DAINASHI TRIVIA
   

頓珍漢の雑学



38. お水取り





子供の頃『お水取り』と言うと、寒中にお坊さんが頭から冷たい水をカブって修行する事なんだろうと思い込んで居た(編者注1)
子供時代、大人のやって居る百人一首を聞き()じって『鯉が積もってフチになる、とは何の事かしら』とか、『ウサギ追いしカノ山』と言う歌詞を『山で兎を食べてオイシかった』のだとか、考えて居た思い出があるのは私だけでは無い筈である。


(閑話休題)


兎に角、『お水取り』は、古くから奈良の東大寺で行われて来た、取り分け関西地方では馴染まれた年中行事の一つである。


『お水取り』は3月(元々は旧暦2月)13日未明に行われるのだが、今では1〜15日の『修二会(しゅにえ)』全部を纏めて『お水取り』と言って居るー様だ。


抑々(そもそも)東大寺は聖武天皇が天平17(745)年に華厳宗総本山として創建したが、別名を『金光明四天王護国寺』と言う程に皇室とは密着して居て、旧暦の正月、二月の初めに夫れ夫れ『修正会(しゆしょうえ)』『修二会(しゅにえ)』と言う国家隆昌祈願祭を行って居た。しかし、本堂が出来る3年前に、本尊の大仏『廬遮那仏(るしゃなぶつ)』(4/9)の開眼があり、その直前2月に、後に東大寺初代別当になった良弁(ろうべん)が十一面観世音菩薩(二月堂と呼ばれる様になる)に懺悔を行ったのが『お水取り』の始まりだとされて居る。


色々な古式行事の後、13日未明、2月堂の前にある『若狭丼』から水を汲み、加持祈祷して香水として仏事用にするのである。そうした諸法要の御利益(ごりやく)なのか、それとも大仏のお計らいなのか、所謂『天平時代』の絢爛たる文化の華が開いて行くのである。


其の間、東大寺は全国に30ケ所もの国分寺や壮大な荘園を持ち、強力な僧兵軍を擁して大分ウルサイ圧力団体の拠点になって来る。それは又、別の機会に述べるであろう。


『暑さ寒さも彼岸まで』と言うが、その直前の『お水取り』の頃は『寒の戻り』と言うか、大体寒いのが例年の事である。『お水取りですからネ』と挨拶を交わすのが、関西人の常である。


其の点、今年は可成り高温で推移しそうである。数年に一度のエルニーニョ(El Nino)(ペルー沖の海面温度が2、3℃高くなる)現象のセイかとも思うが、此のエルニーニョと言うのはスペイン語で(the boy)『男の子』の意味でクリスマス頃の発生が多いので大文字にして、『幼さな子イエス』と名付けたのである。(反対現象を“La nina”女の子と言う)。



大仏様もイエス坊やには挺摺(てこず)って居るのかも知れない。



余談は扠置き(さておき)
、自然界にとっては10℃やそこらの温度上下なと知った事でない。何時しか季節は変わって行くのだ。




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(編者注1)
「お水取り」について、編者は頓珍漢のように「水をかぶって修行」とは思っていなかったが、ただ静かにどこかの井戸から水を汲み上げるのだと思っていた。

「その日」の前後に想像を絶する修行が続き、「その日」のクライマックスがあんな華麗というか勇壮というか、「火」を使ったものだと知ったのはカラーの写真やビデオで世の中に紹介されるようになったあとのことである。

しかも基本的には東大寺建立のときから続いているらしいことも知った。

ちなみに編者は奈良市内に住んでいて2回ほど見にいったが、寒くて閉口した。また、火の粉を浴びると1年間無病息災ということだが、火の粉というよりは大きな火の塊りが落ちてくることがあり、怖くて近づかなかった。

「うさぎおいし」の歌詞に対しては頓珍漢と同じように考えていたので、まったく同感。こうした「歌詞の聞き違い」「取り違い」は幼い頃は誰にでもあるのではないか。
向田邦子の「夜中の薔薇」というエッセイも、シューベルトの歌曲の日本語訳の歌詞にある「野中のバラ」を「夜中」と聞き違えていてアヤシイ気分に浸った思い出を書いたものとして秀逸である。