toshi@maruギャラリー
サブタイトル:【懐かしの東海汽船船隊】

気が付けば資料写真がtoshi@maruさんから
お借りしたもので埋め尽くされました。(笑)
ということで、ここは彼の作品を展示します
写真:toshi@maru
文: Co.chack 

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 橘  丸

言わずと知れた「たちばな丸」1772トン
幾多の危機を乗り越えたその波乱万丈の
人生は、多くのファンによって語り継がれ、
また、多くの方が物語を書き綴り、
後世に残している。
柳原良平氏、西村慶明氏両氏による
「”橘丸”物語り」至誠堂刊はあまりにも有名!
東海大学に寄贈される話もあったらしいが、
なぜか、立ち消えに・・・。
今でも彼女の舵輪は、伊豆大島元町港に、
号鐘(Time Bell)は竹芝の本社ショーケースに、
それぞれ大事に(?)、保管されている。





 藤丸(2代目)

戦後の海上輸送の充実を図るために作られた「28隻組」の中の1隻。
新造当時は淡路丸と名乗り阪神航路に従事していたらしい。
竣工は昭和23年。
翌24年、東海汽船に移籍し藤丸と改名したのは
後の昭和41年9月になってからである。
53年に引退したが引退前の3月21日には
QE2のお出迎え仕立て船として働いた。
当日は生憎の雨模様と鈴なりで、ちび小僧だったコチャックは、人ごみに紛れてしまい、
当時の写真は何一つ残っていないとても悲しい思い出が・・・



 椿 丸

この船もにっぱち組(28隻組)のひとつ。
資料「小型客船28隻組」によると、
昭和23年の竣工当時は、
中川海運(さんふらわあ日本高速フェリーの親会社)
トカラ列島の十島航路航路に従事していたそうだ。
東海汽船には35年に売却されたとある。

最後まで乗ることが叶わなかった船である。



 ふりいじあ丸

田熊造船(現・内海造船田熊工場)にて、昭和46年6月竣工。2361.27総トン
昭和53年4月すとれちあ丸が就航するまで、東京ー三宅島ー八丈島に赴いていた。
昼間東京港ではなかなか見る事のできない船だった。

ST丸就航後は、さるびあ丸と交互に、2日ごとの「就航船」「予備船」と、入れ替え運航を行い、大島ー各島ー神津島に就いた。

昭和61年3月のかめりあ丸就航に伴い、翌4月にて登録抹消、加藤汽船に売却された。



 さつき丸

ちょっとまじめに一言

元、伊豆箱根鉄道の伊豆箱根丸533トン。
その前身は、長福丸という九州商船の客船でした。
1959年(S34年)4.28伊豆箱根鉄道と東海汽船
両社に熱海航路の免許がおり、当時のライバル船でした。
これに対抗する為、3ヶ月後の8/8には第一照国丸を
照国郵船より購入。
椿丸と改名して同航路に投入している。
この競争は、1966(S41年)10/4まで続いたとある。

 参考資料;「80年のあゆみ」より
 情報提供: しぐなすさん

※椿丸投入前の3ヶ月間の配船は不明。


しぐなす艇長所蔵(撮影山田様)



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