33. 世に棲む日日(その11) 上海渡航編  




 意外なはなしだった。日本は鎖国国家で海外渡航はできないが、来春早々、幕府から派遣使節として勘定方根立助七郎と塩沢彦次郎が上海へゆく。ついては長州藩としてたれか藩内で英才をえらび、これに随行というかたちで同行させ、上海に上陸させて世界情勢を見聞させたい。ついてはその人選である、日本人がはじめて海外を見るにあたりよほど眼力のたしかな者を選びたいが、その人選でこまりぬいている、といった。
「しかしながら周布先生にも意中の人がおありでしょう」
 と、高杉は躍る胸をおさえながらいった。
「左様、あった。 −お前よ」
「私?」
 晋作は身を乗り出した。
 
 千歳丸は川蒸気に曳かれて江をさかのぼってゆく。晋作は甲板上で杖にもたれ、ときにあごをなでながら両岸の風景をさも見馴れたもののようにながめていたが、内心はきもをつぶす思いであった。
 港には、ペリーが数隻ひきいてきただけで日本中を震撼させたあの黒船が、ここでは無数に停泊し、そのマストは晋作の表現では森林のごとくで、ほとんど水面をおおうばかりである。
 陸上には銀行、商社、領事館などの洋館がびっしりならんでいる。
 「粉壁千尺、ほとんど城閣のごとし」
と晋作は驚嘆し、西洋の富力と文明の豪勢さが、かれの想像力をはるかに越えていたことを知った。
 晋作らは、二ヶ月上海にいた。
 
 西門のそばに陳汝欽という富人が住み、非常な読書人で、晋作はこの人物と路上で知り合った。ある日、訪ねた。西門はかれの旅館の宏記洋行から一里ほどもあった。

 

< 西門 >
 西門は、一大会址から豫園まで歩いていく途中にある。以前は城壁があり、西門は城門だったのだが、残念ながら城壁も門も残っていない。ただ、地図を見ると、城壁跡が街路として残っていることがわかる。上海の写真は、出張日記の上海・蘇州・無錫編をどうぞ。

 高杉晋作が上海を訪れたのは1862年。4月29日に長崎を出発した千歳丸は5月6日に上海に到着し、7月5日までのちょうど2ヶ月間、上海に滞在した。高杉は1839年生まれだから、まだ23歳という若さで長州藩を代表して船に乗りこんだことになる。初めて目にする西洋文明が、帰国後の討幕運動に影響を与えたことは間違いない。

西門
中国上海市南市区