お天道様が温めてくれたアスファルトの上に、ごろん、と寝ころぶのが、私、しじみの一番の幸せ。人間とかいう生き物がこんな事をしたらおこられるらしいけど、私の住んでる猫の国では日常茶飯事だから、心配はいらない。
というわけで、幸いにも猫である私は、いつものように最高の時間を過ごしていた。しかし、だ。私の最高の気分は、一瞬のうちに消えうせた。いまいましい兄ちゃんの声。
「おい、しじみ。父ちゃん宛の手紙わたされたから、代わりにとどけて来てくれよ」
うるさいなぁ、何で私なのさ。思ったけど私はしぶしぶ立ち上がった。兄ちゃんの言うことは、とりあえず聞いておかないと、後がこわい。まぁ、後々仕返ししてやるけど。でも、おそろしい兄ちゃんの前だ。従順なふりをしておこう。私は、白いふうとうを持って、歩いて十メートルの我が家へ向かった。
私の家は、少しうす暗く、ホコリくさいぼろ屋敷だ。そんな家のおくに父ちゃんはいた。 父ちゃんはノラ猫上がりの雑種で、白と茶のしまだ。今は、こっちに背を向け、細かい字の書類をかかえてうんうんとうなっている。「うーん、やっぱ老眼が出たかなぁ。メガネ買わなきゃならんかな……」
もう、やめてよね、そういうジジくさいこと言うのはさぁ。私はそう思いながら、父ちゃんに声をかけた。
「父ちゃん、手紙来たけど」
「おお、そうか」
父ちゃんは、こっちを向きもしないで、手をさし出した。手紙をこっちによこせっ、てか。はいはい、どうぞ。
父ちゃんは、手紙のふうをびりびりとやぶって便せんを取り出した。
「えぇーと、何だって……。おお、春祭りへの招待状じゃないか。金太・銀太兄弟が主催かっ。こりゃあ面白くなりそうだぞ」
金太・銀太兄弟ってのはなかなか洒落れたやつらで、今、注目されている兄弟のことだ。 私が、父ちゃんをじいっと見ていたら、父ちゃんが、いきなりふり向いて言った。
「おお、そうだ! 春祭りにあやかって、うちも屋台を出させてもらうことにしよう! 」 父ちゃんたら金もうけの話になると、すぐ目の色を変えるんだから。しかも、私を見つけるなり、不思議そうな顔をして、
「ん? しじみ、いたのか」
なんて言うからあきれてしまった。おいおい、私はさっきからいるってば。
でも、次の父ちゃんのひとことで、私の、さっきからのいやーな気分がいっきにふっ飛んでしまった。
「屋台を出すとなれば……。家族みんなでかからなきゃならん。もちろん、しじみ、お前もこき使うぞ」
それから、父ちゃんはにっ、と笑って、
「手紙をとどけてくれたごほうびだ。覚悟しとけよ」
と言った。私は言い返してやった。
「ものすごぉく、うれしい。この世にこき使われる位いい事なんてないね。まあ、昼寝は別だけど」
でも、今、言った事はうそじゃない。それどころか本気に近い。私の、ゆかにくっついたご飯つぶよりしつっこいきげんの悪さがふっ飛んだのには訳がある。そんなにむずかしい事じゃない。私は、お祭りさわぎが大好きなんだ!
それからが大変だった。家族総出でお祭りの準備にとりかかった。
うちは、『猫の食材屋』なる仕事をしている。『食材屋』というのは、人間の世界でいう八百屋みたいなものだが、魚やまたたびも売っている。それをひとまとめにして『食材屋』なのだ。運ぶものが食材だけだから簡単だろう、という考えは捨ててほしい。『食材』だから大変なのだ。たのむ、分かってくれ!
とにかく、我が家族は、まず食材を仕入れる事から始めた。仕入れる、というのは、言ってみれば「人間の台所からかっぱらう」という事だ。ひょっとしたらつかまるかも知れない危ない仕事だけど、良い物が手に入ればしめたもの……って、何で私は話しがすぐそれるかなぁ。しじみのばか。ということで、前に仕入れてあった魚の干物を合わせると、結構な量になった。
父ちゃんと兄ちゃんは、持ち運びのできる屋台を作った。これがなかなかのけっ作だ。その間、私と母ちゃんは食材の種類分けをしていた。そんな仕事のときでも、私の頭の中はお祭りでいっぱいだった。笛の音色や太鼓の音、ねずみの焼き肉のいいにおいを考えてみるだけでうれしくなる。あーあ、早くお祭りに行きたいわ。
そして、お祭り当日。私は、うれしくて朝からそこらじゅうを走りまくっていた。しまいには兄ちゃんに、
「さっきからちょろちょろ走り回ってうるさいぞ。しじみって、もうすぐねずみになるんじゃないか?」
と言われてしまった。くーっ、この上ないくつじょく。私がねずみぃ!? それじゃあ食べられちゃうじゃないか。でも、私は物わかりの良い猫だから、すぐ走りまわるのをやめた。それに、兄ちゃんに特大のカミナリを落とされたらたまんないものね。ところが、走りまわるのを止めても、私の気分は静まらなかった。昼に、お祭りの会場「猫広場」へ準備をしに行ったときにはもう絶好調。それは、夜、花火が打ち上げられて、お祭りが本格的に始まるまでずっとキープされ続けたままだった。
他の屋台も、もちろん、うちの屋台もはんじょうし始めたころ、母ちゃんが私と兄ちゃんを店のすみに呼んだ。
「二人とも、今までよく手伝ってくれたね。よって、七百円ずつあげるから好きなように遊んでらっしゃい! でも、しじみは兄ちゃんからはなれないこと。いいね?」
私は、心の中でぶつぶつ言っていたけど、母ちゃんにうなずいてみせた。でもさぁ、母ちゃんって心配性なのかも。何で兄ちゃんからはなれちゃいけないんだよぉ、もうっ。
次は母ちゃんの説教が兄ちゃんに向いた。
「あんたも、兄ちゃんなんだから、しっかりしじみのこと見てるんだよ。
じゃあ、いってらっしゃい。むだ使いするんじゃないよ」
あーあ。せっかくのお祭りが……。兄ちゃんのせいで色あせて見えるじゃないか。でも、母ちゃんがお小遣いをくれるのはラッキーだ。というか奇跡に近い。あのケチの母ちゃんが。全く、奇跡だ。そう思いながら、ふと、顔を上げると、おおっ、金魚すくいだ。猫の国では、水そうにいれて飼ってもよし、その日の晩飯のおかずにしてもよしというのが常識だ。でも、私には自分でとった金魚を食べるしゅ味はないからやめておこう。家で飼ってもいいんだけど、そうすると次の日には金魚の命がない。なぜって、父ちゃんが夜中に食べちゃうからだ。
そのとなりにあったのはクレープ屋。うまそうだなぁ。んっ、三百五十円!? 高いぞっ。だけど、私は食欲に負けて買ってしまった。ケチ家族の娘としては一生のはじ。
私が、頭をポリポリかいていると、兄ちゃんが、ソフトクリームを買ってきた。
「あーっ、うまい。夏はこれに限るなぁ」
私は、クレープを食べながら、よだれが垂れそうなのを、こらえていた。ソフトクリームは、私の大好物なのに。兄ちゃん、わざと見せびらかしてるなぁ。でも、私にはクレープがある!
クレープの次に目に入ってきたのは、かき氷だ。それで百円を使い、その後、くじ引きで二百円消費してしまった。当てた賞品は、私の好きなものじゃなかったから、兄ちゃんにあげてしまった。わぁ、とんだムダ使い……って、あれは私の大好物、からあげじゃないかっ。なのに、なのに。残金が五十円しかないっ。そんな私の視線に気づいたのか、兄ちゃんが、意外なことをぼそっと言った。
「オレがおごってやる。待ってろよ」
うそっ。私は信じられない気分で、兄ちゃんがからあげを買ってくるのを待っていた。兄ちゃんって、ひょっとしたら、ひょっとするとあんまり悪いやつじゃないかも知れない。うーん、最悪じゃないなぁ。「最」をぬかして「悪」かな。うん、兄ちゃんは悪だ。私はなんだか晴々した気分で、兄ちゃんの口にからあげを放りこんでやった。それから、私も熱々のからあげにかぶりついた。
夜おそく、私と父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃんは、街灯のぽっぽっと灯った道を、荷物をどっさりかかえて家に向かっていた。財布も来るときより重い。どうやら、みんなごきげんがよろしいご様子。私はぼうっ、と考えていた。もう少ししたら、父ちゃんは老眼鏡を買うだろうな。母ちゃんは前からねらっていた宝くじ買うだろうし、兄ちゃんは新発売のラジコンを買うに決まっている。今日はけっこうもうかったから。
でも、そんなことより、私はいま、みんなが笑顔でいることがうれしかった。たとえ明日から兄ちゃんとの果てしない戦いが続こうとも、今は、とても幸せだつた。
暗闇にうかぶ街灯の光が、お天道様の温かい光りに見えてきて、私は少し、目を細めた。
(おわり)
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