愛知県の峠はいかほどか?文献から拾ってみました

最終更新日:2007.02.18
豊橋図幅に「馬越峠」、根羽図幅に「地蔵峠」を追加しました。

いったい愛知県内にはいくつの峠が存在するのでしょうか?
さまざまな文献から愛知県内の峠を拾い集め、5万分の1地形図の図幅ごとに整理しました。
縁もゆかりも無い地域ですから拾い損ねた峠は多々あることと思います。

残念ながら愛知県の地理には明るくなく、地図を開いても、見たこと聞いたことのない地名ばかりです。
近所の図書館には愛知県内の「町史」、「村史」や「歴史の道調査報告書」などの所蔵も乏しく、
文献調査もままならず未だに不十分な調査内容となっています。

新幹線で通過するばかりの愛知県、車窓からは広い濃尾平野を眺めるばかりです。
平野ばかりという印象が強い県に、峠など少ないのではと思いきや、さにあらず、設楽郡辺りの
細かい山襞には数多くの峠道が刻まれています。
また、塩の道、中馬街道、戦国武将の道、鳳来寺や秋葉山への参詣の道など
古くからの道が張り巡らされており、山越えの道も四通八達しています。
サンカ衆等が利用した隠れた径路も山里には眠っていることでしょう。

実際に、足を運ぶ機会はありませんが、愛知県内にはどれほどの峠道があるのか、
その概観だけでも調べてみようと思います。

尚、この一覧表は随時修正が加えられ、峠数も密かに増減することでしょう。
つまり、まったくの未完成状態ということです。

【国土地理院1/50000地形図】

  岐 阜 美濃賀茂      
津 島 名古屋
北 部
瀬 戸 明 智 根 羽 満 島
桑 名 名古屋
南 部
豊 田 足 助 田 口 佐久間
  半 田 岡 崎 御 油 三河大野  
  師 崎 蒲 郡 豊 橋 浜 松  
    伊良湖岬 田 原    

 

【表の見方】

〇 〇」 国土地理院発行の1/50000地形図の版名を表わします
〇〇峠 〇〇〜〇〇 〇〇山付近 コメント
峠の名前を示します。
別呼称も併記。
太字は地形図記載あり。
だいたいの区間を
示します。
正確ではありません。
近くにある目標物を
示します。
山や川の名前など。
峠の様子や歴史的事実を記します。
実地訪問を伴っていないので極めて不正確です。
出典なども示します。

* 市町村名は平成の市町村大合併に対応していません。
* 太字の峠名は地形図に記載のある峠名です。
* 各図幅内の峠の配列は原則として左上、左下、右上、右下の順としています。
* 峠名の拾い出し、コメントの内容は文末に記した文献、HPを参考にしました。
* 「坂」、「越」、「乗越」は割愛しました。 
* 峠の存在が確認できなかった図幅の表は割愛しました。

瀬 戸」図幅の峠
内津峠 内津〜富士見 愛岐県境 東海道と中山道を結ぶ下街道(善光寺街道)の難所。
日本武尊「ああ現(うつつ)哉、現哉」が名の由来という。
標高236m。 現在は国道19号が県境をトンネルで越えるが、江戸期は下街道の峠。
麓に内々神社あり。
「徇行日記」に「下街道濃州界に杉二株あり、回り数尋名高き大樹なり、
遠方よりも聳えて見るなり」とある。
桧峠 外之原〜三の倉 愛岐丘陵 東海自然歩道が通る。林道が越える。
外之原峠 外之原〜諏訪 愛岐丘陵 東海自然歩道が通る。車道が越える。
宮刈峠 定光寺〜余床 愛岐丘陵 東海自然歩道が通る。 五差路。
西側に旧峠がある(HP『瀬戸の旧峠』)
大洞峠 定光寺〜曽野 愛岐丘陵 東海自然歩道が通る。 陸橋で県道を渡る立体交差。
二本松峠 上半田〜梅平 名古屋学大北 西側に旧峠がある(HP『瀬戸の旧峠』)
見晴峠 白岩〜西 三国山北西 (HP『瀬戸の旧峠』、HP『美濃の峠』)
三国峠 鶴里雨沢〜品野 三国山北西 (HP『瀬戸の旧峠』、HP『美濃の峠』)
雨沢峠 鶴里雨沢〜品野 三国山北西 上記の三国峠と同一か。
信州飯田道が越える。山道は馬車では通過できなかった。
(『瀬戸市史・民俗編』)
猪峠 中畑〜西市野 雲興寺付近 (HP『瀬戸の旧峠』)
戸越峠 白坂〜折平 猿投山北 南に南戸越峠がある(HP『瀬戸の旧峠』)北戸越峠もあるらしい。
三河から瀬戸へ窯業の原料(長石)や燃料の松材等が
荷馬車や大八車に載せられて峠を越えた。<瀬戸市史>
標高360m。戸は狭い崖地に多い地名。<竹>
赤猿峠 惣作〜猿投 猿投山西 東海自然歩道が通る。 眺望のない尾根上の峠、豊田市と瀬戸市の境。
三条峠
山上峠
東山路〜猿投 猿投山西 (HP『瀬戸の旧峠』)
七々山峠 万作〜小原村 国道419 峠名の石碑あり
【保留】白岩峠、瀬戸峠(瀬戸坂)、小次郎坂峠

瀬戸の旧峠については、HP『瀬戸の旧峠』に詳しい。

 

豊 田」図幅の峠
三峯峠 三本木〜田籾 名古屋商大南 「さかみね」。標高130m。三は坂の替え字。伊那街道が通る。
東、西、北の三方に土塁跡(峠状)の坂道があり、大八車を一人では引けなかった。<竹>
御船峠 御船〜枝下 矢作川流域 『猿投町誌』に「枝下から御船峠、四郷天道、下古屋を通って殿貝津上伊保の順で
西に進んだ」との記述がある。
力石峠 枝下〜力石 矢作川流域 『猿投町誌』に「力石峠を越えて急坂を下るとまもなく枝下の渡船場に出る。
江戸末期から明治初年にかけてこの中馬街道の最も賑わった頃では、馬が力石峠から
渡し場まで続いた」との記述がある。
ア−ネスト・サトウの『明治日本旅行記』にも登場する峠。

 

岡 崎」図幅の峠
仏ヶ峰峠 米河内〜上駒立 青木川流域  
石神峠 清田〜山綱 三河湾スカイライン  
坂野峠 荻〜柏原 三河湾スカイライン  

 

蒲 郡」図幅の峠
石塚峠 鳥羽〜友国 三河鳥羽駅北  

 

伊良湖岬」図幅の峠
仁崎峠 仁崎〜田原 衣笠山南 <分>
椛峠 山田〜石神 大山北 椛は「なぐさ」 <分>

 

明 智」図幅の峠
小村峠 上仁木〜小    
長井坂峠   伊勢神峠北 『三遠信の山歩き』
ほりきり峠   伊勢神峠北 付近に千人塚がある。
『忘れられた街道』より
小石神峠   伊勢神峠北 『鳳来町誌・交通史編』
伊勢神峠
石神峠
井戸洞〜小田木 国道153号 江戸時代まで石神峠と呼ばれていた。慶応三年に伊勢神宮遥拝所を建立。
塩の道(中馬街道)の峠、三河から信州伊那谷を結ぶ三州街道の難所。
足助や稲武の信仰篤い人々が、元日に峠から遠く伊勢神宮に向かって
遥拝したことから、「伊勢おがみ峠」が訛って現在の名称になったともいう。
里に伝わる八百比丘尼の話にまつわる老スギや観音像、馬頭観音、
大乗妙典と刻まれた碑が建つ。
水別峠 小田木〜黒田 富永調整池付近 <平>
地蔵峠 笹平〜真野 御所貝津 『昭文社エアリアマップ愛知県都市地図』

 

足 助」図幅の峠
元山中峠 山中〜大島 巴川流域 標高240m 足助町と豊田市の行政区の境界。
『忘れられた街道』より
乗越峠 豊松〜坂上 六所山西北 『忘れられた街道』
日折峠 日折〜 三河湖西 地元では「ひろり峠」と呼んでいる。
『忘れられた街道』より
『人文社愛知県広域道路地図』
杜宇ノ巣峠 本郷〜和合 三河湖西 『忘れられた街道』
四辻峠 切山〜黒坂 三河湖西 挙母街道の一番高い所。辻神様が祀られている。
『忘れられた街道』より
大多賀峠 山中〜大多賀 寧比曽岳北 大田和峠ともいう。 車道が越える。
富士見峠 大奥山〜大多賀 寧比曽岳南  
金蔵連峠 金蔵連〜怒田沢 筈ヶ岳西南 「ごんぞれ」 県道367号 信玄の金鉱伝説あり
裏谷峠 裏谷〜弁天谷   『鳳来町誌・交通史編』
段戸峠 裏谷〜宇連 段戸山南 『鳳来町誌・交通史編』
阿蔵峠
段戸峠
阿蔵〜池尻 出来山南 段戸トンネル開通以前はトンネル西約200mにある阿蔵峠をこえていた。<角>
【保留】 根引峠(豊田〜下山村)

 

御 油」図幅の峠
ムネダ峠     付近にミツゴ岩がある。
『忘れられた街道』より
切越峠     付近に切越八面塔がある。
『忘れられた街道』より
鉢地坂峠 鉢地〜清田 鉢地坂トンネル上 標高280m。
国坂峠 五井〜金野 五井山南 標高205.8m。県道豊川蒲郡線が越える。
寸五郎坂 宮崎〜木下 男川流域 坂だけどなんとなく加えてみました
千万町坂 宮崎〜千万 男川流域 坂だけどなんとなく加えてみました
田原坂 牧原〜清岳 男川流域 坂だけどなんとなく加えてみました
萩坂峠 萩〜大代 観音山北 標高260m。扇坂ともいう。県道大代音羽線が越える。<角>
標高272m。 ハギは崖を指す地名。<竹>
杣坂峠
駒坂峠
千両〜大代 観音山北 県道千万町豊川線が越える。
「千両杣坂七曲り」といわれ牛馬車の通行には特殊な車止めの装置を
施したもの以外は通行困難であった。<角>
標高290m。 杣とは木製品の椀などをつくる木地師の隠語。
木地師専用の峠。<竹>
風越峠
風吹峠
上長山〜雨山 本宮山西南 『忘れられた街道』
和田峠 白子〜和田 本宮山東 『忘れられた街道』
御前石峠
御膳石峠
徳定〜杉平 本宮山東 林道が交差する。
昔、高貴な方がここを通ったとき付近の岩を膳として使用したことから
御膳石峠とも表記される。
『忘れられた街道』より
【保留】清田峠(上大内〜長沢 長沢蒲郡線)、ホオジタ峠(『作手村誌』)、雁峰峠(『作手村誌』)

 

豊 橋」図幅の峠
星越峠 三谷〜大塚 国道247号 旧東海道小坂井の宿から港町として栄えた西尾市平坂に至る海岸部を
結ぶ重要な商業路で難所の一つ。
馬越峠 馬越〜石巻平野 別所街道間道 現在は採石場か?送電線が越えている辺りか?
『愛知県歴史の道調査報告書』より 標高150m程度だったという
本坂峠 嵩山〜本坂 国道362号
愛知静岡県境
標高380m。大正4年にトンネルが開通。姫街道の難所。
大知波峠
大知波田峠
石巻〜大知波 愛知静岡県境 峠の東斜面に発掘された廃寺跡がある。
多米峠 多米〜大知波 愛知静岡県境  
太田峠 岩崎〜中尾平 愛知静岡県境  
普門寺峠 雲谷〜岩崎   昔は鎌倉街道だったという言い伝えがある。
一息峠 葦毛〜雲谷   一服峠とするものもある。座談山から葦原湿原に下る途中に位置する。
松明峠 北山〜大岩   東山ともいう

 

根 羽」図幅の峠
大桑峠
石亀峠
大桑〜木地山 愛知岐阜県境
三国山西
付近に甲岩という玄武岩の塊がある。
三国山は三国峠ともいうらしい。<平>
杣路峠
(岐阜県内)
野入〜小栃 萱場山北西 岐阜県内の峠だけど愛知県との交流に利用された峠道
愛知県側の道は途絶えて山へ入る入口すらわからないという。
新井峠 野入〜新井 愛知岐阜県境
萱場山北西
『人文社愛知県広域道路地図』
地蔵峠 越田和〜丸根 城ヶ山北東 『愛知県歴史の道調査報告書』より
夏焼から野入に入る「登り下り一里余」の峠。
かつて地蔵堂があった。大きな座り地蔵を中心にいくつかの石仏・石碑が
並ぶ。座像のため嫁や婿が落ち着くようにと初詣をしたり、足腰を治して
もらったりするのに参詣する人が今も多い。山の神の祠もあり。
面ノ木峠 天狗棚 茶臼山高原道路 標高1130m。県道東栄稲武線が越える。
面ノ木とは面を作る木を採った山、あるいは大木の幹に大きな面が
彫られていたことからついたともいわれる。
一帯にはモミ、ツガ、トチ、ケヤキが繁茂し、木地師の活躍の場であった。<角>
標高1080m。正月前後の奇祭「花祭り」に釜の周りで鬼の面をつけて
舞う面のことか。天狗棚の平面な峠の意という説もある。<竹>
折元峠 行人原〜離山 茶臼山高原道路 標高950m。行人原からつづら折に坂道を登りきると峠に出る。
峠はなだらかな高原状。
伊那街道の主要な峠で、信州中馬が活躍していた頃には1日平均50頭以上
の馬が峠を越えた。昭和22年峠下にトンネルが開通。<角>
標高900m。豊橋から上津具(折元峠)を西へ向かい根羽へ抜ける道が
中馬本街道であるが、荷駄、賃銭をめぐり争いが絶えず、西の新野峠を
越え長野県へ北上する裏街道との分岐の峠を折元と称した。<竹>
木戸洞峠 川口〜井口 碁盤石山北  
新野峠 中村〜新野 愛知長野県境
国道151号
標高1060m。長野県飯田市から新野を経て豊根村坂宇場に入り、
大海方面へ向かう金指街道もこの峠を通った。
信州と三河の交流は活発で、新野の雪祭りや盆踊りは奥三河地方の
文化とのかかわりが深く、峠を通じて経済的にも強く結ばれている。<角>
矢立峠 牧ノ島〜新野 愛知長野県境
新野峠東
 
大河内峠 牧ノ島〜大河内 愛知長野県境
新野峠東
『人文社愛知県広域道路地図』
風吹峠 六斗畑〜大河内 愛知長野県境
p1061付近
『人文社愛知県広域道路地図』
日余沢峠 日余沢〜新野峠   『人文社愛知県広域道路地図』
間黒峠 間黒〜新野峠   『人文社愛知県広域道路地図』
明神峠 三沢〜牧ノ島   『人文社愛知県広域道路地図』
梨畑峠 粟世〜宝   『人文社愛知県広域道路地図』
宝地峠 宮島〜宝地    

 

田 口」図幅の峠
笹暮峠 市之瀬〜井口 古町高山 標高950m。町村道名倉津具線が越える。 昭和53年に大改修される。
国道257号から県道設楽根羽線を結ぶ主要な道。
「名倉男に津具女」といわれるように古くから姻戚関係が多く、峠を越えて
嫁や婿が行き来した。
恋物語を伝える伝説「笹暮心中」がある。<角>
標高870m。クレ地名は博(クレ)で滋賀県舟木郷博は舟材用材を伐り出す地名、
三重県の石博峠も同地名。笹は木竹葉の笹ではなく、神主が神木を切るときに
用いる笹。<竹>
知生峠 知生〜簀ノ子 境川流域 旧伊那街道 病に倒れた信玄が甲斐に引き上げる時に通ったという言い伝え
ササガタ峠
栂立ちの峠
的場〜猪之沢 大野山南 ぬかしょい道最大の難関。
安永9年の石仏あり。
さいの神峠 宇連〜大桑 仏庫裡東南  
市場口峠 川向〜大久保 戸神川流域  
万歳峠
延坂
延坂〜大久保 境川流域 『忘れられた日本人』より
柴石峠 天堤〜小林 大鈴山北 「右は、あきは山 左、つく(津具)」の明和7年の道標あり、石仏あり。
柴石とは葉っぱの化石がたくさん産出することからの命名という。
標高771m。楓、サワ柴、ハンノ木の葉他、軟質凝灰岩の中から多量の
化石が見つかる。柴が化石となったことによる地名。(竹)
さかもり峠 長江〜天堤 大鈴山北 長江城付近、地蔵あり。
『忘れられた街道』より
グミンダ峠 和市〜小林 大鈴山南  
堤石峠 田口〜黒倉 岩古谷山北 十三曲がり峠とも呼ばれる。東海自然歩道が通る。
東側は天竜川水系大千瀬川、西側は豊川水系野々瀬川となる分水。
ミヨジ峠 荒尾〜中河内 岩古谷山南 東海自然歩道が通る
びわくぼ峠 塩津〜中河内 鞍掛山東 東海自然歩道が通る トイレ、休憩舎あり
かしゃげ峠 大代〜小代 鞍掛山西 標高480m。大代地区の墓所、石碑、道祖神、野仏あり。
伊那街道は江戸時代になると、カシャゲ峠から低い方の与良木峠へ移った。
カシは傾くの意、ヤゲは小さな谷のこと。信州への最古道とされる。
信玄が甲斐への退路として使用。
宝暦の行者像、文化の道標、天保の双体道祖神、明治の大乗妙典供養塔
昭和の山崩遭難供養塔が建立されている。<鳳>
大代峠 四谷〜神田 鞍掛山付近 通称“むすめづら”、神田の人は大代峠と呼ぶ。
鞍掛山と貧乏山の鞍部か。<鳳>
与良木峠 与良木〜清崎 鞍掛山西 標高380m。 ヨはユ、ラはルの子音交替で、ユル、ユリに語源がある。
風雨による砂岩、草木の風化と地震で岩床が揺れることに因む峠名。<竹>
峠堂からトンネルの上までの一帯を与良木峠と呼ぶ。峠に馬頭尊あり。<鳳>
ます屋、すしや、の二軒の茶屋があったという。
西神の峠 栗島〜梨野 笹頭山南 「セーノカミ」が祀られている
セム田の峠 栗島〜田峰 笹頭山南  
恩原峠 恩原〜 竜頭山南 恩原峠を日向におり、湯島を経て海老に至る。<鳳>
桜峠 恩原〜島田 竜頭山南 桜峠を越えて上島田に出る道は西三河と東三河を結ぶ重要路線であった。<鳳>
古多山峠 一色〜愛郷 寒挟川流域 海老道が通る。 武田軍の退却路ともされている。 <鳳>
峰の峠 山中〜海老 寒挟川流域 四十四曲りの坂を登る。<鳳>
山中峠 山中〜玖老勢 寒挟川流域 塞の神が祀られている。<鳳>
びっくり峠   鞍掛山南 『名古屋周辺ワンデイハイク』
仏坂峠 大代〜田代 鞍掛山南 下街道沿いの川合と伊那街道の海老を結ぶ海老街道が通り、
中馬脇往還として栄えた。大正10年本郷トンネル、昭和9年堤石トンネルが
開通してから急速に通行は減少。
峠の南麓にある大林寺から峠までの約4kmの旧道沿いには33体の
観音像が祀られている。旅の安全を祈願し、「南無阿弥陀仏」と唱えて峠を
越えたことから仏坂と呼ばれるようになった。<角>
峠には10体ちかくの馬頭尊が祀られる。
江戸中期には一日150頭ほどの荷駄の通行があった。<街>
標高621m。振草街道の峠。
信玄の奥方の奉行がこの峠で馬方に計られ弁天淵に沈められた哀話伝説
にもあるごとく、また犬戻の橋にあるように犬も恐れて渡れないほどに
険しい峠道。<竹>
川淵峠 宇連〜田代 仏坂トンネル東 『人文社愛知県広域道路地図』
カンバンタ峠 川売〜宇連 仏坂峠南 <鳳>
海老峠 川売〜宇連 宇連山北 『東海自然歩道』川売と宇連の二つの僻村を結ぶ道があった
大幸田峠   宇連山東 『三遠信の山歩き』
牛ころび峠
真久峠
溜淵〜大沢 大峠東 「まきゅう」 馬頭観音、牛ころびの石仏、石碑あり
▲大峠     三角点峰953m。
樽下峠 連〜牧野 坂宇場川流域  
小田峠 石堂〜小田 みどり湖西  
太和金峠 古戸〜津川 神野山西 トンネルの東約600mに峠がある。
トンネル開通以前は中馬街道の海老街道が通る要地であった。
峠の下には豊川用水事業によって作られた大入導水トンネルがある。
望月峠
御園峠
真地〜川合 神野山東 望月右近太夫の祟り伝説が残る。
峠から北東へ50mほど行った所に望月様と呼んでいる祠がある。
真地側の峠道に三体の馬頭観音が祀られている。峠は手入れされた杉林の中。
御園峠 御園〜 小岩岳南 『人文社愛知県広域道路地図』には上記御園峠とは別の位置に記載されている。
坪沢峠 坪沢〜御園 神野山南 『人文社愛知県広域道路地図』
じゅうぶく峠 桑原〜新畑   林道上の峠、峠名の石碑あり
花丸峠 神田〜粟代 御殿山西 中世以来、金指街道沿いの豊根村川合と伊那街道沿いの鳳来町海老を結ぶ
海老街道が通る交通の要地。東栄町市場と設楽町田口を結ぶ山の道も
ここを通り、最盛期には宿屋や茶店もあった。
峠の南、御殿川沿いに県道佐久間設楽線が開かれ
この峠は殆んど利用されなくなった。<角>
茶店が3軒あったという。<街>
標高541m。 マル地名は鉄鉱石を産する地名に多い。
ハナ(端、花)とは鞍掛山の端にある峠ということ。<竹>
柴折峠 下田〜保平 西薗原 『人文社愛知県広域道路地図』
親所峠 三ッ石〜上貝津 西薗原 『人文社愛知県広域道路地図』
小田敷峠 元平〜小田敷 西薗原 『人文社愛知県広域道路地図』、<平>
本郷峠 加久保〜赤谷 高塚西  
三ッ瀬峠 三ッ瀬〜池場 明神山東南  
池場坂
大根坂
池場〜東栄 国道151号 流紋岩質の凝灰角礫岩の厚い地層の鞍部にできた峠

 

三河大野」図幅の峠
まえざか峠 一色〜   小吹道が通る。<鳳>
おんだいら峠 只持〜玖老勢 豊川流域 『鳳来町誌・交通史編』
源氏村の里人の菩提寺、塩平の周昌院へは寒挟川を渡り、標高400mの
おんだいら峠を越して行った。この道は寒挟川河岸に県道が開通する
までの本道であった。<平>
玖老勢峠 玖老勢〜槇原 鳳来寺山北 「くろぜ」『東海自然歩道』
分野峠 玖老勢〜槇原 鳳来寺山北 町道槙原玖老勢線ではあるが廃道同然の山道。
玖老勢にはこの峠を越えて槇原に風呂を貰いにいったという話しが残る。<鳳>
行者越 東門谷〜鳳来寺 鳳来寺山南 剥き出しの火山岩の岩場
湯谷峠 大野〜鳳来寺 鳳来寺山南 東海道御油宿から鳳来寺と秋葉山へ参詣する際に利用された街道上に
位置する峠。「湯谷分かれ」ともいう。
「右、あきは山、左、ゆや道」の寛政十年の道標が建つ。
東海自然歩道が通る。
万寿坂峠
まんぜ坂
  鳳来寺山南 万寿坂峠の石祠(十一面観音)は黒谷家祖先の古石龕である。
長篠村から岡、大草を万寿坂で登り、門谷に下る道は鳳来寺参詣の
道であり、戦国時代には武田軍の進路となり、後には、吉村、岡、大草の
農民が門谷にある鳳来寺代官所へ年貢米を背負って運んだ道。
宝篋印塔、道祖神あり、鹿の異類婚姻譚として光明皇后にまつわる
伝説がある。<平>
乗越 内金〜本郷 長篠城駅北 付近に秋葉様を祀った堂の跡がある。<鳳>
ねぶき峠 能登瀬〜名越 宇連川流域 県道改修以前の交通路。<鳳>
星越峠 井代〜能登瀬 宇連川流域 県道改修以前の交通路。<鳳>
愛宕山の東の鞍部を星越坂といい能登瀬村への旧道。<平>
大峠 【地名】   宇連川流域  
八昇峠 細川〜巣山 真立川流域 秋葉道は細川村はずれから、谷の東側の巣山坂(四十四曲り)を登ったが
現在の車道は八昇峠を越す。<平>
鉛山峠 阿寺〜巣山 阿寺の滝付近  
栃久保峠 阿寺〜栃久保 宇連川流域 <鳳>
鳳地峠 赤峰〜小野 宇連川流域 鳳来寺道の峠、大野村赤引の糸が峠を越えた。
芋久保峠
大田輪峠
大田輪〜阿寺 城山西 城山林道が開通。 付近に行者像が祀られる。<鳳>
清水峠 竹ノ輪〜乗本 常寒山東 『人文社愛知県広域道路地図』
竹ノ輪峠 竹ノ輪〜大平 常寒山付近 村城中央からわずかに登った峠を吉川峠といい、吉川村へ下る。
東竹輪村の日吉神社の東の谷を登る道を四十四曲り、その峠を
竹ノ輪峠といい、乗本村の大平を経て長篠方面への近道である。
長篠の戦いで武田軍はこの道を利用して食料を運んだと伝わる。<平>
吉川峠
かまづか峠
吉川〜竹ノ輪 常寒山南 「右つげ かなさし道 左竹の輪」という安政の道標あり
旧道残あり。茶屋があり黄柳村から茶屋番が来ていた。<鳳>
標高195m。県道新城引佐線が越える。
新城市と鳳来南部の山吉田地区を結ぶには国道151号,257号経由より
距離が短く、峠の標高が低い為鳳来町南部の人々によく利用された。<角>
松山峠 市川〜八名 常寒山付近 長篠の戦いの折、酒井隊が通過してという。
太平洋の海の幸と三河の山の幸を運ぶ道。<鳳>
檜峠 吉川〜小畑   吉川村から草札10枚を出して檜峠付近の採草を許し…<平>
浅間峠 黒田〜吉川    
風越峠 国京〜市場    
福津峠 福津〜黄柳   標高276m。 県道豊橋新城鳳来線が越える。
一帯は蛇紋岩や斑糲岩からなり、表土が浅く植生は松が中心。<角>
舞木峠 鳶ノ巣山付近 愛知静岡県境  
(名無しの)峠 鳶ノ巣山南 愛知静岡県境 旧秋葉道。山腹を削って敷設された林道と人工林に囲まれ風情に欠ける峠。
「右、鳳来寺 左、半僧坊」の石標がある。
越境峠
恵鏡峠
六田沢〜川宇連 愛知静岡県境  
峰峠 巣山〜寺野 愛知静岡県境 あきば道のひとつ。儀光温泉に立ち寄る人に歩かれた。
炭焼田峠 上新戸〜田沢 愛知静岡県境  
的場峠
錬垣峠
中新戸〜的場 愛知静岡県境  
黒松峠 中平〜熊 愛知静岡県境 峠に茶屋があった。黒松古道が廃道同然ではあるが残っている。
遠州奥山方広寺の参詣路として賑わった。<鳳>
魚仏峠 多利野〜熊 愛知静岡県境  
陣座峠 黄柳野〜狩宿 愛知静岡県境 峠への古道が残されている。
現在の峠は昭和の改修によって掘り割ったので、位置が低くなっている。
家康進軍の道とされている。<鳳>
瓶割峠 福津〜大福寺 愛知静岡県境 神御衣として伊勢神宮に献納する鳳来町赤引の糸は瓶割峠を通って、
三ケ日岡本宮の初生衣神社、浜名総社を経由して、本坂峠を越し、
豊橋の湊町神明社へ、さらに渥美町の伊良湖神社を経由して、
伊勢神宮へと渡るシルクロード<『峠』花井幸雄>
宇利峠 富岡〜長根 愛知静岡県境  

 

浜 松」図幅の峠
中山峠 石巻中山〜平山 愛知静岡県境  

 

満 島」図幅の峠
東又峠 市原〜先途 愛知長野県境
八嶽山西
<分>

 

佐久間」図幅の峠
霧石峠
辞職峠
大立〜 日本ヶ塚山西北 下街道沿いの豊根村の坂宇場から粟世を経て霧石峠を越え富山村を通り、
長野県天竜村坂部にいたる霧石道は所によっては坂部道とも呼ばれ
中世以来の幹線ルート。
近代には富山村に赴任する役人や教師が、あまりの僻地にたじろぎ峠で辞職を
決意する者もいて、辞職峠とも呼ばれた。<角>

標高約900m。北設楽郡役所は稲武町にあり、車でも1時間かかる、小学校の先生が
通うには往復するだけで日が暮れる、職を辞めたくもなることから辞職峠の異名を持つ。
「きり」は峠道を造成するための切り通しのことではないか。<竹>

キビウ峠 田鹿〜大立 日本ヶ塚山西  
分地峠 田鹿〜分地 日本ヶ塚山西南 標高760m。明治5年、山方、町上を上津具、南方を下津具と称し、両者の山論争が
絶えなかった。境を越える峠の意味らしい。<竹>

【保留】

長沢峠(設楽町)
清岳峠(糖田〜作手町 岡崎清岳線)
和田峠(新城〜作手 国道301)
藤ノ木峠

『作手村誌』にホオジタ峠(田原坂?)、雁峰峠、坂峠の名があるが詳細不明。
同書には村内域の峠と道について一覧表があるが、どれが峠でどれが道なのかよく判らない。
また、坂と峠の区別も曖昧。

【参考文献、資料、HP】

『分県別登山ガイド愛知県の山』 山と渓谷社 1997年版 2006年版・・・<分>
『アルペンガイド名古屋周辺ワンディ・ハイク』 山と渓谷社 1993年版
『三遠信の山歩き』 あつた勤労者山岳会
『東海自然歩道』 武村岳男 山と渓谷社
『忘れられた街道』上・下巻 中根 風媒社 2006年
『鳳来町誌・交通史編』 鳳来町教育委員会 平成15年・・・<鳳>
『猿投町誌』 豊田市役所 臨川書店 昭和62年
『作手村誌』 作手村教育委員会 昭和57年
『愛知県歴史の道調査報告書』
『愛知大学綜合郷土研究所紀要第20号』「三河高原の小構造谷地形と道路交通」1975年
『5万分の1メッシュ式愛知県広域道路地図』 人文社 2000年
『忘れられた日本人』 宮本常一 岩波文庫
『秋風帖』 柳田國男
『愛知県の地名』 平凡社・・・<平>
『角川日本地名大辞典 愛知県』 角川書店・・・<角>
『日本山岳ルーツ辞典』 竹書房・・・<竹>
『奥三河の山旅 愛知の山と峠』

HP『瀬戸の旧峠
HP『WINDY EXCURSION』