【監督】
ウイリアム・ワイラー

【配役】
 オードリーヘップバーン(アン王女)
グレゴリーペック(新聞記者)

 
 
【あらすじ】
 
 ヨーロッパ各国を訪問し、大歓迎をうけていた某国王室のアン王女は最後の訪問地「ローマ」にたどりついていた。しかし、きまりきったかたくるしいあいさつ、朝おきたときから寝るときまでびっしりと埋まったスケジュールにいやけがさし、ヒステリックにさけんで、医者が呼ばれるありさまであった。

 ある晩、彼女はとうとう宿泊先の宮殿(?)をぬけだしてしまう。そしてベンチに寝そべっているところを、新聞記者のジョーブラッドリーにひろわれ、彼のうちにはこびこまれる。王女とは知らぬ記者は、ただの酔っ払いと思い、ぞんざいに彼女を扱う。翌朝寝坊した彼は、彼女を部屋に残し、出社すると、さっそく上司から大目玉をくらう。だがふと目にした新聞にでていた王女の写真をみて驚く。それはさっきまで酔っ払いと思っていた女性とうりふたつだったからである。

 大急ぎで部屋に戻った彼は、さりげない質問を彼女にし、王女にまちがいないことを確信する。これは、記事にできれば大スクープになる、そう思った彼は友人のカメラマンと画策し、王女と一日をすごすことを計画した。

 王女と新聞記者たちの「ローマの休日」がはじまった。広場でアイスクリームをたべる王女、美容院で髪を切る王女、真実の口のなかに手を入れる彼女、船上パーティーで踊る彼女、すべてがものめずらしく、楽しく、そしてあっというまにすぎていった。一方新聞記者のほうも、いつしか、記事の対象としてでなく、王女を愛しはじめていた。

 だが、王女が病気で倒れ状態が危ぶまれている、というラジオ放送を耳にし、彼女は戻ることを決意する。別れのときがき、二人は記者と王女という立場に戻る。

 そしてヨーロッパ訪問最後の地「ローマ」における王女の会見が行われる。そこで王女は新聞記者たちの姿を発見し、はじめて彼が記者であったということを知る。微笑を浮かべる記者。2言3言会話をかわす王女と記者。最後に王女に対し、もっとも印象に残った場所についての質問がとぶ。はじめは、「みなそれぞれのよさがあり、、、、」という側近が用意していた言葉を口にする、、、が、彼女はここではじめて心のなかを見せる。
 
Rome! I will cherish my visit here in memory, as long as I live.

ローマです。生涯この地の思い出は大切にしていゆきたいと思っています。


 会見が終わり、みながひきあげたあとも、王女の座っていた場所をみつめている記者。やがてきびすを返し、ひきあげていくのであった。


【みどころ・感想】
 
 良い映画、心に残る映画の条件というのはいろいろあると思いますが、「余韻の残る」というのはそのなかでも重要な要素なのではないでしょうか。そして、この映画こそはまさに余韻の残る傑作映画だと思うのです。

 この映画の魅力は何なのだろう、と考えるとまず、以下の点があげられます。

1.筋書きがよくできている。
2.1に関係するが登場人物が魅力的に描かれている
3.そして俳優がそれを印象深く演じている
4.音楽が巧みに使われている
5.ユーモアに富んでいる。
6.背景となるロケーションが美しい

 さてさて、魅力の第一番目は、やはり脚本のすばらしさでしょう。しゃれた会話や途中でちりばめられた小さなエピソードもすべて最後のシーンへの伏線となっているのです。全ては最後の別れのシーンのために用意されていたとさえ思えるワンカット、ワンカット。トクダネをものにするため(そしてそれは金のため)につきあったのに(そしてそのための展開が物語の90パーセント)、最後に、全てをなげうって王女の信頼に応えようとする主人公の新聞記者。。。無垢な魂が、世俗にまみれた人間の隠れていた誠実ささえもよびさましたというのが、結局この脚本で表現されたテーマといえるのでないでしょうか。

 次に登場人物のえがきかたですが、基本的に全員善人です。もちろん、引き手たて役として、王女の自由を束縛する側近たちや、トクダネにやっきになる新聞記者の上司など登場しますが、それは立場上やむをえないわけでして、根本的なところでどうしようもない人間というのは登場しない。これをえがきかたが弱いとみるみかたもできますが、こういったおとぎはなし映画ではこのほうが後味がいいようにわたしは思います。

 3の俳優について。。。。ああ、これはもういうまでもないです。オードリーの魅力全開ということにつきます。いや全開どころでなく、120パーセントの魅力を発揮しているのではないでしょうか。上品、高貴な美しさ、茶目っ気、無垢、あどけなさのなかにも凛とした気品、
わたしのボキャブラリでは適切な誉め言葉がうかびません。
 また相手役のグレゴリーペックですが、これもはまり役ですね。王女に対するやさしいまなざし(わけても最後の謁見シーンにおける王女を見上げる目の表情のすばらしさ!)が特に印象に残っています。この人も王女の相手をするにふさわしい品のいい役者さんなのだと思います。

 音楽についていうと、これは特に印象に残る音楽というわけではないです。音楽そのもののインパクトは、例えば「スターウオーズ」などの音楽のほうが大きい。しかし使いかたが巧みなのですね。例えば船上パーティーでとっくみあいが始まったところで、楽団が演奏を始めたりしてますし、一貫して軽目の音楽を使い、押し付けがましくなっていません。

 5のユーモアに関してですが。この映画では、言葉のユーモアと行動のユーモアがちりばめられています。カフェで、カメラマンが主人公に都合の悪いことをしゃべろうとしたとき、足をけるシーン、主人公の部屋を管理人が銃を持って見張るシーン、こういったシーンは言葉なしでわかるほほえましいシーンでしょう。そして例えばカフェで、主人公が友人のカメラマンに金を借りておきながら、支払の段になると、「僕が払おう」といい、それをみたカメラマンが「払うのは当然だ」とさりげなくいうシーンなどは会話の面白さということになるでしょう。また最初のほうのシーンで、注射がきいて王女が部屋の一つしかないベッドに寝てしまい、それを新聞記者が長椅子のほうにどけると、王女が寝ぼけて「光栄です」といい、それに対して新聞記者が「どういたしまして」と言い返すシーンなどは会話の面白さプラスアクションの面白さですね。
 さらに最後の王女との謁見シーンでは「ヒッチコック」と名乗る新聞記者が登場したりして、コメディ映画ではないけど、この映画を語るときに、ユーモアは欠かせない要素となっています。

最後に6のロケーションの美しさですが、これはもうローマというのは観光の町でもあるわけですから当然といえば当然なのですが、広い広場と狭い石畳の路地、そのコンビネーションがめりはりをきかせた効果をあげていたのでは思います。映画を観る限りしゃれた街ですよね。

 そして、あらすじのところで述べたクライマックスシーン、、、「生涯わすれないでしょう」という王女の言葉、一日、たった一日の思い出を生涯心に刻み込んで生きていかんとする王女に、自分はなにか、生きていくはかなさ、喜び、いとおしさ、さびしさのまぜこぜになった感情をいだきました。
終わってしまったんだなあ、、、はじまりのあるものは必ずおわりもある、、、そしてまたそれは次のはじまりでもある。。。。そんな不思議な感動を覚えたのです。

 冒頭で、心に残る映画の条件というのをあげましたが、ラストシーンは、ほんとに「余韻の残る」終わり方です。だれもいなくなった会見場を一人新聞記者がひきあげていく。。。
そしてもう一度振り返る。。。ここで観客もいっしょになって振り返っているのです。それまでのワンシーンワンシーンを・・・ 映画はそこで終わるわけですが、観客の心のなかでは終わっていないのです。ちょうどピアノの鍵盤をたたき終わったあと、音が静かにフェイドアウトしていくように。。。。。

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