白い手

牛丸 仁



――おさかないっぱいつりますよ
――ぼくは十ぴきつりますよ
――それならぼくは百ぴきつりますよ
――ぼくは千びきつりますよ
――それならぼくは万びきだ
――ぼくは万の万びきだ
――そんなかずはありません
 夏休みはじめての土よう日でした。
 おとうさんのうんてんする車の中で、三年生のケンタと、おとうとのコウジが、ふしをつけていいあっています。
 おとうとが一年生になったので、ことしは子どもだけでつりをしてもいいとゆるしがでて、ケンタはうれしくてたまりません。
「あんたたちいいかげんにしなさい。おじいちゃんのはたけのおてつだいにきたんでしょ」
 じょしゅせきのおかあさんが、ふりむいてしかりました。
 そのとき、おとうさんがきゅうに車をとめました。
 ケンタは、おとうさんにもしかられるかとどきっとしました。
「いいか、あのマツの木のところへはきてはいけないぞ。あそこより上でつるのだぞ」
 おとうさんは、川のきしの大きなマツの木をゆびさして、しんけんにいいました。
 ケンタがわけをきこうとすると、
「あっ、おばあちゃんだ」
と、おとうとがさけびました。
 すぐさきのはたけで、おばあさんがトマトをとっていました。

 おじいさんのいえについておひるをたべると、さっそくつりにいくことにしました。
 おじいさんが、うらのたいひの中から、えさにするミミズをほってくれています。
「おじいちゃん、とうちゃんがマツの木のところへはいくなっていったけど、どうして」
 ケンタは、きになっていたことをききました。
 おじいさんは、くっとくわをとめて、
「あそこか、あそこはいかん。ぜったいにいくなよ」
ときつくいいました。
「だから、どうして」
「人の手が出てくるかもしらん」
 ケンタはぞっとしたが、そんなばかなともおもいました。

 いえのまえのみちをよこぎるとすぐかわらです。川は五メートルくらいのはばで、おおかたはあるいてわたれるふかさです。ところどころにいわが出ていて、その下はすこしふかくなって水がまわっています。そこがねらうところです。
 ケンタは、おとうとにえさをつけかたやつりかたをおしえて、つりはじめました。
 それから一じかんくらいたちました。けれども、ふたりともさかなはつれません。あちこちばしょをかえても、さかながえさをつっつく手ごたえもありません。
 日はかんかんてりつけるし、いとにつけためじるしをみつめる目も、さおをにぎっている手もつかれてきました。
「もうつかれちゃった」
 おとうとが、あせびっしょりのまっかなかおで、なきそうにいいました。
「やめようか、あしたもあるから」
 ケンタがそういって、ふたりがつりいとをまきはじめていると、川の下のほうからつりざおをかついだ女の子がやってきました。
 青いぼうしと赤いながぐつで、白っぽい石ばかりのかわらではとてもめだちます。
 すぐちかくまできたとき、おとうととおなじくらいの年にみえました。その女の子は、三十センチもありそうなイワナをササのくきにさしてぶらさげています。
「すごい!」
 ケンタはおもわずいいました。
「どこでつったの」
ときくと、女の子は、
「マツの木のとこ」
とこたえてとおりすぎていきました。
 ケンタは、女の子のイワナをじっとみおくっていていいだしました。
「そうだ、あそこへいってみよう」
「あそこって?」
「マツの木のとこ」
「だめだよ。おとうさんもおじいちゃんもだめだっていっていたじゃないか」
「だいじょうぶさ、あの小さな子だってあんなに大きなのをつったんだから」
 そうはいったけれど、ケンタの耳には、おとうさんの「いけないぞ」というこえも、おじいさんの「人の手」というこえもきこえます。
 しばらくまよっていたが、やっぱり女の子のぶらさげていたイワナを、目の中からけすことはできませんでした。
「しかられてもしらないよ」
としんぱいするおとうとをのこして、ケンタはマツの木のほうへあるきだしました。

 マツの木の下は、ゆうがたのようにうすぐらくなっていました。川は、きゅうにふかくなっていて、ふかみどりの水がゆっくりうずをまいています。水の音もしないので、あたりはしんとしています。
 ケンタは、ちょっときみがわるくなってまよったけど、もうきてしまったんだからと、かくごをきめてさおをふりました。
 ポチャン
 おもりのおちる音が、やけに大きくひびきました。
 えさの一メートル上につけた白いプラスチックのめじるしが、水の中にひきこまれていきます。それがみえなくなっても、まだいとはひきこまれていきます。さおのさきがすいめんすれすれになったとき、ようやくとまりました。
(三メートルか。ふかいなあ)
 ケンタは、さおをそっと三十センチくらいひきあげました。いとがゆっくりうずといっしょにまわりはじめました。
 いとは、すこしずつばしょをかえながらまわっています。そして、十かいくらいまわったとき、ふっととまりました。
(うん? きたか)
 ためしにさおをくっとしゃくってみました。 すると、ずっしりとおもみがつたわってきました。
(これは大きいぞ)
 むねがどきどきします。
(あわてるな、ゆっくりゆっくり)
 あせるきもちをおさえて、さおをたてていきます。白いめじるしがみえてきました。
(ようし、あと一メートルだ)
 なにがかかっているかまだわかりません。
 十センチ、二十センチ。とそのとき、水の中に白いかげがぼうっとうかんできました。
(さかなのはらだな)
 ケンタは、こうふんでふるえながら、さおをたてつづけました。白いかげはだんだん大きくなってきしにちかづいてきます。
(よしっ、もうだいじょうぶだ)
 いっきにさおを頭の上までひきおこしました。
「わあああっ」
 ケンタは、あたりにひびきわたる大ごえをあげて、さおをなげだしました。そして、がくがくふるえる手と足でよつんばいになってにげだしました。いくらあせってもまえにすすめません。ゆめの中で、こわいものにおいかけられているみたいです。

「ケンタ、どうしたんだ」
 頭の上でおとうさんのこえがしました。おとうともいました。
「し、し、白い手が……」
「なに、白い手だって?」
「白い手がかかってきた」
 ケンタは、そういうと力がぬけてすわりこんでしまいました。
「マツの木のとこだな」
 おとうさんは、そういって川の下のほうへはしっていきました。
「にいちゃん、だいじょうぶ? ぼく、しんぱいだったから、おとうさんをよびにいったんだ」
 おとうとがのぞきこんで、しんぱいそうにいいました。ケンタはこたえるげんきもありませんでした。
 やがて、おとうさんが、ケンタのつりざおをかついでかえってきました。
「ケンタのあわてもの。白い手のしょうたいは、これだ」
 おとうさんの手には、おかあさんがおかってでつかっているのとおなじような、白いビニールの手ぶくろがぶらさげられいいました。

 おじいさんのいえにかえって、ケンタは、しかられたりからかわれたり、さんざんでした。でも、そのあとのはなしは、こわくてふしぎでした。
「その女の子って、どんな子だったんだ」
と、おじいさんがききました。
「コウジとおなじくらいで、青いぼうしに赤いながぐつだった。なあ、コウジ」
と、ケンタがこたえました。すると、
「なんだって、青いぼうしに赤いながぐつ? あのときとおなじじゃないか? おお、こわい」
と、おばあさんが、目をまるくしていいました。
 九年まえの夏、となりの女の子がマツの木の下におちこんで、いのちをなくしたというのです。

(おわり)



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