18章「主こそ神です。主こそ神です。」
1-19 オバデヤは「非常に主を恐れて」おり、100人の預言者たちをかくまって助けていました。しかし同じ信仰者でも、オバデヤと神の人エリヤとは、極めて対象的でした。オバデヤは主を恐れていましたが、実際的に彼が仕えていた主人はアハブでした。他方エリヤは主にだけ仕える主のしもべでした。オバデヤは預言者たちをかくまいましたが、エリヤは自分自身でアハブと偶像崇拝者たちの前に立ち、彼らと戦いました。オバデヤはアハブにとって、一緒に「国を二分してめぐり歩く」ことのできる仲間でしたが、エリヤはオバデヤにとって、「イスラエルを煩わすもの」でした。本当の意味で、神の証し人として立っていたのがどちらであるかは、明らかです。同様に、クリスチャンがこの世で成功することが証しとなるという考えは間違いです。私たちは神と富とに同時に仕えることはできません。どうか私たちがエリヤのように、この世から分離して、真実に主にのみ仕える神の僕でありますように。
20-29 偶像崇拝は何と愚かで無力なことでしょう。バアルの預言者たちの拝む神々には命がないので、祈りに答える力はありません。エリヤは彼らをあざけりました。バアルの預言者たちが身を傷つけ、血を流しても何の答えもありませんでした。偶像崇拝の愚かさについてはイザヤ書44章をお読みください。
30-35 エリヤは民を自分のそばに近寄らせ、イスラエルの12部族の数に従って、12の石を取り、それで祭壇を築きました。肉眼で見えるところは、イスラエルの失敗と分裂だけでした。しかしエリヤは信仰によって行動し、イスラエルがどのような状態であるかに従って行動せず、神がイスラエルをどのように見ておられるかにしたがって行動しました。この事は今日においてもとても重要なことです。教会もまた、神を証しするという役割を完全に失敗してしまいました。分派や分裂、様々な異なった教えが入ってしまいました。しかし神は教会をどのように見ておられるでしょうか。「からだは一つ。」これが神の真理であり、基準です。私たちの責任は、自分たちの失敗を認めつつも、「からだは一つ」との変わらぬ真理を信じ、この真理を自分の置かれている場所において、具体的に表現することです。そして神の真理の持つ力と祝福を実際的に味わい、証しすることです。
36-46 主はエリヤの祈りに答えてくださいました。民は皆、これを見てひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言いました。エリヤは民に命じて、バアルの預言者たちを殺しました。神はエリヤの祈りに答えて、雨を降らせてくださいました。「エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六ヶ月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。」(ヤコブ5:17-18)
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