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薬害C型肝炎訴訟

薬害肝炎訴訟の取り組みについて

弁護士 田中淳哉

 私が薬害肝炎弁護団に入ったのは、友人に誘われて弁護団の新人弁護士向けガイダンスに参加したのがきっかけでした。薬害肝炎訴訟の概要について一通りの説明を受けた後、傍聴に行きました。

 法廷の中に入ると、原告側の席は、それまでには見たこともないような人数の弁護士で埋め尽くされていました。傍聴席もほとんどの席が埋まっている状態でした。そんな空気にやや気圧されながら傍聴を終え、傍聴者向けに裁判の内容などを説明する報告会に参加しました。そこで、原告の方の意見陳述を聞きました。

 出産の時に大量に出血して、止血剤として血液製剤の投与を受けたこと、その直後に悪寒に襲われたときの恐怖、病気が進行していくことに対する不安、治療に伴う副作用の激しさ、病状を周囲に理解してもらえないつらさ、家族に申し訳ないという思い・ ・ ・ 淡々と話す原告の言葉からはいろいろな感情が伝わってきました。

 その時までは、正直言って、弁護団に入るのは止めておこうと思っていました。ガイダンスで概要を聞いたときや法廷傍聴をした際に、医学の専門用語が飛び交い(今にして思えばそれほどのことはないのですが)、ほとんど内容を理解できなかったため、弁護団に入ったとしても力にはなれないと思ったためです。

 でも、原告のお話を聞いて、自分が力になれるかどうかは分からないけれど自分も何かしたいという気持ちに変りました。原告が、長期間に渡って、体にも心にも、そして経済的にも大変な負担を負わされていること、また、原告には何の非もないのに「家族に申し訳ない」と思わされていること、それに引き替え、国や製薬会社は、これまでにも多くの薬害を繰り返しながら未だに責任逃れの態度に終始していること、そんな状況が許せませんでした。

 C型肝炎は、慢性肝炎、肝硬変を経て肝臓癌に進行していく危険性が高い、とても重い病気です。C型肝炎の主たる治療法であるインターフェロン療法は、感染者の約 30%にしか効果がない上、脱毛や鬱病など強烈な副作用を伴うものです。また、インターフェロンをやるには、まず1か月間の入院をし、その後は週3日通院して注射を打たれるという生活を6ヶ月間続けなければならず、経済的負担も相当なものになります。加えて、病気に対する不当な差別や偏見は医療機関においてすら存在します。

 原告の多くは、出産時に緊急の止血目的等から血液製剤を投与されました。出産は直接・間接に誰もが関わる問題であり、決して他人事ではないと思います。新しい命が生まれる、最も喜ばしい瞬間に、薬による肝炎感染という悲劇は起こりました。治療法については、輸血や基礎疾患の排除など、より安全な選択肢があり、避けられた悲劇でした。また原告の中には、自分が感染していることに気付かず、母子感染させてしまったという方もいらっしゃいます。

 このような被害が起ったのは、製剤を製造承認する際のずさんさが原因となっています。フィブリノゲン製剤が承認された1964年の時点ですでに、同製剤は肝炎感染の危険性が高いこと、血清肝炎は致死性の疾患であることが知られていました。また、代替療法として、輸血や基礎疾患の排除という、より安全で有効な治療法がありました。にもかかわらず、国はずさんな臨床試験によって製剤の有用性を安易に認めたのです。

 その後も、国内で薬の再評価制度が導入された1971年、アメリカでフィブリノゲン製剤の承認が取り消された1977年など、製造承認を取り消すチャンスが何度もありながら、結局何らの対策もとられないまま時間が過ぎていきました。フィブリノゲン製剤は、1985年1月になってようやく再評価指定がなされました。しかし、承認取消しまでは至らず、1987年3月に青森県で8名の集団感染が発生し、そのことがマスコミに大々的に取り上げられた後になってようやく、旧ミドリ十字が非加熱フィブリノゲン製剤の回収に乗り出しました。ところが、そのわずか10日後には、それと入れ替わるように乾燥加熱製剤が製造承認されてしまったのです。1987年7月、再評価委員会はフィブリノゲン製剤には有効性がないとの判断を下しましたが、そこから更に11年も経った1998年になるまでフィブリノゲン製剤の適用は限定されませんでした。

 薬による被害は、対応が遅れれば遅れるほど広がります。現にフィブリノゲン製剤により多くの肝炎感染被害者が作り出されました。輸血による感染者も含めれば国内に200万人以上もの被害者がいると言われています。肝炎の治療法を確立すること等を通してこの200万人全体を救済することが弁護団としての最終目標です。戦後日本の血液行政・薬事行政の責任を総括的に問う壮大な意義をもつ訴訟です。みなさまも訴訟の帰趨に是非ご注目下さい。

1964年 厚生省が,非加熱フィブリノゲン製剤(フィブリノーゲン-ミドリ)の製造を承認
1971年12月 医療用医薬品の再評価開始
1976年04月フィブリノーゲン-ミドリからフィブリノゲン-ミドリに名称変更
1977年12月アメリカでフィブリノゲン製剤の承認取消
1985年01月厚生省が非加熱フィブリノゲン製剤を再評価指定
1987年03月青森で,非加熱フィブリノゲン製剤による肝炎集団感染事件発生
 04月旧ミドリ十字がフィブリノゲン製剤を回収
厚生省が加熱フィブリノゲン製剤の製造を承認
 07月厚生省が後天性疾患についてフィブリノゲン製剤には有効性がないと判定
1998年03月厚生省が,フィブリノゲン製剤の適用を限定する旨の公示

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