13−5. 竜馬がゆく(その5の5) 上野彦馬と近藤長次郎編  



 引き続き、長崎の竜馬関連史跡をご紹介したい。



 長崎の新大工町の裏通りに中島川が流れている。その一角に、
 「舎密局」
 という看板の出ている屋敷があった。写真術の開祖上野彦馬の営業所である。舎密とは化学のことだ。
 饅頭屋は出かけた。
 やがて上野家の撮影室に彼は通された。
 「どうぞそれなるイスへ」
 と、上野彦馬はいった。彦馬は儒者風のまげを結い、脇差を一本差し、伊賀袴をはき、するどい眼をもっている。すでに九州きっての化学者として、上野彦馬の名は江戸までひびいていた。

 有名な眼鏡橋のすぐそばに、上野彦馬生誕地がある。写真左が上野彦馬、右が坂本竜馬だ。

上野彦馬生誕地 眼鏡橋

 上野彦馬生誕地から上流の方に向かうと、上野彦馬宅跡がある。
 「ブーツを履いた坂本竜馬」が撮影されたのは、ここだそうだ。WIKIPEDIAによると、撮影したのは弟子の井上俊三とのこと。
 

上野彦馬宅跡





 (が、おれがもし留守でなかったなら饅頭屋は死なずにすんだろう)
 竜馬は、にがい顔でいる。
 切腹の翌日、社中の手で葬儀を出し、寺町皓台寺の裏山に遺骸を葬った。
 その墓碑がまだ建っていないというので、竜馬はすぐ筆紙をとりよせ、
 「梅花書屋居士之墓」
 と大書した。饅頭屋、姓は近藤、名乗りは昶(あきら)、通称長次郎、長崎での通称を上杉栄次郎といい、号は藤蔭または梅花道人といったから、竜馬はその号を碑銘にしてやったのである。
 明治三十一年、贈正五位。
 長州の伊藤俊輔、井上聞太のふたりは、維新後、しばしばこの「上杉栄次郎」のことを思いだしてその才を惜しんだというから、この贈位はかれらの献言によるものであろう。

 近藤長次郎の墓がある皓台寺は、寺町通りに有る。寺町通りは、皓台寺→一力龍馬通り入口と並んでいる。皓台寺の墓地は結構広く、近藤長次郎の墓を探し当てるのは無理である。図々しくも受付で問い合わせたところ、僧侶より墓地の地図をいただいた。
 上野彦馬と近藤長次郎は同じ年に生まれている。上野彦馬は1838年10月15日、近藤長次郎は1838年4月1日だ。

皓台寺 梅花書屋居士之墓