出演者リスト
(1970−2000)
大塚まさじ・シバ・小室等・なぎら健壱・友部正人・斉藤哲夫・三上寛・高田渡・
中川五郎・他無名シンガー多数.。
過去の出演者詳細掲載予定。
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■ (90年代の想い出のアマチュア・ミュージュシャン!)
記/2005年9月
* Photo: 青空レコードサイトより
# 大川素子さんー アコディオンでの弾き語り/戦前・戦後の流行歌と童謡などを唄う。
「ゴンドラの歌」「帰らざる河」「ガード下の靴磨き」などなど。
「朝寝坊」「秋風の男?」などの自作もあり、友部正人の歌も
歌ってた。
*Photo:またたび日記 2000年6月17日より
・・・・・・・・・・・・・・・・ 両国フォークロアセンターでギター&カズー(Kazoo)で。
金髪のみやもとじゅん。
# みやもとじゅんー 「この世で一番きれいなもの」(早川義夫)/「夕暮れ」(高田渡)他
そして彼の自作を唄う。「ガロ」の愛読者だった。
■ 近年(2000年〜)の想い出の人 (記 2005/9/26)
* 2004年3月6日
武 力也ー 朗読する
於:両国フォークロアセンター撮影:国崎 清秀
# 武 力也ー 知り合って数年で亡くなった武力也さん。惜しいひとだ。
懐かしいひとだ。去年の12月に61歳で、心筋梗塞だった。
約1年が経ち寒くなって来ている今日この頃、武力也さんを
想い出した。また、朗読会やる予定だった。サイトで見つけた
ステキな詩(服部 剛氏)−時々気になっていたーを載せたい
と思います。亡くなる数日前迄の日記や彼が朗読する映像が
検索サイトで見れます。中島らも(作家)のファンだった。
お酒が好きだった武力也さん。 (記:9/26/05 国崎)
[自由詩]追悼・武力也〜/服部 剛[2004年12月7日14時30分]
いつかあなたが送ってくれた風の便りは
愚直に曲がった目に滲む文字で語られていた
あなたが求める
平和を・・・
その冬の暖炉を思わせる声で
もっと語ってほしかった・・・
もっと詩ってほしかった・・・
路地裏の隅で北風に吹かれながら
マッチを煉瓦の壁にこする少女に
交差点で目を閉じて立ち止まり
風向きを探している青年に
自棄酒を浴びて
路上に嘔吐して眠る
青白い夢見顔のリストラ中年に
独り暮らしの家で
日がなこたつに足を入れたままの老婆に
冬の澄んだ星空へと吸い込まれる
長い長い梯子を昇った上で
職人だったあなたの骨っぽい手で打つ釘の音は
今宵 永久に 夜空に 響きわたれり
どんなに凍てつく風に吹かれても
大地に深く喰い込んだ
倒れることのない
長い長い梯子の足元から見上げる僕等を
渦巻く風の向こうで
零れ落ちそうに揺れる星空に透ける
あなたの滲んだ笑顔
地上の僕等は
いつまでも・・・
危うく揺れるマッチの灯を
夜空へと手向けるだろう
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(ジャンル)
フォークミュージック
詩の朗読(ポエトリー・リーディング)
カントリー・ブルース
オールド・タイム・ミュージック
流行歌
モダン・ミュージック
カントリー・ミュージック 等
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# 「NEWS&NOTES」の欄も御覧下さい。
■ 両国フォークロアセンターが掲載されている<ライブハウス本>
l970年代 「唄が旅から帰った時」−全国ライブハウス街図ー
有文社 780円 出版年度 l976/11
l980年代 「ぼくらのライブハウス」 岩永文夫
音楽之友社 750円 出版年度1984/8
1990年代 「音泉map 150」 全国インデイーズ・ライブスポット情報」
アスペクト 1524円 出版年度1998/11
2000年代 「ライブスポットガイド 539」 Hankyu Mook 別刷 地図帳付
阪急電鉄(株)創造事業本部コミュニケーション事業部
952円 出版年度 2003/3 *50年代、60年代は<ライブハウス>という言い方はなく、「ゴーゴー喫茶」とか「ジャズ喫茶」
「歌ごえ喫茶」など、といわれていた。<ライブハウス本>もそのうちコレクターアイテムになる
であろう。
「A Hoot At The Folklore Center」
両国フォークロアセンターに関するネット上で書かれている素敵な文章。
懐かしき両国フォークロアセンター。
●フォークロア・フート
両国のライブハウス(部屋?)「フォークロアセンター」では、月に2回、誰もが参加して歌える「フォークロア・フート」と言う日があった。僕らが東京に出てきた'80年頃、まだ歌う所もなかったみんなが、「フォーク」そして「出演者募集」の情報誌の言葉に誘われ、両国まで出かけたのだ。
「センター」と言うくらいだから、なにか大きな所を想像する人もいるだろう。しかしマップどうりに辿り着くと、一階がそば屋で、右のドアの上に小さな木の板に「FOLKLORE
CENTER」と書いてあるだけなのだ。アメリカンな茶色いガラスドアを開けると、そこは階段になっていた。靴を脱いで登ってゆくと、そこは畳敷きの八畳くらいの部屋が二つあった。
「いらっしゃい」フォークロアのマスターが、挨拶をする。ちょこっとした、鼻ひげが似合っている丸顔のダンディーなマスター。「どうぞ、座って」畳敷きのそこには、低いテーブルがふたつなげて並んでいて、その回りには座布団が敷かれていた。その続きの畳の上のステージには、マイクスタンドがあり、その後ろの壁には、名だたる、フォークシンガー達の出演記録の紙が、多く貼られていた。この一連のフォークロアセンターの洗礼のあと、やっと落ち着いて、ドリンクを注文する。そのメニューの下の方には、「玄米カレー」と言うのがあり、またそこに目がとまる。それもまた、洗礼の一つだ。(玄米カレーってなんだろうなぁ・・)そう思いながらも、オレンジジュースを注文する。さて、いよいよフートの始まりだ。
お店に来ているシンガー達は、たいがい5・6人だった。自己紹介をしながら、ひとり三曲ずつ歌って行く。その中には、大谷もいた。知久君もいた。その頃フォークロアセンターで、もう歌っていた友達も、フートに来ていたのだ。「大谷っていいます。よろしくうー」って言う感じだ。
面白い歌うたいが、出てくるとマスターはとっても嬉しそうにして、うしろで「ホッホッ」と笑う。ひととおりみんなの歌が終わると、テーブルをはさんで、いろいろと話をする。それはなんとも、独特な雰囲気で、ちょっとずつ打ち解けてゆくのだ。はじめての人には、それもまたフォークロアの洗礼のひとつだったろう。
マスターに気に入られると、フォークロアにて、定期的に歌えるようになるのだった。'83年頃、フォークロアセンターで歌っていた友達は、大谷、石川、橘高、知久、とっちゃん、柳原、山下と、みんな、このフートでマスターに気に入られたみんなだ。ぎこちなくも、フートの後、少しずつ話が盛り上がってくると、どこからか、カレーのにおいがしてきて、マスターが、注文の玄米カレーを出してくれた。(これが玄米カレーかあ・・)そして、次回には、堂々と「玄米カレー」を注文できるようになるのだった。
フォークロアの店を出て、両国の駅にゆくまでが、なかなかに味があった。そこでやっと、友達になれると言う感じなのだ。結局、みんな同じ、駅のホームに立っていた。「今度、ライブに行きますよ」そんなふうに、出会いは続いていった。(青木)
#これがもうーつのフォークミュージックムーブメントの原点・ルーツである。
21世紀のフォークの「未来」を「精神」を語っている。この文章に私が「やりたかった」事の
すべてが書かれている?
青木くんに感謝。 記:国崎清秀 (2/8/2004)