名栗川南岸尾根の峠

畑峠・堂山坂・雀木峠・馬頭坂・榎坂峠・旧榎坂・赤根ヶ峠・尾長(坂)峠・岩クボ・山王峠(日枝峠)

 飯能の南、名栗川南岸の尾根に点在する峠を拾い歩いてきました。
標高300m前後の低山に囲まれた静かな山里ですが、
尾根道を訪れるハイカーは少ないようで一部はヤブに隠されようとしています。
それもこれも隣接する大規模ゴルフ場や開発中の大規模宅地造成が訪れる価値を奪い去った為でしょう。


『新ハイキング354号』(新ハイキング社)
「名栗川南岸の尾根」高橋秀行著 より

「畑峠」や「赤根峠」(現地の標識は「赤根が峠」)は、
『山と高原地図』(昭文社)にも記載がありよく知られていますが、
「雀木峠」、「尾長峠」の名前は、
『新ハイキング354号』の「名栗川南岸の尾根」という紀行文や
『岳人581号』の藤本一美氏の紀行文中の地図で知った峠です。

峠に混じって、「堂山坂」「岩クボ」「馬頭坂」「榎坂」という場所もあります。
峠なのか坂なのかの峻別は難しいので、
とりあえず、合わせて訪れてみることにしました。


畑峠 トンネル

畑峠付近は宅地造成が行われていて変貌著しい有様です。
新道が開通しており、畑峠トンネルのある道路は封鎖されています。
ゴミ焼却場の脇からバリケードをすり抜けてトンネルを訪れました。

傍らの案内看板には、
「埼玉県(秩父地方を除く)で第一号の煉瓦巻のトンネル」とあり、
飯能と青梅の経済・文化交流に果たした役割は大きく、
地域の発展に貢献した歴史に残るトンネルだと称えて、
「長い間ご苦労様と言いたい。 飯能市長 」 とあります。

しかし、現状のトンネルは労いの言葉とは裏腹に荒れ放題でありました。
いまに幽霊スポットなんかになってしまいそうな雰囲気です。

このトンネルの上に、山道の峠が残っているかは不明です。
畑峠は別名、「釜下峠」ともいうそうです。 【*1】


堂山坂

苅生の集落に移動して、下直竹へ乗り越す堂山坂へ。
堂山坂は明瞭な作業道が越えていました。
下直竹側には、すぐそこまで墓地がせまっています。

ここから尾根を325m峰の大高谷山(高ドッケ)に向かいますが、
ヤブっぽいところも何箇所かあるし、小規模ながらアップダウンもあります。
あまり山行価値のある道ではありません。


雀木峠

苅生と申淵を結ぶ仕事道が乗っ越す峠が雀木峠です。
あまり歩かれているようには見えません。
「スズメギ」とは一体どういう意味なのでしょうか?

一帯は薄暗い植林地の中で、
似たような仕事道が何本か鞍部を越えています。

ここが正確な雀木峠だと絶対の自信は持てませんが・・・(-_-;)


名無しの峠 出入り口

さらに尾根を進むと大高谷山の直前の鞍部に名無しの峠があります。
こちらの方が雀木峠より峠らしい気がしますが、
確たる名前は無いようです。

この名無しの峠を右手に下ると、
ガードレールで造った橋を渡り、苅生集落最奥付近の道路に出ました。

ゴルフ場の前を通って名栗川流域の下赤工に抜け出る道のようです。
時折、猛スピードで駆け抜けていく車もあります。


馬頭坂

続いて小岩井に越える榎坂(峠)に向かいます。
民家の間に挟まれた舗装路を爪先上がりに登っていきます。

途中旧道らしき分岐があり、
進んでみると峠風な場所(左写真)がありました。
ゴルフ場のフェンスに阻まれて先には進めません。
旧榎坂かと思いましたが、帰宅後に調べてみると、
リンクしているHP『岨道・峠道』さんに「馬頭坂」の名がありました。

旧榎坂は現榎坂の東側のコブを越えた
場所にあった掘割状の凹道がそうだったようです。
植林帯の凹道で、ゴルフ場フェンスの向こう側に道はなく消滅していました。


榎坂峠

現在の榎坂には開鑿記念碑が建っており、
この道の開鑿が江戸時代からの念願であったことが記されています。
林産物の搬出はもとより、一般交通の用に供され、
山間地域の振興に重要な役割を果たしたとも書かれていました。

今はゴルフ場へのアクセス道路なのでしょうか?
眼前には広大なゴルフ場が展開しています。


柏木山 山頂

榎坂からはゴルフ場のフェンスに沿ったヤブ道を
303m峰の柏木山に向かいますが、
全く歩く価値のない尾根道でヤブと蜘蛛の巣と
いやらしいアップダウンに辟易してしまいます。

また、タヌキ(?)の棲息地らしく、
獣の臭いが強くて不快指数も増します。
なによりも左手に展開するゴルフ場が目障りで、
まったく山歩きの対象にならない山道です。

楽しみといえばタヌキがゴルフ場への侵入を試みて掘った
フェンス下の穴を見るぐらいでしょうか、ガンバレ!タヌキ君。


赤根ヶ峠

柏木山からは幾分道もよくなりますが、
今度はゴルフ場に代わって大規模宅地造成が展開する山道となります。
山のすぐ際まで造成が迫っていて全くの興醒めです。
しかし、バブルがはじけて頓挫したのか造成は進んでいない様子でした。

そして、今日一番の峠らしい峠である赤根ヶ峠に到着です。
現地の標識は「赤根が峠」でしたが、
各種地図を見ると「赤根峠」になっています。 【*2】

峠は珍しい六差路を形成していますが、
北側は住宅都市整備公団(峠道破壊公団)に完全に占領されています。
峠の頂上付近は、かつて飯能焼の陶土を採掘した場所だといいます。
粘土質のここの土が陶器を作るのに適していたそうです。 【*3】

現在、大型重機によって削り取られた山土は
どんな未来を焼き上げるのでしょうか?

せめて峠を残した開発をしてもらいたいものです。

【*1】 南高麗郷土史研究会『地誌・村史』 より

【*2】 奥武蔵研究会によると「赤根ヶ峠」が正しいとのこと。

【*3】 『埼玉ふるさと散歩』 浅見徳男・さきたま双書 より
    間野で焼かれた石灰は赤根ヶ峠を越えて 飯能河原→入間川→川越→新河岸川→千住→江戸 と運ばれました。

◆ 「尾長峠(坂)」は東都飯能ゴルフ場前の急坂でしょうか?はっきりしなかったので今後の課題です。
  下赤工に下る山道があるかもしれません。

◆ 「岩クボ」と呼ばれる乗っ越しは、どうやらゴルフ場に埋没したようであります。

◆ 「山王峠(日枝峠)」は県道221号原市場成木線が越える切り通しの峠で趣きはありません。
  旧車道が分断される形で残っています。それ以外に山道の峠があるかは未確認です。
  傍らに首から上だけの石仏が祀られていました。