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 今日のひとこと

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News Paper


【2005.2.26】 2.26事件 … 如是我聞 1936年2月26日、2.26事件発生。 まだ少年だったころの出来事だが、よく大人達のひそひそ話を小耳に挟んだ。 当時は何分にも多層社会。真実を知り得る人と、そうでない人とに厳密に別れていた。 憲兵の目や警察の耳は厳しく、うっかりすると命が危ない。 そんな中で主として上層部で囁かれていた話題も、時には洩れて伝わることもある。 軍部の中には学問にのめり込んで軍務を二の次にする軟弱な昭和天皇を廃し、現状に批判的 な秩父宮を担ぎ出して第二の維新を謀ろうとする連中が居たらしい。
秩父宮 (在りし日の秩父宮)
軍の中枢部では、英邁な明治大帝に比し、二代目は駄目だったし、更に三代目は身代を潰す、 などという者もいたそうだ。というより、かなり広まっていたという。 もちろん昭和天皇に忠実な人もいた。なかでも代表的なのは東條英機だが、一陸軍中将に過 ぎなかった東條が、開戦直前に首相になり陸軍大臣になったのも不思議ではない。 2.26事件直後、すぐ鎮圧に動かない軍部を見て、昭和天皇は烈火の如く怒り、近衛兵を率い て自ら陣頭に立つ、といったそうだ。 鎮圧後、秩父宮は病気療養という名目で幽閉同然だったという話だが、近衛や東條には批判 的で、戦争には反対だったとのこと。やがて結核を発病し御殿場で療養、歴史の陰に埋もれて しまった。 仏典は如是我聞(にょぜがもん)「このように私は聞いた」という話を集めたものだそうだ が、このように私は聞いた2.26事件の裏話である。要するに兄弟喧嘩、という側面もある。 敗戦後、GHQ が昭和天皇を廃位して秩父宮を次期天皇に、という意向だという話もあったが これはどうやら風説に過ぎないらしい。でもそういうことが風説になるような下地はあったと 言えるわけだ。

【2005.2.23】 竹槍事件で帝国陸海軍が正面衝突! 1944年2月23日、毎日新聞の竹槍事件記事で帝国陸海軍が正面衝突した。 1944年といえば昭和19年。終戦の1年半前だ。 前年の1月20日にはスターリングラードでドイツが大敗したのに続いてイタリアが連合国に 無条件降伏、1944年にはさらにレニングラードでも敗北、かくて枢軸国側の敗色は次第に濃く なっていた。 太平洋でも昨年の昭和18年にはガダルカナルから撤退、アッツ島の玉砕、山本五十六連合艦 隊司令長官の戦死に続き、年が明けてクエゼリン、ルオット島などが玉砕、徐々に米軍が本土 に迫る気配を示すに至った。 東条は1944年2月、ついに「非常時宣言」を出し「本土決戦」による「一億玉砕」の覚悟を 国民に訴えた。そこで銃後の婦女子に対しても、死を決する精神的土壌を育む意味で竹槍訓練 を実施した。 ところが海軍は、国民全員を死地に追いやる本土決戦論に異論を持っていた。 そんな折り、毎日新聞が海軍の指導によって書かれた新名丈夫(シンミョウ タケオ)の竹槍 訓練批判記事を掲載したものだから大変な騒ぎになった。
毎日新聞記事 (昭和19年2月23日の毎日新聞記事)
東条は怒った。記事の差押さえを指示したが既に朝刊は配達済。 この竹槍では間に合わぬ、の「間に合わぬ」は「役に立たない」という意味である。 現代では主として時間的な遅れの意味に使われるが、当時は「駄目」ということだった。 毎日新聞は海軍の後押しで、さらに夕刊で「一歩も後退許されず、即時敵前行動へ」と東条 の本土決戦を否定し「海空軍力を速やかに増強し洋上で戦え」という意味の記事を掲載、東条 の感情を逆撫でにする。 東条は「統帥権の干犯だ」といきまいた。 海軍省は「毎日新聞の記事は全海軍のいわんと欲するところをのべております。部内の絶賛 を博しております」と評価。 陸軍省では東条が「けさの毎日新聞を見たが、何故処分しないのか、竹槍で勝てぬとは反戦 思想だ」と身を振るわせて怒鳴ったという。 その後、陸軍省は記者の処分と毎日新聞の廃刊を迫ったが、結局、新名記者の懲罰招集で、 陸軍丸亀連隊に二等兵として前代未聞の一人入隊になった。 海軍は強硬に陸軍に抗議、やがて陸軍中央に対する批判派がいた丸亀連隊は、新名を除隊さ せた。海軍は除隊になった新名の再招集を懸念して、海軍報道班員としてフィリッピンに送り、 後に内地出張を命ずることで幕が降りた。 東条が退陣したのは半年後だ。敗戦前年の陸海軍対立の一駒である。 今はフジテレビとライブドアが揉めてるが、スケールはぐっと小さい。でも面白い。

【2005.2.22】 何はともあれ痴呆予防! 人間、脳を使って暮らしている以上、痴呆は大問題だ。 飛行機に乗っているときエンジンが次第に止まって行くようなものである。 足立共済病院脳神経外科の
阿部 聡 医博はこう語る。 「人間は大脳を発達させて文明を築いてきた。それ故本能を司る脳を使わなくなった」
阿部 (医学博士 阿部 聡)
生きて行くための身体を守るほうの脳を使わなくなったので、病気に罹りやすくボケやすく なった、ということらしい。 じゃあ、どうすれば良いのか。 脳に入る情報の七割は眼と耳から入り直接大脳に達するが、これに本能の情報つまり刺激を バランスよく取り入れるようにすれば良い、と阿部先生はいう。 これは免疫力向上にも繋がるそうだ。 具体的には視覚・聴覚以外の感覚を刺激する意味で、温度を感じることから始めると良い、 とのこと。 最初眼を閉じて、他の誰かに顔に向かって手のひらを近づけてもらう。顔に触れそうだ、と 感じたら「はい」と合図をする。10秒以上かかるときは心配だそうだ。 自分でやって温度を感じるかどうか試してみても良いが、30秒ずつ休みながら3回繰り返すと 感情が豊になり鬱も予防する、いう。 また嗅覚は脳神経が直接伸びたものだそうだ。だから香りをかぐことは脳の刺激にたいへん よく、そのものの色や香りを思い出すことで記憶力の向上に繋がるという。
いちご オレンジ めろん
色や香りの異なる果物を三種類用意し、眼を閉じてそのうちの一つを鼻に近づけて名前を当 てるということを繰り返し、また逆に果物の名前から香りを思い出すことを繰り返すと、記憶 の整理整頓ができて物忘れを防ぐ効果があるらしい。 こんなことで痴呆が防げるのなら、毎日試みる価値は多いにある。

【2005.2.20】 小野田少尉発見! 誰も知らなかったその役目 1974年2月20日、ルバング島で小野田陸軍少尉が発見された。 現実のラストサムライだ。当初、解除命令がないから日本には帰らない、と言った。
小野田寛郎 (小野田少尉)
なんの命令かというと、残置諜報命令である。そこで命令を出した元上官が当地に赴いて 命令を解除し、やっと帰国の途についた。 小野田少尉は陸軍中野学校で隠密戦の訓練を受けているが、その教程の一部に次のような 事項がある。
   破壊行為は一時停止することあるも、その工作としての行為は、時に潜行的に、 しかも猛烈に行使せらるるものにして、秘密戦の一翼たる破壊に絶対的な休戦無 きものとす。    然るに前述せる所に因り破壊行為は戦争行為の半面たるの思想を以てせば、或 いは戦争行為の休止は、直ちに破壊行為の休止を意味するものとの誤解生ずるな らん。これに関し、その決して然らざるを述べむ。    現代各国の情勢、或いは将来の傾向を勘考し、或いは過去の歴史を観るに人間 世界に絶対的平和境の発現するは到底これを望むべからず。    即ち平和とは、その時間に於ける相反する力の平衡状態が保持せられあるに過 ぎずして、平衡破壊が忽ち戦争となるものなり。 秘密工作戦に携わる者には、終戦も講和もない、という訓練を受けていたのである。
参照

【2005.2.17】悪夢!預金封鎖の日 1946年2月17日、「金融緊急処置令」発動。 突如、金融緊急処置令が実施されたのである。 預金が封鎖され、一人あたり百円まで新円に切り替えられた。→ 参照 とにかく手元の紙幣は3月3日以降通用しなくなるし、2月25日〜3月7日までに新券と交換 しなければならなかったのだ。ところが五円以下の小銭は除外だから皆が小銭をあさった。
十銭アルミ貨 (十銭アルミ貨)
商店にはオツリが一切なくなり、あらゆる品物が姿を消した。 今のうちに手持ちの金を品物に変えようと皆が殺到するが、商店側ではすぐ使えなくなる 金なんか要らないし、品物を残して置けば、いずれ通用する新円がどっさり手に入る。 ところが新紙幣の印刷が間に合わないので、やむを得ず旧紙幣に証紙を貼って新円の代わ りにした。まさにてんやわんやだったが、新円の十円紙幣のデザインは「米国」だった。
新円の十円紙幣 (新円の十円紙幣)
今は昔、なんとも懐かしいやら癪やらの想い出の一齣だ。

【2005.2.16】健康番組メモ(36) 血液型で違う? 食材の血液サラサラ効果 最近テレビで血液型による性格の違いを面白おかしく実証する番組が流行っている。 これに異を唱える人達も居るらしいが、その人達が何型かに就いて興味が湧いたりする。 ところが血液サラサラ効果をもたらす食材が血液型によって異なるとなるとこれは大問題。 血液に関することだから、血液型によって異なるのは当然かもしれないのだが … 血液の改善は、血栓や心疾患の予防にも関係することだから、自分の身体に合った食材で 健康増進を計ってくださいと
American Biologics Japan 専属ドクターの鈴木秀夫医博はいう。 例えば魚で血液サラサラ効果を期待する場合には A型の人は EPA,DHA が多いイワシが適し B型の人は高タンパクのカレイがよく、AB型の人には鉄分を多く含むマグロの赤身がいい。 さらに O型の人はニシンが適している、というのだ。 そして A型の人は焼いた魚がよく、A型以外の人はどんな食べ方でもよいそうだ。 魚は一食300グラムを週に三回摂ればいいとのこと。 次に果物の酵素や色素成分が免疫や代謝に影響するが、A型はグレープフルーツやバナナ、 B型はパインナップルとブドウ、AB型はグレープフルーツとブドウ、O型はプルーンやプラム が適しているそうだ。 次に肉類だが、A型は鶏肉のササミ、B型とAB型はマトンやラム、O型は牛肉、とのこと。 適さないものを食べては害になる、というわけでもないだろうから、まあ主としてという ことで参考にすることにしよう。あまり厳密に考えると学校給食なんか大変だろう。
【2005.2.15】趣味から生まれた ENIAC 1946年2月15日、世界初の電子計算機 ENIAC 完成。 何はともあれ世界で初めて電子計算機なるものが誕生した。 電子といっても LSI なんてものはないから取り敢えず真空管だ。 この真空管は熱電子の作用で動作するが、この熱電子放出を発見してノーベル物理学賞を 受賞したオーウェン・リチャードソンは 1959年2月15日 に亡くなっている。
リチャードソン Owen Williams Richardson
真空管は 17,468 本使っている。順次切れるので取り替えが一苦労だったらしい。 ENIAC は、高さ2.5メートル、幅24メートル、重量30トン、消費電力140キロワット。 ところで ENIAC とは Electronic Numerical Integrator And Computer の略だ。 一般に弾道計算用に開発されたということになっているが、どうやら違うらしい。 産みの親のモークリーは、最初自分の趣味の気象予測用に必要としたのだが、それを耳に した陸軍のゴールドスタインが射表作成用に資金提供をしたとのこと。 あるとき、原因不明のトラブルがあり、調べると虫が入って回路をショートさせていた。 それからコンピュータのトラブルの原因を虫(バグ)というようになった、という。 1564年2月15日、ガリレオ・ガリレイ誕生。 1883年2月15日、東京電灯会社設立。(やっと家庭に電気がくるようになった) 1942年2月15日、日本陸軍、シンガポールを占領。(この辺でやめときゃ良かったのに)

【2005.2.12】始めも終わりも同じ日だった江戸幕府 1603年2月12日、徳川家康、江戸に幕府を開く。 1868年2月12日、徳川慶喜、江戸城を出て上野寛永寺に移る。 なんと、初代将軍が江戸幕府を作ったその日に最後の将軍が江戸城を去ったというから、 歴史というものは洵に皮肉なものがある。 1941年2月12日、オックスフォード大学付属病院でペニシリンの臨床実験が成功した。 ペニシリンというと戦後占領軍がもたらしたものと思っている人が多いが、実は戦時中 に日本も「碧素」という名前で開発に成功していたのは
既報 のとおり。 如何せん量産開始が終戦の半年前。空襲激化で普及には間に合わなかった。 悪名高き石井機関の唯一の功績だ。 七三一部隊がらみもあって、この事実は占領軍により闇から闇へ葬り去られたのだった。 1809年2月12日、ダーウィン誕生、リンカーン誕生。同じ日だ。 1970年2月12日、シャープが LSI と液晶を使用した電卓を発売。 10万円を切ったのが印象的だったが、今は100円ショップに並んでいる。 1973年2月12日、円が変動相場制へ。大騒ぎだった。 1985年2月12日、怪人21面相が毒入りチョコをばらまく。最低。
【2005.2.10】日本、ついにロシアに宣戦布告! 1904年2月10日、日本がロシアに宣戦布告をした。 もちろん昔の話。今やったら核ミサイルの雨が降る。 百年前の皆様はどんな気持ちだったのだろうか … 恐らく相当な覚悟で臨んだのに違いない。それにしてもよく勝ったもんだ。 でも
当時の新聞記事 を見る限り、それほどの悲壮感はない。むしろ余裕すら感じさせる。 国家にしても個人にしても、興隆期とはそういうものなのかも知れない。 ヒステリックに煽るようなところもないし、捕虜の取り扱いも紳士的だ。 弱い犬ほどよく吠える。ピョンヤン放送なんか無視して、万事おっとり気長にやった方が いいのかも知れない。 韓国の文化人が昨今のヨン様騒動を、日本人女性が古いアジアの心を取り戻したのだろう、 ある種のゆとりとも言える、と評したが、真相はただ美男で礼儀正しく優しいだからだろう。 これが実に大切なことなのだ。 日本の芸能界はその点、何か病的ともいえる不健全性が底に漂っているように感じる。 しばらくアメリカその他の外国に滞在して帰国したときなど、テレビを見てそう感じる人 は少なくないだろう。 1809年2月10日、間宮海峡発見。 1934年2月10日、ジョリオとキュリーが一頁の論文を「ネイチャー誌」に載った。 人工放射能の研究だが、これでノーベル賞の受賞が決まったのである。
【2005.2.9】ソ連に原爆を落とせ、と主張したノイマン 1957年2月8日、ノイマン型コンピュータの産みの親、ジョン・ノイマン没。
ノイマン (John von Neumann)
現在使われているコンピュータは殆どノイマン型である。 何が「ノイマン型」かというと「プログラムで動くコンピュータ」のことだ。 ではプログラムがないコンピュータはどんなものか。 たとえば円周率の計算をするコンピュータは円周率の計算だけしか出来ない。 他の計算をさせようとすると、配線を全て別のものに作り直さなければならないのである。 そこで、この不便を除くためにノイマンはストアードプログラム方式を考案した。 このためコンピュータは実用的なものになったといえるのだが … ところでこのハンガリー出身のノイマン氏、もともと数学者で、集合論やエルゴード理論、 また量子力学の数学的基礎付けでも高名。第二次大戦ではマンハッタン計画に参加、爆薬を 32面体に配置することで核爆発が可能になることを計算で導いた。爆縮レンズである。 悪魔の頭脳、と評されながらアメリカ原子力委員を務める。 そして米ソの対立から冷戦時代に入ると、ソ連に対する原爆攻撃を強く主張。 どうせ明日核攻撃するのなら、今日すればいい、とタイム誌のインタビューで述べている。 単にノイマン型コンピュータの産みの親、というだけではなかったわけだ。

【2005.2.7】北方領土の根拠や如何に
1855年2月7日、日露和親条約が締結。
日露和親条約
幕末に結ばれた日露和親条約により、日露間の国境は得撫島と択捉島の間、とされた。 この間に国後、色丹、択捉、歯舞の四島がある。 ところが
明治八年の東京曙新聞 には「千島列島の日本領確認を条件に、ロシアに樺太を 渡すとのこと。弱腰の政府め …」とある。 この時点から千島全島が樺太と引き換えに日本領として確定している。 日露戦争後は樺太の南半分が日本領となった。当然千島は日本領のまま。 そしてヤルタ会談でルーズベルトはソ連に、参戦したら千島をソ連領にすると約束した。 その後、日本は連合国に無条件降伏。 無条件なのだから千島全島は俺のものだ、とソ連は主張する。 ロシアはソ連の領土を継承している、とプーチンはいうのだが … 歴史の変転の中でいろんな経過を辿ってきたから、どの時点が根拠になるのかが難しい。 今年は日露戦争に勝った百周年 … というあたりで溜飲を下げるとするか。 1184年2月7日、源義経がひよどり越えの逆落とし奇襲作戦敢行。 1873年2月7日、仇討ち禁止令。 1905年2月7日、スウェーデンの生理学者オイラー誕生。 ノルアドレナリンが交感神経伝達物質と証明してノーベル賞を受賞。 1906年2月7日、最後の清朝皇帝「愛新覚羅薄儀」誕生。満州国皇帝になる。
【2005.2.6】健康番組メモ(35)食べ合わせで脳梗塞の予防ができる
最新の研究により、各栄養素は互いに作用を補って効果を高めることが分かった、と茨城 キリスト教大学食物健康科学科教授の落合 敏(あちあい とし)栄養学博士はいう。
落合敏
さつまいも半分に梅干し一個を併せて食べ、さらに麦茶を飲むと血圧が安定し、脳梗塞や 心筋梗塞を予防でる、とのこと。 さつまいもと梅肉を、だし汁と醤油、砂糖で煮付けてもよいそうだ。 麦茶はコップ一杯でよく、週二回で効果があるらしい。 麦茶を飲むことで、さつまいもと梅干しの相補効果が長く持続されるとのことだ。 試してみたら大変に美味で御座った。こんな簡単なことで血圧にも脳梗塞にもいいという のならば、週二回どころか毎日喰いたいものだ、というのが率直な感想。 戦中戦後、米がなくて芋ばかり、おかずは梅干しかなかったことも屡々。 道理で最近の年寄りは長生きするんだな。でも交通事故ってのがあるから油断がならん。

【2005.2.5】時層 … Stratum of times 微惑星や、小天体が衝突したカケラなどが寄り集まって地球はできた。 あれからもう何十億年が経っただろうか … でも未だに宇宙からは、隕石や、眼に見えない ほどの宇宙塵が降り注いでいる。 それらは次第に地上に堆積し、何重もの「地層」になった。 その中にはさまざまな変貌の経過が記録され、多くの化石という証拠をその中に保存した。
地層
「時」もまた、降りつもり、積み重なる。 決して流れ去ったりはしない、とオーソン・ウエルズはいう。人々が忘れてもそれはある。 塵のような微細な「時」も、時代を隔てる大きな「時」も、それぞれの「時の化石」を抱き ながら重なって行く。「時層」の断面こそが、過去の事実を物語るのだ。 2月4日、2月5日、という月日で切った時層の断面をしばし垣間見てみよう。 1181年2月4日、平清盛死去。64歳。 1703年2月4日、大石良男他赤穂義士切腹。 1789年2月4日、ワシントンが初代米大統領に就任。
ジョージ・ワシントン (ジョージ・ワシントン)
1938年2月4日、ヒトラーがドイツ陸海空軍を完全掌握。
ヒトラー (シャルンホルスト艦上のヒトラー)
1945年2月4日、ヤルタ会談。
ヤルタ会談 ヤルタ地図 (ヤルタ会談で千島のソ連領有が決定。日本は無条件降伏 … 微妙だ)
1862年2月5日、リンカーンが初の紙幣発行。 1869年2月5日、明治政府、新貨幣鋳造の造幣局設置。 1901年2月5日、官営八幡製鉄所の高炉に点火。 1905年2月5日、広島にて初の乗合自動車登場。 1920年2月5日、早稲田と慶應義塾が私立大学として認可。 1971年2月5日、アポロ14号が月に着陸。
アポロ14号 アポロ14号 (アポロ14号は三度目の月面着陸だが、岩石運搬車を初めて月に持ち込んだ)
1980年2月5日、ソ連でサハロフ博士が追放。

【2005.2.3】 Go Home Quickly … 1946年2月3日、マッカーサーが新憲法三原則を連合軍総司令部の民政局に指示した。 三原則とはご存知「国民主権」「人権尊重」「戦争放棄」だが、とにかくマッカーサーの やることは速かった。
マッカーサーと天皇 MacArthur stands by the Emperor
そのカリスマ性は
ジョン・ダワー (John Dower) 著「敗北を抱きしめて」に詳しい。 原題は Embracing Defeat : Japan in the Wake of World War II だ。 1945年8月,焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは,驚くべき ことに,敗者の卑屈や憎悪ではなく,改革への希望に満ちた民衆の姿であった. 勝者による上からの革命に,敗北を抱きしめながら民衆が力強く呼応したこの奇跡的な 「敗北の物語」を,米国最高の歴史家が描く.20世紀の叙事詩.ピュリッツァー賞受賞. (John Dower : Embracing Defeat : Japan in the Wake of World War II)
John Dower ( John Dower )
「抱きしめて」はまたずいぶん叙情的だが「迎い入れて」とでもいうところだろうか … 皇居前の第一生命ビルを接収して占領軍総司令部にし、かって石坂泰三社長が使っていた 机の前にどっかと居を構えたマッカーサーは、ある種の使命感に酔いしれたように、何事も 即断即決で矢継ぎ早に事を進めた。その机には引き出しがなかったという。 帝国陸海軍の廃止、軍事工廠の廃止、要職者の公職追放、基幹産業の民営化、政党政治の 復活、検閲制度の廃止、治安維持法の撤廃、司法制度の改革、政治犯の釈放、婦人参政権の 授与、労働組合の奨励、学校教育の自由化、国家神道の廃止、財閥の解体、家督相続の廃止、 農地改革 … 等、等、等。 新憲法の制定はそういう中で誕生した。 やがて朝鮮戦争。日本は特需景気に沸き、その勢いは次第に経済復興から奇跡の高度成長 に繋がって行く。世界を相手にして決死で戦った敢闘精神は、敗れたりとは言え失われては いなかったのである。それは自信の復活を意味した。 そんな中で、ひそかにある想いが有識者の一部に、声なき声として甦っていた。 朝鮮半島 … そして突如押し寄せて来た中共軍 … 連合軍は一進一退を繰り返しているが、 ほんの数年前、原爆投下以前には全て日本が制圧していたところなのではなかったのか … そしてマッカーサー解任のあと、GHQ はかっての威厳を失っていた。 講和の推進と独立へ … もう総司令部の役目は終わったのである。 GHQ という略語は次第に総司令部ではなく Go Home Quickly を意味するようになった。 あれからもう何十年 … 未だに憲法だけは GHQ の下で「敗北を抱きしめて」いる。 いつまでも消え去らぬ敗戦のトラウマのように、触れることすらタブーだった。 もういい加減、トラウマよ Go Home Quickly ! と行くべきではないだろうか。

【2005.2.2】 ヘルツの発見! 1888年2月1日、Heinrich Rudolf Hertz が電磁波を検出した結果を科学アカデミーに報告。 マックスウェルが電磁方程式で電波の存在を証明したが、空中を伝わる電波というものが ある、ということを実験で確かめたのはヘルツだ。
ヘルツ (ヘルツ)
そしてマルコーニがこれを応用して無線電信機というものを作った。 日本の海軍がこれを採用することによって、日本海海戦を勝利に導いた。
マルコーニ (マルコーニ)
いろんな人がいて、いろんな努力をし、今はこうして世界中に電波が飛び交っている。 お子様の勉強用には DoCoMo Digital Library がいいかも。(大人が先?)
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【2005.2.1】 Come! Come! Everybody ... 1946年2月1日、平川唯一の英会話ラジオ番組が始まった。 Come! Come! Everybody という、今は懐かしい証城寺の狸囃子のメロディー。
カメラ
だが、子供達は既に彼等にとってもっと実用的な英語を身につけていた。 Give me chocolate! である。 狸囃子英語は昭和26年2月まで、実に5年の長きにわたってラジオから流れ続けた。
銀座
イラクの民主化と復興の可能性は、日本の終戦後の事例がよく引き合いに出される。 でも日本の事情とイラクのそれとは、必ずしも同じとは言えないかも知れないのだが …
ママとGI
いっそ憲法を大幅に改正して平和を守るための日本軍を創設したら如何なものか。 うわべを誤魔化すのではなく、堂々と強力な明るい日本にして頂きたいものだ。 弱者の繁栄なんて、所詮は肥った豚に過ぎないと思うのだが … 1899年2月1日、東京大阪間に電話開通。 1920年2月1日、東京乗合自動車にバスガール出現。 1928年2月1日、日本共産党「赤旗」創刊。 1953年2月1日、テレビ本放送開始。契約数866。14吋受像機17万円。 (大卒初任給8千円) 1954年2月1日、マリリン・モンロー来日で大騒ぎ。