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結城城主水野氏の寄進による再建とされ、宝暦4年(1754)起工、明和7年(1770)竣工、工事に際しては領内の人夫三千九百余人が動員されたと伝えられる。 三間一戸の楼門であるが、一階は扉を設けず、正面両脇間には随身をまつる。前後を唐破風とした入母屋造りで、屋根はかつて茅葺きであったものを現在は三手先、二階には切目縁を張り出して高欄をまわす。すべて円柱で、中央の二本のみを通し柱とする。装飾彫刻も随所に見られ、木鼻を唐獅子の丸彫とするほか、欄間部分や妻飾りに透かし彫が施されている。全体的に力強く、安定感もあり、典型的な江戸中期の楼門である。 |