「脳性麻痺の妹により、『真の神様が確かに生きておられる』と知りました。」

芹澤美穂


 私がどのように神様を信じる信仰へと導かれたのかを証したいと思います。現在私は、夫と二人家族です。また、私には一人の2歳半離れた妹がいます。この妹の存在が神様を信じる一つのきっかけになりましたので、少し妹の事をお話しいたします。 

 「妹と手をつないで、一緒に歩いて公園にいきたい。」これは、物心がついた幼い時の私の強い願いでした。妹は生まれてから間もなく、脳性麻痺という病気になりました。脳の一部が壊れ、それによって体に麻痺がおこり、食べたり、声を出したり、歩いたりなど日常生活に障害を持つようになったのです。普通の赤ちゃんでしたら、1歳ぐらいで歩けるようになるのですが、妹は病気のため歩く事どころか、ささえられて立つことも出来ませんでした。そのため、毎日母は妹を背中におぶって遠くの病院へ訓練のために連れて行っていました。少しでも運動機能を回復させるためでした。父もですが、母も障害をもった子を育てることに不安を抱いていたと思います。また、心無い言葉にどれだけ傷ついたことでしょう。

 母は幼い時に一度だけ日曜学校に行ったことがあるのを思い出し、教会にいくようになりました。何か慰めがほしかったのかもしれません。あるいは、辛い現状から何か救いを得たいと思っていたのかもしれません。母は妹をおぶり、幼い私の手をひいて、バスと電車を乗り継いで約1時間半かけて毎週日曜日に教会に通うようになりました。そして、母は聖書のお話を何度も聞いて、自分が罪人であることを知り、イエス:キリストを救い主として信じました。

 さて、私が小学生に上がった頃、歩いて20分ぐらいのところに妹のような障害者のための訓練施設ができした。バスも通っていたのですが、母は、4歳の妹をおぶって毎日歩いて通っていました。私も学校が早く終わるとランドセルを家に置いて、歩いて訓練施設に行っていました。妹が訓練している部屋に入ろうとドアに手をのばすと、妹の激しい泣き声が聞こえてくるのを思い出します。それは、1u(ヘーホーメートル)の板の上に鉛の靴が付いていて腰のあたりまで皮と金具で作られた、立つ訓練のための器具に、妹が付けられていたのです。決められた時間まで立っていなければなりませんでしたので、妹は足、腰が痛くて激しく泣いていたのです。私はその姿をみて、妹がかわいそうでたまりませんでした。母に「かわいそうだ。」といったら、「立って歩けるための訓練なのだから、一緒に応援してね。」といわれました。その時から私は妹をかわいそうとは思わないようにしました。そして、私なりに応援してきました。

 訓練のかいがあって、6歳になった妹はついに、よたよたですがひとりで歩けるようになりました。ただ、靴は鉛で出来た障害者用のものでしたので、靴をはかせたり脱がしたりするのは私の役目でした。この靴さえあれば歩けるのだと思っていたので、この役目は私とってうれしいお手伝いでした。

 ようやく、一人で歩けるようになった妹は4年遅れででしたが、普通の小学校に入学することができました。当時は障害者が普通の学校に入るのは、理解されない事でしたが、父と母は校長先生とお話をして、入学の許可をもらうことができたのです。しかし、妹にとっては辛い毎日となりました。入学してすぐに、いじめにあったのです。毎日毎日妹は泣いて帰ってきました。ロボットと言われるというのです。私から見ても妹の動きは普通ではないので、ロボットと言われても仕方がないなと思いました。母はそんな妹に生卵を持たせました。そして、それを握った妹に「ロボットは生卵を持つことができないのよ。だから、あなたはロボットでないことがわかるわね。」と言いました。当時ロボットは生卵を持つことが出来ないといわれていたからです。これを聞いて妹はロボットと言われても気にしなくなりました。

 このこともあり、指先が普通の人のように器用に動かせない妹は、訓練のためにピアノを習うことにしました。歌もいっしょに習えるので発声の訓練にもなります。妹は障害者でしたので、家族がそばにいる事が条件で個人レッスンを受けることになりました。そこで、私がそばにいることになりました。実は私もピアノを習いたかったのですが、子供心に親に負担をかけてはいけないと思い黙っていました。そこで私は家に誰もいない時に、妹のピアノの教科書をそっとひらいて、小さいオルガンを引くことに、ちょっとした楽しみをもつようになりました。

 ある日、父も母も知っていて妹のことにも良くしてくれる知人が、妹の病気を治せる人が近くの講演会場に来ると教えてくれました。障害がなくなり健常者になれるというのです。有名な先生らしく病気の人を何度も治しているというのです。その知人は「こんなすばらしい話はない、その人が来たらすぐに行くべきです。」と、言い日時を教えてくれました。私は妹が普通の子になるのだと思い何だかうれしくなってしまいました。早くその日が来ないかとそわそわしていました。ついにその日がやってきました。私は学校があり、いっしょに行くことが出来ませんでしたので、学校が終わったら一目散に家に帰りました。私は走りながら「妹が普通の子になっている。これで妹はいじめられたり、辛いおもいをしなくても済むのだ。階段の上り下りも普通に出来るのだ。妹を変な目で見る人ににらみかえさなくていいのだ。妹と一緒にかけっこだって出来るのだ。普通になった妹は一体どういう姿なのだろう。楽しみ。」と、いろいろなことを考えてしまいました。家について母に「妹は?」と聞きました。そしたら、妹が部屋から出てきました。「お、おねい、い、ちゃ、ちゃん、お、お、おかえ、えり 。」「えっ!?何も変わっていない!!」と私は愕然としました。しゃべり方も歩き方も何一つ変わっていなかったのです。私は母に、「なんで、なんで、治らなかったの?」と激しい声でききました。母は、「治してもらうことをやめにしたの。」そして続けて「この子が障害者として生まれてきたから、お母さんは神様を信じる信仰が与えられたの。だから、この子は障害のままでいいの。」私には納得がいきませんでした。これからだって妹はずっと障害を持って辛いおもいをしなければならないことは目にみえていたからです。しかし、このことを聞いた妹は体を震わせて本当によろこんでいました。

 聖書の中にイエス様がある盲人について言われた「神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネ9:3)にある御言葉に、励まされてきた妹は、自分の罪のためにイエス様が十字架で身代わりとなって死んでくださり、それを信じるものに永遠のいのちを与えてくださる事をはっきりと信じました。母が教会に通っていましたので、私も聖書のお話を聞き、素直に神様を受け入れていましたので、妹が本当の希望を持って歩んでいけることを知り、よかったなと思いました。 

 それから随分経ってからですが、もともと体が弱かった私は体調を悪くし勤めていた会社をやめて、家で休養していました。そんなある日、妹の部屋に入ると福音が語られているテープが聞こえてきました。「地獄からの救い」についてでした。私は妹も母も自分の罪のために身代わりとなって死んでくださったイエス様を信じると言い、救われたと言っていたことを思い出しました。聞きなれていることなのですが、このときはなぜか新鮮に感じました。また、小学生のとき「まばたきで詩をつくるクリスチャン」がいるのを聞き、その詩は神様に感謝をしているものだったと思い出しました。そのクリスチャンは重度障害者で出来ることは、まばたきくらいなのですが、神様を信じ、神様をよろこんでいた人でした。自分の身の回りのことは何一つできずにいるので、はたから見たら絶望的な状況にみえましたが、その人は神様を賛美していました。妹も障害を持っているのに神様を賛美している。私は思いました、「神様は確かに生きておられる。」と。 『主はまことの神。生ける神、とこしえの王。』(エレミヤ書10:10)そしてこの神様が罪深い私を愛してくださり、イエス:キリス トが永遠の地獄から救うために十字架にかかられたこと。そして、神様は十字架上で死なれた御子イエス:キリストを、三日目によみがえらせ、このことを信じるものに罪の許しを与えてくださり、永遠のいのちを与えてくださるのだと確信しました。そして、私は妹が障害者として生かされていることにも感謝しました。また、神様は多くのよろこびも与えてくださいました。

 私たちには子供はおりませんが、子供たちが日曜学校に来て聖書のお話を聞くこと、神様をよろこんでいる子供たちの姿を見る事、将来は神様の福音を伝えるようになりたいといっている子供たちがいる事です。この日本だけでなく海外でも、子供たちが教会に来て神様を賛美していること、また脳炎という重い障害をもった方も神様を信じ、神様を賛美していること。ここでは、お話できないほどのたくさんのよろこびが与えられました。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。 ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(ヨハネ第一の手紙4章9節)このように私を救いへと導いてくださった神様に感謝しています。そして、一人でも多くの方がこの主イエス:キリストを信じてくださいますように心から願っています。以上です。ありがとうございました。

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