サルギ尾根から大ダワへ / 芥場峠(灰汁場峠)・大ダワ(大沢峠)

 前々から気になっていたサルギ尾根に行って来ました。
新年一発目の峠はサルギ尾根を登路にして訪れた芥場峠です。
大岳神社で初詣を済ませ、鋸山林道の峠である大ダワから旧峠道らしき道を小留浦へと下降しました。


登山口の養沢神社


サルギ尾根 踏み跡は明瞭

武蔵五日市駅発、上養沢行きのバス便にはまだ少し待ち時間があるので、
バス代をケチろうと元旦の静まり返った街並みを先のバス停まで歩いてみます。
しかし、街外れまで歩いてもバスの運賃は変動しなかったのでもう二度とこんなことはいたしません。

大岳鍾乳洞入口というバス停で降車。
目の前の養沢神社がサルギ尾根の取り付き点になります。
鳥居をくぐり、石段を上ると地元の氏子衆が焚き火を囲み談笑を楽しんでいます。
余所者登山者に一瞬視線が集中し、「コイツは怪しい奴が来たな」という念が伝わってきます。
その怪しい部外者は拝殿に参拝するでもなく、そそくさと墓地の横から急勾配の尾根を
黙々と登っていくのですから、さらに怪しいと思われたことでしょう。
こちらも「オイ、待て!」と呼び止められぬ内にハイペースで竹林混じりの植林尾根を駈け登ります。
おかげさまで一気に急斜度の取り付きはクリアできました。

尾根上は植林地、踏み跡は明瞭。
ハイカーの残したマーキングもちらほらと確認できます。
ひと昔前の『山と高原地図』にはルート表示はありませんでしたが、
最近のものには点線が描かれていますから登降ルートとして一般化してきているのかもしれません。


炭焼き釜の跡を見る


「下」という字が消された標識

サルギ尾根に興味を持ったのは、河田驍ウんの文章で、
「地図記号は露岩記号の密集でイモ虫とワラジ虫がスクラムを組んだような近付きがたい相好を呈している」
とのウマイ表現を目にしてからです。 【*1】

なるほど、確かに昭和初期の古い地形図を見るとワラジ虫のような様相をしています。
これはなんだか面白そうな場所であると前々から気に掛かっていました。
同じことを思う人は多いようで、『関東百山』の中でも、
「地図上に道記号のないかわり、たくさん這いずるケムシ印。何かイイことありそうだ」
との表現があります。 【*2】
イモ虫かワラジ虫か、はたまたケムシなのかは兎も角、やっと訪問することができました。

植林の尾根を登っては、しばし平坦、また登っては、しばし平坦の繰り返し。
途中、炭焼き釜跡の石積みを見て、岩混じりのアセビ主体の雑木林を登りだすところ辺りが
イモ虫、ワラジ虫の棲家でしょうか?思いの外期待はずれか・・・
尾根上には大きな岩が顔を出しますが、しがみついたり、這い上がったりの
スリリングな遊戯はありませんでした。

「サルギ」を「猿戯」、「猿木」と書いている文献もありますが猿には遇いませんでした。
「猿」とは地名用語で「崖」を意味することがあるらしいから、ここの「サル」も動物の「猿」では
ないのかもしれません。
「猿が戯れる尾根」とはロマンチックではありますが、
南壁で行われている採石作業に慄いて猿も寄り付きはしないでしょう。

高岩山には「下高岩山」の「下」という字が消された手製標識が掛けられていました。
この標識の標高表示は以前は922mであったようですが、それも920mに訂正されています。
ちなみに昭和初期の地形図標高では943mです。


高岩山からの下降
東屋のある次の峰がとても高く感じられる


鉄筋の東屋
ここが「上高岩山(大グラミノ頭)」なのか?


東屋から眺める高岩山(手前のモッコリ)
ここからは日ノ出山、金比羅尾根や馬頭刈尾根がぐるり一望できる

高岩山からは急下降です、前方の東屋のある次なる峰がひときわ高く見えます。
せっかく登りつめたのに、こんなに下ってあんなに登るのかと恨めしい気分になりますが、
アセビ主体の自然林の気持ち良い樹相であることがせめてもの救いとなります。
しかし、いざ歩みを進めるとたいした乱高下ではありません。
ライ〇ド〇の株価ほどの急降下はしないし、登り返しにしたって年次昇給ほどの微々たる上昇です。
わずかな登りで鉄筋の東屋が建つ峰に辿り着くことができます。

ここで注意すべきは、逆方向、つまりサルギ尾根を降路として利用する場合です。
東屋から下降し、そのまま南に張り出した支尾根p922へ引き込まれないようにすることが肝心です。
東屋から下降した場合、左手に大きな樅の木が見えたら左折して踏み跡薄い斜面を勇気を持って下降です。

時折、御岳神社から宗教音楽(祝詞?)らしき響きが谷を渡ってきます。
東屋からぐるりの眺望を楽しみながら、しばしの食事休憩です。


『奥多摩』(宮内敏雄著・百水社) 挿入図 より

さて、到着した東屋の建つ峰が「大グラミノ頭(大暗見山)」なのでしょうか?
最近の『山と高原地図』では、この峰を「上高岩山(大グラミノ頭)」としていますが、
ひと昔前の同地図にはなんら山名は記載されていないのだから摩訶不思議です。
「上高岩山」という名前はどこからわいてきたのでしょうか?

奥多摩歩きの教科書『奥多摩』(宮内敏雄著)には、「上高岩山」などという名称は出てきません。
「“上”高岩山」はどうも胡散臭いなぁ〜と思ってみても、
公的機関である檜原村発行の観光ガイドマップにもしっかりと登場しているのだから
無視するわけにもいきません。
「上」があるとしても「下」があるとは限らない?
そんなことで高岩山の山頂にあった標識の「下」という字は消されたのでしょうか?

東屋から数メートル先の小突起、ロックガーデンへの分岐が、あるいは大グラミノ頭なのでしょうか?
さらに芥場峠へ進むと、道は尾根を行く道と巻き道とに分岐します。
尾根道をそのまま登った小さなコブが上高岩山なのかと思わせる曖昧な登山標識も現地には存在します。
(このコブは『奥多摩』では「中ノ沢頭」のような気がします)

「上高岩山、大暗見山、春岩山などと呼ばれているらしいのだが、先の展望台ピークとここと、
どれかがどれかなんだろうけれど、こだわってると足が先に進まなくなる」 (『関東百山』 より)
まさにその通りなので足早に通り過ぎましょう。


芥場峠
『青梅市史』には「灰汁場峠」とある


芥場峠
本当に「峠」と呼ばれていたのだろうか?

地名の迷路から抜け出して辿り着いた芥場峠。
しかし、この峠もなんだか怪しい。

「芥場という小字であるが『多摩郡村誌』に“按に芥の字は堊の字の誤なる可し、近時まで山下にて
堊石を焼いて石灰を製したる所なればなり。”と出ている故、本来ならば堊場と称すべきを
誤って芥場としたのであろう。然し、芥の正訓は“アクタ”であるから之を“アク”と訓ませたのは
多少舌足らずの感があり又少々早呑込みの嫌いが無いでもない」 (『山を行く』高畑棟材・昭和5年 より)

「アクバ」とは道の悪い「悪場」のことかと思っていましたが、石灰を焼いていたことによる地名らしい。
よって、「堊場峠」の方が正解なのか?「堊」は「アク」で白土のことである。
「芥」じゃ読みは「アクタ」であり、ゴミやチリの意味である。
ただし、読みを「アクタバ峠」としている文献もあるので一層問題は複雑。

「アクバ」とは「石灰(アク)」による地名で一件落着かと思いきや、
『奥多摩』には「木灰(アク)」のことだとあります。

「アクバとは石灰(アク)のことで、即ち堊石を焼いて石灰をこの谷で製したことに拠るものであろうとは
『多摩郡村誌』の説くところだが、岩科氏に御教示頂いたのによると、堊石作業とはまた違った、
木の枝葉を焼いて山人が肥料をとったことを意味するもので・・・(略)・・・灰焼場など幾多の例の如く
正しくは木灰(アク)の事だという。」 (『奥多摩』 より)

そういえば『青梅市史・付図』には「灰汁場峠」との表記もあります。


手書きされた峠名


『檜原村観光ガイド』 より

そもそも、この峠は峠としての機能を有していたのでしょうか?
(アクバ谷とナベワリ沢を結ぶ道があったのか?)
『奥多摩』『多摩郡村誌』にも「芥場峠」という“峠”は登場していません。
記載されているのは「芥場峯」であり、イコール「鍋割山」のことを指しています。
現地登山標識にある「芥場峠」の名前も後から誰かが手書きで書き加えたもののようです。

この「芥場峠」もひと昔前の『山と高原地図』では表記が無かったのに、
最近の版では名前が記載されるようになりました。
地図から抹殺される地名が多い昨今、「上高岩山」にしても、「芥場峠」にしても、
なぜ最近になって登場してきたのでしょうか?
ついでに『檜原村観光ガイド』の「芥場峠」の位置が『山と高原地図』とは若干異なるのも気に掛かる点です。


大岳山への道


大岳神社の愛嬌ある狛犬(狛猫?)
このフォルムには見覚えがあるぞ・・・

地名の迷路から逃げ出して、足は大岳山に向かいます。
新春を迎えたとはいえ太陽の光線はまだまだ弱々しいもの、葉の落ちた明るく快適な道をグイグイと進みます。
サルギ尾根では誰とも出会うことはありませんでしたが大岳道はやはり正月ハイカーで賑わっています。

大岳山荘の背後、杉の大木や朽ちかけた老木に囲まれて大岳神社は鎮座しています。
初詣客で盛況な御岳神社の社殿に比べると、うらぶれた感が拭えませんが、
こういう雰囲気の中にこそ神様が宿しているのではと柏手を打ち、手を合わせ、頭を垂れるのです。
賽銭を納めることも無しに、図々しくも三つほどの願いを掛けるのでした。

『奥多摩』によると、サルギ尾根は養沢集落からの昔の大岳山登拝路であったとありますから、
イモ虫と言われようと、ワラジ虫と言われようと、由緒ある参詣路を辿って来たことになるようです。


大岳山の人気者

大岳神社の背後からはひと登りで大岳山の山頂です。
ここでのお楽しみはなんといっても小鳥達とのコミュニケーションです。
人馴れした小鳥達がエサをねだりに近寄ってきます。
パンをつまんで手を差し出すと、何の警戒心も無しに手にとまり、エサを啄ばむ可愛い姿が間近で見られます。

 「ヤマガラ、コガラにピーナッツを与えないで下さい。ピーナッツは時間経過に伴い極めて有毒なカビを
  発生します。 ヤマガラ、コガラは与えられたピーナッツをすぐには食べず貯蔵しておきます」

との注意案内があったので与えるエサの種類は注意しなければなりません。


潰れかけた木製の祠がある
この辺が「若宮ノ頭」付近だろうか?
この祠が「若宮」様?


大ダワへの快適な道

大岳山から先、西へと伸びる尾根を進みます。
山頂からの下降は一部で鎖の張られたザレた場所もありますが、
それを過ぎれば進行方向に御前山を望む快適な尾根道となります。
大岳山から先の尾根道には人の姿は無く、短い日を気にしながら大ダワへ向けて静寂の道を進みます。


大ダワ 994m


大ダワ
立派なトイレが新造されていた

辿り着いた大ダワは檜原村神戸と奥多摩町小留浦を結ぶ峠で、現在は鋸山林道の舗装路が越えています。
いつの間にやら峠には立派な公衆トイレが建設されていました。
「大ダワ994m 日本山岳耐久レース」と書かれた標柱がポツンと建っています。
大ダワの名前の通り、御前山と大岳山とを結ぶ尾根間の大きなタルミで、
檜原村と奥多摩とを行き来するには有効な地形上の弱点となっています。

『峠と高原』(田部重治著)の紀行文では「大沢峠」との名でも登場しています。
奥多摩側の沢が大沢(大沢入)、檜原村側の沢が赤井沢、
かつてはそれぞれの沢に沿って峠道が付けられていたようです。


旧峠道?下降口


古い石積みが旧道であることを示す

アレレ?避難小屋がありません。
土台の石積み部分だけが残され、建物が消えています。
いつの間にか鋸山(大ダワ)避難小屋は廃止されてしまったようです。
林道に近い避難小屋だっただけに目的外に使用する不埒な輩がいたのかもしれません。

大ダワからは当初、クロノ尾山まで至り、中尾根を下降することを考えていましたが、
峠の公衆トイレの背後を登った所に「奥多摩駅→」を示す登山標識があり、誘惑にかられました。
これって、もしかしたら旧峠道かと・・・
長い林道を歩いて奥多摩側へ下るのは嫌ですけど、土道の、それも旧峠道と思しき道なら
是非、歩いてみたいと、標識に従って植林地内のジグザグ道の下降を開始します。
歩き始めは新しい道のようにも感じられましたが、道を擁護する古い石積みなどを見るにつれ
これは旧峠道に違いないとの確信に変わりました。


土留めされ整備された箇所もある


「三菱トランジスタラジオ」のホウロウ看板と
「←大ダワ 氷川駅→」と書かれた古い登山標識

大沢に沿った道となり、水流も現われる頃、「三菱トランジスタラジオ」と書かれた古いホウロウ看板と、
「←大ダワ 氷川駅→」と書かれた古い登山標識が建っているのを見ます。
今の奥多摩駅の前身、「氷川駅」ですから年代ものの看板に違いありません。
この道が林道開通以前の主要登山道であったことを示す証左となります。


林道に合流する部分


見下ろすV字谷

ホウロウ看板を過ぎると、林道のカーブ部分に飛び出し、固い路面に合流です。
もっと長い距離を土道の旧峠道で歩きたいものですが、林道に出た先の旧峠道の行方は不明であります。
かつての峠道は、この先、大沢の右岸沿いに付けられていたようですが日没が近いので深入りは控えます。
あとはサクサクと林道を歩いて奥多摩駅に直行です。

途中より見下ろす氷川の町はV字谷の底に沈んで見えます。
こんな山深く険しい峠を越えねばならなかった人たちの生活を思うと、
初詣ついでにお気軽に峠歩きを楽しむという行為が愚劣に思えてならないのでした。

【*1】 『山と高原 83号』 「サルギ山(高岩)登路その他」 河田

【*2】 『関東百山』 「大岳山」 打田^一 実業之日本社

養沢神社11:00-大岳山14:00-奥多摩駅16:30                                       (峠行:2007.01.01)