三月のアフガニスタンは、まださむさの中だ。夜は、水もこおるマイナスの気温となる。
ところが、この国には、その水さえない。
「おてんとうさまは、もうずいぶんとわしらのことをわすれちまってる」
アハマドじいさんのいうとおり、戦争のつづくこの国に、雨はもう三年以上もふっていない。
ミーナも、ときどき「神さまは、私たちの国を、ずっとるすにしてる」と思うことがある。
ミーナが生まれてから九才の今まで、この国が戦争でないときはなかった。母さんが子どものときから、戦争はつづいている。
きょ年の秋、戦争は一番ひどくなった。飛行機のばくだんが、ミーナの町をぶつぶつのあなだらけの町にかえてしまった。いまは、くずれかけた遺跡のようになった町に、草や木が、うっすらと細い命を立ち上がらせている。
ミーナの家も、はんぶんがくずれおち、のこったはんぶんは、やねのない、かべだけの家になった。その家に、ミーナと弟のナウィード、それに母さんの三人が、くらしている。
それでも、朝になれば、遠くの雪山に白い光がぼっとひろがり、やがて日がのぼる。
朝日は、かんそうした町にするどくさしかかり、がれきのかげを長い刃もののようにのばしていく。
「ミーナ、おきて」
ミーナが朝日をさけてもぐりこんだぼろ布を、母さんのやせた手がゆらした。
「おはよう母さん」
母さんの顔が目にはいると、ミーナは、ぼろ布から思い切りよくとびだした。ミーナは、母さんの大きな黒いひとみと、長いまつげがすきだ。それは、女の子であるミーナにそのままうけつがれている。その母さんの目のまわりに、このごろ、しなびたオレンジのようなしわがふえている。
「おねがいね、ミーナ」
「うん、母さん」
ねるときも、おきているときも、ミーナは服を着がえない。ありったけの服を身につけているだけだ。外へ出るときは、青いスカーフを頭からすっぽりとまけばいい。
ミーナは、からになった水さしを両うででかかえると、外へと歩きだした。
雨のふらないこの町では、とおくの川から水をひいていた。だが、戦争で用水路がこわされ、その水がとどかなくなると、水くみが、子どもたちの仕事になった。
「はやいね、ミーナ。」
町のかどのがれきの上には、いつものとおり、アハマドじいさんが、銃を手にすわっている。
「こんど連中がきたら、このわしがみなごろしにしてやる」
この町に、おとなの男は、アハマドじいさんしかいない。ほかの男たちは、みんな殺されるか、兵士として連れて行かれた。ミーナの父さんも、この町を占領していたタリバンの兵士にむりやり連れて行かれた。
「なにが神さまの兵隊だ。あいつらのやるこたあ、悪魔のしわざだ」
アハマドじいさんがおこるのは、むりがない。タリバンの兵隊は、アハマドじいさんが、町の子どもたちとたこあげをしたというだけで、広場にひきずりだし、その右手を金づちでつぶしてしまったのだ。
「おかげで、連中はわしを兵士としては連れていかなんだ。だがなあ、左手がありゃあ、銃の引き金はひけるさな」
アハマドじいさんは、だれにたのまれたわけではないのに、この町のかどで、タリバン兵がもどってこないか見はっている。
「いってきまーす」
ミーナは、水さしからはなした右手を、兵隊のようにピンとしてあいさつをすると、山のふもとにむけてかけだした。
「気をつけていくんだぞ」
アハマドじいさんが気をつけろというのは、タリバン兵だけじゃない。川への道には、盗ぞくもでる。何よりも、数え切れないほどの地雷がうまっている。レイラ先生は、「この国には、一千万個の地雷がうまっているの」と、教えてくれた。
レイラ先生は、ミーナが四年前、一年間だけ通った、この町の学校の先生だ。タリバンの軍隊が来てから、「女は学校へ行く必要はない」と、女の子が学校へ行くことは禁止された。レイラ先生も、女の人だからという理由で、学校で教えることができなくなった。
それでも、レイラ先生は、こっそりと自分の家にミーナたち女の子を集めて、勉強を教えてくれた。「いまのあなたたちにこそ、いちばん勉強がたいせつなのよ」と。
でも、今日からは、女の子も学校で勉強ができる。町を占領していたタリバン兵は、同盟軍に追われて一人もいなくなった。今日はその新学期のはじまりの日なのだ。
ミーナは、レイラ先生のような学校の先生になりたいと思っている。戦争をするなんてばかなことを、もうだれも考えつかないように、しっかりと学校で教えるんだ。女の子は、勉強も仕事もしちゃいけないなんていう、ばかなことをもうだれも言い出さないように、しっかりと教えるんだ。今日から、学校で、先生になるために勉強するんだ。
そんなことを考えながらいくと、ミーナの足どりははやくなる。さいごの丘をこえて、小さな川でたっぶりの水をくむと、休みもせずに帰りの道にむかった。
「ミーナ、いっしょに行こうよ」
岸にこしをおろしていたミーナの友だちは、ミーナが、えがおで、
「わたし、今日から新聞も売るの」
とこたえると、目をまるくして、ミーナを見おくった。
女の子が水くみをしだしたのも、このごろのことだ。それなのに、ミーナは男の子にまじって、新聞くばりの仕事をするというのだ。
でも、わたしぜったいにやるの。ミーナは、はいているながぐつがぬげそうなほど、じめんをしっかりけって歩きだした。
母さんは、病気だ。せきがとまらないし、顔色も悪い。こんど、となりの町にできた、テントのお医しゃさんにつれていこう。弟のナウィードは、左足のひざから下を地雷にとばされて、今は義足をつけている。たきぎにして売るかれ枝を拾いに、地雷のある原っぱにはいってしまったのだ。
父さんが帰ってくるまで、わたしが働いて、母さんを助けるんだ。弟のナウィードだって、「また、たきぎ売りをするんだ」と、義足の練習をはじめてる。
女の子のわたしだって、働いていいんだ。レイラ先生だって、「いい考えよ、ミーナ」といってくれた。
帰り道は、朝日にむかって歩く。ミーナのほほは赤くそまった。
丘をこえて川が見えなくなったとき、ミーナの足がとつぜんにとまった。朝日のまぶしさの中に、土ぼこりがたつのが目にはいったのだ。
土ぼこりは、山のふもとからころがりでるように、こちらにむかってくる。
だれか来る。しかも、地雷のうまった中をつき進んでくるんだから、なにかひどいことがおこってるんだ。
水さしをぎゅっとだきしめたミーナの耳に、
キューン
と、空気をさく音がひびいた。そうして、空気のふるえが、ミーナの全身を波だたせると、光と土ぼこりがスローモーションのようにひろがり、なにも見えなくなった。
銃弾の音と、トラックが大地をけずる音が、すぐ近くまでせまってくる。
白い土ぼこりの中から、とつぜんひとりの兵士がとびだした。
「にげろ!」
ドンとせなかをおされると、ミーナは、いきおいのままにかけだした。走り出すと、こわさが体中にひろがり、くるったたいこのようになりひびいた。
ながぐつがぬげおち、水さしの水もとびちってしまったが、ミーナの足はとまらない。土とかれ草の野原を走りつづける。
ミーナの足がようやくとまったのは、
ドーンッ
と、近くでおきた爆発に、はじきとばされたときだった。
それからどのくらいたっただろう。トラックの音は遠くに去っていた。投げ出されていたミーナは、ひたいから流れ落ちたものが、ほほをどろりと流れる気もちわるさに目がさめた。地面にすいこまれてしみとなっていくのは、水さしの水じゃなくて赤い血だった。
血のしみが黒く広がるのを見ながら、アハマドじいさんが、
「山の中には、まだタリバンの連中がいる。逃げだしてくる兵士もいるから、気をつけるんだ」
と言っていたことを思い出していた。
わたし、死んじゃうのかしら。けがをしてるし、ここは地雷がうまった野原のまん中だ。ぶじにぬけだすなんてできない。そう思ったとき、近くに立つ人かげに気づいた。見おぼえのあるなつかしい人かげ。
「父さん、父さんなのね。父さんも逃げ出してきたの?」
それは、やせてはいるが、たしかに父さんだった。
「父さん、どうして答えてくれないの?」
父さんは、静かなほほえみをうかべて、ゆっくりと歩きだした。
「まって、父さん」
ミーナは、うでをたてて体をおこすと、ひざをついて立ちあがった。頭がふらっとしたが、なんとか歩くことはできる。
父さんは、せなかを見せて、ミーナの前をゆっくりと歩いていく。
「母さんが病気なの。ナウィードも左足をなくしちゃったの。父さん、家に帰ってきて」
ふりかえった父さんは、悲しそうな顔だった。でも、やはりなにも言わずに、歩きつづけていく。
ミーナも、こんどはだまったまま、父さんのあとについて歩きだした。なみだの流れたあとが、そこだけミーナのほほの血を消してていった。
道にひとりたおれているミーナを、友だちが発見したのは、それからしばらくたってからだった。
「ころんじゃったの」
ミーナは、ひたいの傷のわけを、友だちにも母さんにもそういった。あのまま消えてしまった父さんのことも、だまっていた。父さんの悲しそうな顔を思いだすと、母さんや弟のナウィードには、言わない方がいいと思ったからだ。
新聞売りができなかったのは、ざんねんだったけれども、ミーナは、午後からはじまる学校へは行った。
レイラ先生は、四年前と同じように授業をはじめた。ただ、みんなの出席をとるときに、すっぽりと顔をつつんでいた白いスカーフをとって、そのままだまって机の上においた。
そうして、みんなの名前をひとりひとりよぶとき、静かになみだをながした。
みんなは、レイラ先生のあとについて元気よく、黒板に書かれたことばを読んだ。
水 神さま 家ぞく
ミーナは、ひたいの傷にひびかないように、そっとそのことばを読んだ。
そうして、
「神さまはいるわ」
と、小さく声にだして言ってみた。
(おわり)
|