二十曲峠の旧道を探して

忍野村内野と都留市鹿留川流域とを結ぶ二十曲峠。
立派な鹿留林道が完成してから時は大分経ちますが、旧峠道の存在を探るべく訪れてみました。

以前に、立ノ塚峠と二十曲峠間の尾根を歩いた時から鹿留側の様子が気になっていたのです。
山肌を痛めつける林道や不粋な送電鉄塔が目に入るものの、
まだ深い自然がそこには残されていると感じたからです。

尾崎山、文台山、ハガケ山、御正体山、前ノ岳、中ノ岳、奥ノ岳、日向峰、石割山、
楢尾山、鹿留山、杓子山、倉見山らの峰々に、ぐるりと囲繞された鹿留川流域に
なぜか心が強く惹きつけられるのです。


林道完成後の地形図 

林道完成後の地形図では、鹿留側に旧峠道の記載は見られません。
旧峠道が現林道のようなコース取りをして鹿留川本流の谷筋に下降していたとは
あまりに遠回り過ぎて考えられません。
林道はあくまで車のための道であり、人間の足はもっと合理的な道筋を選択し、
それを辿っていたに違いないと思われます。


昭和4年測図昭和46改測昭和47発行
p1088支尾根を越える破線道が描かれている

林道完成前の地形図を見ると、鹿留側に破線道の表記が見られます。
この破線道が旧峠道なのでしょうか?
破線道は二十曲峠からと、その北方p1221の北鞍部(細尾峠?)からと、二筋見られ、
それぞれ谷筋を下降した後に合流し、p1088の北側谷筋を経由して
鹿留川本流に出ています。

また、二十曲峠からの道はもうひとつ別の経路があり、
途切れてはいますが、p1088支尾根を越えようとする破線道も見られます。


昭和4年測図昭和22発行 地理調査所

さらに古い地形図を見てみると、このp1088支尾根を越える道しか描かれていません。
p1088支尾根を越えて、p1088東側の谷筋を下降し、鹿留川本流に出るのが、
かつての峠道だったと推測されます。


古い5万図

主要な道の記載しかない古い5万図を見てみると、その道筋はハッキリとしています。
やはり峠から一旦谷筋へと下った後、山腹をトラバース気味に進み、
p1088支尾根を越えて、その東側の谷筋を下降して鹿留川本流へと出るのが
かつての二十曲峠の道筋であったようです。

果たして、この道筋は今でも拾うことができるのでしょうか?
期待と不安を胸に現地を訪れてみることにしました。


二十曲峠

峠は無人、空気は冷たく、パンツ一丁になってズボンを履き替えると身が縮こまる。
玲瓏たる富士の姿に感動しつつも、その背後の遥かなる南アルプスの山並みに目を奪われる。
雪の南アルプス縦走の山旅に比べたら、これから行おうとしている行為のなんと小さなことか・・・
旧峠道があるかどうかも知れぬ、しょぼい谷筋に足を踏み入れようとしている。
誰からも見向きもされず、評価もされない愚かな行為に、ある種の快感を覚える怪しい遊び。
これは病気なのかもしれない。

忍野村側へ下る土道には「新名庄川橋→」と書かれた小さな標識が立っている。
この標識に従えば、クネクネとした舗装林道を歩かずに、内野へと降りることができるようだ。
一方、鹿留側は不法投棄を防ぐ柵が設置され、一見して旧峠道の痕跡はわからない。


@ 峠直下の旧道痕跡?


A 石割橋から入渓

鹿留側の峠直下は石積みになっていて飛び降りるには高いので、
一旦、林道支線のゲートを潜り抜け、回り込むようにして峠直下へと向かいます。
ケモノ道を利用して峠の真下へと出ると、そこにはかつての峠道らしき道跡を見ることができます。
不法投棄のタイヤなどが転がっているものの、どうやら峠道の痕跡に違いありません。
これは案外、容易に旧道を拾えるのかと期待が高まりますが、数メートルばかり進んだところで、
早くも高密度の笹ヤブに行く手を塞がれてしまうのです。

いきなりヤブ漕ぎは嫌だと、峠上に舞い戻り、攻略法を再考します。
どうせ谷筋に出るのだからと、冬期封鎖された鹿留側のゲートをすり抜けて、
林道上の最初のカーブ地点から谷筋への入渓を試みることにします。

林道に架かる橋の名前は「石割橋」とありますが、沢の名前は書かれていません。
この沢の名前はなんというのか?
鹿留川流域の支沢名については資料によって異なることがあり混乱が見られます。
『日本山岳案内』(鉄道省山岳部編・昭和15年)によると、
「サアタマノ沢」ということになるようですが、「サアタマノ沢」はもう一本北寄りの沢にも思えます。
そもそも今の二十曲峠と呼ばれている場所は、本当に二十曲峠なのかという疑問もあるのです。

 【サアタマノ沢】
 「二十曲り峠より、東北に流下して途中曲ノ沢と出合い、その下流で外寄沢と合して鹿留川となる」
                                           ( 『日本山岳案内』 より )


B 第一コンクリ堰堤下の石積み


C 第三石積堰堤

沢に入るとすぐに一つ目のコンクリ堰堤が姿を現わします。
難無く越えると、堰堤基部には古い石積みなどが見られ人間臭さが漂います。
またすぐに二つ目のコンクリ堰堤をむかえますが、これも難無く通過することができます。

第三堰堤はコンクリ造りではなく石積工法で築かれていて、通過は左岸の笹ヤブをくぐります。
結局は笹ヤブの通過があるのかと諦めますが、ダニの取り付きはないので救われます。
この辺りで峠直下からの道が合流していると思われますが、笹が多く明瞭な道跡は確認できません。
それでも凹とした道跡らしきものが途切れ途切れに見られます。

次なる第四堰堤も石積堰堤で、それを過ぎると右岸に植林地が現われます。
植林台地には踏み跡があり、炭焼き釜の跡も見られます。
本流から離れ、斜上する踏み跡に進入しましたが、赤錆びたドラム缶の転がる支沢に入り込んで
踏み跡は消えました。

実はもうこの頃には、早くも正確な現在位置が把握できないという情けない有様で、
p1088へと向かうトラバース道がどこから始まるのか焦燥感ばかりが募っていたのです。
支沢から本流へと戻り再び下降を続けます。


数字は写真撮影場所(ただしDEFGは曖昧)


D 第五石積堰堤


E 右岸から越えると明瞭な道が現われる

第五石積堰堤を右手から越えると、そのまま明瞭な道と接続します。
植林造林地の看板があり、そのまま本流に沿って下降する道と斜上して支尾根を越える道とに分れます。
この斜上する道がp1088へ向かうトラバース道の始まりではないかと期待しますが、
支尾根を越え、右手から流入するやや大きめの支沢へと入ったところで道は消滅してしまいます。
ケモノ道で支沢を詰めてみますが、手掛かりを得ることができません。

支沢対岸の植林尾根がp1088尾根のひとつ手前の張り出し尾根に思えるのですが、
いまひとつ確信が持てません。
その植林尾根に取り付く踏み跡や仕事道も見出すことができません。
手入れされている植林地ではないようで、ススキや潅木が斜面を隠しているのです。
支沢筋をしばらく詰めてもみましたが、人の歩いた痕跡を見出すことはできませんでした。
どうやら谷筋の読図は結構難解で、読図力の乏しい探索者にはハードルが高かったようです。


F マーキングテープを見る
1:1の二俣をむかえる


G 前方にp1088らしきシルエットが浮かぶ

本流に戻り、明るい沢の下降を続けます。
このままでは旧峠道の探索ではなくて、単なる沢下りになってしまいますが、それもまた一興です。
この沢(サアタマノ沢?)の流れは清らかで、人間界を想起させるゴミもなく、なによりも静かです。

中流域からマーキングを目にするようになりますが、これは釣り人の目印でしょうか?
登山者や沢登りマニアが歩いているような沢には思えないのですが・・・
1:1の顕著な合流点をむかえますが、流入する沢が「曲ノ沢(曲り沢)」なのでしょうか?
もはや手にしている地図は有って無きに等しく、現在位置がどこなのか精確に把握できていないのです。


H p1088の基部を回り込む流れ


I p1088北側の山腹道となる

前方にはp1088らしきシルエットが浮かんでいます。
しかし、トラバース道の発見はできなかったのですから、いまさらその高みを目指す気も起きません。
釜を持つ奇麗なナメ滝なんぞを通過して、ささやかな沢旅気分を満喫します。

p1088基部手前の右手支沢に足を踏み入れ、トラバース道にぶつかるという対応策も考えましたが、
地形図にはp1088のすぐそばに崩壊地が表記されています。
きっとこの大きな山抜け規模の崩壊が峠道を衰退させたに違いなく、
安易に接近することは危険なんだと勝手に思い込むことで探索の放棄を正当化します。

p1088基部を回り込むと谷幅は広がり、沢は一層明るさを増します。
スズランテープの目印に導かれ右手土手の植林地にもぐり込めば、そこに明瞭な水平道を見るのです。


J 山腹水平道には滑り落ちた箇所もある


K p1088北東小尾根を乗り越す

植林地内にのびる水平道入口に設置された植林造林地の看板には、
この場所が字(あざ)「トビゾオリ」という地名であることを教えてくれています。
(鹿留川本流右岸の文台山近くの峰にも「トビソーリ」と呼ばれている地があるので、
「トビゾオリ」は固有名詞ではなく、「焼畑の飛び地」を意味した普通名詞ではと考えられます)

p1088北側の山腹に付けられた水平道は、林道完成前の地形図にしるされた破線道そのもので、
鹿留川の本流へと向かっています。
p1088の東側の谷筋を下降する道とは別に、この北側山腹水平道も峠道の一部だったのでしょうか。

水平道を辿るにつれ、沢の流れは下方へと遠ざかっていきます。
途中、道が滑り落ちてしまった崩壊箇所もありますが、巻き道がつけられていて心配はいリません。
p1088北東小尾根を乗り越すと、下り勾配となり、目の前には鹿留川本流が姿を現わします。


L 鹿留川の流れに出る


M 鹿留川を渡渉し林道に出る

鹿留川本流(この付近はまだ外寄沢か?)を飛び石で渡り、林道へと飛び出します。
こんな場所に出るのかと、新しい小さな発見と無事に谷筋から脱出できた安堵感に頬が緩みます。
林道からは対岸に道が存在しているようには見えません。

結果、二十曲峠の旧道を辿ることができたのかと問われれば、「?」マークですが、
分かったことは林道を歩くよりも、峠直下の沢筋を下降した方が鹿留川本流に出るには早いということ、
その沢筋にはさして危険な箇所や難場がないということ、
p1088北側の山腹道は現在も生きているということ、そんなことがわずかばかりの収獲です。

さてここから林道をテクテクと歩いて二十曲峠まで戻らなくてはなりません、これが一苦労。
付近の地形を観察しながら進みますが、この山域は意外にも複雑な地形をしています。
鹿留川を中心に、ぐるっと馬蹄形に山々が取り囲んでいると言えばそれまでなのですが、
そう単純でもないようです。
それぞれの峰から派出する支尾根と、支尾根から派生する枝尾根が複雑に入り組んでいるのです。


鹿留林道から鋸刃、ハガケ山、文台山へと続く尾根を望む

外寄沢上流域には、黒光りする大きな滝や釜を持った美しいナメ滝があり、
夏場の水遊びには最適な場所があります。
幕営が禁止されているかは知りませんが、テントと焚き火で一夜を過ごすには楽しそうな場所です。

外寄沢橋を過ぎると、ググっと爪先上がりの勾配が増し、林道は高度を上げてゆきます。
一つ一つの谷筋を巻き込むようにしてつけられた林道は、歩く距離ばかりが長く、
なかなか峠には近付きません。
本線は完全舗装されている立派な鹿留林道ですが、切り立った斜面に強引に造られた感があり、
脱輪すると谷底へサヨウナラという場所ばかりです。
この辺の名も無き支沢を詰めて林道上へ這い出ようといった安易な行動は控えた方がよいでしょう。
ザレた急斜面と落石にきっと泣きを見るに違いなく、蟻地獄に落ちた蟻となるのは必定です。

路肩に雪の残る北側斜面の日陰に入ると、身震いするほど寒く、小さな滝などは凍てついています。
一番深く山懐に喰い込んでいるウド沢上流部では大規模堰堤工事が行われていて、
重機が唸りを上げていますが、それ以外に音はなく、いたって静寂に包まれています。


このトンガリ峰がハガケ山だろうか?


N 林道からp1088への取り付き点

林道からは御正体山、鋸刃、ハガケ山へと続くギザギザの山稜を望むことができます。
顕著なトンガリピークがハガケ山なのでしょうか?いつかこのギザギザ山稜を歩いてみたいものです。
そして、林道からは常に鹿留山のどっしりとした重量感ある山容が望まれます。
鹿留山北尾根は前々からの課題ですが、これまた歩く機会がこれまでありませんでした。
鹿留川流域には多くの課題が手付かずのまま放置されています。

途中、林道から直接にp1088へ向かうことも考えましたが、もう時間的に手遅れです。
林道のコーナーからp1088へ向かう踏み跡は確認できましたが笹ヤブに覆われています。
夕暮れ迫る中、ここで足を踏み入れてしまったらホントの病気です。
病気で終わればよいのですが、死に至る病というものもあるのですから、
時には自制することも必要でしょう。

二十曲峠旧道の全容は依然として謎に包まれたままです。
否、それはただひっそりと笹ヤブに包まれているだけかもしれません。

(峠行2009.02.19)

古い地図には鹿留川に沿って
「林用手押軌道」の文字が見られます。
手押軌道とはどういったものなのでしょうか?
トロッコのことでしょうか?

レールなど当時の遺物が残されていないか
気になるところです。
山深いこの地にも、かつては人の営みが
あったようです。