2003.1

↓時間軸





 あけまして、おめでとうございます。

 ……新年を迎えることがなぜめでたいのか、実は論理的にはよくわからなかったりもするんですけどね。「数え年」が一般的だった時代なら、単純に「誕生日おめでとう」と同じで、「みんな一つずつ成長してめでたいね」なんでしょうけど、実年齢しか問題にしなくなった現在、アケオメの意味って?
 素朴に考えるなら、旧年中をとにもかくにも生き抜いて新しい年までたどり着けたことを誰かさん(神さま?)に感謝するとか、新しい年にはきっと新しい経験が待っているだろうという無根拠な思いこみにすがるとか、そういった心理に基づいているのかな。そういう意味で実感は何一つないですけど、みんながやってることにとりあえず合わせておくのも大事な社会性かも(<新年早々、いやみな奴)。

 なので、謹賀新年。今年も、ぼく自身はどうでもいいですけど、このサイトと、それ以上にぼくの作品をどうぞよろしくお願いします。
 ……あ。そのためには、とにかく本を出さなきゃ話にならない。うう、がんばらなきゃ。

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「おめでとう」ネタを続けるなら、ですが。
「おめでとうございました」という表現を最近、おもにTVから頻繁に聞きます(最もよく使うのは『すぽると!』(フジテレビ系)の三宅正治アナと内田恭子アナですね)。典型的には、プロ野球やJリーグで優勝チームが決まったり世界大会で日本人選手が金メダルを獲ったりした日の夜、かれらにインタヴューする場合に観察されます。さらに言えば、インタヴューの最後で締めの言葉として、「本日はほんとうにおめでとうございました!」と使うのが多いかな。
 この言葉に、実は違和感をおぼえているのです。

 最初に気になったのは何年か前、友人の結婚披露宴の二次会でした。会の最後、司会役(これも友人で、司会者としては素人でした)が締めの言葉に、やはり「本日はほんとうにおめでとうございました」と言ったのです。ぼくは「むむ?」とうなりました。ひどい違和感をおぼえたからです。で、なぜだろうと考えてみたんですね。締めの言葉だから過去形になりがち、というだけではあまりに皮相です。
 たとえば新郎新婦が会の最後に「本日はほんとうにありがとうございました」というのは全然問題ないんですよ。その感謝は「きょう、このイヴェントにわざわざ参加してくれたこと」に向けられているわけですから、会が終わろうとする際に過去形になるのはごく自然です。ところが、参加した側が祝福を向けるべきはイヴェントそのものでしょうか? いえ、そうではなく「二人の結婚」です。それはイヴェントとともに終わるのではなく、むしろまさにそこから始まる。なのに「めでたい」という言葉を過去形にしてしまうことが、失礼であるのはあきらかでしょう(「結婚とはほんとうにめでたいことなのか」という、より根源的な疑問はここでは無視)。
 以上をさらに敷衍するなら、「おめでとうございます」という言葉はそもそも過去形にするべきではない、ということがわかります。その「めでたさ」は本質的にはこの言葉を受ける相手のものであり、過去形にするのは、それを発言者が「もう終わったもの」と一方的に告げることにほかならないからです。「めでたい」のか「めでたかった」のか、言い換えれば「めでたさ」はもう終わったのか否か。それは、優勝チームや金メダリストがみずから判断するしかないことで、他人が決めつけるのは失礼きわまりない。
 だから、三宅アナや内田アナの言葉づかいはやっぱりおかしいように、ぼくには思えます。

 しかし、ふと気づいてGoogleで「おめでとうございました」を検索してみたら、5万件近くもヒット(「おめでとうございます」だと100万件近いってのはさておき)。何だ、いまやふつうに使われているんですね。何なんだ。

(追記) はじめ、「三宅正治アナ」を「福井謙二アナ」と誤って書いておりました。掲示板で指摘されて気がついたので、訂正しました。たぶん見てないでしょうけど、三宅さん、福井さん、たいへん失礼いたしました。

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 浦賀和宏『ファントムの夜明け』(幻冬舎)読了。
 うわ、これはせつない。せつなさといえば乙一さんということになってるみたいだけど(そして、ぼくは乙一作品をすべて読んでるわけではないけど)、この作品はその点で決して負けてないと思いました。傑作。読んでいて、何度も泣きそうになりました。
 人間関係を固定的にとらえるのではなく、たがいの距離を測るためにつねにそっと手を伸ばしあっているようなこの独特の感覚は、これまでの浦賀作品にあまり見られなかったものではないでしょうか。新境地? いや、しいて言えば、同じ版元から出た『彼女は存在しない』に近いかも。
 山田正紀さんの帯文にはちょっとだけ異議があって、この作品がホラーでファンタジーでラブ・ストーリーだというのはどうか。その三つのうちの一つ(どれかは内緒♪)であることは即座に認めてもいいけど、あとの二つはどうなんでしょう。もうすっかりメジャーになった「サイコメトリー」という題材をどう評価するかにもよるでしょうけれども。
 むしろ、ぼくはこの作品に「本格」の匂い(「本格」そのものではないかもしれないにしても)を明確に感じました。周到に張りめぐらされた伏線が、結末でしっかりと衝撃をあたえてくれます(その点では、山田正紀さんに同意)。

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 講談社ノベルスの新刊見本が届きました。
 折原一『倒錯の帰結』は、単行本のときと同じく「前からも後ろからも読める本」。結末が、本のまんなかで袋とじになっているのも従来どおり。帯に隠れがちですが、「監禁者」サイドの袖文も見逃すことなかれ、ですね。でもやっぱり、ぱっと見には「首吊り島」がタイトルであるように見えてしまうなあ。
 森博嗣『虚空の逆マトリクス』は短篇集。うひゃあ、かっこいいタイトル。今回は書きおろし短篇はないみたいですが初出がばらばらなため、ぼくは半分以上が未読ですね。『21世紀本格』で評価が高かった「トロイの木馬」が巻頭収録。あと巻末に、話題の『四季』の広告が。今年の夏に刊行予定とか。でもええと、これって4分冊なんでしたっけ?
 高田崇史『QED 竹取伝説』は、QEDシリーズ第6弾。今回は「かぐや姫の正体とは? 『竹取物語』の真実とは? “七夕”に秘められた呪とは!」だそうです。
 そしてもちろん最大の注目は、生垣真太郎『フレームアウト』。K木編集長(またはDさん)が座談会で「メフィスト賞史上最高レベルの傑作」、「無駄のない本格というものの非常に理想的な形」とおっしゃった、第27回メフィスト賞受賞作ですね。装丁だけ見ると「あら、意外に渋め」って感じですけど、でもセンスのいいカヴァーデザインですね。楽しみに読みたいと思います。

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 書評系サイトのあちこちで、去年を振り返る試みがさかんですね。いろいろ覗いてまわったんですけど、拙作『人魚とミノタウロス』が、もろやんさん「2002年 国内ミステリベスト10」や、ぽんさん「2002年ベスト企画@かちかち山。」にランクインしているようです。とっても光栄なかぎりです。あ、ぽんさんの場合は「AUジョー」も。うれしいです。
 あらら。それどころかMAQさん「2002GooBoo本格ミステリベストセレクション」の国内篇では……複数のかたによる投票でこの結果というのは、すなおに心から喜びたいと思います。どうもありがとうございます。ほんとうに励みになります。

 ええと、あのですね、いまさらこんなご報告を申しあげるのもたいへん恥ずかしいのですけど……講談社ノベルスの密室本になるはずだった作品を、いまごろになってようやく脱稿しました。
 もちろんさっそく講談社に、よりくわしく言うなら文三編集部で担当してくださっているA元さん(またはCさん)に原稿を提出しました。でも密室本というのは本来「講談社ノベルス20周年記念企画」だったわけで、その前提であるところの2002年はすでに終わってしまったので……いったいこの作品がどのような形でいつごろ出版されるか、はなはだ不明瞭と言わざるをえません。一刻も早く読者のみなさんのもとにお届けしたいのはもちろんなのですけど。去年のうちに密室本として出版できなかったのは、ひとえにぼくの力不足です。海より深く反省。
 いずれにせよ、「密室」という王道とも呼ぶべきテーマを現在の氷川透が扱うならばこうなるよ、という自負をこめた自信作ですので、いずれみなさんに読んでいただける日の訪れることを強く願っております。
 まあ、とにかく……ふう。
 この年末年始を返上して(ぼくには、クリスマスもお正月もありませんでした)仕上げた作品だけに、さすがにちょっとだけ一息ついてもいいかな、なんて思ってはいます。もちろん、すぐさまカッパ・ノベルスとトクマ・ノベルズが追いかけてくるわけですが。

 ……ま、いいや。とりあえず『フレームアウト』を思いっきり楽しもうっと。

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 で、さらに講談社の担当・A元さん(あるいはCさん)と電話で打ち合わせた結果、脱稿したばかりの作品は、形態としてはやはり密室本ではなく、普通のノベルスとして刊行することになりそうです(高田崇史さんの『試験に敗けない密室』みたいな感じでしょうか)。密室本の一冊として読んでいただくほうがいろんな意味で楽しめるのではないかという部分もあるのですが、諸般の事情により。「20周年記念企画」を「20周年」のうちに出せなかったのですから、しかたありませんね。ま、これはこれで。

 ですので、特製ノベルスの「応募券」はつかないと思います。それが目的のかたは拙作をあてになさらず、どうか既存の密室本をお求めいただけますよう……。『世界は密室でできている。』『樒/榁』の世評が高いようですが、『芙路魅』『浦賀和宏殺人事件』『袋綴じ事件』『木乃伊男』もおもしろいですよ。ちなみに、応募の締め切りは3月末でございます。

 で、拙作ですが、いちおう4月刊行をめざすということで。

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 生垣真太郎『フレームアウト』(講談社ノベルス)読了。第27回メフィスト賞受賞作。
 78ページ下段〜79ページ上段で、登場人物ダイス・ソノダが映画批評について語っています――悪い映画というのはほとんどの場合、技術的な問題だ、ところがそれがわからない評論家がこの世には多くて、映画から勝手にメッセージなんぞを読みとってそれを批判するんだ、自分の勝手な解釈を自分で批判する独り芝居だ、お笑いだよ、そういう連中は映画そのものに興味なんてないんだ、要するに自分の感受性の話しかしていないじゃないか……と。
 ものすごい正論ですし、しかも「映画」を「小説」に置き換えても成立してしまう議論だと思います。うわ、こんなこと書かれてしまうと、この作品の感想を述べるのはしんどいぞ(笑)。

 帯で「この仕掛けを看破出来るか!」なんて煽られてるわけだし、はっきり言って章ごとに語り手が入れ替わってるんじゃ?くらいのことは当然疑いますよね。「わたし」がアンジェリカに向ける感情が箇所によってずいぶん温度差があったり、U章に入ったとたん語り手がいっさい名前を呼ばれなくなったり、あからさまにあやしいです。いえそれどころか、87ページと125ページとで生じる名刺の枚数の矛盾、157ページ上段12行め以降の露骨に思わせぶりな記述など、作者はどうやらその仕掛けについては本気で隠そうとはしていない。むしろ、「ほらマニアックな読者さんたち、このへんでそろそろ気づいたかな?」とにやにや笑いながら書いているようにすら感じました。そう、ここまでは、読者が気づくのは生垣さんの計算のうちなのでしょう。
 ところが、その先がなかなか難解。すなおに読めば、「別」という仕掛けを作っておいて読者にそれを見破らせ、ところが実は「同じ」だったという趣向、早い話が多重人格ネタってことになるのかな? その意味で、帯の煽りにも必然性があったという評価も可能です。ところがそれでは、ダイスによる謎解きをはじめ、いろいろな情報と矛盾をきたしてしまうようにも思える。さあ、ここからが思案のしどころ……というわけで、これだけ思索をうながしてくれるというだけでも、ぼくにとってこの作品は貴重です。傑作だと思います。
 ただし「メフィスト賞史上最高クラス」かどうかはともかくね。そう、ぼくだって受賞者のはしくれではあるわけですから、その点についてはノーコメントです。

 ダイスの言うように「技術的な問題」から評価するなら、生垣さんはかなりの腕だと言うべきでしょう。誤解を怖れずに言うなら、この文体は「翻訳調」ですね。さらに正確に言うなら「英語的」。べつに、ふんだんに織りこまれる英語のルビのことを言っているのではありません。ルビゆえに翻訳調なのではなく、むしろもともと翻訳調の文体を正当化するためにルビを多用しているような気がします。
 たとえばある人物が話題になったとき、二言めには「彼」ないし「彼女」と言い換える。この感覚は完璧に英語のものです(日本語だったら「その人」とか「そいつ」とかですよね)。特に会話において、ちょっとした違和感をおぼえる場合があるのですが、ほとんどの場合よく考えると「英語的な感覚のゆえ」なんですね。もしかして、いったん英語で原稿を書きあげたあと自分で日本語に訳したのでは、なんて妄想までいだいてしまいました(<んなわきゃあない)。
 それでいて、「翻訳調=読みにくい」という定式をみごとに逃れている。リーダビリティは抜群です。これって、相当の実力だと思います。
 いや、楽しませていただきました。

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 森博嗣『虚空の逆マトリクス』(講談社ノベルス)読了。
 まずは「トロイの木馬」について。『21世紀本格』(光文社カッパ・ノベルス)のときから思いましたけど、叙述トリックというなら、これ以上に破壊力のあるものはないですよ。何しろ、語り手当人があまりにもヴァーチャルな環境にいるため、自分を見たはずの相手と実は会ってすらいない――言い換えれば、まったくアイデンティティが成立しないってな話なんですから。言い換えると、人間のアイデンティティを支えるものは他者とのコミュニケーションである、ってのがテーマなんでしょうか。あと、森作品の最大のテーマはひょっとして、「人間はいかに母性から離れられるか」だったりするのかな、なんて感想も持ってしまった逸品でした。ええ、まちがいなく森博嗣を代表するべき傑作の一つだと思います。
 ええと、あとは……「不良探偵」はかなり泣かせる話でしたね。「話好きのタクシードライバ」はかなりおもしろかったですけど、短篇小説というよりエッセイに近い気も(小説としては、最後のひねりが物足りなかった)。「ゲームの国(リリおばさんの事件簿1)」は、『メフィスト』で一度読んだはずなんだけど、それでも笑えました。「探偵の孤影」はとっても論理的ですね、オカルトなのに。そして、S&Mシリーズ「いつ入れ替わった?」は……文学的にいっても凄い作品じゃないでしょうかね(<おおげさ?)。

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 講談社の担当・A元さん(ないしCさん)から、さっそく初校ゲラが届きました。うわ、迅速。息を抜いてる暇もなく、さっそく著者校にかからねば。これからがほんとうにしんどいのであります。

 原書房からはミステリー・リーグの新作、霞流一『呪い亀』を送っていただきました。表紙カヴァーの何ともとぼけたイラストが、いっそシュールですらあります。すごくおもしろそう。
 真っ先に「あとがき」を眺めてつらつら思ったのは、そうだよなあ亀と言ったらガメラを思い起こしてしまう日本人は多いよなあとか、ぼくはどっちかと言えばゴジラ派だなあ金持ちの子ではなかったけどとか、でも平成ガメラシリーズは大好きだなあとか、怪獣ネタばかり。いいんでしょうかこれで。

 守備の破綻で苦しんでいるサンダーランドなら、なるほどなと思ってました。それだけになおさら、戸田(清水エスパルス)が急転トットナム入りという報にはびっくり。もちろんサンダーランドより魅力的な誘いだったんでしょうが、トットナムといえば、最近でこそアーセナルに水をあけられてますが伝統的にはロンドン市内で張りあう名門クラブですよ。レアルのモリエンテス獲得に失敗したりはしているそうですが、いまだって決して弱くはない。ほんとに戸田の出番があるのかいな。すくなくとも稲本よりさらにきつい立場なのでは。

 エジムンドが浦和に移籍して、エメルソンともども日本に残ってくれるだけでなく(ついでに言えば、トゥットの放出先は清水)、あのエンボマが帰ってきたり(東京Vに加入)、あげくの果てはカフー(ASローマ/ブラジル代表主将)まで日本に来ちゃうんですか?(7月から横浜FMに移籍とか)
 すっかり外国籍選手の質が低下していたJリーグですが、今年はだいぶ持ちなおしそうな感じ。とってもいいことだと思います。

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 今回の『森博嗣の「浮遊研究室」』(VOL.59)はとてもおもしろかった。とりわけ、【カレーの粘度】。

 カレーの粘度を決めるものは、基本的に「ルーにどれだけ小麦粉を使うか」ですよね。もともとのインド式カレー(カリー?)は小麦粉なんかいっさい使わなかったし、粘度ゼロで液状でさらさらしていたはず。それが英国に伝わったとき「おいしいんだけどスパイスが刺激的すぎる」というリアクション(一説にはヴィクトリア女王による)が出て、調合したスパイスに小麦粉を混ぜて炒めることで風味をマイルドにした、必然的にとろみがついてしまった、つまり粘度が高まったのはたまたまの結果だった、というのが定説のようです。ちなみに、日本にカレーが入ってきたのはどうやら、インドからではなく英国からです。
 なので、「できるだけ低粘度の方が好き」という森さんが「ジャガイモを入れないでほしい」と感じるのは当然ですね。ジャガイモのような煮くずれしやすい素材には小麦粉と同様の効果があって、カレー本来の風味をマイルドにするわけです(こちらは粘度は増しませんが)。森さんはたぶん、カレーそのものの味がお好きなんでしょうね。ぼくもカレーを作るときにはジャガイモは絶対に入れません(ついでに言えば、カレー本来の味と相性が悪いという個人的確信から、ニンジンと牛肉も入れません)。

 でもあえて言わせていただくなら、そもそもの「カレーの粘度が各家庭によってちがう」という認識は、ほんとなんでしょうか? これって、普通に考えると「スパイス群と小麦粉との分量」がちがうということで、つまり「多くの家庭でカレーをルーから作っている」という前提なしには成立しない命題です。ほんとかな? 市販のルー(ハ×スの×ーモントカレーとかジャ×カレーとか、ヱ×ビーのゴー×デンカレーとか)を利用する家庭がほとんどじゃ? だとすれば、「粘度のちがい」は生じないはずです。最後に車道助教授がおっしゃるとおり、市販のルー(つまり「スパイス群と小麦粉の分量」が固定されている)を使いつつ粘度を下げようとすればたくさん水を加えるしかないわけで、味そのものが薄まってしまいますから。
 そうか、きっと上前津助手の子ども時代の環境では、「小麦粉をサラダ油で炒めて、きつね色になったら市販のカレー粉(ルーではなくて、多くは缶入りのもの)を混ぜこんで……」って作りかたが周囲に多かったんでしょうね。

 あと、もう一つ言いたいのは……これはすでに世間で一般的になってしまった認識なのはわかるんですが、森さんは「ドライカレー」という言葉を「ご飯にカレー粉をまぶして炒めた料理」の意味で使っているようですよね。ぼくに言わせると、その料理の正しい名称は「カレーピラフ」または「カレーチャーハン」です。「ドライカレー」というのは、「カレーソースがドライな、つまり液状ではなく固形状なカレー」であり、ひき肉(とタマネギのみじん切り)を使って「固形状のカレー」を実現した料理のことだと思います。つまり、御器所さんのおっしゃる「キーマカレー」、ないしそれにかぎりなく近いものです。
 そしてそれこそ実は、ぼくが自宅で作る最大の得意メニューです。うわあ、「お洒落」だなんて光栄です(笑)>御器所さん。

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 二階堂黎人さんの日記(1月27日付)などでとっくに公表されていますが、第3回本格ミステリ大賞候補作の速報を本格ミステリ作家クラブ事務局から葉書でいただいたので、ここにも掲げておくことにします。以下、タイトルの50音順。

《小説部門》
笠井潔『オイディプス症候群』(光文社)
乙一『GOTH』(角川書店)
法月綸太郎『法月綸太郎の功績』(講談社ノベルス)
有栖川有栖『マレー鉄道の謎』(講談社ノベルス)
西澤保彦『聯愁殺』(原書房ミステリー・リーグ)

《評論・研究部門》
千街晶之『怪奇幻想ミステリ 150選』(原書房)
高山宏『殺す・集める・読む』(東京創元社)
笠井潔『探偵小説論序説』(光文社)
有栖川有栖『迷宮逍遙』(角川書店)

 おお、今回は小説部門はすべて既読だぞ。評論・研究部門も2冊読んでる。これなら参加できそう。
 決定は5月13日とのこと。

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 光文社カッパ・ノベルス編集部のS木さんと、次回作のうちあわせ。三軒茶屋の沖縄料理店という「なぜ?」みたいなロケーションでしたが、いやあおいしかった。ゴーヤーの天ぷらや豆腐チャンプルーを堪能しました。
 当初は、本格ミステリ大賞候補作について(あれが入ったのはどうよとか、あれに入ってほしかったよねえとか)、あるいは生垣真太郎『フレームアウト』について、などなど旬の話題で世間話をしていましたが、ビールが泡盛に変わってアルコールがまわり出すといよいよ、次回作についての意見交換。あらかじめ提出しておいた梗概に対するご指摘をびしばしといただきながら、まずはキャラ設定を煮詰める(何たって新シリーズの立ち上げですから、そこは綿密に)。酔った勢いで、いろんなことが決定してしまいました。主人公の名前とか、特技(格闘技?)とか、恋人の有無(!)とか。あと、何たることか本のタイトルまで(<って、まだ1枚も書いてないのに)。もちろん、現時点では極秘ですけどね(笑)。
 いずれにせよ、講談社ノベルスの著者校正と並行して、いよいよ執筆開始でしょうかねえ。


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