都県境尾根付近の峠 / 四十八曲峠・竹ノ平峠・水口峠・黄楊峠・久方峠・小沢峠

 

東飯能の駅に降り立ち、西口と東口を間違えてバス停を探すのに手古摺りもしたが、
10時半過ぎの名栗車庫行きのバスになんとか飛び乗ることができた。
たまたまだったのか、それとも日常的なことなのか国際興業バスの運転手さんはとても感じが良く、
都会のギスギスした通勤バスとは大違いで、丁寧な接客対応と極めて安全な運転であった。
奥武蔵の峠歩きには、これからも利用することにしよう。


黒指分岐の石標柱
高麗青年団直竹支部の銘がある
ここを左に行けば黒指

石原橋バス停で降車して名栗川を渡る。
唐竹橋で降りるのがアプローチとしては一般的らしいが
手前で降りれば運賃が30円安い。
山王峠へ続く道と分かれて、しばらく住宅街の中を
犬に吠えられて進めば白髭神社に辿り着く。

神社のトイレを拝借したので、やむなく賽銭を投げ入れることにした。
境内には「唐竹の大欅」という巨木があったらしいが今その姿は無い。
創建は奈良朝の頃で、この地に入植した高句麗人によるものだという。
「唐竹」の名は「韓竹」に通じるらしい。

付近には「竹寺」があったり、「直竹」、「曲竹」という地名があったりして、
「竹」にまつわる謂れが深い土地柄らしい。
竹といえば「サンカ」と呼ばれた人々を思い出しもする。

宅地の間をすり抜け小沢に沿って進むと四十八曲がりの上り坂が始まる。
杉の植林地の中、小気味よいジグザグが尾根に導く。
四十八は大袈裟だが、幾度かの屈曲を繰り返す。
かつては花嫁が越えたという峠道。
往時は苦労させられたことだろう。
その苦しさの表現が「四十八」に込められているのだろうか。


斜面にへばりつく黒指集落
周囲にミカン畑が広がる。

尾根に合流する地点には「新所沢線47号に至る」という
送電線巡視路を示す杭が立っているだけ。
地元で「トウノス」と呼ばれるところだ。

この部分を四十八曲峠だという人もあれば、
細田の地蔵様がある地点を四十八曲峠だとする人もいる。
また、四十八曲峠とはこの付近一帯の総称だとする人もいて
正確なことはわからない。【*1】

地誌『武蔵通志』によれば、
「四十八曲嶺 高さ三百八十尺 原市場村唐竹の西にあり 
 字清水より九折して登る 凡そ十町 頂に達す」 とある。


竹ノ平峠

細田集落に行く前に、黒指分岐で折れて、
『青梅市史』の中で見つけた竹ノ平峠へ向かう。

いまひとつはっきりしないが、
左写真の「石神大明神」が祀られている付近が峠だと思われる。
周辺はミカン畑、祠前の小さいベンチに腰掛けたら後ろにひっくり返った。

黒指は山上の集落で、見下ろすと立派な蔵を持った家もある。
どんな歴史を秘めているのだろうか。
黒指の「指」は「焼畑」の意味だろうか?
すぐ近く、名栗川流域の久林集落の近くにも黒指という同じ地名がある。


四十八曲峠

再び黒指分岐の尾根に戻り、細田の地蔵様へ。
寛政五年生まれの地蔵様が祀られている。
地蔵様があったりすると峠の雰囲気が漂うもので、
やはり、ここが四十八曲峠だろうか。

仕事道と交わり四辻となっていて、
小高い所にまとまって日待塔や馬頭観音、板碑が寂しく佇む。
四十八曲峠には耳の神様が祀られていると聞いたが
どちらにいらっしゃるのだろうか。


水口峠

細田の集落も山上の狭い土地に寄り集まっている。
高麗氏族の開拓や八王子滝山城の落人伝説もあるという集落で、
昔は家の数を15軒と定め、それ以上には増やさなかったという。
今は、掟が無くても過疎が進み、
しぜんと減少する一方ではないだろうか?

集落内の舗装路で遊んでいる子どもに挨拶をして、
水口峠の登り口に向かう。


水口峠の神様
「水の元」と呼ばれる

地形図を読みながら向かったものの正規の峠道を見失い、
獣道を辿り、急斜面を這い上がりして、
やっとのことで都県境尾根を捉えて水口峠に到着した。
どうやら登り口からして間違えてしまっていたようだ。

峠は静まり返った植林地の中で、
細田と高土戸を結ぶ弱々しい峠道が越えている。
地元では「水の元」と呼ばれる所である。

二本の大木の間と大木の割れ目の中に石祠が祀られている。
見ようによっては、男根と女陰を連想させるが、
それは単なる欲求不満者の妄想だろうか。


黄楊峠

さらに都県境尾根を南下して黄楊峠を目指す。
黄楊峠も『青梅市史』の中に名があった峠で、あまり知られてはいない。

水口峠から「奥多摩工業 事業区域」という標識を横目に見ながら
尾根を辿り、突然に現れる採石場らしき傷跡に驚きして過ぎれば、
黄楊峠に至る。

峠には木製の祠が祀られていた。
黒指に下る道は認められたが成木側への道は不明瞭であった。


久方峠
暗い植林地の鞍部

このまま都県境尾根を進めば、堂所、久道入という峠らしき所も
あるらしいが、ヤブが深くなってきたので引き返し、
久方峠、小沢峠を目指すことにする。

水口峠を過ぎたところにある送電鉄塔で一休み。
景色らしい景色は本コースではここぐらいからしか望めない。
伏木峠や松木峠、茗荷峠、稲詰峠が眠る尾根を望むことができる。
それにしても張り巡らされた送電線が目障りだ。


小沢峠
ベンチの後に石祠が祀られている

この辺で唯一ハイカーに名の知れた大仁田山には立ち寄らず、
大峰山を経由して久方峠へ。

峠は暗い植林帯の中で久林と高土戸を結ぶ。
ここも花嫁の越えた峠だという。
嫁入りの際は衣装をあらかじめ運んでおき、
普段着で峠を越えて、村に下りてから着替えをしたという。

今はお嫁さんはもちろんのこと、ハイカーですら越える人は少ない。


小沢峠の改修記念碑

そのまま尾根を辿り小沢峠へ。
峠は四辻になっていて、
尾根道を横切って小沢と上成木を結ぶ峠道が越えている。 
ベンチの脇に石の祠もあり古くからの峠道と窺い知ることができる。

このまま尾根を辿れば権次入峠を経て棒ノ折山へと導かれるが、
日も暮れ始めたので上成木バス停に向けて峠道を下る。
峠道は歩き易く、古い石積みなどを見てトンネル横に飛び出した。

上成木のバス停にはザックを背負った先客が一人。 
単なる登山者かと思ったがそうではなく、千葉県からやって来た田舎歩きが趣味という御仁。
鉄道ファンでもあるらしくザックの中からあの大きくて重たい時刻表が出てきたのには驚いた。
それでも、帰りの電車の接続を的確に調べてくれてありがたいことこの上ない。
さすがマニアだなぁ〜と感じ入った。

ふと、自分の今日一日を振り返り、朝から家を出て電車に長時間揺られ、
どこの山頂を踏むでもなく、いくつもの峠を彷徨っている姿を思い返すと、
自分もある意味、峠のマニアなのかなぁ〜などと考えたりもする。

かの鉄道マニア氏は東青梅の駅では車内で座れる乗車ホーム位置まで心得ていて、
紅葉シーズンの休日でありながら、難なく座席を確保して帰路に着くことができた。

【*1】
『エーデルワイスの詩』(坂倉登喜子著)には、村人の話として、
 「昔の峠道はずっと沢沿いについていて最後の登りが幾度も曲がりくねっていた。
 たいそう苦労が多い道で四十八曲峠と名付けた。
 峠の位置は幾度か変わってしまって、今では地蔵尊のある所を四十八曲峠と呼んでいる。」とある。

【参考文献】
『岳人』581号 「隠れ里と山を結ぶつづら折の道・奥武蔵四十八曲峠」 藤本一美
『多摩の低山』 守屋龍男 けやき出版

*山王峠から四十八曲峠へ尾根道を歩く手もあるが、途中に馬鹿でかい宇宙基地のような東京電力の変電施設が
 できたようで興醒めすることまちがいなし。

*上成木のバス停でキョロキョロしていたら、今まで場所が不明であった常盤峠の位置を知る手掛かりを得た。
 今度、常盤峠を探ってみようと思う。

【後記】
その後、水口峠に祀られていた石祠は姿を消したという。
2008年3月号の『新ハイキング629』には次のように書かれている。
  「かつてはスギの木の洞には羽団扇を刻んだ石祠、その隣りに明治21年の石祠、直竹・成木両地区の山の神があった。
  正月には林業の人が参拝してお神酒を奉納したものだが、それぞれの里に遷されたので、いずれの峠道も荒れている。
  石山仕事(石灰鉱山)や嫁入り、高水山参りの人が越えた峠は、時の流れに埋もれてゆくのだろうか。」
                                                  「栂のもと-水のもと」(宇山清太郎著) より