里程観音が見守る峠 / 十文字峠
栃本〜四里観音避難小屋(泊)〜十文字峠〜梓山
![]() |
里程観音の前に腰掛けて、煙管を旨そうに燻らしている男がいる。 頭に菅笠をかぶり、手には手甲をつけ杖を持ち、足元は足袋に脚絆姿で 擦りきれた草鞋を履いている。 腰につけた鈴が、時折吹く風にチリンチリンと揺れている。 疲れた表情のその男に 「どちらの方ですか」と尋ねると、 煙管を咥えながら こもった声で、 十文字峠には、こんなやりとりが実際にありそうな雰囲気が残っています。 |
![]()
● 栃本周辺 ● |
|
|
自宅から栃本までは、なんて遠いことでしょう! 朝4時半に家を出て、電車とバスを乗り継ぎ、 10時半に栃本関所のバス停に降り着きました。 三峰口から秩父湖を経て、栃本に至るバスはなんともローカルです。 このバスは「メロディーバス」と呼ばれ、
|
|
峠をこちらからあちらへと「正統的に越える」のは久し振りです。 いつもは摘み食いばかりで、まともに峠を越えていないことが多いのです。 十文字峠を埼玉県大滝村栃本より、長野県川上村梓山まで 十文字峠は一昔前の山岳紀行文である大島亮吉や田部重治の 十文字峠に行くのなら、石楠花の咲く頃にと決めていたので、 |
|
栃本は、思っていた通りの美しい集落です。 南斜面にへばりつくように家が建ち、転げ落ちるような畑が 急傾斜地にひらかれています。 埼玉県のどんづまりの村という閉塞感はなく、 |
|
道端に畑仕事をしている人の背負子が立て掛けてありました。 山村ではまだ現役の道具です。 ヴィトンのバックも、エルメスやプラダのバックも無用の長物です。 |
|
集落の中ほどに、 「右 志んしう道(信州道) 左 可うしう道(甲州道)」と と刻まれた天保13年の廿三夜塔や、 「両面大権現」と刻まれた古い石灯篭があります。 ここを右に折れて、畑の中の細道である旧信州往還を進みます。 綺麗な草花を愛でながら、一歩一歩空に近づいていきます。 |
|
牛蒡平を経て、大正時代の「左ハ山道 右ハ信州道」のしるべ石の 分岐で右に折れて、杉の植林地の山道に入ります。 わずかの登りで、凛々しい山犬像が守る両面神社です。 送電鉄塔の脇をすり抜けると、 ここで息を整え、 |
|
林道を横断して、再び山道に入ると、 長い長い十文字峠道が本格的に始まります。 ここからの楽しみは峠道を見守る里程観音様との対面です。 観音様との言葉なき対話を愉しむのがこの峠道の歩き方なのです。 |
![]()
● 里程観音さま ● |
|
| 『写真集・峠の四季』(新妻喜永著・東京新聞出版局)という本に愉快な十文字峠の紀行が載っています。 長い峠路は、何か気を紛らわすものでも見つけなければ、いいかげん嫌気がさす として 「観音様のお賽銭勘定」をして、峠を歩くという話です。 結果としては、一里観音103円、二里観音35円、三里観音40円、四里観音187円で、 「一里観音の収入多とするは、栃本から登りて初の観世音菩薩なるが故なり。 と分析して、「賽銭白書」をまとめています。 現在の、賽銭状況はどうなっているのか、私も「賽銭白書」を作るべく、失礼とは思いましたが、 |
|
|
|
| ほとんどコースタイム通りの長い峠路です。 すれ違ったのは、単独の男性一人と一組の中高年グループだけ。 静かな峠道です。 山鳥の歌声以外に音はありません。 |
|
|
|
| 二里観音の避難小屋は丸太組みのしっかりした造りです。 鉄の扉、鉄の窓で内部が暗いのが欠点ですが、薪ストーブがありました。 すぐ近くの「のぞき岩」からの展望は良好で、 |
|
|
|
| 所々、笹が道を覆うところがあります。 一里観音から四里避難小屋まではダニに注意です。 半袖半ズボンで歩いていたら、二匹のヤマトダニに取り付かれました。 三里観音付近は、栃本、梓山のちょうど中間点にあたり、 |
|
|
|
| 一泊した四里観音避難小屋から峠への道は素晴らしいの一言。 ツガ・シラビソの天然林とその林床のシダ・コケが美しい。 標高も上がり、酸素が薄いのか呼吸も乱れますが、 |
|
|
|
| 十文字峠を越えて、八丁坂の難所を下ると、 美味しい水場の近くに五里観音が佇んでいます。 ここまでくれば、毛木平までは、ほぼフラットな道です。 |
|
|
|
| 『峠の四季』が発行されたのは、昭和49年のこと。 現在の貨幣価値と、どの程度の差があるかは定かではありませんが、 現況のお賽銭の実態は、さびしいものでした。 信心が薄れたのか、それとも単に歩く人が減ったのか? 50円玉、100円玉の賽銭はなく、ほとんどが1円玉と5円玉でした。 「賽銭白書」に記すとしたら、 |
|
| * 戦場ヶ原に六里観音様がいらっしゃるはずですが、お目にかかることができませんでした。 * 里程観音は幕末の元治元年(1864)に、栃本関守の大村氏と居倉の上田氏などが中心となって 旅人の安全の道しるべとして奉納されたものです。 |
|
![]()
● 四里観音避難小屋泊まり ● |
|
|
秩父湖10時20分発のバスで栃本に着き、それから峠を目指すと、 ちょうど四里観音避難小屋が宿泊地になります。 (無論、冬場は日が暮れるのが早いので要注意) 三里観音を過ぎた辺りから、実際疲れてきますので、 ここはゆっくりと避難小屋泊で峠越えがお薦めです。 |
|
避難小屋の手前に、中津川林道への分岐があります。 道の様子はどうだかわかりませんが、エスケープルートに 使えるかもしれません。 (といっても、林道歩きは延々と長いですが) 避難小屋は丸太作りのログハウス調で、快適そのもの。 |
|
トイレも設置されています。 (白泰避難小屋には無かったと思う) 水場も近く、水量も豊富です。 |
|
荷物の軽量化を図ったため、マットも無いし、 シュラフも持って来ませんでした。 シュラフカバーだけでは寒くて体がブルブルでした。 白泰避難小屋には、薪ストーブがあったのに ここ四里避難小屋に無いのは残念です。 夜、枕元にケハイを感じたので、 丸めた新聞紙で、叩き殺してしまいました。 |
|
夜は真っ暗ですが、窓から満天の星の瞬きが見えます。 往昔の峠越えの様子を思い浮かべて眠りにつきます。 昔の人は、月明かりを頼りに、まだ暗いうちから 僕は切実な理由も無く、峠を越える。 |
![]()
● 十文字峠付近 ● |
|
|
寒さで震えた一夜が明けて、陽が昇ると気温も上昇。 早朝4時には周囲は明るくなってきます。 賞味期限切れのフリーズドライやカップラーメンの 四里避難小屋から峠までの間がこのコースで最も美しい所です。 深林の匂いが心地好い気分にさせてくれます。 |
|
森閑とした林の中、山鳥の朝の挨拶だけが響きます。 早朝の澄んだ大気の中を歩くことはなんと清々しいことでしょうか。 右手、中津川の渓谷は朝霧に埋まっています。 GWに歩いた西秩父・西上州の山々も |
|
四里観音を過ぎて、柳小屋への分岐を見送れば、 念願の十文字峠に到着です。 さて、さて、石楠花は・・・・・咲いていません。(T_T) とっくに盛期を過ぎて散ってしまったようです。 小屋の近くでやっと咲いていたピンクの花を見つけました。 |
|
峠は十文字というけれど、ちょっと変則的な十文字です。 三国峠へ向かう道と、三宝山を経て甲武信岳へ向かう道、 そして、信州梓山への道が交わりあいます。 十文字峠は古代からの道で、信州和田峠付近から秩父地方へ 甲斐武田による奥秩父金山開発時代には、信州から金山へ |
|
江戸時代になると信州と秩父、江戸を結ぶ最短コースとして、 中山道、甲州街道の間道として大いに利用されたようです。 信州からは三峰参詣や秩父札所巡礼の人々が、 交易の面では、信州からは米や酒が運ばれ、 |
|
武州側からは煙草、塩、桶の輪竹が運び出されたそうです。 また信州に山林関係の出稼ぎに行く人や、モンペ姿の花嫁も この峠を越えたといいます。 馬が越えたとか、花嫁が越えたと聞くと、容易な道であると |
|
現在、峠を訪れるのはもっぱら登山者ぐらいです。 それも越えるのではなく、毛木平から石楠花を見に来たり、 甲武信岳へ向かう人々です。 まして峠を、こちらからあちらへと完踏するのは、 峠から秩父側の眺望はかろうじて望むことができますが、 |
|
峠から梓山に向けての下りには、八丁坂の難所があります。 難所といっても急傾斜をクネクネと飽きるほど下るだけです。 逆からだったら息があがりそうです。 ここを昔の人は米を運び上げたとは・・・スゴイです。 沢に水の流れが現われ出すと、終焉は近いです。 |
![]()