鄭孝胥作詞 山田耕筰作曲 大同元年(1932)
ロサンゼルス五輪代表派遣のため作成されたが
公式には選定されなかった
国務院布告第4号 大同2年(1933)2月24日
国務院布告第16号 康徳9年(1942)9月5日
※参考資料
従来の満洲国歌は、建国後まもなく鄭孝胥国務総理によって作詞されたもの
で、儒教思想に基づくものであり、かつ帝政実施前のことであり、皇帝のこと
については言及されていなかった。また歌詞が満語だけで、日系の唱和に適し
ないものがあった。そこで建国精神を発揚し、皇帝の徳をたたえ、日満両国語
をもって同一楽譜で歌える国歌を制定すべきであるという意見があり、建国十
周年を期してこれを実現することになった。
日文は武藤弘報処長が起草委員長、神尾弌春、藤山一雄、八束清貫らが起草
委員となり、まず日文歌詞を作りこれに現地音楽家数人の委員会において曲を
付し、日本において山田耕筰、信時潔らが顧問となってこれを修正した。さら
に日語歌詞の詩人数名をもって起草委員とし、日語の帝徳と萬壽は満語におい
ても相応するようにし、別記のような歌詞ができ上がった。
以上の歌詞及び曲を原案とし、張国務総理大臣を委員長とする国歌制定委員
会において正式決定する運びとなった。張総理はあらかじめ原案を皇帝に示
し、皇帝の嘉納を得ていたので、一九四二年(康徳九年)八月三一日開催の委
員会において原案通り決定された。国歌は九月五日公布され、従来の国歌は廃
止されたが、建国歌として国民の愛唱のため残すこととなった。
新しい国歌は九月五日から新聞、ラジオ、学校を通じて周知させ、一般国民
が練習するように手配された。同月一五日の建国十周年記念式典において皇帝
臨御し、壇上に進まれるや、参列者一同これを唱和し、ここにはじめて建国精
神に基づく国歌が生まれたのであった。(満洲国史編纂刊行会編『満洲国史
各論』東京:満蒙同胞援護会、1971年、69ページ)
※資料入手に当たっては、安田敏朗氏・前田均氏のご教示・ご協力を得た。記して感謝する。