原生林の残る峠 / 一ノ沢峠・天王寺峠

 丹沢ヤビツ峠の北側の札掛周辺に一ノ沢峠と天王寺峠はあります。
この付近、ヒルの棲息地につき、夏場はなかなか近づくことが出来ません。
神奈川県の峠を全制覇するために、春まだ浅い一日、峠を巡るささやかな山旅をしてきました。


唐沢の山乃神

 唐沢キャンプ場近くに車を置き、唐沢川沿いの水平歩道を進みます。
気分は黒部川下ノ廊下の水平歩道を行くかの如し。(大分大袈裟…)
規模は比較にもなりませんが、桟道があったり、転落のスリルがあったりして、それなりに楽しめます。
一般登山者の訪れは少ないようで、静寂の中、丹沢の懐の深さを知ることが出来ます。

以前からお目にかかりたかった唐沢の「山乃神」付近は明るく開けていてキャンプもできそうな雰囲気です。
かつては山人の集会でも開かれた場所なのではないでしょうか。
欅の大木の根元に、昭和期の高床式の木製の祠が祀られています。
その背後には、明治、大正、それ以前の石造の祠が祀られています。
どんな目的で誰が祀ったものなのでしょうか?
江戸時代から天領として山林資源に恵まれていた唐沢流域ですので、
林業関係者や山林見廻りの役人と関係があるのかもしれません。
あるいは猟師や釣師、サンカ、大山講や修験者達とも関係があるのかもしれません。

黒岩という場所で、物見峠へ向かう道と一ノ沢峠へ向かう道が分岐します。
一ノ沢峠へ向けて沢を渡り、ジグザグを登ると唐沢林道に出ます。
林道上の火打橋の脇から再び山道に入り、植林地を登り詰めれば一ノ沢峠に到着します。
峠の手前に、一頭の鹿の遺体が横たわっていました。
崖から落ちたのか、はたまたハンターに狙撃されたのか、定かではありませんが、
山で生きていくことの厳しさを垣間見たようです。


一ノ沢峠


峠にはモミの大木 
そこに差し込む春の光

一ノ沢峠はモミの原生林に囲まれ荘厳な雰囲気です。
標高の割には南アルプスの深山にいるような錯覚を起します。
札掛側に下るまで、モミ、トチ、ツガ、ケヤキなどの大木が所々にあり、
太郎杉、次郎杉という巨木や樹齢280年と推定されるモミもあるといいます。
付近一帯は丹沢県有林「考証林」として保全されていて、一見の価値があります。
しかし、夏場はヤマヒルの洗礼を受けるので要注意です。

江戸府内の建築用材や茶ノ湯に用いた幕府への献納薪炭が札掛から一ノ沢峠、
物見峠を越えて搬出されたようです。
札掛周辺は幕末まで、幕府の直接支配を受け「御林」と称されていました。
寛永元年(1624)役人田所助二郎は江戸花水橋建築用材調達のために調査を行い、
丹沢六木(スギ、ヒノキ、モミ、ツガ、ケヤキ、カヤ)を留木として伐採禁止とし、
周辺の村々に見廻り役を命じました。
命を受けた役人が物見峠、一ノ沢峠を越えて盗伐、山火事の防止などの監視にあたったといいます。
維新後は皇室財産の丹沢御料地に編入され、昭和6年県有財産として御下賜になりました。


札掛峠とでも呼びたい


黒龍大明神の銘がある謎の祠

一ノ沢峠を下り、布川を渡ると県道秦野・津久井線(いわゆるヤビツ峠みち)に出ます。
舗装道を歩くのも面白くないので、県民の森コースから下ノ丸、上ノ丸を経て本谷川流域に下り、
天王寺峠を越えて、さらに塩水川流域に出て車に戻ることにします。

付近は整備された植林帯で、チェーンソーの音がこだましています。
札掛から上がってくる道が合流する地点は、峠状をなしていて大木とベンチがあって、
札掛峠とでも呼びたい雰囲気を醸し出しています。

近くには「黒龍大明神」と読める文字が刻まれた石が納められた木製の祠があり、
傍らに杵のような形をした木製具が転がっていました。 
どういう神様が祀られているのでしょうか?「黒龍」からイメージして「雨雲」でしょうか。
そうだとすると雨乞いの神様かもしれません。


本谷峠とでも呼びたい


本谷橋と天王寺橋・本谷林道

鹿の親子と出会ったり、凍結した山道にドキドキしたりして、本谷川への下降地点へ辿り着きます。
本谷峠とでも呼びたい地点に道標が立っていて、「キュウハ沢」を指し示す方向へ下降します。
「本谷川」とか「本谷橋」と表示があれば判りやすいものを、なんとなく紛らわしい表示の仕方です。

本谷川に架かる吊橋を渡って、本谷林道の天王寺橋も渡ります。
この沢筋を登り詰めた所が天王寺峠であります。
丹沢山への登山道として利用されているようで、しっかり踏まれた道がついています。


天王寺峠

植林帯の中を15分も進めば峠に立つことができます。
峠の道標の柱にマジックで「天王寺峠」と書かれていたのは意外でありました。
どちらかというと、あまり一般的な峠名ではないので認知度は低いと思っていたからです。

一応用意してきた手製のかまぼこ板の峠名プレートを取り付けて反対側に下ることにします。
「山林管理道で立入禁止」とありましたが、自己責任で峠を越えさせてもらいました。
一箇所崩壊部分があったものの植林帯のジグザグを下れば塩水林道に降り立つことができます。

所々凍結している塩水林道を歩き、塩水橋で県道ヤビツ峠道と合流します。
車を停めた唐沢出合まで、しばしの林道歩きでささやかな峠行の幕は閉じました。

* 普段、塔ノ岳や丹沢山に登るには表尾根コースや大倉尾根を登っていましたが、
  札掛や天王寺尾根など本谷川流域から登るのも新鮮で良さそうであります。
  夏はヒルに襲われそうなので、厳冬期に今度挑戦してみようと思います。

* 天王寺峠は古いガイドブックにあった名前です。最近の地図やガイドブックでは日地出版製のもので名前を目にします。 
  2005年版昭文社の『山と高原地図』では天王寺峠の記載が復活しています。