茨城の峠ってどのくらいあるの?
最終更新日/2009.03.18
足を運ぶ機会も少なく、その地理にも不案内な茨城県の峠について調べてみることにしました。
いったいどのくらいの峠が茨城県にはあるのでしょうか?
地形図や登山ガイドブックから拾い集めてみました。
《1/50000地形図・図幅名》
| 塙 | 川 部 | 小名浜 | |||
| 喜連川 | 大 子 | 高 萩 | 大 津 | ||
| 烏 山 | 常陸大宮 | 日 立 | |||
| 壬 生 | 真 岡 | 水 戸 | ひたちなか | ||
| 古 河 | 小 山 | 真 壁 | 石 岡 | 磯 浜 | |
| 鴻 巣 | 水海道 | 土 浦 | 玉 造 | 鉾 田 | |
| 野 田 | 龍ヶ崎 | 佐 原 | 潮 来 | ||
| 八日市場 | 銚 子 |
茨城県全土は30枚の五万図で構成されていますが、
峠名の記載があるものは水色で示した7枚の図幅に限られています。
また、峠名こそ記載が無いものの、峠の存在が確認できる図幅は黄緑色で示しました。
茨城には「〇越」、「〇〇坂」等の地名が多く見られますが、「峠」のみを拾いました。(一部「越」も採用あり)
| 図幅名 | ||||
| 峠名 (別名) *太字は地形図記載の峠 |
地域 | 区間 | 出典 | その他 |
*地名については、平成の市町村大合併には対応していません。
峠の収集に当たっては『茨城の峠』(岡村青著・筑波書林・昭和63年)を主たる参考文献として利用しました。
同本には茨城県内43箇所の峠が紹介されています。
本の文頭には以下のように峠への思いが記されています。
「峠という言葉から私がまず連想するのは希望である。
峠の向こう側には何かがきっとあるだろう。 あるいはあるはずだという未知なるものへのそれだ。
峠にはさまざまな人が往還する。 してみればそこにはそれだけの人間のドラマが織りなされ、
エピソードが生まれるに違いない。」 (『茨城の峠』/「はじめに」 より)
| 塙 | ||||
| 関ノ田和峠 | 栃木県境 高戸山南部 |
須賀川〜関ノ田和 | ロードマップ | 県道205号須賀川大子線。 峠下にトンネルが出来て峠の交通は無い。峠は切り通し状。 |
| 月柄峠 | 大神宮山南部 | 上野宮宮本〜 中郷茶味内 |
『大子町史』通史編 | 石道標あり。 |
| ▲高峠山 | 水郡線 矢祭駅西部 |
八溝川流域 | 地形図に記載あり | 標高324.3mの山です。 峠ではありません。 |
| 川 部 | ||||
| 岡見峠 | 三鈷室山東北部 | 岡見〜柳沢 | 『茨城の峠』掲載 | 『茨城の峠』では県最北端の峠としている。 |
| 花園峠 | 花園山西部 | 花園神社〜柳沢 | 『常陸の山』 | 「標高約860m。眺望は雄大ではるかに太平洋を眺め里川の 三鈷室山から東白河郡一帯の阿武隈準平原の山々が 展開する。花園山塊から三鈷室山・八溝山にいたる山波が 連なるみごとな景観がみられる。」<常> |
| 堂仏峠 | 花園山南部 | 花園神社〜大金田 | 『常陸の山』 | 「標高約700m。大金田から堂仏国有林を登る。 晴天の時には神峯山から日立鉱山の大煙突がはるか南方に 重畳とした山波のかなたに望見する。」<常> |
| 弥太郎坂 | 花園山北部 | 才丸〜小川 | 『常陸の山』 | 峠じゃないけれど・・・ 「昔時、棚倉と平潟を結ぶ幹線であって、相当に人も通ったり 物語も多い路であった。今は荒廃しきっている。」<常> |
| 旗立峠 | 鷹巣山北部 | 栃平〜平袖 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「はたたてとうげ」 「佐竹公が合戦のとき山頂に旗を立てたとも、 棚倉藩と水戸藩とが一戦を交えた時に 旗を立てたともいわれている。」<峠> 「八幡太郎義家が奥羽討伐の時、この峠を過ぎ、 征旗を立てた。」<常> 「旗は「畑」に通じ、立は屯田集落。昔この辺りで畑を営んだ 屯田集落があったと考えられる。」<ルーツ> |
| 腰越峠 | 鷹巣山南部 | 馬飼〜腰越 | MFPさんの紹介 | 詳細不明 |
| 大 子 | ||||
| 境明神峠 | 栃木県境 | 盛泉〜橋場 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「さかいのみょうじんとうげ」 『茨城の峠』では「境の明神峠」 国道461号線上。213m 「茨城上金沢側が守護する石地蔵と 盛泉の境明神を祀る。」<峠> 「八溝山塊と鷲子山塊の鞍部に位置。 近世、現馬頭町域(武茂領)が水戸藩領となったため 重要性を増し、塩・魚の常陸からの移入路となった。 峠の両側にはそれぞれ国の一宮の分祠が祀られ、 多部田村(馬頭町盛泉)側には温泉神社が祀られる。」<平> 「ふもとの集落との比高が小さく、峠の直下まで谷が 開けているので峠の実感に欠ける。 峠道は古来、下野北部の那珂川流域と常陸側の久慈川 流域を結ぶ最短路で、婚姻圏をなす重要な生活道路。 峠の北側には小さな祠が二つあり、常陸側には 常陸の一ノ宮の鹿島神社、下野側には下野那須の温泉 神社が祀られている。 また約50m登った茨城県側に祀られている地蔵尊は 元は峠の道筋にあったもので、旧盆の時には近郷近在の 人々が地蔵尊の前に集まり、夜を徹して盆踊りを 楽しんだという。」<角> |
| 道坂峠 | 太郎山西北 | 小久慈〜塩沢 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「どうざかとうげ」 古くは「胴坂」、「洞坂」。 南郷街道の難所。 「峠から袋田への道は「お茶屋峠」とも。 戦後間もない頃まで塩沢と大子の町を結ぶ生活道。」<峠> 「ドーム状の曲線の傾斜がある峠の意」<ルーツ> 『水府志料』に、「登る事凡二十六町四十間。 部垂村及び水戸への道筋なり。此岳往古常陸の境なり といへり。洞坂と書て可ならんか」と記されている。 鷲ノ子山塊東部に位置する太郎山を越える峠。 |
| 烏帽子掛峠 | 尺丈山西部 栃木県境 |
亭道地〜上郷 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「えぼしかけとうげ」 350m 那珂郡美和村小田野と栃木県那須郡馬頭町大那地を結ぶ。 峠の名はある武将がここを通った時に、烏帽子を掛けて 休息したことに由来。また、三浦大介が勅命により 那須野原の九尾のキツネを退治に行く時、烏帽子を掛けて 休んだのでこの名があるという。<大> 「三浦大介もこの峠を越えたという。」<峠> 切り通しの峠。馬頭観音あり。 |
| 萩の越路 | 尺丈山西部 | 大那地〜仲河戸 | 陸地測量部の地図 | 烏帽子掛峠とタバッコ峠のほぼ中間に位置する山越え道。 「萩」でなく「荻」としている資料もある。 |
| タバッコ峠 | 尺丈山東部 | 栃原〜東河戸上 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
タバコの葉を担いで越えたことによる命名か? 『美和村史』によると、 弘法大師が峠でタバコを一服したとの説もある。 付近には弘法大師腰掛け石もある。 大子町栃原と美和村高部の境。標高約350m。 主要地方道大子美和線が通過。道祖神あり。 久慈川水系大沢川流域と那珂川水系緒川上流域を結ぶ。 <角> 「タバ、タワは地形語で峠のこと。コは愛称」<ルーツ> |
| 久隆沢峠 | 愛宕山西部 | 栃原本田〜久隆沢 | HP 『自転車で峠越え』 |
『山方の石仏石塔』による。 嘉永の月待ちの塔、弘化の道祖神あり、馬力神もある |
| ス虫沢峠 | 愛宕山東南 | 水貫〜久隆沢 | HP 『自転車で峠越え』 |
『山方の石仏石塔』による。 明治30年の馬の守護神、馬頭観世音 昭和17年の馬力神が鎮座する。 |
| 七内峠 | 尺丈山東南部 | 上檜沢〜久隆中 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「ななうちとうげ」 「七」とは長岡和泉守という高名な殿様が佐竹公を頼りに 七人の家来と土着したことによる。<峠> |
| 見町峠 見丁峠 |
尺丈山東南部 | 下檜沢〜久隆下 | 県発行ガイドマップ 陸地測量部地図 『茨城の峠』掲載 |
『茨城の峠』では「見丁峠」正しくは「見町」。 「この山の峠から下の町が見渡せたことによる」<ルーツ> 明和2年の経典塔、宝暦9年の道祖神が祀られている。 熊久保の炭を大宮へ運ぶ際に越えたという。 |
| 弓取峠 | 生瀬富士北部 | 打越〜日照 | 『茨城の峠』掲載 | 県道常陸太田大子線(太田街道)上にある。 八幡太郎義家が奥州征伐に赴く際に山頂から蝦夷地に 向けて矢を放ったという。<峠> その放った矢が矢祭山に届き、義家が記念して祀ったのが 矢祭神社だといわれる。 |
| 滝美峠 | 生瀬富士付近 | 立神山〜滝本 | 『山と渓谷726号』 | 峠の機能を具備しているのか?それともドッケ系か? 峠名を書いた標識がピークにあるという。 滝の姿も見える好展望地となっている。 |
| 月居峠 | 月居山付近 | 袋田〜水根 | 『東京付近の山』 『阿武隈の山を歩く』 等、山ガイド本や 古い地形図 |
大子町袋田と小生瀬の境で月居トンネル上部に位置する。 西の袋田側が高く急傾斜。久慈川中流域と生瀬盆地、 里川、山田川流域、さらに遠く下野国方面と太平洋岸を 結ぶ幹線道路が通り,古くから重要であった。 『新編常陸国風土記稿』に「岩山岩松多し、小生瀬より 平易なり、袋田よりは険坂十五六町登る。此道は天下野辺 並小里郷より大子馬頭下野国に至る。東浜魚荷の道なり」 とあり、鉄道開通以前の塩・魚の移入路であった。 旧道は月居山頂近くの光明寺(月居観音)付近まで上がり 325mの峠を越えていたが、明治17年標高250mの地点に 月居トンネルが造られた。<角> 月居とは湾曲した部分が多く崩崖の多い山の意。<ルーツ> |
| 大円地越 | 男体山西部 | 大円地〜持方 | 地形図記載あり 各種ガイドブック |
「円地とはドーム型の意味」<ルーツ> 語源は大円鏡智(修行して会得する鏡のような智慧)という 仏教用語による。<駅からハイキングマップ> 峠には休憩舎あり。 男体山に20分、奥久慈岩稜の小草越に30分の道標あり。 |
| 小草越 | 男体山西南部 | 古分屋敷〜上武生 | 『阿武隈の山を歩く』 | 峠の道標には古分屋敷25分とある。 反対側は古い林道が上がってきている。 |
| フジイ越 | 篭岩北西部 | 曽根〜竜神峡 | 『阿武隈の山を歩く』 | 古分屋敷の道が分岐する。 |
| すぐさり越 | 篭岩西部 | 曽根〜 | MFPさん情報 | 『新ハイキング491号』 |
| 釜沢越 | 篭岩西部 | 佐中〜竜神峡 | 『阿武隈の山を歩く』 | 山桜の大樹を背に小さな祠が祀られている。 |
| 物申峠 | 篭岩付近 | 不詳 | 『茨城の峠』掲載 | 堀江讃岐守が平家の落武者となりわずかな家来を従え 土着した。その家来が岩の上から「もの申す!」と叫んだ という。峠には首なし地蔵がある。<峠> |
| 三葉峠 | 明山西部 | 上三草〜明山 | 『阿武隈の山を歩く』 『茨城県の山』 |
登山道が十字になっている。 新設された上山ハイキングコースも接続。 明山までわずかな距離。赤いタバコの吸殻入れが設置。 |
| 曽根山峠 (掘切峠) 殿山峠 |
水郡線 西金駅南部 |
盛金〜西金 | 『茨城県の地名』 『茨城の峠』掲載 |
『茨城の峠』では堀切峠 「ほっきりとうげ」 水戸の城下から会津藩南郷へ向かう南郷街道。 盛金から国神神社の西を辿ると峠、 ここを越えれば保内郷、そして大子宿。 「ほっきり地蔵」がある。<峠> 安政2年(1855)に久慈川の東岸に新道を造ったので さびれる。<平> 安永の念仏塔、庚申塔、経典塔、寛政の月待塔、 文化の観音、地蔵などが祀られ賑やか。 切り通しの高みに六地蔵を祀る堂がある |
| 明神峠 (明神坂) |
福島県境 | 明神〜永戸 | 地形図記載あり | 多賀山地と久慈山地の接する久慈川水系の里川、滝川の 副分水嶺に位置する。峠の徳田側には文永2年に佐竹氏に よって創建された境神社(境明神)がある。 古くから常陸と陸奥を結ぶ重要な峠で弘仁年間には 大拱関が置かれ、中世には南関といわれ軍事上、交通上 の要地だった。近世には棚倉街道が通り、峠を越えて 年貢米が馬で運ばれた。 昭和9年の水郡線全線開通後はさびれてしまった。<角> 近世には水戸藩と天領の境として重きをなし、磔場が 設置された。幕府巡見使が水戸藩に入る場合水戸藩士は この峠で出迎えた。幕末動乱期には徳田関門を設け 通行人を監視、東に猿田彦命を祀る境神社がある。<平> |
| 柿平峠 | 花立山北部 | 柿平〜徳田 | 『常陸の山』 | 花立山(徳田山?)の北部。 標高約488m。? |
| 猪ノ鼻峠 | 鍋足山北部 | 寺地〜小中宿 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「いのはなとうげ」 標高約441m。 名前の通りイノシシがよく出没した。<峠> 里美村小中と大子町高柴の境。標高441m。 古くから里川流域と生瀬盆地、久慈川流域を結ぶ峠として 重視される。かつては塩・魚の移入路であった。 現在は主要地方道日立大子線が通り急斜面を曲路の 連続で峠を越える。 |
| 明神峠 取上峠 |
白木山東部 | 取上〜湯草 | 『茨城の峠』掲載 | 標高約361m。?319m。? |
| 北沢峠 | 鍋足山南部 | 釜の平〜大石 | 『新ハイキング』 『茨城県の山』 |
下記の北沢峠とは位置が異なる模様。 『常陸の山』では「大石峠」の名がある。 標高約414m。? |
| 北沢峠 | 鍋足山南部 | 馬次〜折橋 | 『茨城の峠』掲載 | 上記の北沢峠とは位置が異なる模様。 高倉から馬次を経て250mあまりの北沢峠を越えて 折橋に至る間道。 標高約328m。?とも? |
| 高 萩 | ||||
| 内草峠 | 里美牧場付近 | 七反〜内草、上君田 | 『常陸の山』 | |
| 笠石峠 | 里美牧場付近 | 笠石〜上君田 | 『常陸の山』 | 郡界の峠。標高約659m。? |
| 大金田峠 | 十里上峠西北 | 不詳 | 『茨城の峠』掲載 | 名前の通り金の鉱脈がそこここにあるらしい。 |
| カラスキ峠 | 十里上峠西北 | 横川〜内野 | 『常陸の山』 | |
| 十里上峠 | 大北渓谷北部 | 横川下〜足田内 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「とりあげとうげ」 別名「とりかみとうげ」 「とりあげ」だと「取上」との関係も気になる。 「山頂付近に崩壊地のある山にある峠の意」<ルーツ> 朽ちかけた一本の標柱が立っているという。 |
| 人生峠 | 常磐線 高萩駅西部 |
滝ノ脇〜秋山 | HP | 日立勿来線。地蔵坂付近。 人生峠の標識があるという。 |
| 常 陸 大 宮 | ||||
| 花立峠 | 花立自然公園 | 小田野〜大貝 | 『茨城の峠』掲載 | 国道293号線。 馬頭尊あり。 |
| 赤城峠 | 水郡線 中舟生駅西部 |
北皆沢〜下檜沢 | 『茨城の峠』掲載 | 山方宿を出て北皆沢の方から入って高館城の城址の脇を抜け 美和村下檜沢に通じる。<峠> |
| センダン峠 | 水郡線 中舟生駅西部 |
中舟生〜皆沢 | 『茨城の峠』掲載 | 佐竹の金山に近く、山師が闊歩した峠。<峠> 『山方の石仏石塔』の「瀧沢峠」と同一か? |
| 長沢峠 | 水郡線 山方宿駅西部 |
氷之沢〜長沢 | 『茨城県の地名』 『茨城の峠』掲載 |
県道常陸太田烏山線。保内レキ層という断層が見られる。<峠> 「長沢峠下」というバス停が登り口にある。 旧道分岐には元文年間の道標があるらしい |
| 笠敷峠 | 水郡線 野上原駅西部 |
長田〜野上 | 『茨城県の地名』 | 野上の十字路を西に向かい長田へ抜ける峠。<平> |
| 白谷峠 白岩峠 |
水郡線 野上原駅西部 |
小瀬〜仲郷 | 地形図記載あり | 「しらやとうげ」 大宮町北塩子と緒川村上小瀬の境。標高約140m。 那珂川水系緒川流域と久慈川中・下流域を結ぶ。 古くから太田、部垂筋から鷲ノ子、黒羽への道路が通じ、 難所と知られたが、トンネルが開通し国道293号線が通過。<角> 『茨城の峠』や県発行のガイドマップでは「白岩峠」で これが正しい。狐に化かされた話や追剥も出没した峠。 「白い山の意味」<ルーツ> |
| 箕輪峠 | 町営牧場付近 | 三美〜八田 | 『茨城の峠』掲載 | 水戸光圀が植えたという一本松が峠にあり、久慈浜の漁師の 目印になっていたという。 日立と宇都宮を結び塩や魚が峠を越えた。 箕の輪みたいにタルんでいたから名がついたという。<峠> |
| 練富士峠 | 井殿山西部 栃木県境 |
茂木〜桧山 | 『茨城の峠』掲載 | 「ねりふじとうげ」 |
| こまねぎ峠 | 津室山南部 | 相川〜錫高野 〜光戸 |
地形図記載あり | 『茨城の峠』では「駒招峠」 錫高野付近は錫、鉄、マンガン、砂鉄など地下鉱物資源の宝庫。 |
| 地割峠 | 竜神峡南部 | 諸沢〜天下野 | 『茨城の峠』掲載 『茨城県の地名』 |
位置不詳 山方町西野内から諸沢を経てさらに北富田へ向かう途中の 山あい道を左に折れ、そこから一里半。<峠> |
| 堀切峠 | 久慈川東岸 | 梶畑〜久保 | 『山方の 石仏石塔』 |
月待塔や馬頭観音、地蔵尊などが祀られている 「大子」図幅との境目 |
| 犬吠峠 | 水郡線 山方宿駅東部 |
西野内〜金砂郷 | 『茨城の峠』掲載 『茨城県の地名』 |
「七曲り峠」といわれる部分もあるという。<峠> 寺の焼失を悲しみ七日七夜を吠え続け火難を四方の村々に 知らせ、やがて座して石に化した犬の姿だという巨石がある。<峠> 『山方町いまむかし』(仲田安夫・筑波書林ふるさと文庫)に 峠の言い伝えなど詳細がある。 |
| 日 立 | ||||
| 十国峠 | 国見山北部 | 逆久保〜大間ヶ沢 〜杉平 |
ロードマップ | 十国峠展望台あり |
| 新立峠 本山峠 |
神峯山西部 | 木の根坂〜本山 | 『阿武隈の山を歩く』 『東京付近の山』 |
本山トンネル上部 『茨城の峠』では「本山峠」 木の根坂をダラダラと登るとトンネルがある。 日立から宇都宮へ軍事物資を運搬するために本格的に開削。 天狗党も峠を越えたという。<峠> |
| 真 岡 | ||||
| 大手坂 | 富谷山西部 栃木県境 |
大手〜大泉 | 地形図記載あり | 峠じゃないけど |
| 凍坂峠 門毛峠 |
雨巻山南部 栃木県境 |
凍坂〜上深沢 | 『阿武隈の山を歩く』 | 県道286号中飯岩瀬線。雨巻山と高峰の鞍部。 「門毛坂」とも言う。 「門毛峠」(かどげとうげ)ともいう。<角> |
| 奈良駄峠 | 高峯東部 栃木県境 |
上小貫〜山口 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「ならだとうげ」 峠付近でサンカを見かけたという。<峠> 岩瀬町と栃木県茂木町小貫の境。標高約310m。 岩瀬盆地と茂木方面を結ぶ。 かつては岩瀬産の土瓦を駄馬で運んだり大和村の雨引山楽法寺 (雨引観音)へ参拝するために峠を越える人で賑わった。<角><大> 切り通しの雰囲気ある峠が残る。 |
| 鍬柄峠 | 鍬柄山北部 | 入新田〜入前 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「くわがらとうげ」 石切山脈岩瀬町と笠間市の境界。 |
| 仏ノ山峠 | 仏頂山北東部 栃木県境 |
吹田〜片庭 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「ほとけのやまとうげ」 坂東三十三ヶ所札所めぐりの巡礼者も越えた。<峠> 笠間側からは塩・乾物などが茂木側からは刻みタバコなどが 馬で運ばれ、海岸部と内陸を結ぶ峠として重要な役割があった。 雨引観音の参拝路としても利用された。<角> 標高約193m。朝日堂、夕日堂の伝説の磯四郎左衛門が峠で 茶店を開いた。下野側からは木材、まき、炭が、常陸側からは 魚、魚粉が運ばれた。西側に地蔵菩薩像を祀る。<平> 仏ノ山とはこの山に大拙祖能禅師がいたことによる。<ルーツ> 仏ノ山峠地蔵堂がある。追剥だった父親を改心させるために 自ら命を絶った娘の話が残る。<HP> 国鉄真岡線の開通後さびれたが、自動車の普及とともに 再び幹線路としての役割を果たしている。<大> |
| 赤坂峠 | 鶏足山付近 | 赤坂〜 | 『常陸の山』 | 標高約300m。? |
| 倉見峠 | 花香月山南部 | 倉見〜 | 『常陸の山』 | 標高約323m。? |
| 水 戸 | ||||
| 石寺峠 | 笠間湖北部 | 真端〜石寺 | 『茨城の峠』掲載 | おかっぱ頭の亡霊が出るという。<峠> |
| 佐野峠 | 真端〜石寺 | HP『自転車で峠越え』 | 県道桜トンネルの上らしい | |
| 中山峠 | 朝房山西北部 | 八田〜宿 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「なかやまとうげ」 なんの変哲もない平坦な峠だという。 天狗が出没した。<峠> |
| 高峠 | 山内山東部 | 福田〜池野辺 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「高」は美称、つまり高低に関係ない。 地元の人にとって高く立派な山にある峠の意。<ルーツ> |
| 真 壁 | ||||
| 雨引峠 (観音峠) |
雨引観音東部 | 友部〜雨引 | 『日本山岳案内』 | 雨引観音の参拝路として利用された。 |
| 東峠 | 燕山北部 | 谷部〜松田 | 『日本山岳案内』 | |
| 泣坂峠 | 燕山北部 | 泣坂〜木植 | 『新ハイ482号』 | |
| 大曽根峠 | 燕山北部 | 大曽根〜猿田 | 『日本山岳案内』 | |
| ツバクラ峠 (つばくろ峠) |
燕山南部 | 小幡〜大塚 | 『日本山岳案内』 『茨城の峠』掲載 |
『茨城の峠』では「つばくろ峠」 加波山を隠す「加波かくし」と呼ばれた。<峠> |
| 一本杉峠 | 加波山南部 | 車坪〜大塚 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
真壁町白井と八郷町大塚の境にある。標高約425m。 足尾山、加波山の鞍部に位置し、筑波山塊西側山列 尾根を越える峠で最も高い。古くから修験道道場として 知られる足尾、加波山両神社への参拝道の一つとして 利用。<角> 新治郡から筑波鉄道に出る人が利用。<山岳> |
| 足尾峠 | 足尾山付近 | 車坪〜小山田 | ||
| 上曽峠 足尾峠 |
きのこ山南部 | 山尾〜上曽 | 『関東平野を囲む山々』 『角川日本地名大辞典』 |
「うわそとうげ」 『茨城の峠』掲載の「足尾峠」 石岡市より林、柿岡を経て峠を越えさらに真壁から 下館に至る指定府県道。 真壁町山尾と八郷町上曽の境で標高約320m。 古くから柿岡盆地と真壁方面を結ぶ要路が通り、 上曽は宿場として栄えた。 現在は柿岡盆地から筑波山塊を 越える主要地方道石岡下館線が通過。<角> 上曽は古くは真壁へ越える旅人の宿場であり、 また、足尾山の登山口でもあった。 筑波鉄道が開通する大正時代までは、上曽から土浦や 下館へ行く場合は真壁を回っていた。<大> |
| 湯袋峠 | きのこ山南部 | 山口〜湯袋 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「ゆぶくろとうげ」 『八郷町誌』によると付近で人肌ぐらいの湯が 湧出したという。<峠> 県道150号月岡真壁線。 石岡の国府から新治郡衙へ行く官道。<HP> 沢には温泉、湯作の名があると伝えられる。<常> かつては、まさきり淵といわれる難所があり、人や馬が やっと通行できるほどの道であったが、水戸の工兵隊が この難所の岩石を爆破して峠越えの困難を解消したと 伝えられている。<大> |
| 風返峠 | 表筑波 スカイライン |
筑波〜十三塚 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「かざがいしとうげ」 筑波町筑波と八郷町小幡の境。標高約412m。 登山道の内最も早く開けた府中街道が通っていた。 古くから府中、水戸方面からの参拝客で賑わい 柿岡盆地と北条、下妻方面を結ぶ生活道としての役割 も果たした。凶作時には追剥が出没し巡礼者もしばしば 犠牲となった。峠に20余体の地蔵尊が祀られる。<角> 風が越えないで元へ戻ってしまうような傾斜のきつい 峠の意味。<ルーツ> 十三塚は峠を越える人と筑波登山をする人のための 宿屋や居酒屋などがあり宿場として栄えた。<大> |
| 不動峠 | 表筑波 スカイライン |
山口〜仏生寺 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
頭上を筑波スカイラインが走る。 古名は「手這坂」。 |
| 小野越峠 | 表筑波 スカイライン |
小野越〜小町 | 『茨城県の山』 | 『茨城の峠』では朝日峠の通称名としている。 小野小町の伝説が残る。 『八郷町史』に伝説あり。 |
| 朝日峠 | 表筑波 スカイライン |
辻〜小野、大志戸 | 『茨城の峠』掲載 ロードマップ |
朝日峠展望公園あり。新治村小野と八郷町柴内の境。 旧道は峠下集落小野と柴内、辻をつなぐ直線状の 急勾配の山道で、イノシシがよく出没した。 八郷側から駄馬で木炭などを土浦へ運んだ。<大> また、新治村の小野や沢辺の祭りを見物に出かけた。 旧道の標高は約261m、 現在の峠は旧道の東にあり約280m。 山越えの広域営農団地農道八郷線と表筑波スカイ ラインが合流する。 |
| あきば峠 | 浅間山西部 | 上佐谷〜弓弦 | 『新ハイキング』 MFPさん情報提供 |
林道上の峠、千代田側に金冷水、銀冷水という水場あり。 |
| 旧あきば峠 元あきば峠 |
浅間山西部 | 上佐谷〜弓弦 | 『新ハイキング』 MFPさん情報提供 |
『常陸の山』では「弓弦峠」の名がある。標高約260m。 『阿武隈・奥久慈・八溝の山87』(随想舎)にある 「青木葉峠」と同一だろうか? |
| 板敷峠 | 吾国山西部 | 木植〜大増 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「いたしきとうげ」 岩瀬町木植と八郷町大増の境。峠を越えて南北に県道 八郷稲田線が通り柿岡盆地と岩瀬、笠間両盆地を結ぶ。 大増からこの峠を通って笠間市の稲田や岩瀬町の羽黒 へ行くことができ、大増と笠間、岩瀬方面とは古くから 結びつきが多い。<大> 現在の道路は昭和の開通で、標高は約90m。 旧道は直線状で約112mあった。修験道を究めていた 弁円が稲田の親鸞を嫉み、布教活動の道筋に当たる この峠で承久3年に山伏と待ち伏せし、暗殺を試みたが 失敗に終わり、かえって浄土真宗の奥義を説かれ 弟子になったと伝えられる。<角> |
| 太田峠 | 吾国山東部 | 太田〜南指原 | 『日本山岳案内』 | |
| 道祖神峠 | 吾国山東部 | 古親田〜堂山 | 地形図記載あり 『茨城の峠』掲載 |
「どうそがみとうげ」 『茨城の峠』では「どうろくがみ」 峠に道祖神を祀る。 笠間市本戸と八郷町太田を結ぶ。標高約310m。 笠間焼きの商人が行き来する道として知られた。 現在は県道小見笠間線が南北に通り、柿岡盆地と 笠間盆地を結ぶ。<角><大> |
| 長沢峠 | 吾国山東部 | 長沢〜 | 『日本山岳案内』 | 標高約306m。? |
| 半久峠 | 難台山北部 | 半久〜岩間 | 『日本山岳案内』 | |
| 中戸峠 | 難台山南部 | 中戸〜駒場 | 『日本山岳案内』 | 難台山の頂近くから切り出す御影石を採掘する場所に 人の通うために踏まれた。<山岳> |
| 旧団子石峠 | 難台山南部 | 瓦谷〜駒場 | 『阿武隈の山を歩く』 | 団子石がある。 |
| 団子石峠 | 難台山南部 | 瓦谷〜駒場 | 地形図記載あり | 林道との交差点。石を削ったベンチあり。 |
| 厚茂峠 | 難台山南部 | 部原〜厚茂 | 『茨城の峠』掲載 | 「あつもとうげ」 部原集落の人々が峠を越えて羽鳥駅に通った。<峠> |
| 鬼越峠 | 閑居山付近? | 『八郷町史』等 | 龍神山ハイキングコース付近らしい。 | |
| 石 岡 | ||||
| 乗越峠 | 愛宕神社付近 | 愛宕神社〜龍泉院 山根〜駒場 |
『阿武隈の山を歩く』 『茨城県の山』 |
愛宕神社の駐車場奥の登山口。 林道が分岐。休憩舎あり。標高約250m。 |
● 位置不明 (すでにリストアップした峠の別名かもしれない)
石割峠 『常陸の山』より 「大子」か「常陸大宮」の図幅内かと思われる。 割石峠とは別物です。
厚毛峠 『八郷町史』等 「真壁」か「石岡」の図幅内かと思われる。 厚茂峠のことか?
鷲子峠 『常陸の山』より 「大子」か「常陸大宮」か「喜連川」の図幅内かと思われる。
花瓶峠 『常陸の山』より 「塙」の図幅内かと思われる。
境松峠 『御前山村郷土史』
西ノ州峠
和田峠
● 『奥久慈・大子町の地名』 菊池国夫 あけび書房 に見る峠がつく地名
| 上野宮地区 | 越タケ峠 | 槙野地との境で標高も高い |
| 〃 | 峠崎 | イボキ沢の一角 |
| 〃 | 峠作 | 磯神から井戸入沢に入っての一角 |
| 左貫地区 | 雄犬峠(オイヌトウゲ) | 槙野地の高野地区に隣接 |
| 〃 | 恋路 | 野辺地から荒貝沢 |
| 〃 | 峠上 峠下 峠平 | |
| 高田地区 | 峠 | |
| 中郷地区 | 越多和 | 福島県側に越える峠 |
| 〃 | 高峠 | 上野宮の風木ノ草とを結ぶ |
| 〃 | 館ノ越 | |
| 槙野地地区 | 狼峠(オイナトウゲ) | 左貫に抜ける峠の近くに根峠とあるが・・・ |
| 南多気 | 箕輪峠 |
● 出典詳細 < >は省略表示
<峠>・・・『茨城の峠』 岡村青 筑波書林
<山岳>・・・『日本山岳案内』 鉄道省
<常>・・・『常陸の山』マウンテンガイドブックシリーズ40 御田琴雄 朋文堂 昭和35
<平>・・・『茨城県の地名』 平凡社
<角>・・・『角川日本地名大辞典』 角川書店
<大>・・・『茨城県大百科事典』 茨城新聞社 1981年
<ルーツ>・・・『日本山岳ルーツ大辞典』 池田末則監修・竹書房
『茨城の山』 山と渓谷社
『阿武隈の山を歩く』 新ハイキング・ペンクラブ 新ハイキング社
『関東平野を囲む山々』 石井光造 さきたま出版会
『東京付近の山』 実業之日本社
「ガイドマップいばらき」 茨城県
『ツーリングマップル関東』 昭文社
『大子町史』 大子町史編纂委員会
『美和村史』 美和村史編纂委員会
『八郷町史』 八郷町史編纂委員会
『山方の石仏石塔』 山方町教育委員会
『栃木県大百科事典』 栃木県大百科事典刊行会 下野新聞社 昭和55年
● 参考 <HP>
HP『自転車で峠越え』
HP『自転車徘徊記』様
HP『WINDY EXCURSION』様
・・・こちらのページには、
「羽黒峠」「柳沢峠」「高里峠」「大荷田峠」「十王峠」「洪沢峠」「関華峠」「大須木峠」
「亀谷地峠」「大野峠」「小妻峠」などが紹介されていますが《仮称》とあるので上記リストには採用していません。
● 『日本百名峠』には茨城県の峠として「境ノ明神峠」が選ばれています。