稲穂はわすれない

柳沢 朝子



「おーい、ユリちゃん。ちょっときて。見せたいものがあるんだ」
 となりの高木おじさんが、門の中からよびかけた。
 おじさんはお父さんの弟でJAにつとめている。子どもはいないけれど、ユリたちはしょっちゅうおじさんの家にあがりこんで遊ぶ。 四月のおわりの、ある土曜日の朝。
 小学五年生のユリは、子ども会のごみひろいをおえて帰るところだった。
 道に落ちている、あきかんやペットボトルをひろってあるくのだが、みつけると、すっとんでいってひろってくるのは、いつもユリについてくる一年生の弟のタカシなのだ。
 ホースで、庭の植木に水をくれていたおじさんは水道をとめ、車庫のかぎをあけた。
「タカシ、おなかへったでしょ。さきに帰ってていいよ」
 ユリがいうと、
「やだ、ぼくもいく」
 タカシはかけだして、おじさんがもちあげた、シャッターの下から中にもぐりこんだ。 おじさんが、車の中から持ってきたのは、ふたつのビン。中には、黄色い稲穂がはいっていた。
「これは、とても、きちょうな稲穂だから、ぜひ、二人にみせたかったんだよ」
「わかった、新しい稲の品種でしょ。食べるとやせられるお米になるとか」
「ばか」
 おじさんは、だんごっ鼻の上のギョロ目をむいてユリをにらんだ。
「ユリちゃんは、原爆をしってるよね」
 ユリはどきっとした。
「知ってるよ……」
 本で読んで知ってはいるけれど、じぶんとはかけはなれた、遠いできごとのような気がして、人まえで、反対とかの意見をいったこともない。
「じつは、この稲穂は、長崎の原爆で、やけ野原となった田んぼでみつかった、イネの子孫なんだよ」
「ええっ、ほんとぉ?」
 おもわず、ごくっとつばをのんだ。
 考えたこともなかったその原爆を、とつぜん、目の前につきつけられたような気がした。
「信じられない。原爆で、やけなかったなんて……イネが……」
「いや、地上部分は、いっしゅんのまに火の海にのまれたと思う。でも、土の中の根っこだけは、なんとか生きのびたんだ」
 おじさんはそういって、池のふちのたいらな石にこしをおろして話しはじめた。

 長崎に原爆が落とされて、七十日あまりたった、一九四五年の秋だった。
 強い放射能の影響を調べるために、文部省の人たちが長崎に入った。
 その中に九州大学の一人の老教授がいた。 浦上天主堂はくずれおち、赤いレンガが、がれきの山となっておりかさなっている。
 いまにも降りだしそうな、くもり空の下を、教授はおもい足どりで、そのがれきの山のそばの、やけた田んぼをよこぎっていた。
 ふと、たちどまると、くつの先に小さなイネがぽつんと一本、みじかい穂をつけている。
 原爆のものすごい熱気にも、九州の暑い夏にもたえたイネは、生きのこった根から芽をだし、もうじき冬がくることを知って、いそいで小さな穂をつけたのにちがいない。
 教授は、イネを根っこごとほりとって、コートのポケットに入れ持ちかえった。
 いのちあるものは、みな、生きたかった。
 そのおもいをつげているこの稲穂が、死んだ人々のたましいのようにおもえて、ポケットの中で、そっとにぎりしめた。
 戦争が終わって何年かたって、もみはまかれることになった。
 焼け土にはえたので、もみはじゅくしていないかもしれない……。
 どうか、生きていてくれ……。
 教授はいのるような思いで、もみをまいた。
 水にひたして十日目、一ミリくらいの白い糸みたいな根がでた。
 教授は思わずなみだぐんだ。
 成長した苗は、大学の試験田にうえつけられた。
 その年の秋、イネは穂をたれ、じゅうぶん、みのったかにみえた。
 しかし、しゅうかくしてみると、ついているもみのうち、半分はしいな(実のないもみ)だった。
 研究していくうち、教授は大きなショックをうけた。
 イネは、強い放射線にさらされたため、遺伝子がきずつき、半分は米つぶになることができなかったのだ。
 なんということだ。このおそろしさを、ぜひとも、人々につたえていかなければ。
 後輩のわかい先生に、原爆の生きた証人であるイネをひきついでくれるようたのんで、老教授はなくなっていった。

「それから、六十年ちかくたった今も、稲穂は異常をしめしつづけているんだってさ」
 おじさんは、話しおえると、ユリの耳もとで、そっと、ガラスびんをふった。
 稲穂がガラスにこすれて、シャリシャリと小さくなった。
 タカシにもたせると、あおざめた顔でビンをだきしめ、こわそうにみつめていた。
「おじさん、このイネ、どうするの?」
「このままにしておくと、いつかしけって、カビがふいたり、虫がついてしまう。五月にはいったら、土にまこうと思う」
 おじさんは、先月、JAの全国大会で名古屋へいき、そこで大学の先生と知り合って、この稲穂をゆずりうけたのだそうだ。
「おねがい、おじさん。わたしにも、タネをわけて。すこしでいいから」
 ユリはいった。
「どうするんだい」
おじさんは、びっくりしたようにいった。
「うえきばちにまくの。めがでたら、バケツにうつしてそだてるわ。どんな穂がでてくるか、この目でたしかめたいの」
「ほんとうかい。子どもたちが原爆に関心をもってくれるとは、心強いことだなあ」
「おねえちゃん、やりかた、わかるの?」
「うん。学校でことし、バケツ稲をそだてることになったんだよ。先生におそわるから、きっとうまくいくと思うんだ」
 とたんに、タカシははしゃいで、
「ぼくも、ぼくもやるやるっ」
といって、とびまわった。
 おじさんは、おわんを二つとってきた。
 それから、あわせた二つのおわんの間に穂をいれ、くきをひっぱってしごいた。
 おわんをあけて見ると、下のおわんの中に少しのもみがたまっていた。
 その中から、かんでみてかたそうなのをえらんで、五つぶ、ユリの手のひらにのせてくれた。
 五月なかば、ユリは、もみを水にひたした。 もみが根をだし、苗にそだったとき、土を入れたバケツにうつし、日のあたる、家の庭さきにだした。
 六月、雨の中でイネはぐんぐんのびた。
 バケツにういたアオミドロをすくっていると、イネをはげますようにせみがないた。
 とんぼがとんできたこともあるし、葉には、生まれたてのカマキリもとまっていた。
 すずめがよってこないように、バケツのまわりにひももはった。
「やあ、よくのびたね。JAの高木さんから話をきいたよ」
 ある日、ひょっこり、カメラをもった新聞社の人がきて、イネを写真にとっていった。
 その時は、高木おじさんもいっしょに見にきて、うれしそうに目をほそめていた。
「だけど、このままじゃ、葉っぱがばらばらで、台風でもくれば、みな、たおれちゃうぞ。たおれないように、ひとまとめにして、ひもでしばってやりなさい」
 ユリがイネをしばる時、イネの葉は、女の人のかみみたいに、さらさらなった。
 八月九日、あの長崎に原爆が落とされた日がきた。
(五十七年前、その日も、イネはこんなふうに日をあび、風になびいていただろうか。まもなく、原爆が落とされる時が近づいていることなど、ゆめにも知らないで……)
 その時の、イネの気持ちがつたわってくるようで、ユリのむねは苦しくなった。
 それから二、三日して、一通のはがきがきた。
『高木ユリさん、新聞で見ました。あなたは、げんばくのあとにはえていたイネをそだててているそうですね。それを知って、ぼくは、ぼくの心にも、おなじイネをうえました。げんばくはいまもなくなっていません。が、ぼくたちは、地球にしっかり根をはって、げんばくのなくなる、平和な世の中をつくろうね。
           五年 小林よしのり』

 その秋、ユリのとった稲穂についていたもみのうち、およそ半分はしいなだった。
 ユリは、
(ああ、やっぱり……)
と、思った。そして、
(生き物のいのちをうばう戦争や、遺伝子まで変えてしまう原爆は、ぜったいにまちがっている。わたしは、これから、この意見をみんなの前で、自信をもっていっていこう。このイネをにぎってるんだから……) 
 そう心にちかった。

(おわり)



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