中島さなえ氏によるインタビュー
どこからきて、どこへ向かっていくのか
取材/文 中島さなえ(作家・ライター)
ひとつの小柄な身体が、ステージの中央にたたずんでいる。肩甲骨をわずかに上下させ、息を整えながら、彼女は自分に向かって少しずつ近づいてくる”動き”を静かに待っている。やがて、指の関節がひとつずつ折れ曲がり、腕、首から、全身の筋肉をしならせて、ゆっくりと天を仰ぐ。
2010年7月、山縣美礼のソロパフォーマンス「即興55分。身体と私」が、東京都大田区の「いずるば」でおこなわれた。音も流れず、物も置いていない、主張のない空間。時には激しく、時にはゆるりと、哀しさや喜びを全身にたたえていて、彼女のほんのささいな動きにも目が離せず、惹きつけられる。彼女の身体は、内から外から、次々と打ち寄せてくる波を自然に受け止めるように自由に動いていた。
「あっというまだった。知らないあいだに時間が過ぎていって、なにをしたのかも、ほとんど覚えてない。即興をしている時って、コントロールはしているけれど、予期しないことが自然に起こる。たとえばひとつの動きを反復して繰り返していても、身体の限界があるから、絶対に同じようにはできない。そこから自然に別の動きが生まれる。私は、動きがくるのを待っている」
彼女がダンスを始めたのは意外と遅く、アメリカの大学に入ってからだという。大学4年生の時の大学主催イベントで、「いきなりやってみようと思った」と、早くも自身の演出・振付の作品を発表する。それまで、香港で生まれ、アメリカ、ドイツ、日本と、世界を転々として生きてきた彼女が初作品のテーマに選んだのは「肌の色」。人種問題を扱ったものだった。
「オーディションで7人のダンサーを集めて、皮膚の象徴として、サランラップを身体に巻いて出てもらった。鮮やかな赤や白や黄色のお面をつけて、お椀を持って歩いてもらったり。大学ではモダンダンスを習っていたはずなのに、今考えると舞踏的な要素が強かったかな。舞踏なんて全然知らなかったのに、自分でもすごく不思議」
大学卒業後もダンスを続け、身体の強度を高めるトレーニングとしてバレエも習い続けた。しかし、自分の追求する道としては、形の美しさやテクニックを重視するモダンダンスやバレエなどは選ばず、舞踏や身体表現の世界へと心酔していく。2003年に帰国後は舞踏と即興を徹底して学び、自分のスタイルをさらに深めていった。
その上で、自分のしている表現方法が当てはまるダンスのジャンルがないことや、経歴が変わっていることなど、様々な戸惑いもあった。迷いを振り切り、自分の位置を気にしなくなったのは、ついここ数年のことだという。
「舞踏をやるべきだって思っていた時期もあった。地から生まれるような泥臭さやユーモア、不思議で夢みたいな世界という魅力はあるんだけど、自分の表現したいことは舞踏では足りないと思った」
2007年からソロ公演の活動を開始し、企画から演出、振付までを精力的にこなしている。西洋で学んだ「動くこと」、舞踏で学んだ「動かされること」のバランスを探る独創的な彼女のパフォーマンスは徐々に注目され、2010年、韓国のHooyong Performing Arts Centreからは、レジデントアーティストとして招聘を受けている。
「お客さんが見てくれた時に、どこかで自分の日常とつながるところがあると思ってもらえたら嬉しい。私の動きや感情を見て、『ああ、こういう気持ちになったことがあるな』って、汲み取ってもらえる部分がちょっとでもあったら。観客をおいてけぼりにするようなことはしたくない。ひとつの動きが始まったら、どこに向かっていくのかなという興味を持ってもらいたいし、一緒についてきてほしい」
山縣美礼の作品は、「観る」ではなく、あくまでも「見る」ものなのだと感じる。決まったストーリーや音楽を与えられて、ただ客席で見物をするのではなく、パフォーマーと一体になって、時間と空間と想いを感じ、創っていく。
幕が上がり、いったい次はどんな世界へつれていってくれるのか。彼女も私たちも、最後まで行き着く先はわからない。その緊張感を楽しみながら、これからも彼女の作品を体感していきたい。

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