DAINASHI TRIVIA

頓珍漢の雑学

36. 上巳



上巳(じょうし)と言うのは5節句別項『人日』参照の一つで陰暦3月3日『桃の節句』に当たる。古い中国(漢の時代)で『三統暦(さんとうれき)』が制定されて日本にも入って来た。
此れは冬至が含まれる月(11月)を『()』として、翌々月を正月とするので、正月は『寅』3月は『辰』の月となる。タツに縁が深いのはミ(巳、ヘビ)であると言うので月初めの『ミ』が変化して3−3の日に落ち着いた。


所で此のゾロメは縁起の悪いとされて居て、古く中国では川辺で青草を踏み、川に入って(みそぎ)をし(けが)れを払う『踏青(とうせい)』と言う『除災の習わし』があった。


其の『踏青』をやって居た秦の昭王が、ウッカリして酒杯を川の中に落としてしまった。お付きの者が『お目出度い』と取り成したとかの故事があり、日本で『曲水の宴』と姿を変えて貴族の遊びになった。また体のケガレを取るのに、人形(ヒトガタ)を作って身体を拭い川に流す様に変わって来て、此れが更に雛祭(ひなまつ)りに変化して行くのである。


『桃の節句』と言うのはシーズンでもあり、実が沢山なって『子ダクサン』にも通じ、また『兆候』とか『前兆』等と使う『兆』は、元来『亀甲占い』のヒビ割れ、所謂(いわゆる)『ワレメ』で女の子向きの言葉なのである。


現代の様な内裏雛(だいりびな)の形になったのは、家康の孫、東福門院が自分の子供の為に飾ってやったのが初めだそうで、寛永の頃には大きな立派な物が出回る様になった。
享保になると、奢侈(しゃし)禁止令で小型化するが、寛延(1748〜50)には2段飾り、明和(1764〜71)には3段、天保(1830〜43)には7段飾りと段々豪華になって現在一般化して居る様式の物になったと言う事である。尤も最近では9段とか12段とかの超豪華版も出て来て居る由で、大して広くも無かろう住宅だろうににと、他人事ながら余計な心配もして居る次第である。


雛飾りの話になると、内裏雛のドッチが右だか左だかで頭を悩ますものである。日本では古くから左上位であった。古事記で伊弊諾尊(いざなぎのみこと)黄泉(よみ)の国から帰って来て、左の目を洗った時に天照大神(あまてらすおおみかみ)、右の目からは月読命(つきよみのみこと)(月の神)が生まれたのも其の証拠だ。


中国では漢時代には右が上で、『右に出る者が無い』とか、『左遷』等の言葉もあるが、唐の時代に逆転して日本に官制が輸入され、左大臣の方が上になった。英語だと右がright(正しい)なので、右が上。昭和天皇の即位から並び方も欧米式にされた。そこで関東では右上位に、関西では古くからの伝統を重んじて左上位式と言うわけだ。何れにしろ平和で結構な事と思う次第である。(編者感想)




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(編者感想)
この「右」か「左」か、という論議で編者が昔から思っていることがある。それは「向かって右が常に上」ということだ。

本人にとって左の目は、他人から向かって右になるから、太陽神である天照大神が左の目から出てきたことと矛盾しない。

左大臣の方が偉いのは、天皇が任命する官位であるから、天皇から見て左に座る大臣の方が偉いのであって、シモジモの方からは向かって右になる。
「右に出る者がいない」は、シモジモが座っている位置から見て右なので、おカミから見ると左。

で、おひな様だが、男がエライということならば向かって右が男、となりそうだがその逆もある、ということは、意外と床をともにするときの位置関係から来ているのではないかと思うのである。