091-100
さて、最終回です。
当然、推理小説が並ぶはずと思いましたか? とんでもない。ここまで、ぼくが国内の一般小説に対して何一つ言及してこなかったという事実から、当然予想しえた展開ですよね? 最終回は、基本的に推理小説以外で、ぼくが影響を被ったもろもろの国内作品の発表です。
091 小松左京『復活の日』
1964 (ハルキ文庫)
言うまでもなく、小松左京は日本SF最大の巨星の一つです。『エスパイ』、『果しなき流れの果に』、『継ぐのは誰か?』(いずれもハルキ文庫)といった初期作品はどれもSF史上に重要な位置を占めていますし、『日本沈没』(光文社文庫、双葉文庫)とか『さよならジュピター』(ハルキ文庫)とかいった作品は、映像化されたせいもあって有名ですね。この『復活の日』も草刈正雄主演で角川映画になったので、ごらんになったかたも多いのでは。
ぼくがこの作品を読んだのは高校生のころだったと思いますが、SF的な設定のリアルさに圧倒されました。「宇宙人が攻めてきた」みたいな話ではなく、人類みずからが開発したBC兵器が地球全体を危機に陥れてしまうありさまが、しっかりした科学的・社会的・政治的な考証のもと「いかにもありそう」に描写されている。リアルだからこそ怖いのです。いわば地に足がついたところから出発しながら、この作品はとんでもなく絶望的な場所にまで人類を追いこんでゆく。その作家的想像力の凄さにも唸らされました。
もう一つ、小松作品の大きな特徴であるヒューマニズムが、とてもわかりやすい形で表出された作品であることも見逃せません。その点、現代読者の眼には一種の「くさみ」を伴って映るかもしれませんが、すなおに読めば感動的な場面に次々と出会えること、請け合いです。
092 庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』
1969 (中公文庫)
庄司薫作品にも、10代のころ出会いました。たわいもなく影響されてしまったものです。
この作品はいわゆる「薫クン」シリーズの第1作。冗長な饒舌体を装いつつ(一見、何だか若者が書きなぐった日記みたいに見えます)、そのとっつきやすさを武器にして、みごとなまでに読者の思考を誘発してくれる豊穣なエクリチュール。これを読んだら誰しも「ええと、ちょっと待てよ……」と自分の頭で考えはじめてしまうはずです。その点が、何よりも凄い。そこかしこにちりばめられた上質のユーモアといい、計算しつくされた全体の構成といい、感動的と呼ぶほかないラストといい、ほんとうに頭のいい人が書いた小説だと思い知らされます。
ただ庄司薫さんは、戦後日本で屈指の才能を誇る小説書きでありながら、世界的なピアニストの中村紘子さんと結婚し、みごとにふぬけになってしまったそうでその後いっさい小説を書いていません。もうまったく極限まで「うらやましいなあ」と思うかぎり。そんな局面に恵まれるはずもないぼくは、きょうもひたすら新しい小説のネタを考えているしだいです。
093 星新一『声の網』
1970 (講談社文庫、角川文庫)
現在、入手は難しいようです。
二つ前の小松左京とともに日本のSFの礎を築きあげたのが星新一、とされています。そして星新一といえばショートショート、というのが定説で、『ボッコちゃん』とか『ようこそ地球さん』とか『エヌ氏の遊園地』とか『妄想銀行』とか(以上、すべて新潮文庫)、数々の名作がありますのでぜひ読んでみてください。ショートショートはオチなしには成立しませんから、「どんでん返し」という意味では「本格」につながるものがあると思います。
そんななか、ここで星新一の1冊としてショートショートではなく長篇作品をあえて選ぶのは……一つには、広義のミステリーだからです。あるマンションを舞台に奇妙なできごとが続発し、なかには一種の「不可能状況」さえある。これはどういうことなのだろう、と登場人物たちが思案をめぐらす。しだいに、すべてを説明する真相が見えてくる――なかなかエキサイティングな物語です。
でもそれ以上に、30年以上も前に「個人情報」や「監視」や「管理社会」のおそろしさを主題にしえていたという点で、この長篇は凄いと思うのです。041の『1984年』に通じるものがありますね。はじめて読んだのは中学生のときだったと思いますが、ほんとうにぞっとしたのを憶えています。
094 福永武彦『死の島』
1971 (新潮文庫)
現在、入手は難しいようです。
これは、完全な純文学です。福永武彦というのは(池澤夏樹さんのお父上だったり、かつて大ヒットした怪獣映画『モスラ』の原作者の一人として有名だったりしますが)、東京帝大の仏文科を卒業した人で、もしかしてプルーストなんかにかなり影響を受けちゃったりしたんじゃないでしょうかね。この作品の背景として、見過ごせない部分だと思います。
信じがたいほどナイーヴな青春小説である『草の花』(新潮文庫/こちらは入手可能の模様)にもとても感動しましたが、何と言ってもとりあげたいのがこの『死の島』ですね。広島の原爆体験なども暗いモティーフとしつつ、基本的には一見たわいもない男女の三角関係をえがいておきながら、それでいて何と……物語の終結が複数用意されています。
まさか、1970年代に入ったばかりのタイミングで、こんなポストモダンな試みを実行した小説家が日本にいたなんて! あえて言いますが、いま現在の「本格」の書き手にとってこそ、学ぶべき部分が多々あるように感じますよ、この小説。
095 筒井康隆『家族八景』
1972 (新潮文庫)
さて、いよいよ筒井康隆だ。
これまた091の小松左京や093の星新一と同じく、日本のSFに多大な貢献をしたと言っていい偉人です。その面での代表作は、たとえば『48億の妄想』(文春文庫)やもしかすると『時をかける少女』(角川文庫)、そして何より『虚航船団』(新潮文庫)でしょうね。
そして、生まれながらの超能力で相手の心がわかってしまう18歳のお手伝いさん(いまふうに言えば、メイド)の七瀬を主人公にしたこの作品なんか、現在の観点からみても――あの、つまり、「萌え」要素たっぷりですぜ(ぐじゅるる)。……あ、し、失礼(汗)。まあわかりにくい冗談はさておき、084の『侍女の物語』を先取りしていたのかななんて、つい連想してしまうんですけどね。
もちろん「他人の思考」が読める主人公って設定は思索的な小説としてたいへん魅力的だし、登場人物たちの内面の声が乱れ飛ぶあまりに異様な小説スタイルがほとんど文学的アヴァンギャルドのように見える斬新さも特筆すべきだと思います。それにまた、近代文学がずっと自明の主題としてきた<家族>を解体してしまっている面もある――初読時のインパクトは強烈でした。
ちなみに、続篇の『七瀬ふたたび』も『エディプスの恋人』も(いずれも新潮文庫)、いまでも読むことができます。
096 筒井康隆『ロートレック荘事件』
1990 (新潮文庫)
ところが筒井康隆という小説家には、あまりにもいろいろな側面があるわけで。推理小説の世界にも少なからぬ功績を残しているということだけは、ぜひ言っておきたい。有名どころは『富豪刑事』(新潮文庫)でしょうが、それだけではありません。
この作品なんか、あまりにも絶妙な叙述トリック(ネタバレかもしれませんが、あえて言います)に魂を抜かれてしまい、個人的にこの年の「本格」ベストはこの作品か綾辻さんの『霧越邸殺人事件』か、ずいぶんと迷ったほどです。さらに言ってしまうなら、この作品のトリックはきわめて合理的な精神から生まれていることがあきらかで、もしかすると、のちの「叙述トリックの分類学」に一定の影響をあたえた可能性があります。言葉で「説明」してしまえば安直にも思えそうなアイディアを、いかに物語として巧妙に提示するか、ということです。
ちなみにこの作品が新作として刊行された際の惹句(カヴァーに刷りこまれていました)は、以下のとおり――「映像化不能。前人未踏の言語トリック。読者に挑戦するメタ・ミステリー。この作品は二度楽しめます。書評家諸氏はトリックを明かさないようにお願いします。」
097 筒井康隆『朝のガスパール』
1991 (新潮文庫)
筒井康隆はさらに、日本におけるポストモダン文学の草分けという、何やら094の福永武彦的な存在でもあるんですね。『虚人たち』(中公文庫)、『夢の木坂分岐点』(新潮文庫)、『残像に口紅を』(中公文庫)のような実験作が目白押しです。また、文学作品をいかに読むかという主題を精緻に理論化した研究成果を一般に「文学理論」と呼びますが、その最先端を実作に生かした筒井さんが『文学部唯野教授』(岩波文庫)というベストセラーを生んだことは記憶に新しいのでは。
おそらくはそこから必然的に生じた試みなんでしょうけど、筒井さんは「読者からの反応を作品そのものにとりこむ」ことを考えた。そのためにはアウトプットは毎日したほうがいい(サイトを運営しているとよくわかります)。だったら、全国紙の朝刊で連載してしまったらどうだ。当然、多くの反響が返ってくるだろうから、それらをいちいち作品で生かしてしまえば……筒井康隆にしかできない大技だったと思いますし、それがとにもかくにも1冊の本になってしまったことにも驚きを禁じえない。小説とネットとの共生という点でも、とんでもなく先駆的な試みだったと思います。何より、小説というジャンルがこの先どうなるのかを考えるうえで、必読の作品でしょう。
098 村上春樹『羊をめぐる冒険』
1982 (講談社文庫)
1980年代の日本の読書界において村上春樹の影響は絶大なものだったのでは? ……いえ、あんまりよくわからずに言ってます。ほとんど自信ありません(笑)。
むしろこのコーナーで重要になるのは、村上作品の多くが「冒頭で<謎>を提示し、ストーリー進行とともに主人公が真相に迫ってゆく」構造を有している、つまりは広義のミステリーだということです。真実を探し求める物語。言い換えると、一般に純文学と称されるような小説がゆるやかにミステリー化したという流れがもしあるとすれば、無視できない役割を果たしたのが村上春樹であるという仮説も成り立つのではないでしょうか。
それが最も顕著にあらわれているのが、この『羊をめぐる冒険』ではないかと思うのですね。羊とは何か? なぜ羊が問題なのか? そもそも、羊とはどこにいるのか? ――こういうわけのわからない<謎>を、ところがどっこい魅惑的に感じさせてしまう語り口。それこそが村上春樹の真骨頂であり、時代を築いた才能なのではないでしょうか。<謎>の提示とストーリーテリングの技法について、この作品はとても多くのことを教えてくれると思います。
099 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
1985 (新潮文庫)
この作品もまた、読者にとって不可解な状況、不可視の秘密が結末に向かって解き明かされてゆくという構造を共有しています。つまり、広義のミステリーです。そしてまた、一見したところ独立した二つのパート(「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終り」)が交互に語られるのですが、そのそれぞれが一種の「異世界の構築」としてきわめて完成度が高く、独自性もある。その意味で、いわゆる「新本格」への影響も大きかったんじゃないかなんて思いめぐらしてしまうところです。
ぼくは「本格」を書くうえで「異世界の構築」にはほとんど関心を持たない人間ですが、しかし村上春樹ベストを1冊選べと言われたら、やっぱりこの作品になりますね。一つには、結末に向かってあきらかになる真相があまりにもせつないから。そしてそのせつなさをかもし出しているのは「異世界の構築」ではなく――それを前提とはしながらも――、むしろ読者にとって身近に感じられるようなシーンでの、身近に感じられる感情を描写する巧みさにあると思うんです。骨が光るかどうかとか、このまま眠っちゃったらどうなるかとか、ね。
ぼくの小説作法は、もしかしたらここから出発しているかもしれません。
100 冨樫義博『レベルE』(全3巻)
1996-97 (集英社ジャンプコミックス)
森博嗣さんの『ミステリィ工作室』に倣うわけではないですが、最後にマンガも挙げておこうと思います。もっとも、幼少時から数知れないマンガに育てられてきたのに一つだけ選ぶとなるとなぜこれなのか、がちょっと説明できませんけど(笑)。
冨樫義博といえばむしろ『幽☆遊☆白書』(集英社ジャンプコミックス/全19巻)や『Hunter×Hunter』(集英社ジャンプコミックス/継続中)が有名でしょう、これらはTVアニメ化もされましたし(いずれもフジテレビ系)。
この『レベルE』は、『幽☆遊☆白書』の週刊少年ジャンプ連載が終了(1994年夏)したあと1年半の沈黙を破って発表されはじめた作品。ただし、ジャンプではきわめて異例な「月イチ連載」だったこと、その代わりというべきか「背景等も粗いし、アシスタントを使わずに冨樫が全部一人で描いているのでは」と目されたことが特徴です。つまりは、冨樫義博がジャンプ編集部からの要望に妥協せず、ほんとうに「描きたいように描いた」作品なのではないかと思われるわけです。何しろ彼は、本人の言によると『幽遊』時代に「キャラクターはそれぞれ役者で本名は別にあって、かれらが皆で集まって幽遊の話をしている」シーンを作中にえがくなんていう実験的なアイディアを提案するなど(編集部に没にされたそうですが)、自己言及的・メタフィクション的にいっておそるべきセンスの持ち主ですからね。
実際この『レベルE』は、ぶっとんだ発想と何か吹っ切れたような爽快なギャグとが横溢する、ちょっと類を見ないノワールな傑作になっていると思います。センスオヴワンダーもどんでん返しもてんこ盛りだし。日本のマンガ文化が行き着いた一つの頂点と持ちあげてしまっても、決してまちがいではないでしょう。
あ、ミステリーファンにとっては、「ドグラ星の王子、マグラ星の王女」だの「ヒロインの名前は江戸川美歩」だの「地球に定住しているディスクン星人」だのといったネーミングはこたえられないのでは。冨樫さん、ミステリーの熱心な読者でもあるのかな。
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