気づきの窓

97' 

涙の壷

泣く事

無意識が引き起こす連鎖

「泣く事=罪悪」を壊して本当の涙

本当の涙

私の名前

母を殺した

癒しうた

98'  怒り


いい子

怖いもの

思ったことを言ってはいけない

膝が胃に化けた

はじめての怒り

「わかってほしい」はクセモノ

口がなくなっちゃう

見せかけの大人



99'  自覚


ケンカが怖い

魂の叫び

拒否

現存するへその緒

連鎖してきたシステムを解除



戻る





涙の壷

私の中に悲しみの壷があった。それにはロックされない蓋がついていた。

その壷はすでに飽和状態で、蓋はいつも押し上げられ、

その隙間から『悲しみ』『おびえ』『怒り』『絶望』の涙が、今にも溢れそうだった。

94’の終わり頃、初めて鳥山敏子という人に出会い、ワークショップに参加するようになった。

ワークショップに出るたびにハンカチ、ティシュがどれほど要った事だろう。

今思うと、涙を出すという、その本当の意味も解らぬままにチョットした刺激であふれ出てくる

涙は、ただキッカケが欲しかっただけで、その頃の私はその涙の意味など知るよしも無かった。

苦しみを抱えきれないほど抱え込んで、ため込んで、又それを感じないようにするために

ただただ、どんどん鈍らせていっていた。そんなからだだった。






泣く事

一般的に「泣いてスッキリする」っていうが私にとって「泣く事」は、

ほんとうに辛く、苦しい事だった。

泣くと、胸が痛くなり、頭も痛くなり、もっとひどいと、吐き気がして・・・・

それでも私の中には「私にとって泣く事は辛い事」ということを意識化してはいなかった。

この事実を認識した時、すべてのカラクリが解ってきた。

幼い頃から、優しくささやかれていた母の言葉がよみがえってきた。

「泣かずにがんばっておりこうだったね」

「注射しても泣いた事なかったわよ。えらいねぇ。」「うちの子は泣いてダダをこねないのよね〜」

こうやって、私の中に「泣く事」=「いけない事」この方程式が埋め込まれていったのだ。





無意識が引き起こす連鎖

私が私の中の方程式、「泣く事」=「いけない事」をまだ認識していない頃、

恐ろしいくらい、まったく同じ埋め込み作業を子ども達にしていた。

二人ともめったに涙を見せない子になっている。

娘が1年生の時、病院で点滴注射を受ける事があった。

何人も泣いてる子がいる中、 太い点滴の針が入っていく瞬間、

泣かずに我慢している娘をチョッピリ誇らしげに感じた瞬間を憶えている。

次の瞬間、看護婦さんが「がまんしなくて、いいんだよ〜」「痛いよねぇ。泣いていいんだよ〜」

と声をかけたとたん、娘は「ワァーワァー」声を上げて泣き出したのである。

その時、私はちょっとショックだった。こともあろうに、泣いている娘がショックだった。

そしてこんな恐ろしい事を思った事を鮮明に憶えている。

「せっかく頑張ってたのに看護婦さんが余計な事言うからっ!!」・・・・あ〜恐ろしや、情けなや・・・

今はほんとに心からお礼が言いたい!「看護婦さん、ありがとう」


戻る




「泣く事=罪悪」を壊して本当の涙

泣く事だけというより、むしろ感情を無意識に封じ込めるように

してきた私は、体をねじり、固めて、自分の体の感覚を鈍感にしていった。

それがワークショップやオイリュトミーを通して、

【自分自身を緩め、開き、無意識の自分の行動を意識化する】

という作業をしていくうちに、気がついたらビックリするほど泣かなくなっていった。

不思議に涙が出なくなったのだ。

蓄積していた涙を出しきった後から出てきた涙は、以前の物とは明らかに違っていた。

やっと、本当の涙の意味がみえてきた。





本当の涙

鳥山敏子さんの講演会で、“3人兄弟で誰か一人を養子にやる相談をする”

という設定で近くの人と3人組みになった。

ほんとに上手く長女役、真ん中、末っ子と年齢も雰囲気もピッタリの3人であった。

私は現実同様、末っ子である。

私は始めのうちは「お得意分野」という感じで、だだっこ風に

“私はイヤだよぉ〜お姉ちゃん行ってよぉ〜”と私は行かないぞ!と主張していた。

ワイワイとした押し付け合いがおさまり、

いよいよ長女役の人が養子に行かなきゃという雰囲気になって、

彼女の悲し気なあきらめの表情を見た瞬間、

思わず、明るく“ハイ!ハ〜イ!!やっぱり、私が行くわぁ〜。

きっと、楽しいことありそうだし、私が行く行く〜”と飛び出した自分がいた。

そして、その次の瞬間、“プワッ”と涙がでた。

これは一体なんだったんだろう。自分でも驚いている一瞬の出来事だった。

自ら嬉しそうに養子を願い出たことも涙も予想もしていなかった。

明らかに私のからだが頭で考えるより先に反応したんだということ。

回りの雰囲気を緩和させようとついつい動いてしまう行動パターン

良くも悪くもこうやって子どものころから生き延びてきた体癖のようなものが

思わず、明るく私を飛び出させた。そして、少しずつ本当の自分、本当の涙が

わかりかけてきた私のからだが、私におしえてくれた涙だったのだ。



私の名前

   私はいつの頃からか、自分の名前が大嫌いだった。そして、4年生の頃から私は「とんぼ」

と呼ばれるようになり、それ以来、私の名前を呼ぶ人は父親だけになった。

ある日、中学の同窓会のことで、幹事サンから電話がかかってきた。彼女とは小学校1〜2年の頃、

よく遊んだのだ。彼女はとても懐かしそうに優しげに「Tちゃ〜ん」「Tちゃ〜ん」

「Tちゃ〜ん」って何度も連呼するのです。記憶のある限り、そんな呼ばれ方をされた事が

ないので、私は非常に居心地が悪かった。そんな事はお構いなしに彼女は続ける。

“「Tちゃん」って、かわいくて「いい名前」よね〜。私、一人娘の名前「T」ってつけたのよ〜。

”ガ〜ン、ショックだった。嘘でしょう。なんて可哀相な・・・・(Tなんて)

電話を切った瞬間、ボロボロボロボロ涙が流れた。自分でもなんで泣いているのか解らないまま、

ただ泣き続けた。フッと鏡を見た時、“私、嬉しいんだ!”初めて自分の気持ちに気がついた。

また私は泣き始めた。そして、自分で自分を抱きしめるようにして、鏡の中の小さな私に

(まさにチャイルド)“ごめんね〜Tちゃんごめんね〜”“Tちゃ〜ん”と呼び続けた。

初めてこんな風に自分の名前を呼んだ。こんなに愛しく感じたことにビックリしながら・・・。

そして、「なぜ、こんなにも自分の名前を受け入れてこなかったんだろう・・・?」

依然は、昔の芸能人で同じ名前の人が嫌いだったから、イヤなんだと自分では思っていた。

“違う!!”“そんなんじゃない!!”自分の中を探るように“なぜ?”“なぜ?”“なぜ?”

“あ!!お母さんだ”母は私の事を「Tちゃん」と呼んだ事がない。いつも、「トコチャン」だ。

叱るときだけ、「T!!」と呼んでいた。私はとっさに受話器を持っていた。意識的に穏やかに

母に名前の事を振ってみた。父が決めた名前で初めから母は気に入らなかったらしい。

私は優しく“ほんとはどんな名前がよかったの?”と聞いたら、母は口を滑らした。

“もっとおしゃれな、品がある名前がよかったのよ」こういった瞬間、彼女も多少はシマッタ!

と思ったようだが、私はショックだったというより、やっぱり、そうかぁ〜。って感じだった。

私は、母が認めてくれないこの名前を嫌悪し、恨んできたんだと。電話を切ってから、また泣いた。

哀れだった私の名前に涙した。そして、少しずつ私Tが「T」を好きになってきた。




戻る





母を殺した

   母から頻繁に電話がある。家の中の愚痴である。“私しか聞いてあげられないから・・・・”

と自分を納得させて、“うん、うん、そうなの、大変ね、ふ〜ん”って具合にさんざん話を聞く。

そして、私が“でもね〜とかそれは違うよ”とかいい始めると慌てて、“長く喋り過ぎちゃったわ”

と直ぐに電話を切る。このパターンを繰り返していた。私はいつも電話を切った後、どうしようも

ない虚無感に襲われ、つぶれていた。私は、母の望まない答えを言えば、彼女から拒絶される事を

知っていた。それが怖くて強く言えないでいる自分の事も解っていた。“何やってんだよ〜私はぁ”

苦しくて苦しくて“どうすりゃいいのよ〜”自分の奥底を深く感じていると“殺すしかない”

“あの人が死ぬしかない”突然、私の中に飛び込んできた恐ろしい叫びだった。私は自分でも驚き、

恐ろしくって、とても自分だけでは保てなかった。すぐ連れ合いに“私、お母さんを殺すしかない!

って思っちゃたの”と言ったら、ドーッと涙が流れ出した。私はこの時、私の中の母を

本当に殺したのだ。私を締めつけていた真綿の鎖がちぎれた瞬間だった。






癒しうた

   鈴木京子さんの歌「鬼の子守り歌」を初めて聞いたとき、泣いた、泣いた、泣いた。

この歌を幾度歌った事だろう・・・。ギターで前奏も作って何度も何度も歌った。

歌うたびに何かが流れていくように癒されていった。歌って歌って歌い尽くした頃、

何かが消化され、私にも歌ができた。

「穴だらけの心」である。この歌も暫く歌い続けていた。歌って歌って歌い尽くすと、

自分の中で歌う必要がなくなるから不思議である。

知り合いの青年が自殺未遂をした時、彼の傷つき、おびえきってる魂に触れ、

独りではなく、共につながりあっている命であることを伝えたくて、「共に生きる」を作った。


☆☆☆

鬼の子守り歌―

すやすや寝る子はよい子だ  あまい夢見て眠れ ぐずってなく子は憎くなる
つらい夢を思い出す 鬼の歌う子守り歌 聞いて育ったおさなごは
人の心がわからない 悲しくつらい鬼になる

こんなに優しい母さんと こんなに優しい父さんに 育てられたはずなのに
私の心に鬼が住む どうしてこんなに苦しいの どうしてこんなに悲しいの
自分の心が解らない 教えて欲しいその訳を

鬼が歌う子守り歌 決して私は歌わない 明日を夢見るおさなごに
ほんとの歌を伝えたい 誰でも心の奥底に 大事な夢を持っている
思い出してその歌を 生まれてきたのはその為さ


☆☆☆

―穴だらけの心―

母はボロぞうきん 穴だらけ 親のため、夫のため、子どもたちのため
自分の痛みがわからない 自分の傷が見えない母

そんな母のもと 育った私も 無自覚に自分を痛めつける
穴だらけでは愛せない 人の痛みもわからない私

自分に手を合わせ 宇宙に手を合わせ いたわり、癒し、穴を繕う
ほんとの自分を知るために 誠の愛を語るため生きる


☆☆☆

―共に生きる―

君はもう傷つき過ぎた これ以上傷つけないで
君の悲しい瞳の奥に  輝くはずの君がいる
生きよう 共に生きよう 君の人生を

閉ざさないで信じてみよう 君は独りじゃないってことを
銀河の果ての小さな星にも 必ずつながっている
君の心の扉の鍵をあけて 共に生きよう







戻る




涙メニュー

ひとりごとへ

TOPページへ





いい子

私はいつも「いい子」をめざしてきた。

だから、「泣くこと」と同様、「怒ること」もしてはいけないと思い込んでいた。

「人のいうことはまず、受け入れなくっちゃ」そう思ってきたから、

拒絶するということも「罪悪」だと感じていた。

だから、外部からの執拗な侵入に対して、それを受け入れられない自分を責めたり、

いじけたり、かたくなに固まって、心を閉ざす事か、相手を加害者に仕立て上げ、

自らを可哀相な被害者にする事によって、自分を正当化して、

なんとか保つ事しかできなかった。





怖いもの

大きい人、大きな声、大きな音、断定的な言い方、

こういうものに遭遇した時、一種のパニック状態に陥り、

そのことを冷静に判断できなくなる。頭の中が真っ白になって

思考停止になる。こういう自分の状態を認識するようになってから

暫く、ほんとに苦しい葛藤の時間があった。

私のからだの方は相変わらず、パニック状態になっているのに、

頭の方では一生懸命、冷静に考えようとしている自分がいる。

いろいろ考えてそれを言葉にして表現しようと思うのだけれど、

それがどうにもつながっていかない。「思ったことを言ってはいけない」

私を縛っていたキーワードがまた一つみえてきた。





思ったことを言ってはいけない

なぜ私がこんな風に思うようになったんだろう?なぜだろう?

深く深く思いを巡らしていくと、悲しんでいる母の姿が現れてきた。そこに4年生の私がいた。

私が近所のオバサンに“うちのお母さん怒ると怖いよ〜”といったことを母が聞いて、

「お母さんは悲しいわ」と言って、被害者を装い打ちひしがれていた。

私は、母を悲しませてしまった加害者になり、思ったことを言って、母を傷付けてしまったんだ。

思ったことを言ってはいけないんだ。と深く心に刻んだ瞬間だった。


戻る




膝が胃に化けた

この気づきがあった頃、私のからだに変化が起きていた。

4年生の時ころんで、肉離れした膝の痛みが蘇ってきていた。

まるで、膝が胃になってしまったかのように精神的なものに作用して痛みだすのだ。

これこそ私の中のインナーチャイルドのなせる業なのだろうか・・・。

この事には、1年間続けてきた「オイリュトミー」

が深く関係していることを私のからだはわかっていた。





はじめての怒り

私はいつも必要以上に私の心に侵入してくる人と一緒にいる時、

心を閉ざして自分を守っていた。そして、いつもただ悲しい気持ちになっていた。

しかし、いろいろな気づきと癒しを経て、

少しずつ私の中に自分を信じられる核のようなものが育ってきた今、

侵入されることで頭の中が真っ白になってしまっていた以前の私とは明らかに違っていた。

侵入者Aサンが私の中に踏み込んできた時、自分の唇が20倍くらいに膨れ上がって、頭の上に大きな

ずっしりしたものがのしかかってくるようなイメージが襲ってきた。

私の頭の上にAサンに向かっていく、イメージや言葉がいっぱい浮かんできた。

自分でも驚くほどの怒りが湧いてきた。その怒りは、今まであまり感じないようにしてきた、

ドロドロとしたうねるような、私には新しい感覚のものだった。

しかし、「思ったことを言ってはいけない」

方程式の中にいる私はその感覚を押さえるのに必死だった。




戻る




「わかって欲しい」はクセモノ

怒りを感じた次の日、私は起き上がることができなかった。

3〜4日笑えない、力が出ない、全く元気が出ない、引きこもり状態の日々が続いた。

なぜ、こんなにペッチャンコになっちゃったんだろう?4日目くらいにやっと気がついた。

私はAサンに怒りを持った分だけ、Aサンのことが好きなんだと言うこと。そして、私の気持ちを

“わかって欲しい〜”と切に願っているという事を。しかし、この“わかって欲しい〜”がクセモノで

自分のいろんな感情を出せなくさせていた。自分の思いを伝えたい!

でも、私のあいまいな言葉は、相手に何も伝わらない。でも、拒絶や否定の言葉を投げるくらいなら、

いろいろ言われてもじっと我慢している方が、私は楽だった。





口がなくなっちゃう

そんな中、私のからだにまた変化が起こった。食器を洗っている時、掃除機をかけている時、

車に乗っている時、“ハッ”と気がつくと口の筋肉が異常に緊張し、グッとくいしばっている。

口の中がぴったりと密着されて、口の中が完全乾燥状態になり、

上顎、下顎、頬がぴたーっとくっついていまう。感覚的には、くっついて口がなくなってしまうと

いうイメージだった。言いたい事が、ぜんぜん表現できず苦しんでいる状態が、「口がなくなる」と

いうからだの状態を作り出していた。それが何度となくそういう状態になってしまい、

たまらず、東京のワークショップに走っていった。





見せかけの大人

私は今まで自覚のないまま 「見せかけの大人」 を演じてきた。

子どもが大人の振る舞いをするのだからどこか的外れで、

現実と自分の感覚とのギャップを自覚できないままに生きてきた。

「無自覚がもたらす苦しみ」に苦しみ、そして子育てが辛かった。

ワークショップに参加するようになって、内なる自分の声に耳を傾ける

ことが出来るようになり、私は自分に正直に優しくなれるように、

丁寧に自分に向かっていった。 するとそこには、自己決定できない、

自己責任が取れない、「見せかけの大人」の私がいた。




戻る




怒りメニュー ひとりごとへ

TOPページへ



ケンカが怖い

私は「ケンカ」ができない。怖いのだ。よく、「ケンカをするほど中がいい」

って言うけれど絶対信じられなかった。「ケンカはいけないわ。仲良くするのよ」

って育った私は、あまり兄弟喧嘩をした記憶もない。

姉とケンカをした時、母が「ケンカは団子の半分よ〜」って歌って、

怒りを散らし、仲直りさせられた記憶がある。

何かがあると、突然怒り出す父。大きい声と睨み付ける目。張り詰めた空気。

暴力こそ振るわなかったが、子どもにとって、

それがどのくらいの恐怖だったか…、はかりしれない。

だからつい、人が怒り出すことは、私にとって恐怖であり、

何とか回避しなくてはならないモノになっていった。

ケンカをしたらもう全てが終わってしまって、

その関係が再生不能になっちゃうんだ。って思い込んでいた。





魂の叫び

 侵入者、支配者、大きい人、男(?)必要以上に入り込む…。

お願いだからこれ以上来ないで、あなたのものを押し付けないで!

私がやっとの思いで守ってきた大切なものまで奪おうとしないで!

土足で踏み込んでこないで!これらの私の思いは、相手には届かない。

踏み荒され、つぶれてペシャンコになっていく私・・・。

 口がなくなる思いで苦しんだあと、私の中で何かが動いた。

侵入されやすかった私にまた侵入者がやってきた。

相変わらず表現できない私の思いが、からだ中を駆け巡り出した。

何かドロドロとしたものがグルグルまわり、私の頭が天井について

しまうほど大きくなって、唇がパンパンになるほど腫れ上がり、

両腕がもポンポンに大きく膨れ上がったような感覚があった。

その感覚が、最高点に達した時、目の前の侵入者(夫)の顔が

大きくなってまるでジーグソーパズルのようにパラパラ落ちたと

思ったら、私の中からまるで飛び出すように言葉が吐き出された。

「うるさい!だまってて!!」私は、押えようもないうねりの

ような怒りを感じていた。彼はチョットびっくりした顔で、

ホントに黙った。(ビックリ)でも、彼より、私の方が耳から

入ってきた自分の言葉に驚いていた。



戻る




拒否

魂の叫びが飛び出した後、私の中に「拒否」という言葉と体験が

インプットされた。まさにバージョンアップという感じだ。

ただ経験が少ないから表現は無骨で直接的なんともヒドイ…。

「うるさい!」「だまってて!」しかないのだ。あァ…なんとも…。

もう少しこなれていけば、もう少しソフトな表現が飛び出してくる

瞬間があるのだろうか…。しかし、これでなくす友達なら、サッサと

去ってくれ!っていうくらい楽になってた自分がいた。

ここで気づいたこと…。侵入者の行動の半分は私がそうさせていてんだ

と言うこと。そういうパターンを呼び込んでいたのだ。そして、拒否の姿勢を

言葉で表現できるようになって初めて気がついた。「うるさい」「だまれ」

「やめろ」「いやだ」等の言葉を使ったことがなかったことに。




現存するへその緒

今までも私にとって子どもたちは、ホントに導き手であり、鏡であり、

先生であった。そして、自分が一生懸命に伝えよう〜伝えよう〜とするものより、

自分でも気づいていない自分の中にあるものを、子どもたちは確実に

受け取って行く。このことは、ずいぶん前に気づいてはいたのだが…。

私が魂の叫びを夫に吐き出した次の日、私がチョットいつもより口うるさく

中学2年生だった娘に何かを言い出した瞬間、彼女の口から「おかーさん、うるさい!」

が飛び出てきた。私は一瞬ぽかんとした。彼女からこんな言葉を聞いたのは初めて

だったからだ。前日の夫とのやり取りを見ていた訳でも聞いていた訳でもないのに…。

こんなにも正確に写し取られると恐ろしくもなり、しかし、不思議な嬉しさが

こみ上げてきた。親子というものは、生まれてきた時にへその緒を切っている

のだけれど、目には見えないへその緒は、今でもつながっているのだろうか。




連鎖してきたシステムを解除

 私は自分の中の【怒り、憤り、憎しみ】等の感情をあまり自覚せずに大人になった。

というより、そういう感情は「悪」であり、持ってはいけないのだと深い所で封じ込め、

その感情を【悲しみ、諦め、放棄】という形にすり替えていくというシテムが私の中に

育っていったのであろう。 両親にとっての「いい子」になるために…。 

しかし、地の底には確実にマグマが存在していて悶々とうねっていた。

身も心も固めて鈍感になっていた私はその存在を感じることもなく、

長いこと休火山のように表面は静かに穏やかに過ごしてきた。

 94'年に鳥山ワークに関わるようになって、初めてマグマの存在を確認し、

母親から写し取った≪感情すり替えシステム≫が少しずつわかってきた。

自分の中で「悪」とされている感情【怒り】が起こるとシステムが作動し、

私がその感情を感知する時には自分の中で「善」とされていた感情【悲しみ】に替わっている。

そして、自分を被害者に置くことによって安定させる。まさに一時しのぎの自己防衛システムである。

≪一時しのぎ≫であるという事の証明は今の母親の状態を見れば納得できる。

表面に出ていなかった【怒り、憤り、憎しみ】の感情は消滅してしまったのではなく、

年を追う毎に吹き出してくる。それでも、まだシステムは健在で、

やはり自分は被害者であり、彼女の中では「善」なのである。

私は、この事に気がついてから何度かこのシステム破壊計画を

企てたのだが、・…失敗。63歳の彼女にとって、このシステムを壊すという事は

自分が選んできた全人生を否定するに等しいのである。

命(人)はその生命を生き長らえさせるためにその時の最善を尽くして、命を繋いでいる

のだと…。母親も被害者になったり、病気になったりしながらここまで生き延びてきた。

それをどうして私が否定できようか…と思うようになった。

ただ、もう私はそれを受け継いでは行かない!

ここでこの連鎖を打ち切るという生き方を選らでいくというだけなのだ。

このシステムに気づき始めてから「怒りをださなきゃ」「ケンカをしなきゃ」って頭が思う

だけで体がやはり拒絶していた。だから、子ども達がケンカをしていると、心の中では

「やめてぇ〜」と叫んでいた。我慢してそのケンカを受容している振りをしているのが精一杯。

絶えられなくなると自分がその場からいなくなることでごまかしていた。

一年半前、私の中に強力なエネルギーが流れ込み、地底のマグマがうねりはじめ、私の中の

システムを破壊した。怒りのエネルギーがダイレクトに吹き出した瞬間だった。それから痛みも

伴いながら怒りを出すことが何度かあり、初めて「雨降って地固まる」という体験もし、怒りを

出すことで何かが終わり、安定するというシステムが少しずつ私の中に構築されてきた。

頭では なくやっと体が変わってきたという実感だ。

私の中に新たなシステムが静かにできつつはあってもまだ我慢していた私は、

子ども達がケンカしている時、隣りの部屋で平然と新聞を見ている連れ合いに

「あなた、よく平気でいられるわね」と言った。彼は笑いながら言った。

「ケンカできるのは元気な証拠じゃあないか」連れ合いの一言がスーッと私の中に染み込んできた。

「そうか!元気な証拠!元気な証拠!」なんだか嬉しくなってきた。

ほんとうに不思議なくらい体に入っていった。

きっと、1年前にこの言葉を聞いてもこんなに私には染み入らなかっただろう。

気づきや体が変わっていくのに時期、タイミングが深く関係しているということを改めて感じた。

自分自身を信じて、からだを敏感にしていると

必要な時期に必要なことが起こってくることもあるのかな…。

 最近、つくづく思う…「善」「悪」なんてものは存在しないのではないかと。

それぞれの命がその状況下で命を全うするために何を選んでいくか…。

敢えて言うならば「善・悪」というより「好・嫌」

の感覚なのではないか…。そんな風に思う今の自分がいる。(99'10月)




                                    
自覚メニュー ひとりごとへ

TOPページへ