直線上に配置


貨幣製造業者
銀行の発生



はじめに
 本章においては、信用貨幣としての銀行券、銀行預金について考察する。銀行によって信用貨幣が創り出されるメカニズムを明らかにしよう。誰かの借用証が貨幣の役割をはたしているとき、それを信用貨幣(IOU Money)と呼ぶということはすでに議論した。たとえば一番身近な信用貨幣の例として、日本銀行券は日本銀行の借用証(IOU)である。しかし金額的にそれよりはるかに大きいという意味で、商業銀行の借用証、すなわち銀行預金の存在も非常に重要であることを理解しておく必要がある。
 ここでは、まず銀行券の発生から見てみよう。イギリスの銀行の起源は古く、銀行規制や金融政策に関して、さまざまな論争の歴史があり、説明の都合上、非常に具合がいいので、金融論ではイギリスの銀行の歴史を例に取ることが多い。ここではその通例にしたがおう。

1.信用貨幣の発生

 話は、イギリスで、近代的な銀行が無く、商人が金匠(goldsmith)に金貨を預けていた時代から始まる。商人は金匠に金貨を預けて、その預かり証を受取り、それを保管している。商人が仕入れた商品の代金を払うときには、預かり証を金貨に換えて相手に支払う。その相手は受け取った金貨を金匠に預けて預かり証をもらうことになる。同じ町ならば、その金匠が同じである確率は高いであろう。その場合、ただ預かり証を渡しても結果として同じになることが理解できよう。
 預かり証が金匠に戻らず人々の間を流通するようになる。むしろ金貨より預かり証での支払いが一般的になってくる。特に金額が大きくなって金貨での支払いが面倒なときはそうである。逆に支払いのために預かり証を入手しようと金貨を預けるようになる場合すら出てくるであろう。この預かり証を金匠手形(goldsmiths' note)と呼んだ。この金匠手形が銀行券(bank note)となっていったのである。
 これが信用貨幣としての銀行券の発生の第1のステップである。第2のステップは金匠のところに積まれた金貨から生じる。金匠はこの金貨を貸すことによって儲けることができるのに気づく。金匠は貸し出しを始めるのである。ここで、金匠は金匠銀行家(goldsmith banker)となる。
 問題は金貨を貸し出したことによって貨幣量が増えたことである。数値例として、預かった100の金貨の内90を貸し出したとする。この経済に流通している貨幣は、銀行券100と金貨90で合計190となる。
 このように貨幣が増えたのは、銀行が貸し出しをしたからである。ここで誰も貯金したわけでもないのに90の貸し出しが行われている。これを信用創造という。信用とは金融の用語で資金の貸借のことである。信用貨幣とは信用があるから流通している貨幣という意味ではない。信用のメカニズムの中で造り出される貨幣という意味である。
 今、信用創造と言えば、信用メカニズムによって信用貨幣を造り出すことを意味する場合もある。ここで大事なことは貨幣と信用が不可分に結びついていることである。
 金融論の本は英語ではMonetary economicsかMoney and Bankingであるが、貨幣を論じることと銀行を論じることはほとんど同じ事であり、そしてそれを理論的に分析しようとすると貨幣的経済学になるということを理解しておく必要がある。
 さて、銀行が一部を準備に残し、あとを貸し出すのを部分準備制と呼ぶ。ここで問題が生じてくる。それを貸借対照表を使って分析してみよう。貸借対照表の右側は、どこから資金を調達したかをあらわす。左側は、その資金をどのように運用しているか示す。最初、貸し出しのない場合、銀行券100を発行し、100の金貨を持っている。そこで90を貸し出すと、貸借対照表の左側は金貨10と貸し出し90、右側は変化無しで銀行券100のままである。
 ここでもし銀行が貸し出しをしないで90を遊びに使ってしまっていたとする。それでも粉飾決算でそれがばれなければ経営は続けられる。昔の豊田商事事件やオレンジ共済組合事件はまさにその例である。このような不正なやり方を昔それをやった有名な人の名をとって、ポンツィ金融という。
 逆に貸し出しが健全なのに倒産しそうだといううわさが流れた場合、銀行券の金貨への兌換を10行った時点で金貨が尽き倒産する。これを取付騒ぎという。英語のbank runの方が直接的でわかりやすいかもしれない。
 ある銀行がつぶれると、他の健全な銀行にも取付が波及することがある。取付が広範囲に広がった場合、これを金融恐慌(financial panic)とよぶ。こうなると健全な銀行でもとばっちりをくらう可能性がある。銀行が規制され、同時に保護される理由はそこにある。
 銀行の経営原則は収益性原則と公共性原則というのが銀行論の基本である。銀行は、経済において心臓の役割をはたしている。今の日本経済が物々交換で成り立つはずがない。そうだとすれば決済のシステムの中心に存在する銀行は非常に重要である。健全な銀行業(sound banking)の概念は忘れられてはならない。
 しかし安全性をあまり追いすぎると競争がなくなる。それは銀行経営の非効率につながる収益性と安全性は常にトレード・オフの関係にある。規制緩和と規制強化の間で行ったり来たりしてるのが金融規制の歴史であると言っても良い。現在は金融自由化の流れがビッグ・バンという所まで議論されている状況である。しかし現在の金融不安で規制緩和から再規制への動きも見られる。
 なお、決済機構の安全性に関してナローバンクという議論がある。先の取り付け騒ぎの原因は銀行が一部の準備を残して貸し付けるところにある。これを部分準備制という。準備率が高ければ安全だが利益は少ない。準備率が低ければ利益は大きいが危険である。ナローバンク論とは決済を扱う銀行に100%の準備率を課すことである。この場合、取り付け騒ぎは起こらない。しかし、そのような貸付を行えない銀行は儲からない。決済手数料で経営されるそのような銀行は非常に不利な状況にある。ナローバンクがはたして現実的かどうかということは、かなり疑問である。

2.信用乗数と貨幣乗数

 ここで信用創造のメカニズムについてもう少し考えよう。今、皆が現金を持たず小切手で決済をするような経済を考えよう。ある個人がたとえば国債の償還を受け、100の預金が生まれたとする。銀行の貸借対照表では、準備金が100、預金が100増える。準備率を10%と仮定すれば、銀行は90の貸し出しを増やすことができる。貸し出しの直後は、準備金100、貸し出し90、預金が190である。
 借りた人はそれを使うので、最初の銀行の準備金は90引き出されて10になる。それにあわせて、借りた人の預金が90減って、預金は100になる。しかし話はそれでは終わらない。その預金は支払いを受けた人の口座へ移る。その金額が別の銀行のその人の口座に振り込まれたとする。その銀行では、預金と準備金の90の増加が生じる。
 この過程がいつまでも繰り返されることになる。その合計は等比数列の和である。計算すれば、預金は合計で1000増えることが分かる。準備金は100で貸付が900増えている。
 この最初の預金100を本源的預金と呼ぶ。残りの900の預金を派生預金と呼ぶ。本源的預金1が合計としていくらの預金となるか示すのが信用乗数である。上記の例の場合、信用乗数は1000/100=10である。
 個人が現金も使う場合、乗数は変わってくる。現金と預金をどのような割合で持つか示すのが、現金・預金比率である(現金・預金比率=現金/預金)。なお、現金比率=現金/(現金+預金)も使われる。信用乗数の場合、現金比率の方がわかりやすいと思うので、そちらで説明する。
 今、準備率は10%のままで、現金比率を1/6とする(なお、この場合には現金・預金比率は1/5である)。この場合、最初の国債の償還を120から始めよう。この人は20を引き出して現金で持ち、残りを口座に残しておく。
 100の預金と準備の増加によって、銀行は90貸し出しを増やす。借りた人はそれを使い、誰かがその90を受け取る。その人はしかし、そこからその1/6の15を引き出し現金で保有するため、口座には75が残る。その人の取引銀行は、75の90%の67.5を貸し出すことになる。
 先ほどと同じように乗数プロセスが繰り返される。この場合の預金の増加は全体で400となり、信用乗数は4となる。準備率をδ、現金比率をψとすれば、信用乗数は1/(ψ+δ−ψδ)である。
 これを中央銀行の側から見てみよう。中央銀行が発行している信用貨幣は銀行券と商業銀行の中央銀行預金である。この中央銀行預金と銀行券をあわせたものをハイパワード・マネー(high-powered money)と呼ぶ。もちろん商業銀行の中央銀行預金は、引き出せば銀行券に変わる。この中央銀行預金は商業銀行にとって準備金である。
 銀行はその準備の乗数倍だけ預金を持つことができる。マネーサプライは民間保有の銀行券と銀行預金の合計である。そうすると、ハイパワード・マネーとマネーサプライは無関係ではない。
 ハイパワードマネーHの何倍のマネーサプライMが生まれるか。それを貨幣乗数という。すなわちM/Hである。現金比率(あるいは同じことであるが現金・預金比率)と準備率が決まれば、貨幣乗数が決まる。
 準備をR、預金をDとする。ここでは現金・預金比率ρの方がわかりやすい。

M/H=(C+D)/(C+R)
=(C/D+D/D)/(C/D+R/D)
=(ρ+1)/(ρ+δ)

先の数例にあてはめてると、

(ρ+1)/(ρ+δ)
=(0.2+1)/(0.2+0.1)=4

がでてくる。ところでρ=C/D、ψ=C/(D+C)だから、

1/ψ=(D+C)/C=D/C+1
=1/ρ+1=(1+ρ)/ρ

故に

ψ=ρ/(1+ρ)

である。たとえば先の例では、ρ=1/5であるから、

ψ=(1/5)/(1+(1/5))
=1/(5+1)=1/6

この式を使って、ψをρで置き換えると信用乗数と貨幣乗数が同じ式になることが分かる。すなわち、貨幣乗数の裏にあるメカニズムは信用創造に他ならない。ハイパワード・マネーとマネーサプライの関係図をもう一度見て見よう。δとρが決まれば貨幣乗数が決まる。この2つのパラメータが安定していれば貨幣乗数は安定しているはずである。そこで金融論の学者はマネーサプライがコントロールできると主張する。すなわち、ハイパワード・マネーを調節すればマネーサプライが決まる。
 しかし日本銀行は、それに対して、そんなことはできないと反論した。そのような反論の根拠となった理論は日銀理論と呼ばれ、大きな論争を生んだ。日銀理論の根拠は準備預金の仕組みにある。毎月1日から月末までの預金残高の平均を出して、それに準備率をかけて必要な準備預金の額を出し、その月の16日から次の月の15日までの間で、毎日準備預金を積む。その平均額が必要な準備金を越えればよい。
 準備預金として必要な額が分かっているのだから、その額だけ供給せざるを得ない。だからむしろハイパワード・マネーがマネーサプライから決まると日銀は主張する。日銀はマネーサプライのコントロールができないと言う理由はこのようなものである。金融論学者は準備が不足する銀行が出てきてもかまわないと主張するが、日本銀行はそれでは困ると考えている。そのあたりに理論家と実務家の感覚の違いがありそうである。
 もちろん、日銀としてもまったくマネーサプライのコントロールを放棄しているわけではない。以下の章では、金融政策でマネーサプライが決定されると想定して議論を進める。
 金融市場では貨幣と債券の取引が行われている。ケインズは、そのような金融取引から利子率が決まると考えた。ケインズは利子率は貨幣市場で決まると主張している。金融の用語では貨幣市場とは短期金融市場のことであるが、ここで言う貨幣市場はそれではない。もちろん貨幣を売買する市場と言う意味でもない。貨幣の需要と供給がであう場所という意味である。
 貨幣の需要とは債券ではなく貨幣で資産を保有するということであり、貨幣の供給とは現実の貨幣の存在量、すなわちマネーサプライのことである。合計金額で測って、債券を売って貨幣を持ちたい人の方が多いのなら、貨幣の超過需要であり、逆に債券を買いたい人の方が多ければ貨幣の超過供給である。この場合、貨幣市場と債券市場は同じ取引の裏と表である。
 そこで貨幣の需要について分析する必要がある。ケインズは貨幣の需要を
3つに分類した。取引動機・予備的動機・投機的動機の3つである。
 取引動機は古典派の理論と内容的には同じである。予備的動機は読んで字のごとく不時の出費に備えることであり、取引動機とどこが違うのかという意見もあり、これを無視しているマクロ経済学の本もある。ケインズは予備的動機はGDPと利子率に影響されると言う。そこがGDPのみで決まる取引動機との違いである。
 投機的動機は将来予想に基づく貨幣需要である。債券は利子を生むから利子を生まない貨幣よりも好まれるという議論がある。貨幣の予備的動機の分析はこのような議論の誤りを指摘するところから始まる。
 その議論のためには、債券価格について議論しなければならない。債券は市場で売買されている。その取引の価格は額面の価格ではない。前に述べた資本化というプロセスが関係する。将来の利子と元本の合計が現在価値でいくらになるかが問題であり、市場利子率が変われば債券の市場価格は変化する。
 債券価格の変化で生じた利益を資本利得(capital gain)と呼ぶ。逆に価格が下がって損を出せば、資本損失(capital loss)が生ずる。債券価格が下がって資本損失が生じ、その金額が利子を越えると債券を買ったら損をする。そのような可能性があるときに、債券ではなく貨幣を保有するのが貨幣の投機的動機である。
 そのような貨幣と債券の需給による利子理論を次の章で検討する。




トップ アイコントップページへもどる
直線上に配置