メカセレクション−航空・宇宙
重厚なメカが好きです。特にA−10攻撃機は好きで、その30mmガトリング砲で何かを破壊しまくりたいです(欲求不満?)。
アポロ計画とサターンロケットについては、コンピュータも今のように普及していない頃にあれだけの巨大で緻密なシステムを作り、
成功させたことには驚かされます。アメリカや2次戦中のドイツのものばかりでしゃくですが、まあ、そんなものでしょう。
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A−10 Thunderbolt II
専ら戦車等の地上ターゲットを攻撃するために、強力な火器の搭載、16000lb(約7.2t)以上の兵器搭載量、長い滞空時間、低空における良好な運動性、耐弾性等が要求され、航空機搭載用としてはけた外れな30mmガトリング砲を搭載した。生存性向上のためコックピットは前後、側面、底面が最大厚さ1.5インチのチタニウム装甲に囲われており、操縦系統は被弾破損時を考慮し、油圧システムのバックアップのためジェット機としては珍しい人力ワイヤ式も併せて備えられている。
ベトナム戦争の教訓を取り入れて設計された機であるが、旧ドイツの「戦車撃破王」ハンス・ウルリッヒ・ルーデルを顧問に迎えてその意見を多く取り入れたという辺りが面白い。ターボファンエンジンが機体後部上方左右に2基配置され、地対空ミサイルに熱探知されにくく、かつ被弾率を下げている。巡航速度は560km/h、最高速度は約700km/h。1972年に初飛行し、1983年迄に719機が生産された。当初予定では既に退役が始まっている頃であるが、1991年の湾岸戦争等での有効性が評価され、2020年以降も運用が続くとされている。尚、あくまで対地戦専用で、電子戦等の器材を備えないため、友軍の制空権下での運用が前提である。本機を特徴付ける30mmガトリング砲は7砲身で3,900発/分を発射できる。弾倉等含めた装置一式でA-10全体の空虚重量の約1/4にもなり、スペース的にも多くを占める。射撃中はその反動で飛行速度の低下があると言われるが、実際、2基のエンジンの最大推力の数分の一程度の反動が瞬間断続的に起こるので、ごく僅かな速度低下はあるとされる。




AH−64 Apache
AH-1の後継として開発され、1985年から配備されている。強力な30mmチェーンガンを機首下に備える。照準は射手のヘルメットに組み込まれた表示装置に追随して首振り運動に追従できる。高度な視察・照準を全天候で可能とする装置を備える。生存性を追求し、最も重要なコクピットの周囲をボロン複合材製軽量装甲板で被い、ドライブシャフト等は弾が命中しても壊れないよう必要強度以上に作られ、12.7mm弾、23mm弾への耐弾を考慮している。こうした耐弾性強化のため、全備重量約9.5t のうち約1.4t もが当てられている。左と下右の機ではメインロータ軸頂部に「ロングボウ」ミリ波レーダを備えており、地上の多数の対象物を高い感度で探し出し、射撃を強力にアシストする(AH-64D〜)。陸上自衛隊には2005年末に待望の初号機が納入されたが、その後、米ボーイングが生産を打ち切り、ライセンス生産も軌道に乗っていなかったため、今後の配備計画が頓挫して問題化した。




AH−1 Cobra
米陸軍初の攻撃ヘリコプターである。ベトナムの戦訓からヘリボーン時の着地地点周辺の対地制圧や対戦車攻撃に使われる。地上攻撃からの被弾率を下げるため、コンパクトに設計され、胴体操縦室部幅はわずか約95cmに抑えられている。機首下には3銃身20mmガトリング砲が備えられている。
左は陸上自衛隊のAH-1S。1979年に初めて陸上自衛隊へ納入され、1982年から国内ライセンス生産で本格装備となった。
下は後期型である米海兵隊のエンジン双発のAH-1W(Super Cobra)。米海兵隊は、海上等での高い信頼性を求め、双発にこだわった。そして、双発化とともに、その機関出力は3,450馬力ともなり、AH-1Sの約1,800馬力に比べ大きく、搭載重量も増大し、全備重量は約7t に達する。
最初の形式は1966年に米陸軍に採用された古いものであるが、未だ日本を含む各国で第一線にある。




F−35 Lightning II
通常の離着陸(CTOL)用以外に、艦載用(CV)、短距離離陸・垂直着陸(STOVL)が行える派生機に展開できるマルチロール機である。ステルス性を備えた機体で、単座、単発である。STOVL型では、3段目右写真のように排気ダクト尾部が同写真左のように、下方に偏向でき、他方、エンジンシャフトがクラッチを介して機内前方のリフトファン(同写真右)を駆動して、両者の風力で短距離離陸(搭載物満載の場合は完全に垂直離陸はできない)、垂直着陸(帰着陸時等で燃料、搭載物が少ないことが前提)が可能となる。3段目左写真ではコクピット後ろのリフトファンの様子が見える。米国では開発などのコスト高騰を抑えるため、上記のような多用途展開できるものとされた。イギリス、オランダ、イタリアを始め、多数国(2段目右の機体の左側面に参加国国旗が描かれている)が出資協力し、米国海・空軍、海兵隊、イギリス海・空軍などが既に採用を決定しており、その他国も含め、合わせて数千機が製造される予定である。固定装備の機関砲は無く、ステルス外形デザインの25mm機関砲ポッドを機外搭載するなどできる。最高速度マッハ1.6〜1.7、最大離陸重量約23〜27t、エンジン推力約18.1t。尚、外部吊り下げの搭載ミサイル、爆弾等は、ステルス性を悪化させるので、F-22と同様、機体下のハッチの中に収めて、使用時に出して発射、投下する。




F−22 Raptor
高度なステルス性を備えた強力な戦闘機。F-22が敵のレーダーに捉えられる距離はF-15の1/10と言われている。また、米軍の開発要求でもあるが、アフターバーナーを使わなくてもマッハ1.5で超音速巡航(スーパークルーズ)ができる(一般的に超音速飛行時には燃料を大量消費するアフターバーナーを使う)。アフターバーナーを使っての最高速度マッハ2.3弱(高々度にて)はスペックとしてはF-15(マッハ2.5)よりやや低いが、ステルス性や運動性等の総合性能ではF-15等より優れる。また、STOL性(短距離離着陸性)も高いことも特徴である。初飛行は1997年9月で2002年より配備が始まった。日本でもF-15の後継として配備が検討されているが、米国内では機密技術の拡散・漏洩が懸念され、自衛隊としても1機あたりの200億円以上とも言われる破格の調達価格が障害となって進展はない。さらに米国内でも1機1億ドルをゆうに超える価格もあって、2009年4月、187機を以って、生産停止となった。





最高速度は870km/h(高度6,000m)と高速で、機首には30mm機関砲4門を備えた高性能機であった。エンジンの寿命は平均25時間程度と短く、整備、修理に手間がかかったが、同時期の他国、国内他社のジェット機(多くは試作レベル)より優れており(外観を見ただけでも洗練されている)、初めてのジェットエンジン実用機としては上々であったようである。エンジン推力は約910kg(海面高度)、上昇限度は約11,400mであった。
メッサーシュミット Me262
実戦に投入された世界初のジェット戦闘機。その飛行性能と武装はレシプロエンジン戦闘機を凌ぎ、遅れて開発された米英のジェット戦闘機と比べても優れていた。最初はヒトラーにより爆撃機として生産されたが、1944年8月から戦闘機型が生産された。しかし戦争末期では十分な機数が揃わず大勢を覆すことはできなかった。終戦迄に約1,400機が生産されたとされるが、生産のペースは遅く、前線の機数が200機を越えることはなかったと言われる。





無尾翼機ホルテンHoV
ドイツのホルテン兄弟によって開発された試作無尾翼機ホルテンHoV。80馬力のエンジン2基を搭載し、全幅16m、全備重量1.1tで215km/hを出した。


無尾翼機Ho9V1(HoIX)
ターボジェットエンジン2基を装備した機体を設計するためのプロトタイプHo9V1が、1944年春にテスト飛行した。その後、1945年1月に完成したV2にはMe262と同じユンカース・ユモ004B軸流ターボジェットエンジンを搭載し、3月には水平速度795.2km/hを出した。開発が進み、期待通りの設計が進んだなら、最終的には12,000mの高空を970km/hで飛びまわり連合軍機を30mm機関砲4門で撃墜していたというが、かなり難易度は高そうであり、実現はしていない。「えい」のような美しい後姿である。
無尾翼機 ノースロップ YB−49
ジェットエンジン8基を備え、小さな4枚の垂直安定板とキャノピーを除いて突出物を持たない全翼形状はステルス性にも優れていた。全幅52.4m、全備重量88t、最大速度793km/h、乗員5名。試作だけに終ったが、ステルス性を買われてか
、後にノースロップ社はステルス爆撃機B-2の開発と生産の契約を獲得した。



V-2
A−4(V−2)ロケット爆弾
ドイツでは各種の防空用対空誘導ミサイルなどの開発が進んでいたが、V-1ジェット爆弾に続き実戦で大量に使われたのはA-4(V-2: 報復2号)だけである。速度マッハ4のロケットの迎撃は当時としては不可能であった。射程は250km以上で弾頭炸薬は1t と大きい。全高約14m、全備重量は約12.8t 。燃料はエタノールと水の混合物と、酸化剤としての液体酸素であった。1944年9月にロンドン郊外に最初のA-4が着弾した。以後、空襲が激しくなっても地下工場などで生産は続き、生産数は5,000機にも達した。右は発射後の遠景。橙色の炎を吹き、轟音とともに発射されるA-4(V-2)は不気味であったであろう。あの時代にこのようなロケット誘導爆弾を開発したのは画期的であり、その技術が以下のアメリカのアポロ計画や、ソ連の宇宙ロケットの開発推進に大きく貢献した。
A−9+A−10ロケット爆弾
A-4(V-2)以後A-8まではA-4の派生型にすぎないが、図左のロケットは1段目になる推力183t の大型のA-10に、A-4(V-2)の改良型A-9を載せた2段式で、アメリカ本土爆撃を狙ったものであった。結局A-4(V-2)の生産が優先され実現はしなかった。全高26mで図右のA-4(V-2)に比べ大きい。V-2等のロケット兵器の応用では、潜水艦で水中を曳航し、米国近くでロケットを収めた発射カプセルを立てて発射するものも考案されていた。




アポロ計画  Apollo15
左はアポロ計画の中心的巨大ロケット「サターン5」の発射。3段式で第1段は固体ブースター等無しに液体燃料だけで3,400t の推力を出し、2,900t のシステムを発射させる。地上高は宇宙船込みで110mに達する(H-2が約50m)。3段目が噴射を終え、切り離されるとアポロ宇宙船(下写真:先端の円錐コーン形の飛行士3人が乗る司令船と、円筒形の機械船)と月着陸船がドッキングして地球周回軌道を脱して月への軌道へ移る。下写真のアポロ宇宙船の司令船は左写真の頂点の三角形の部分、機械船はその下の平行円筒部分(ともに銀色)に過ぎず、その下のハの字状の部分に月着陸船が格納されている。これだけ巨大な、そして有人のシステムを1969年に月まで届けたことは驚異である。アメリカという国も色々良し悪し行っているが、このプロジェクトについては、その開発の内容、成果、そして夢の実現等の多くの点で、ただただ純粋に、敬意の念を抱かざるを得ない。


月面バギーと飛行士。左写真では右奥に月着陸船が見える。月面移動用にバギーを備え、車上より各種計測データを地球に送った。下写真右ではバギー上にそのためのパラソルアンテナが見える。
アポロ宇宙船から見た月面越しの地球。白黒の殺風景な月と対比して美しい。正に「宇宙のオアシス」である。

アポロ15号の月着陸船とバギー。左の飛行士は敬礼している。ミッション完了後2人の飛行士は上半分の離陸船に乗り込み、下半分を発射台として離陸し、月周回軌道上のアポロ宇宙船とドッキングする。それはとても難しいことであったが失敗は無かった。重力が地球の6分の1の月であることで着陸船は小型化することができた。
アポロ計画は17号まで行われ、1号(乗員3名殉職)と13号の事故(月着陸はできなかったが、乗員は無事に帰還できた)以外はトラブルなく6回の月着陸ミッションを終了した。1号の事故が非常に残念である。
後に、火星探査ミッションで無人ローバー(探査車)が活躍するが、人は存在していない。しかし、このアポロ計画の場合、全てが貴重な人命に関わっていた点で、はるかに難しいミッションであった。

アポロ15号の月面船外活動:EVA(ExtraVehicular Activity)マップ。図下方に縮尺も示されているが、2人がローバーに乗って3回の活動で18時間35分をかけて27.9kmを移動し、76.8kgものサンプルを採取して持ち帰った。かなりの距離であり、バギーの故障は遠隔地では乗員の帰還不能、即ち「死」を招く(あの宇宙服で長距離歩行移動は無理ゆえ)ので、その信頼性は極めて高いものであったと考えられる。 任務を終えて、アポロ宇宙船から切り離された月着陸船の離陸部。悲しい別れのようでさえある。月着陸船内の飛行士を帰還させるため、この離陸部を月面から発射させ、十分な性能のコンピュータも無く、多くを有人操作に頼りながらとは言え、周回軌道上の宇宙船ドッキングさせることは当時としては神業のように思える。最初(アポロ11号)は1969年であったのだから。この写真でも奥に浮かぶ地球は月面と比べればオアシスのようで美しい。




H-IIロケット
宇宙航空研究開発機構(JAXA)(元 宇宙開発事業団:NASDA)が開発し、現在、民営化されて、三菱重工業がビジネス運営している。下左写真はH-IIAで、推力約112tの液体燃料LE-7Aエンジンを核に、推力200t以上の固体燃料ブースターの組合わせで打上げ能力が選べ、ブースターが2基か4基かで静止トランスファ軌道(静止軌道へ移行するためのテンポラリな楕円軌道)へ載せられるペイロードは4.1t〜6.0tと異なる。1段目燃焼終了後は、2段目のLE-5Bエンジンで推進する。標準高さは約53m、本体1段目直径約4.0m、ブースターの直径は約2.5m、打上げ時質量は、285t〜443t。下右写真は、開発が始まったH-IIBの打上げ想像図で、主エンジンLE-7Aを2基、ブースターを4基にしてトランスファ軌道へ約8tのペイロードを投入できる。本体1段目直径は約5.2mとなり、標準高さは約56mに達する。
SELENE(かぐや)
日本初の主衛星「かぐや」と2つの副衛星「おきな」と「おうな」による月周回探査ミッション。「SELENE」はギリシャ神話の月の女神で、「SELenological and ENgineering Explorer」の意味もある。「かぐや」にはハイビジョンカメラや、地形、月表面の元素組成、鉱物組成、地下構造、磁気、そして重力場等の計測のための計器を搭載し、打上げ時の一式の質量は約2.9tに達し(副衛星は各約50kg)、「かぐや」の本体大きさは、約2.1m×2.1m×4.8m。副衛星は予備的な探査や通信補助などを行った。予定ミッションは成功完了しており、下掲のような写真、動画、膨大な計測データを得た。
「かぐや」が、軌道高度約100kmの月周回軌道から撮影したハイビジョン画像。レーザ測遠器等も備え、月の表面の3次元データ等も得た。赤外線他のセンサでの組成、そして重力分布等の計測も行い、順調に進んだ。尚、2014年頃迄を目指して、月面上に小型無人ローバーを降ろして月面探査を行うSELENE-2が計画されている。 「かぐや」がハイビジョンカメラで送ってきた月地平線越しの地球。下のレゴリス(月の砂、石)で色が無い荒涼とした月面との対比がさらに地球を生き生きとした故郷のように見せ、美しすぎないか?と思わせるほどである。




フライングプラットホーム(左写真)
左の白黒写真は1955年初めて浮揚したヒラー「VZ-1」。任意の方向移動は乗員がその方向に体を傾けての重心移動で行う。極端な傾斜は危険なので速度は時速30km/h程度であった。1980年代初め、小型ジェットエンジンメーカーのウィリアムス社が左のカラー写真のプラットホーム「X−Jet」を軍に売りこんだ。詳細は不明であるが、巡航ミサイルで使われたような軽量ターボファンエンジンにより写真のように浮揚は成功した。しかし実用化には至っていない。


 劇画「アキラ」(大友克洋氏作)のフライングプラットホーム 


ロケットベルト
ベル社が1961年に完成させ正式採用を期待したもの。背中のタンクの過酸化水素を、触媒により水蒸気と酸素に変えて推力を得る。しかし燃料満載でも21秒しか使えず、イベント用でしか使えなかった。最右写真は有名なロサンゼルスオリンピックでの「ロケットベルト」のデモ。しかし過酸化水素燃料での飛行であるから、正にロケットであるが、大きな過酸化水素のタンクを背負っての飛行というのはいかにも怖い。



パーソナルジェットフライヤー
元スイスの空軍戦闘機パイロットのイブ・ロッシー氏が自ら開発、飛行するジェットフライヤー(仮称)。小型のジェットエンジン4基を取り付けた翼を背負い、発進は飛行中の飛行機から降下する形で行う。時速約200km/hで5分程度の飛行が可能で、帰還時にはパラシュートを使用する。原型完成および、初飛行は2004年であるが、多くの試験・デモに成功しており、2008年9月、遂に、約200km/hで10分間飛行することで、英仏海峡の横断という快挙を成し遂げた。上記の「ロケットベルト」に比べれば、はるかに安全で確実な方法であろう。映画「ロケッティア」の世界も近いようである。
Flying Saucer アブロVZ−9V
1950年代後半、米空軍、陸軍は垂直離着陸機に強く興味を持ち、多くの機械が「空中ジープ」として試された。その中で注目された機体。しかし軍要求の100m程度の高度と対戦車砲を積む事はできずに失敗した。しかし、これには発展できる素地はあるはずで、ブレークスルーを期待したい。
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