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昌城遺跡は姶良町低地部のほぼ中央、北西方向に延びるなだらかな丘陵の南端に位置する。

 付近の地形は姶良カルデラ(約24,000年前)に起源が遡る火砕流堆積物により造られた、標高100mほどのシラス台地状になっている。

 山城が築かれた台地はほぼ平坦で、その面積は約10haに及ぶ。
平成11年度「建昌城公園」造成計画に伴う事前調査として、発掘調査が開始され、現在(平成13年9月)も継続されている。

 発掘調査の結果、遺構・遺物は中世だけでなく、その約4m下層に存在する縄文早期層から後期旧石器時代の層位にまで及んでいる。

 全国的にも縄文草創期以前の集落跡の発見例は少ないため、正確な発掘調査が進められ、又この調査は来年度以降も継続される予定と云う。

 火山の多い南九州では過去の噴火により堆積した火山灰の年代が、地学の研究から解明され、年代の基準に据えられている。

以下発掘調査中の建昌城遺跡現場とその地層の変化を通じ、時代の変わり目・変遷を振りかって見る。

 島噴火を起源とする茶褐色の薩摩火山灰層(約11,400年前)を挟んで上層に当たる黒色腐植土から縄文早期の土器が出土し、又下位層からは縄文草創期(約12,000年前)・後期旧石器時代の遺構・遺物が検出された。
写真の中には山積みに除けられた薩摩火山灰が見られる。

 縄文草創期・旧石器時代の遺物を含む層は、暗茶褐色粘質土層で、通称チョコ層と呼ばれ、ここからは旧石器時代(約15,000年前)の集石遺構や石器類が出土している。

 写真の通り現在も発掘調査中であり、今後更なる新発見に大いに期待したい。

後期旧石器時代の磨石 後期旧石器時代の石皿

 器では磨石が最も多く、石斧・石皿がこれに次ぐ。焼けた痕跡も見える。
磨石の多くは川原石がそのまま利用されている。

 縄文早期の地層から検出された遺構には、竪穴住居跡5棟・集石28基・連穴土壙12基などがあり、定住集落の存在が窺える。

 定住生活を裏付ける遺物は12,000点を超えており、中でも前平式・知覧式・石坂式など縄文早期前葉から中葉にわたる土器片が混在していたと云う。

 以下縄文早期の代表的土器片を概観する。

以下文字列にポインタをおくと、いろいろな土器文様に出会えますよ!

 地元の土器である石坂式土器の貝殻刺突文様

 外来系土器文様と見られる押型文

 主として外来系土器に見られる条痕文

 文早期は今より温暖であったため海水面が上昇し、現在の標高15m付近が海面との境目と見られることから、建昌城跡の麓まで海水が進んでいたことになり、当地は海山両方に近い格好な住環境であったと考えられる。

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