跡形もない峠 / 四五六峠(すごろく峠)・雙六峠・兎峠

四五六峠は都筑区の港北ニュータウン・センター南駅付近にあります。
「あります」というより「ありました」と言うべきかもしれません。

周辺環境の変貌は著しく、山を崩して新しく出現した街の中に四五六峠は埋没してしまったようです。
昔の様子は、たとえ優れた想像力をもっていたとしても思い浮かべることはできず、
アスファルトやコンクリートの冷たく固い道の下に消えてしまいました。


四五六峠 付近か? (中村交差点)

「四五六峠の夜の雨」は、茅ヶ崎八景の一つで、
茅ヶ崎の景色のうち優れた風物や地点を八ヶ所選定した内の一つです。

字中村にあった自性院(現在は茅ヶ崎南に移築)の谷戸から
中丸を経て茅ヶ崎富士に登山するまでの道を
四五六峠といったそうです。

道の両側は広葉樹林や松林に囲まれ、
夜ともなれば犬さえ通らない寂しい野道であったそうです。
現在は、ショッピングセンターやマンションに囲まれ、
昼夜を問わず騒がしい道となっています。

かつては五月雨や六月の長雨など、どの季節の雨をとっても、
四五六峠の夜の雨は周囲の風景とあいまって情緒があったそうです。

「四五六(すごろく)」とは、おもしろい名前ですが「双六」のことのようです。
曲がりくねった道を進んでアガリになるゲームの双六から、曲がりくねった坂を登る峠につけられた
地名のようです。 お隣りの荏田にも雙六峠という峠道があったようです。
しかし、両峠とも曲がりくねった道ではなく、直線的な道であったという話ですが。

実際の四五六峠は曲がりくねっていなかったようなので別の意味があるのかもしれません。
かつて、峠や山中では賭博が開帳されたといいますから、「スゴロク」という名前も、
もしかしたらサイコロ賭博と関係があったものなのかもしれません。 果たしてどうでしょうか?
付近には、賭博にまつわる話や地名が残っているようでもあります。

北アルプスの双六岳は、いくつもの峰をもつから「四五六岳」とも言われたといいます。
針ノ木蓮華岳も四五六岳の異名があるとか。

四五六峠のあった丘陵の道付近では、
「大棚の人は口が悪いが、茅ヶ崎は道が悪い」と言われたそうで、
ぬかるんだ坂道の手入れには村人も苦労していたようです。
「ゴロ」と呼ばれる松のうろぬいた木を敷き並べたり、その上に俵を敷いて道普請に難儀したといいます。
「敷きゴロの峠」が「シゴロ峠」になって「四五六峠」になったとは考えすぎでしょうか。

峠を上り詰めた所には、これまた茅ヶ崎八景の一つ「正庵の一本松」と呼ばれた樹齢数百年の黒松
があったそうですが、やはり開発の波にもまれ姿を消しました。

古い物は抹殺され、新しい物にのみ価値を見出す時代なのでしょうか。
ニュータウンの新住人達は、この地でどんな新八景を見出すのでしょうか。




川和富士
27年間土を運び上げたという。
一度崩され、現在のものは二代目。



池辺富士
鳥居をくぐって、いざ!登山。
石碑のある山頂まで数秒。



山田富士
麓からは富士があるようには
見えませんが、噴火口もあります。

周辺には、かつての村人達の富士浅間信仰の名残が残っています。
実際には赴くことが難しかった霊峰富士山を、自らの手で作り上げて信仰の対象としていたようです。

四五六峠行が消化不良に終わったため、三つの富士山を登頂してきました。
登頂といっても、どれも標高数十メートルで、駆け登れば数秒で登頂できるのです。

どの富士も見晴らしは良いのですが、開発の波間に浮かぶ孤島のようでもありました。

 



推定・雙六峠付近か?

雙六峠は『新篇武蔵風土記稿』に荏田村の小名として出てきます。

ご教示頂いたOさんの御推察によると、
荏田南三丁目と荏田西五丁目の境にあったらしいとのことです。

周辺は変貌激しく、土地カンもない私には、
峠の名残を見出すことができませんでした。


推定・兎峠付近か?

兎峠は昭和5年発行の1/25000地形図「荏田」に記載があるそうです。

「うさぎ坂」とも呼ばれるそうで、
昔は野ウサギが遊ぶ自然が残っていたようです。
現在は住宅団地に埋没してしまったらしいです。

石川の荏子田から兎峠を経て、
嶮山を縦断して王禅寺へ抜ける道があったようです。

現在のどの辺りが兎峠なのか定かではありませんが、
Oさんの御推察によると「すすき野」交差点付近ではなかろうか
ということです。

【謝辞】

四五六峠・雙六峠・兎峠の存在については、横浜の古道を調べていらっしゃるOさんよりご教示を頂きました。
この場で御礼申し上げます。

【参考文献】

『港北百話』 古老を囲んで港北を語る編集委員会
『山内のあゆみ石川篇』横溝潔著
『中川の地名』吉野孝三郎著
『昭和52年度港北ニュータウン地域内歴史民俗調査報告書』