13−5. 竜馬がゆく(その5の6) 小曾根屋敷編
引き続き、長崎の竜馬関連史跡をご紹介したい。
長崎港に入り、大浦の岸壁に船をつけた竜馬は、すぐその足で元博多町小曾根英四郎の屋敷をたずねた。
この町でも最も家系の古い商家の一つで、当主の英四郎は、長崎に蔵屋敷をもたぬ越前福井藩および長州藩のためにその蔵屋敷の機能を代行している。
いわゆる勤皇志士に同情的な侠商で、竜馬の亀山社中もずいぶん小曾根英四郎の厄介になっていた。ちなみに小曾根英四郎は、町人ながらも名字帯刀をゆるされている。
(海援隊の)約規会議は、竜馬が下宿している長崎の豪商小曾根英四郎方の書院座敷でひらかれた。
席次はむろん、藩公のお側役である福岡藤次が最上席である。
その横に上司連中がずらりと居ならび、岩崎弥太郎でさえ、上座にいた。弥太郎はこの直前、地下浪人あがりの身ながら、後藤象二郎の引き立てをうけて上士格になり、長崎留守居役に抜擢されている。
竜馬らは、下座であった。
小曾根邸の跡は、長崎地方法務合同庁舎の前にある。亀山社中がここを事務所にしており、そのまま海援隊の本部にもなった。
こちらのページによると、小曾根英四郎(1840〜1890)は、1864年2月に、長崎に来た勝海舟から竜馬を紹介されている。亀山社中設立は1865年、海援隊設立は1867年なので、小曾根英四郎は当時20代後半ということになる。
前ページの近藤長次郎が切腹したのも、ここ小曾根邸だ。
小曾根邸の跡
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