31. 世に棲む日日(その9) 伝馬町編  




 高杉晋作の江戸留学の時期は、かれの華やかすぎる生涯のなかでは、もっとも地味である。かれは日本最大の学府である昌平黌の学生としている。
 ところがこまったことに、師匠の松陰が萩から江戸へ送られてきて未決囚として伝馬町の獄にいるため、その差し入れやらなにやらで高杉はめっぽういそがしかった。
 
 
 この松陰に対し、幕府の評定所は二十七日の朝、死罪を宣告した。そのあと獄舎の廊下で裃紋付のまま縄をかけられ、獄内の刑場にひきだされた。
 死。
 それは、定例によって首斬り浅右衛門が三尺の野太刀によって執行した。
 浅右衛門家は、代々のその役である。その家につたわっている一つ話として、江戸中期のころの思想家山形大弐の死を執行したとき、その最期はもっともみごとであったという話が伝わっているが、この浅右衛門は、
「しかし、十月二十七日に斬った武士の最後が、それ以上に堂々としてみごとだった。」
 と、あとでひとに語った。浅右衛門にとっては執行の日付だけを知っていて、その武士の名は知らない。
 この日、江戸はみごとな晴天で、富士がよく見えた。
 
 
 
 

< 十思公園 >
 日比谷線小伝馬町駅から歩いて3分ほどのところに、伝馬町の牢屋敷跡がある。現在は十思公園という名の公園である。公園の中には、吉田松陰終焉の地の石碑(右下の写真の右側)や、辞世の句の石碑(右下の写真の中央)が建っている。
 司馬遼太郎は、なぜか松陰の辞世の句を記していない。代わりに、ここで紹介する次第である。

 身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちぬとも とどめおかまし 大和魂


十思公園
東京都中央区
日比谷線 小伝馬町駅 徒歩3分