猫又様のお年越し

矢杉 麻衣



 猫の国にも大みそかがやって来た。一年の最後の日、みんな、なんとなくあわただしい。「あーっ、どうしよう。卵買ってくるの忘れちゃった!」
 母ちゃんの叫びが台所に響いた。
「きゃー、かまぼこにカビが生えてる! 父ちゃんっ、ちゃんと賞味期限見てかっぱらってきたんでしょうね!?」
「……んー? どうだったかな。忘れちまったなァ、わはははは」
 ……いや、あわただしいのは、うちの母ちゃんだけかも知れない。私は、ぬくぬくのこたつから顔だけ出して台所の方を見た。こんなに寒いのに、母ちゃんよく仕事してられるなぁ。それに比べて、こたつの中は天国だ。私の他に、父ちゃんと兄ちゃんも入っていてきついけど、まあそこは大目に見てあげよう。
「ぶわっくしょい!」
 兄ちゃんが盛大にくしゃみをした。ティッシュを一枚取って、びーっ、と鼻をかむ。で、丸めたところまではよかったんだけど、ゴミ箱は、はるか部屋のすみだ。兄ちゃんはちょっと考えてから、ねらいを定めて、ぽい、とゴミ箱の方にティッシュを投げた。
「おおっ!」
 思わず私は声を上げた。兄ちゃんの投げたティッシュの玉は、見事な曲線をえがいてゴミ箱の方へ飛んだ。玉がゴミ箱のふちに当たって、ぽんぽんはねる。よしっ、もうちょっとだ、入れ、入れ! 兄ちゃんも私も、向こうの方に顔が出ている父ちゃんまで、精いっぱい首をのばして、その様子を見守った。
「入るか!?」
「っ……、あーあ」
 張りつめていた空気が一気にとけた。テイッシュの玉はゴミ箱のすぐ下に転がっていた。「おしいっ、惜しすぎるよ兄ちゃん!」
「いやあ、実に惜しかった。しかしねぎ男、まだ次がある! 希望を捨てるなっ」
「と、父ちゃん、しじみ、ありがとうっ。おれ、がんばるよ!」
「そうだ、あきらめるな兄ちゃん! さあ、もう一回ティッシュを……」
 私がそこまで言ったとき、黒い影が台所から、ぬうっと現れた。ま、まずい、母ちゃんがおこった!
「三人とも! さっきから聞いてれば、ぐだぐた、ぐだぐだ。一年の最後ぐらい、横着しないっ、仕事をしなさぁいっ!!」
「は、はいぃっ!」
 私たちはコタツから飛び出して、さながら隊長の前へ整列する部下のように、直立不動で敬礼をした。

 結局、その日一日私たちは、家の片づけをしたり、店のそうじをしたり、明日(というか来年)食べるおせちを用意したりと、わき目もふらず働いた。いや正確には、母ちゃんの目が光っていたからサボれなかったのだ。
 そうして、ようやく最後のそうじ道具を片づけ終わったときには、もう日が暮れようとしていた。
「わあああ、今年最後の一日がァっ。丸々つぶれちまったぁ……」
 父ちゃんの情けない声が、きれいになった座敷にこだまする。きっとこの言葉の後には、「せっかく酒でも飲んでゆっくりしようと思ったのに」っていう心の叫びも続くんだろうな。だけど私も兄ちゃんも同じだけ働いたんだからね、不公平じゃない。ああ、でも、疲れまで平等にやって来るのはいやだったなぁ。私は腰をトントンたたいた。ばあさん猫ってこんな気持ちなんだろうか。
「まあまあ、いいじゃないの。家もきれいになったし、おせちの下ごしらえもできたし。それにね、まだ一日は終わってないのよ!」
 明るい母ちゃんの声が、やけに大きく聞こえた。まだ終わってない? この上何をすると言うんですか、母ちゃん。
 母ちゃんは、ぐいっとこちらに身を乗り出して、ふふふ、とあやしく笑った。
「二年参りよ」
 それを聞いた父ちゃんが、ひょえーっ、とおののく。
「に、二年参り……っ」
「――って、何だっけ」
 私は首をかしげた。どっかで聞いたことがあるような、ないような。
「もう、しじみはおどしがいがなくて面白くないわぁ。二年参りっていうのはね、大みそかの晩に神社にお参りをして、そこで新年を迎えてすぐに、またお参りするの。そうすると二年続けてお参りしたことになるでしょ?」
「へえ、だから二年参り」
「そういうこと」
 なるほど、それは理解できた。でも母ちゃん、それで私たちにどうしろと?
「もちろん、みんなで猫又様へ二年参りに行くに決まってるじゃない。ねっ、父ちゃん」 父ちゃんは、引きつった笑いをうかべた。

 なぜ父ちゃんが二年参りをいやがるのか分からないまま、母ちゃんに引っぱられて、私たちは近所の猫又神社へ出かけた。猫又様はノミ除けの神様だ。ありがたや、ありがたや。 いつもなら、あまり猫のいない神社だけど、今日ばかりは、明々とかがり火がたかれ、たくさんのアルバイト巫女さんが、お守りや新年用の猫だるまなんかを売っている。チョコバナナやからあげの屋台もあって、境内はちょっとしたお祭りのようだ。
「うわっほい! お祭り好きの血がさわぐ!」
 私は、うでまくりのフリをしてみせた。
「ほらねー、来て良かったでしょ」
 得意顔で言う母ちゃんに、私と兄ちゃんはうんうんうん、とうなずいた。
「さあさ、今年のうちに一回お参りしておきましょ」
 私たちは橋を渡って島の社へ向かった。水面にかがり火が映って、ゆらゆら揺れていた。 おさい銭を上げて、カラカラ鈴を鳴らして二回手をたたく。
「今年はお世話になりましたっ!」
 頭を下げながら私が大きな声で言うと、周りにいたおばさん猫がくすくす笑った。おかしいな、私、何か変なことしただろうか。うーん……まあ、いいや。それより私は、さっきから気になっていることがあるんだ。
「ねえ、母ちゃん。甘栗が食べたい」
 来るときに見てからずっと食べたかったのだ。夜の冷えた空気にほかほかの甘栗……いーなぁ。ああもうっ、想像したらもっと食べたくなっちゃった。
「仕方ないねぇ、ほら、お金あげるから買っといで。――あっ、兄ちゃんと分けて食べるのよ!」
「はいはい、分かってますぜ親分!」
 いやあ、父ちゃん。あなたはいやがってたけどね、なかなかどうして、二年参りって楽しいじゃないですか!

 ……そうでもなかった。いや、途中まではそれでも良かったのだ。でも神社で年を越すということはつまり、真夜中すぎまで起きていなければいけないということで、それを私は、全然考えていなかった。
「眠い……」
 ずいぶん前から重くなり始めているまぶたを、私は必死でこじ開けた。私たちは、初もうでを待つ行列に早々とならんでいるのだけど、私はもう、そこにじっと立っているのもつらい。
「ほぉらな。だぁからおれは来るのがいやだったんだよ。ふわわわわ」
 父ちゃんが寝ぼけた声で私に言った。誰ださっき「二年参りは楽しい」って言ったのは……あ、私か。兄ちゃんも、妙ちきりんな顔になっていた。より目になって空中をにらみなおかつ鼻にしわがよっている。よっぽど眠いらしい。どうやったらあんな顔になるんだ。元気なのは母ちゃんだけ。平気な顔して順番待ちをしている。なんだかんだ言いつつ、こういう所、母ちゃんは偉大だ。
「……さむ」
 私はぶるりとふるえた。耳をすますと、遠くで除夜の鐘が、ごおおおん……、と鳴っている。かがり火が揺れた。
 眠い頭で私は、ああ今年も終わりなんだ、と思った。神社の木々の枝ごしには、寒い冬の星。隣に目をやれば、あいかわらずしゃきっとした母ちゃんと、半分夢の中の父ちゃんと、変な顔の兄ちゃんがいる。
 はかまをはいたおっちゃんが、時計を見て年明け一分前のカウントダウンを始めた。二十秒前くらいから、段々と他の声が重なり、十秒前には、境内にいるほとんどの猫が声を出していた。私も、眠気を追いはらうように大きな声で数をかぞえた。
「十、九、八、七」
 私のはいた白い息が、ほう、と流れる。
「六、五、四」
 かがり火の映る池に、風が渡った。
「三、二」
 ああ、今年最後の風だ。
「一」
 ドドン、と、太鼓の大きな音が辺りに響き、ざわざわと社に向かう猫の波ができた。流れにもまれながら、私の番が回ってきた。鳴り止まない太鼓の音の中で、さい銭箱に小銭を投げてお参りをする。横目でとなりを見ればあいかわらずしゃきっとした母ちゃんと、半分夢の中の父ちゃんと、変な顔の兄ちゃんがいる。一月一日も、みんないっしょだ。
 ー今年も、良い年になりますように。
 声に出さないお願いをして、私は、深く深く頭を下げた。

(おわり)



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