されないような
逸脱的行為でもある程度許容される場が成立するが、他方で、そこには公共の場を維持するための規則が作り出され存在し、人びとはそれに従うことで秩序を保っている。そして、これは、電話回線の中に作り出されるリレーの世界にもあてはまっているといえるであろう(岡田 1993:93−100)。
(3)コンピューターネットワーク上のバーチャルコミュニティ
このバーチャルコミュニティを作り出すコンピューターネットワークの中で、気楽に参加できるのがパソコン通信である。
日本においては商用パソコン通信ネットワークであるCP-VANとNIFTY-Serveは、現在、どちらも100万人近い人びとが利用し、電子メールや電子会議室、電子掲示板、データベース、オンラインショッピングなど様々な機能が用意されている。
この他に、ボランティアで運営される「草の根」ネットワークや、自治体や第三セクターが運営する地域ネットワークなど、2000以上の様々な形態、規模のパソコン通信ネットワークが活動中であり、その利用者は200万人を超えるといわれている。
上で述べたパソコン通信は、ホストコンピューターを中心にして利用者のパソコンを結ぶことによって構成された放射状(集中型)のネットワークである。
他方で、もともとは研究所や大学での利用が中心であったが、近年、接続業者(プロバイダー)の普及で一般の人びとも利用できるようになったインターネットでは、中心となるコンピューターは存在せず、世界中に散らばったコンピューターが、CTP/IPという共通の通信規格で結ばれた分散型の「ネットワークのネットワーク」である。そして、利用者は自分のところのネットワークにアクセスするだけで、インターネットにつながる世界中のどこのコンピューターでも利用できる。
ネットワークの構成形態が異なれば、コミュニケーションの仕方も異なる。
一方のパソコン通信のような集中型ネットワークでは、ホストコンピューターの中にある電子掲示板や電子会議室に利用者がメッセージを書き込んだり、他の利用者のメッセージを読んだりしながら、コミュニケーションを行う。
他方で、インターネットの場合、利用者の間で電子メールを通じてメッセージを送り合い、討論などの様々なコミュニケーションが行われる。その際に、多数の利用者の間での効率的なメッセージのやりとりを可能にする便利なシステムが、メーリングリストである。インターネットに接続されているホストコンピューターの中に置かれたメーリングリストに宛ててメールを出すと、そこにメールアドレス(電子メールの住所)が登録されている利用者全員にメールが送られるようになっている。継続的に利用されているメーリングリストは、現在世界中に2000から3000程度あるといわれている。また、インターネットに接続しているコンピューターは、世界各地のコンピューターから情報を入手するための端末として利用することができるだけでなく、自作のデータベースなどの情報を提供することもできる。
コンピューターネットワークは、新聞やテレビを媒介として行われる1対多のマスコミュニケーションでも、手紙や電話を利用して行われる1対1のパーソナルコミュニケーションでもない、数十人から数千人の人びとの間で相互にやりとりされる中規模のグループコミュニケーションを可能にする。これは、これまでのメディアにはなかったコミュニケーションの形態である(川浦 1994:40−43)。
また、コンピューターコミュニケーションにおいて個人を特定する手がかりは、IDあるいはメールアドレスと呼ばれる一連の記号である。メッセージに自動的に表示される個人情報は、IDや本人が申告する名前である。したがって、そのメッセージを送ってきた本人が明らかにしない限り、職業や地位、年齢や性別、居住地などの社会的属性はわからない。そこから、匿名的なコミュニケーションが行われることになり、その人がどんな人なのかよりも、その人がどんなことを言ったのかの方が、重要になってくる。そして、社会的な属性から離れて、共通の関心事について議論や情報の交換が行われることによって、「情報縁」と言えるような緩やかな人間関係が結ばれるようになる。
このような人間関係から構成されるコミュニティの中では、一定のルールが自然発生的に形成されていく。例えば、一回の発言は長くても2画面分にとどめる、1行は35文字以内で改行するといった技術的なものから、相手を呼び捨てにしない、発言の引用は必要最低限にとどめる、隠語や特殊な略語など特定の人にしかわからない表現は用いないなどのコミュニケーションの仕方に関するルールには様々なものがある(川浦 1994:61−64)。
このような自然発生的なルールに基づいて形成されるコンピューターネットワーク上のバーチャルコミュニティの一つとして電子会議室の中のバーチャルコミュニティをとりあげ、その特徴を明らかにしてみたい。
電子会議(パソコン通信の中の電子会議室、または、インターネット上のネットニュース)では、議論が文字を使って行われ、空間的に離れたところにいる人びとの間で時間に制約されずに行われることが、対面的な会議と大きく違うところである。
また、電子会議のいくつかの特徴をあげれば、@参加者が自分から言わない限り性別・年齢・職業・容姿などの手がかりがえられない、したがってA会議の参加者は不特定な人から構成されることになる、B会議への参加は自発的で任意である、C会議はいつでもどこからでも参加可能で時間的・空間的な制約を受けない、また、職場組織での会議と比較して、D会議の参加者に特定の役割が与えられていない、E会議の参加者の間の地位上の違いが問題とならない、F会議のリーダーが誰かはっきりしないし、また、権限もあいまいである、G会議の目的や作業課題が特に決められていない、ということが電子会議の一般的特徴であり、これらの特徴は、参加者の容貌や社会的地位が発言に影響を及ぼす対面的な会議の場合よりも、電子会議の中で参加者が、より自由に、より積極的に発言を行うことを可能にする(川上 1993:119−121)。
しかしながら、実際の電子会議のなかの発言の実態を見ると、少数の参加者が積極的に多くの発言を行い、大多数の参加者はその発言を読むだけというように、少数の「書き手」と多数の「読み手」に分かれていることがわかる(2)。
以上、コンピューターネットワークを媒介にして構成されるバーチャルコミュニティ一般について論じたが、このようなバーチャルコミュニティには、それを構成する人びとが共有する目的と関心に応じて様々な種類のものが存在する。
そこで、次に、社会的な問題に取り組むことを目的として作り上げられるバーチャルコミュニティを取り上げ、それらがどのように発生し、いかに社会を変えて行く可能性をもつのかを明らかにしたい。
(4)ネットワーカーのバーチャルコミュニティ
このようにインターネットを含めた様々なコミュニケーション手段(例えば、電話やFAX、郵便、ミニコミ等)を利用して共通の目標や関心事に基づいて人と人のネットワークをつくりあげて行く人びとは、「ネットワーカー」と呼ばれ、また、その活動は「ネットワーキング」と呼ばれる。
インターネットの発祥地のアメリカでは、1970年代前半からカリフォルニア州を中心にコンピューターネットワークを利用したネットワーキングが始まり、現在では、環境、人権、平和等の様々な問題に取り組むネットワーカーたちが地球規模の活動を展開している(ラインゴールド 1995:436−496;岡部 1996)。
日本におけるコンピューターネットワークを利用したネットワーキングは、1980年代後半から行われるようになった。
というのは、この時期において、電電公社の民営化(NTTの創立)と同時に行われた1985年の電気通信事業法の改正によって、一般の人びとがパソコン通信事業者が提供するサービスを利用することが可能となり、最初のうちは、コンピューターに関心のある人たちの間でネットワーキングが行われるようになったからである。
90年代に入ると、コンピューター以外の関心をもつ人たちもコンピューターネットワークを通して様々な目的や関心事をめぐってネットワーキングを行うようになり、さらに、1995年の阪神・淡路大震災で被災者の救援活動に携わるボランティアの間でコンピューターネットワークが利用され、その様子がマスメディアによって報道されたことも一つのきっかけとなって、ボランティアの間だけでなく、一般の人々の間でも急速にインターネットや商用パソコン通信の利用者が増えて行った。
そのような動向の中で特に注目すべきなのは、震災の救援活動に取り組んだボランティア団体を中心に、ボランティアや市民活動の世界におけるコンピューターネットワークの普及がめざましいことである。
つまり、日本においては、1995年の阪神・淡路大震災以降、コンピューターネットワークを利用したネットワーキングが本格化したのである(干川 1996)。
このように、日本においては、1990年代に入ってから、コンピューターネットワークを使った市民の自発的な活動によってバーチャルコミュニティが構築されつつある。
それでは、このような市民の自発的な活動を含めて、コンピューターネットワークを利用したネットワーキングが、経済や行政、教育といった社会の様々な領域で日常的に行われ、いろいろな種類のバーチャルコミュニティが形成されるようになると、これから社会はどのように変容して行くのか。
これを第3節で、展望してみることにしよう。
情報化が進展するにつれて、電子メディアを媒介にしたコミュニケーションから構成される新しい日常世界(バーチャルコミュニティ)と、face to faceの対面的コミュニケーションから形成される従来の日常世界が、並存するようになり、人びとはその二重性の中で暮らすようになってきた(川崎 1994:210)。
しかし、この電子メディアの世界とface to faceの世界とは、切り離されているのではなく、情報化が進展して行くと両者は密接に結び付き、相互に影響を及ぼし合って、新たな社会を作り上げていく可能性をもつ。
つまり、大多数の個々人が、所属組織や居住地域の壁を超えて電子メディアを通じて情報のやりとりを行うようになり、電子ネットワーク上でつくりあげられた人間関係を通じて、また、そこで得られた情報に基づいて活動し行為するようになると考えられるのである。
その中から、現実の社会に大きな影響力を及ぼし社会的現実を動かしうるリーダーが出現し、その考え方や行為が既存の組織や地域の社会規範や行動様式と衝突し合い、既存の社会秩序を揺るがし解体し、新たな社会規範や行動様式を作り出し、それに従って人びとが行動するようなると、新しい社会秩序が構築されて行くようになると考えられる(松岡・金子・吉村 1996:156−159)。
このような変容過程は、社会の様々な領域で生じることになるであろう。例えば、教育の分野では、これまで、経済力や年齢や地域によって教育を受ける機会が制約されていたが、インターネットのように「いつでも、どこでも、誰とでも」コミュニケーション可能であり、「どこからでも」情報の入手が可能な電子メディアのネットワークを利用すれば、誰でも学ぼうと思えば何歳になっても学ぶことができるし、他方で、特別な資格がなくても自分の知っていることを、それを必要とする人に教えることができるようになる。
また、政策決定の領域において、これまでは、「有識者」という専門家たちが、行政によってお膳立てされた審議会において、政策を策定し、それを議会で政治家たちが事後承認する形で、政策が決められていた。
しかし、審議会の議論の場がインターネット上に設定され、有識者や行政官だけでなく一般市民も参加でき、行政が提示する政策原案について自由に議論できるようになるならば、新しい形での市民の政治への参加が可能となるであろう(3)。
さらに、経済の分野では、これまで、企業が市場調査を通じて消費者のニーズを予測し、それに基づいて生産・流通・販売を行っていた。しかし、インターネットを通じて商品の売り買いが行われるようになると、企業は、消費者のニーズをリアルタイムでとらえながら生産することができるため、在庫をもつことなく、必要な商品を必要なだけ生産することができるようになる。
また、現在、商品の売り買いのうち、国内で行われるものは、各国の通貨で仕払いが行われ、他方で、国境を越えて行われるものは、為替制度に基づいて決済が行われている。しかし、インターネット上の通貨である「ディジタルキャッシュ」で商品の売り買いがされるようになると、各国の通貨を使わずに国境を越えてネットワーク上で仕払いが行われるようになるため、各国の通貨が不要になり、また各国間の通貨の交換率を決めている為替制度も不要となっていくため、税制、貨幣制度は大きく変わらざるをえなくなる。
この他、マスメディアの分野においては、従来は、マスメディアが、読者や視聴者にとって重要だと思われる社会事象を取材をし、その情報を読者や視聴者にわかり易い形に編集し、新聞社や放送局から新聞や電波を通じて読者や視聴者に伝えていた。しかし、インターネットを通じて、誰でもが、文字・映像・音声情報を入手し、編集し、発信することができるようになると、マスメディア以外のルートから情報の入手が可能となり、また、マスメディアを通さなくても、直接伝えたいことを全世界の人びとに伝えることが可能となる。そうすると、従来のような形でマスメディアが読者や視聴者に一方向的に情報を伝達する必要性は低下して行くために、マスメディアは、その強力な取材・編集力を駆使してインターネット上で、不特定多数のユーザーを対象にした情報収集・発信を行うという形で生き残って行かざるをえなくなる(古瀬・廣瀬 1996:188−200)。
以上、インターネットのような電子メディアが普及することで、人びとのコミュニケーション様式が変わり、教育、政治、経済、マスメディアといった社会の様々な領域が変容していくことが予想されるが、それでは、このような社会的変容をもたらす担い手となるのは、誰なのであろうか。
ここで、その担い手を「インフォメーションリッチ」と呼ぶならば、彼らは、高学歴であったり、創造性や自己革新能力に富んでいたりして、情報化の進展にうまく適応できる人間であると考えられている。
インフォメーションリッチは、次の3つの階層に分けられる。1つ目は、大学や研究機関の研究者や情報関連技術者、官僚、企業経営者等の「文化的・経済的・政治的支配階層」である。2つ目が、電子メディアを通じて趣味や社会問題などの共通の関心事をめぐってコミュニケーションを行いバーチャルコミュニティを形成する(第2節で扱ったような)「ネットワーカー」たちである。3つ目が、マルチメディア技術によって創造的で斬新な表現が行われるようになった音楽、映像芸術、ファッション等の文化産業の担い手としての「メディアクリエーター」たちである。
このような情報化の進展に適応し社会的優位を占めることになるインフォメーションリッチに対して、情報化の進展に取り残され社会的に不利な立場に置かれる多数の「インフォメーションプアー」が出現する。
こうした「情報格差」が生じる要因としては、コンピューターネットワーク上で情報のやりとりを行うのに必要な個人の「メディアリテラシー」の多寡、また、(住んでいるのが都会か田舎か、あるいは、先進国か発展途上国かといった)居住地域の違いによる通信回線の利用のし易さや通信コストの格差によって生じる「メディアアクセスチャンス(情報通信手段の利用機会)」の多寡である(川崎 1994:213−221)。
それでは、このような情報格差を解消し、誰もが自由に電子メディアを使うことができるようになり、そのことによって新しい社会をつくりあげていくことができるようにするためには、誰がどうすればよいのであろうか。
それを考える際に留意すべきなのは、インターネットのような電子メディアは、特定の地域に存在する企業や官庁のような組織と組織を結んで業務や経営や管理の効率化の手段として利用されることでその本領が発揮されるものではなく、組織や地域の壁を超えて個人と個人を結び、既存の組織や地域で通用している社会規範や思考・行動様式にとらわれないバーチャルコミュニティを作り出し、それが社会を変えて行く可能性をもっていることにその意義があるということである。
したがって、居住地域、所属組織や職業の枠組みにとらわれず、目標や関心を同じくする他者とともに、日頃から使いなれている電子メディアを活用してネットワーキングを行うネットワーカーが、これからの新しい社会をつくる担い手となりうると考えられる。
ネットワーカーは、先に述べたインフォメーションリッチの中に位置づけられるが、インフォメーションリッチの他の部分に分類される人びと、つまり、研究者や情報技術者、官僚、企業経営者、メディアクリエーター、つまり、「職業的インフォメーションリッチ」が、実際にネットワーカーの多くの部分を占めている。
こうしたネットワーカーたちは、電子メディアを通して、それぞれの居住地域や所属組織の境界を越えて生の「等身大の情報(マスメディア等の第三者の編集過程を経ていない個人が発信する一次情報)」を交換し合うことによって、相手のことについて知ることができるだけでなく、同時に、自分自身の組織や地域の状況やそこで生じている諸問題にも気づくようになり、それによって初めて、他者の問題を自分の身近な問題として受け止めることができるようになる。
そして、ネットワーカーたちが、電子メディアを媒介にして所属組織や居住地域を異にする人々とともにそのような問題に取り組むことを通して、新しい思考・行動様式を身に付け、さらに、居住地域や所属組織を同じくする人びとと連携しながら、情報格差も含めた地域や組織の問題にも取り組むようになると、その結果として社会全体が変わっていく可能性が生まれるのである。
(吉見 1994:41−58)
(2)例えば、NIFTY-Serveの「心理学フォーラム」を対象にした調査によれば、1992年8月現在で、フォーラムに登録している人の数は3580人、そのうちの83%は過去1年半に一度も発言していない。また、発言したことのある604名のうち、一回しか発言していない人が43%、二回だけ発言した人14%、3回だけ発言した人7%で、発言者のうちほぼ3分の2にあたる人が、3回以下しか発言していない。他方で、最も発言数の多い人は、フォーラムの中の各会議室の全発言の14%から31%を発言しており、また、発言数の多さが1位から3位までの人の発言が、32%から50%を占めている。こうした傾向は、どの電子会議でも大差はない(川上 1993:122−123)。
(3)こうした試みは、1996年6月から、インターネットのWWW(World Wide Web)上のホームページとインターVネット(インターネットのニュースグループとNIFTY-Serve、PC-VANなどの商用パソコン通信ネットワークを連結したシステム)を利用し、東京都の長期計画を策定する「生活都市東京を考える会」で実験的に行われている(「生活都市東京を考える会」 1996)。
岡田朋之「伝言ダイヤルという擬似空間」川浦康至編『現代のエスプリ306 メディアコミュニケーション』 至文堂 1993年
岡部一明『インターネット市民革命』御茶の水書房 1996年
川浦康至「メディアとしてのコンピューターコミュニケーション」川崎・徃住・川浦・高木・遠藤・橋爪・安川『メディアコミュニケーション』富士通経営研修所 1994年
川上善郎「電子会議を支えるROMとRAM」川浦康至編『現代のエスプリ306 メディアコミュニケーション』 至文堂 1993年
川崎賢一「情報社会と文化」川崎・徃住・川浦・高木・遠藤・橋爪・安川『メディアコミュニケーション』富士通経営研修所 1994年
「生活都市東京を考える会」『生活都市東京を考える会ホームページ』
(http://www.tokyoteleport.co.jp/tokyoplan/)1996年
古川良治「電子コミュニティの可能性」川浦康至編『現代のエスプリ306 メディアコミュニケーション』 至文堂 1993年
古瀬幸広・廣瀬克哉『インターネットが変える世界』岩波書店 1996年
干川剛史「情報ボランティアの展開」『兵庫経済 No.52』 兵庫経済研究所 1996年
松岡正剛・金子郁容・吉村伸『インターネットストラテジー』ダイヤモンド社 1996年
吉見俊哉『メディア時代の文化社会学』 新曜社 1994年
ハワード・ラインゴールド『バーチャルコミュニティ』会津泉訳 三田出版会 1995年
はじめに
1.空間と時間を超えた共同体としてのバーチャルコミュニティの形成
2.電話とパソコン通信の中のバーチャルコミュニティ
3.情報通信革命による社会の変容の可能性
[注]
(1)メディアの歴史的発展についての主な発展段階論には、以下のようなものがある。[文献表]