戦艦三笠は明治33年(1900)、英国のビッカース造船所で進水した。明治37年2月に始まった日露戦争において東郷大将が率いる連合艦隊旗艦として始終敵の集中砲火の中で奮戦した。同年8月10日の黄海海戦ではロシア東洋艦隊に大打撃を与えた。そして明治38年(1905)5月27日の日本海海戦ではバルチック艦隊をほぼ全滅させる偉功を立てた。その後爆沈着底したり不運に会ったが、新型艦が就役するに従って老朽化し、大正15年(1926)に横須賀市の現在と同じ場所に記念艦として多くの収蔵品と共に保管された。第2次大戦終結後、日本海海戦で屈辱を味わったソ連が廃棄処分を主張したが、米国の方針で残された。しかし戦後の混乱下、鉄材として甲板上の殆どの構造物は撤去され、惨めな姿となったが、昭和36年(1961)に大規模に復元され今に至る。
三笠公園の記念艦三笠と左端の東郷連合艦隊司令長官の像。三笠はコンクリートで陸上に埋め込み固定されている。
日本海海戦前の戦艦三笠。当時、世界でもっとも高性能な新型戦艦であった。東郷平八郎司令長官が座乗し、敷島、富士、朝日の30cm砲4門装備戦艦との4隻で主力を成した。
第2次大戦直後の戦艦三笠。甲板上の主砲、艦橋構造物、煙突など持ち去られ、米軍によりダンスホールと水族館が設置されていた。従って、これから紹介する現在の三笠の甲板上構造物は殆ど良くできた復元レプリカである。
地面固定された戦艦三笠の全景。明治36年(1903)に連合艦隊旗艦となった。排水量15140t、全長132m、全幅23m、機関出力15000HPで最大速度18ノット。主砲40口径30cm連装砲塔×2、15cm砲×14、8cm速射砲×20、そして45cm魚雷発射管×4。
後部主砲塔。写真中央付近の砲身支えは実際にはない。砲塔上面に潜望鏡が見える。測距は艦橋上の測距儀で行っていたようだ。
30cm主砲弾。徹甲弾と炸薬弾。
砲弾の大きさ比較。一番左は戦艦大和クラス。三笠のものは左から4つ目、その右は三笠クラス15cm副砲弾、最右は8cm速射砲弾。
三笠の主砲弾は約400kg、最大射程は仰角が大きく取れないので約10km。当時はそれ以上は必要なかった。新たに開発された信頼性の高い「伊集院信管」が装着されていて効果を上げた。
15cm副砲。砲身長40口径。ケースメイト(砲郭)旋回のための切欠はふさがれている。
副砲尾部。左右旋回、俯仰設定は人力手動である。砲室は広いが平時は兵士はこの部屋内にハンモックを張って眠る。
後部艦橋、マスト。左下に主砲塔の潜望鏡がある。
2本の煙突。日露戦争当時の僚艦の敷島、初瀬は他は3本煙突であり、燃焼缶の大きさ配置などが改善されたと考えられる。
中央やや右の円筒形のものは司令塔。強固な厚い装甲により、敵弾が飛び交う中でも安全な戦闘時司令・操舵室である。最後の戦艦大和などにも備えられている。
左写真の司令塔内部。操舵輪、計器や伝声管が備えられている。これも復元レプリカで厚い壁は張りぼてである。
当時最新の36式無線装置(上)。モータで多極発電機を回して高周波を作っていたようである。無線の有効性に着目した海軍が艦隊各艦に早期に装備させた。信濃丸からの「敵艦見ゆ」などを受信した。
前部主砲塔と艦橋。これもよくできたレプリカであり、砲塔室には入れない。
前部主砲塔を艦橋から見下ろしたところ。前方に3つの潜望鏡が見える。
艦前部。戦艦自体が発展途上であったのと、後のような遠距離の視察・射撃の必要性がなかったので艦橋も低い。
艦橋室内の司令室。操舵輪、羅針盤、操取指示機などが並んでいる。平時用で先の司令塔とは異なり、目だった防護はされていない。
上甲板部。左端と右は8cm速射砲の尾部。
8cm速射砲。全部で20門が備えられていて、近距離砲戦や、
近づいてくる水雷艇撃破などに用いられた。
巡洋艦以上の船首に取り付けられる菊の護紋章。金箔貼りの木製。戦艦には1m以上の大きいものが付けられた。
日本海海戦時の三笠艦橋上に集まった高官たちの絵。中央やや右の杖を持った人が東郷司令長官。周りには参謀らが集まる。左上が国際規定で「Z」を示す「Z旗」。
三笠館内の模型展示コーナー。連合艦隊で僚艦の戦艦「朝日」。要目は主砲30cm4門ほか戦艦三笠と殆ど同じである。
連合艦隊で僚艦の戦艦「富士」。これも要目は主砲30cm4門ほか戦艦三笠と殆ど同じである。左の朝日とも、イギリスからの購入品である。
第2次大戦で活躍した最上型重巡洋艦「鈴谷」の
模型。20cm連装主砲塔×5機の攻撃型巡洋艦。
幻の未成艦「超甲巡」B64。「甲巡」とは重巡洋艦のことで、その種別の中での大きな艦である。第2次大戦中に設計されたもので、30cm50口径3連装砲塔を3基、10cm65口径連装砲8基を備える予定であった。排水量32000t、全長244m、最高速度33ノット。
艦長私室
艦長公室
士官公室。調度品はオリジナルかは不明だが豪華である。
甲板下では艦船模型や各種資料が展示されている。機関室等は復元されておらず見られない。
左写真は司令公室。写真の中央と右端の扉は、右写真の艦尾スターンウォーク(柵に「みかさ」とある遊歩道)の左右2つの扉である。明治、大正以前に建造された大型艦にはこのスターンウォークがついているものが多い。
乗艦時にもらえるパンフレット
戦艦三笠をバックに立つ東郷連合艦隊司令長官の銅像。当時の強国ロシアの精鋭バルチック艦隊を圧倒的に撃破できたことは、この長官、参謀らの功績として称えられる。
羅針盤。上の楕円形の窓の中に方角が表示されている。
記念艦 戦艦 三笠
後の「大和」などとは比べるべくもないし、後部が写っていないが、手前の人に比べてみると建造当時(明治35年就役)としては期待絶大な大きな艦であったと思われる。