暑い。
さっきから私、猫のしじみの頭には、この言葉しかなかった。わが家の廊下に、べろーっと寝転んで、うちわでどんなにあおいだって、むっとした熱気しか来ない。
「あーっつい!」
私は、うちわで床をバチバチたたきながらさけんだ。
「暑い、暑い言うな。余計暑くなる」
向こうから、父ちゃんの面倒くさそうな声がした。どうやら、さっきから茶の間で書類と格闘しているらしい。そんなこと言われてもだなぁ、やっぱり厚いもんは暑いんだよ。ああ、この暑さ、なんとかならないかな……そうだ。今、母ちゃんも兄ちゃんも出かけてるから、父ちゃんに頼めば、こっそり何か冷たい物くれるかも知れない。私は、はうようにして茶の間へ行った。
「父ちゃーん、やっぱり暑い。なんか詰めたいも、の……?」
おおっ!? 兄ちゃんっ。さっき出かけるとか言ってたくせに、いつの間に帰ったんだ? それに、
「父ちゃん、兄ちゃん、そ、それは、その手に持っているのはまさか、棒つきアイス!」 涼しげな水色、それはまさしくソーダ味の棒つきアイス! 二人は、そのうまそうなアイスを、私に見せつけるかのように食べていた。父ちゃんが、ぎくりとしてこちらを見た。
「し、しじみ。お前向こうにいたんじゃ……」 あわてる父ちゃんをしりめに、兄ちゃんはのんきにアイスをかじる。
「いやぁ、夏はやっぱりアイスだな。あ、言っとくけど、しじみ、お前の分はないぞ」
……おい、兄ちゃん。そりゃどういうこっちゃ。
「あー、そ、それはだな、しじみ」
父ちゃんが、言い訳がましく口をはさんだ。「おれがねぎ男に、一〇〇円やるからアイス買ってきてくれって頼んだんだ。棒つきアイスは一本五〇円だからなっ、残った五〇円はねぎ男の好きにしていい……おれ、そう言ったんだよな、ねぎ男っ。それでねぎ男、お前はその五〇円で、自分のアイスを買ったんだよなぁっ」
父ちゃんは、半ばすがるように兄ちゃんに言った。が、そこに兄ちゃんの姿はなかった。兄ちゃんのやつ、私に内緒でアイス食べたのがバレたから逃げたんだ! くっそぉ、本っ当に調子いいんだからっ。そんな事ばっかりしてると、後で天罰が下るぞ、兄ちゃん。
一方、味方に逃げられた父ちゃんは、おろおろと言葉を探している。
「ああー、ええっとだな。これは、お前に隠して食べていた訳ではなくて……」
「父ちゃん、言い訳はなしっ!」
私は、わざと厳しい声を出した。
「……分かった、分かったよ。お前に隠れてアイスを食べてたのは誤る。悪かった」
「それだけ?」
「あ、いや……仕方ねぇなぁ。ほれ、五〇円。アイスは自分で買ってこい」
やった! 私は心の中でとび上がった。
「父ちゃん、ありがとつ! さっすが私の父ちゃんだねっ」
私は言い終わらないうちに、もう駆けだしていた。でも私の高性能の耳は、父ちゃんの、「しじみのやつ、どんどん母ちゃんに似てくるな……」
というつぶやきを聞き逃しはしなかった。
「悪かったね、母ちゃんに似て」
私が玄関の前から奥に向かってさけぶと、父ちゃんがおどろいて、ゴトッ、と何かにぶつかる音がした。
「棒つきアイス一本くーださい」
私は、うちの近所の駄菓子屋へ行った。ここは小さな店だけど、品ぞろえは結構いい。小さなアメ一個から、どデカい景品の当たるくじまで、ほとんど何でも売ってる。そして、店を切り盛りしているのは、父ちゃんが産まれた時から顔が変わっていないという、すごい噂があるばあさん猫だ。
「はいよ、ソーダ味だね。一本五〇円だよ。当たりが出たらもう一本」
ばあさん猫は言いながら、私にアイスを手渡してくれた。そうそう、アイスの棒に書いてある当たりくじ、みんなこれが楽しみでもあるのだ。めったに出ないけど。
「どーも」
私は、五〇円をばあさん猫に渡すと店を出た。いやー、やっぱりおいしいなぁ。輝くお天道様に空色のアイス。ぱくぱく、ぱくぱく。ああ、もう食べ終わってしまう。これで最後のひと口だ。一気にかぶりつく。口の中に広がった甘味が、冷たさと一緒にすべり落ちる。「あーっ、うまかったあ」
さぁて、棒に当たりはついてるかな……。とお!? こ、これは、まさに当たりくじ! 「当たり」の文字が輝いて見える。
「や、やったぁ!」
やっと実感がわいてきて、私は思わずとびはねた。そして、そのまま家へと駆け出す。
「すごいすごい!」
……あれ? でも私、何でこんなに運がいいんだ? あっ、そうか! 父ちゃんを見捨てて逃げた兄ちゃんに当たるはずだったバチが、幸運に変わって私のところに来たんだっ。「わあい、兄ちゃんのバチ、ありがとう!」 私は、ひときわ高くとび上がった。でも兄ちゃんは私に隠れてアイス食べたんだ。この当たりくじ、絶対兄ちゃんに見せてあげない。
私が家に着くと、母ちゃんが帰っていた。
「母ちゃん、ただいまー」
「ああ、お帰り、しじみ。さっきねぇ、八百屋さんの前で、かんぶつ屋さんの奥さんに聞いたんだけど、今日花火大会があるんだって」
「あっ、それ、昨日回覧板で見たよ」
「あれ、そうだったの。……じゃ、今日は三階に行って花火見るからねぇ」
わが家に正式な三階はない。じゃあ、どこを三階と呼ぶかと言えば、それは屋根の上だ。人間という生き物は、どうも屋根を活用していないようだけど、私たち猫にとって、屋根は部屋のひとつなのだ。
「わーっ、やった! 今夜は晴れるといいな」 私の心は、ますます高鳴る。今から夜が楽しみだ。
「はいはーい、枝豆持ってきましたよ」
母ちゃんが、三階――屋根に上がってきた。夜の屋根の上は、父ちゃん、母ちゃん、私、父ちゃんの友達で医者のあさちゃん(私は本名を知らない)や、その他近所のみなさんなど、猫でごった返している。なぜか、知らないうちに増えていたのだ。父ちゃんは昼間のアイス事件など忘れたふりをして、医者のあさちゃんと、ちびちびお酒を飲んだりしてる。
「しめ治くん、ぼくの持ってきたお酒、どうかな」
医者のあさちゃんが、父ちゃんに話しかけているのが聞こえた。と、そこにかぶさるように、大きな花火が上がった。
「お、始まった、始まった」
誰かが言って、みんないっせいに夜空を見上げた。大きいの、小さいの、花火がドーンと上がっては、バラバラと散っていく。
「きれいだなぁ」
私がうっとりとつぶやいた瞬間、後ろから、ドンッ、と肩をたたかれた。
「うおっ」
屋根から落ちそうになって、私は危ういところでふみとどまった。
「へへっ、落ちなかったなぁ」
兄ちゃんの声だ。ぱっとふり向くと、案の定、兄ちゃんが立っていた。
「兄ちゃんっ、あぶないじゃん! 落っこちるかと思った……」
「まあ、そう怒るなよ。お前、猫だから落ちても平気だろ?」
まあ、そりゃそうだけどさ……って、ちがう! もう少しでごまかされるところだった。「それよりっ。兄ちゃん、今までどこに行ってたの」
「そうよ。ねぎ男、あんた一体どこ行ってたの」
母ちゃんまで口をはさんできた。
「あちゃー、母ちゃんも聞いてたのか」
兄ちゃんは顔をしかめた。
「……これを買いに行ってたんだよ」
兄ちゃんが、持っていた袋から何か取り出す。出てきたのは、ほかほかの焼き鳥がたくさん。私が思わず、
「わあ、おいしそう」
と言った時には、もう、そのうまそうな焼き鳥に、みんな、わっと群がっていた。
「だから言うのいやだったんだよなぁ……」
という、兄ちゃんのつぶやきが、かすかに聞こえた。でも、兄ちゃんは、ちゃっかり自分の分を四本(私は三本)も確保していたし、みんな口ぐちにお礼を言われて、まんざらでもなさそうだ。そして、私は、
「半日走り回って、安くてうまいのを見つけたかいがあったな」
という、兄ちゃんの満足げな第二のつぶやきを聞いた。
私は、兄ちゃんの横顔を見ながら、昼間当てたアイスのくじ、兄ちゃんにあげてもいいかな、と思った。実は、かなり前にも一回当たりが出て、ずっとしまってあるのだ。二人で一本ずつ食べたら、一人で食べるより、ちょっとだけうれしいかも知れない。
暗い夜空に散る花火は、ぽっかり浮かんだお月さまよりなお明るく、私の心を照らしていた。
(おわり)
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