− 宝性寺縁起 −
宝性寺は今を去ること433年の昔、天正4年(1576)に武蔵国南葛飾郡小岩村(現・東京都江戸川区小岩)の善養寺(真言宗豊山派)の末寺として、下総国行徳領(現千葉県市川市行徳)の関ヶ島に開かれた真言宗のお寺です。
本尊不動明王は古くより「行徳のお不動さま」として親しまれてきた仏様であり、行徳河岸からも近いこともあり、江戸時代には、江戸日本橋小網町より舟で江戸川を上り行徳河岸から成田詣に向かう成田詣の参拝者が、旅の安全を祈願するために宝性寺に立ち寄ったといわれております。現在の行徳街道関ヶ島の藤井畳店のS字カーブのところに脇道がありますが宝性寺参道の名残です。
さて、宝性寺から移された常夜灯には「安政の大地震」でこの常夜灯が崩れて補修した旨が刻まれており、当時の地震の規模をうかがい知ることができます。およそ震度6だったと東大地震研究所都司嘉宣先生は報告しておりまが(「千葉県市川市原木の『大屋家日記』に記された地震記録」(『歴史地震』19))、この地震により、当時、瓦葺きだった本堂は潰れてしまいました。
その後、本堂は再建されましたが、その宝性寺も次第に衰退し、永年にわたり無住兼務荒廃が続きました。戦後の宗教法人法により昭和27年には新義真言宗に登録されました。しかし本堂は傾き、雨漏りがするようになっていたといいます。現在、徳蔵寺にある宝性寺から移された不動明王の膝元の絵の具の剥がれは当時の雨漏りによるものといわれております。このような状態の宝性寺を、当時兼務していた徳蔵寺17世住職幸道阿闍梨は、ある日、荷車に乗せ本尊不動明王を徳蔵寺に遷しました。するとその翌日、奇しくも暴風雨により本堂は轟音とともに崩壊してしまいました。その災難を免れた不動明王は、現在、徳蔵寺不動堂の本尊として、また本堂脇間にも安置されています。
不動明王厨子及び宝性寺より移した常夜燈の寄進者には、「淡雪楼武左衞門」の名があり、当時の宿場町としての行徳、ひろく地域の人々の信仰を集めていた「行徳のお不動さま」の賑わいぶりが伺われます。
30年ほど前までは宝性寺の煉瓦の門柱もありましたが、現在はその昔の境内地の一角に「関ケ島宝性寺駐車場」があること、また井戸があることのみが、宝性寺であることを伝えています。
このように災難を免れたお不動さまは災難除けの仏様として現在でもお参りする方が絶えません。また、宝性寺開版の不動明王画像には「興教大師御作」と書かれており、宝性寺の本尊不動明王が興教大師大師御作であることを伝えております。ただし現在の不動明王は幕末の制作であるので時代が異なりので、その当時の本尊であったのかなんともいえませんが、とにかく真言宗の中興「興教大師覚鑁聖人」へ対する厚い帰依のもと開版されたものであることは間違いありません。
戦後、宝性寺の本堂再建は容易なものではありませんでした。檀家一同は徳蔵寺への編入を余儀なくされ、その法灯は徳蔵寺に移されました。現在は空き地になっておりますが、近い未来、再建されることを願っております。
徳蔵寺不動堂には宝性寺より移された五大明王が安置されており、行徳・市川市内でも貴重な尊像群であります。
長い間、不動明王を護り続けた歴代住職の法灯を絶やさぬよう「行徳のお不動さま」では、正月1日より行われる新春初護摩ご祈祷のほか、毎月28日に不動明王護摩供が修されており、皆様方の心願成就を祈念しております。また、毎年8月28日には、「行徳不動尊ご縁日」として、露店・植木市・仏画展などで引っ越し先(徳蔵寺境内)でも賑わいを見せております。 |