遭難してしまった峠行

三ッ沢峠・ヌケド峠・八坂峠・アンバ峠?・岩谷峠・四尾連峠・西肩峠・折門峠・栂ノ峠(=地蔵峠?) 

 一週間前に御坂峠から大石峠を歩いた際に、すっかり日の暮れた峠行の恐怖を味わっておきながら、
今回再び日没後に山の中に取り残されてしまい遭難未遂を起こしてしまいました。
未遂というより準遭難。天候悪化や怪我でもしていれば完全遭難につながったかも知れません。


八坂集落と三ッ沢集落の分岐

「沢」という集落に車を停めて歩き始めた時間は、
前回の学習効果も無くお昼過ぎの12時半。

ヨコグラの木(サワヤナギ)の群落地を示す看板を過ぎ、
コンクリ舗装された爪先上がりの道を進む。
地図がなければ、この先に本当に集落があるのかと疑いたくなる道だ。

三ッ沢橋、新田橋を過ぎると、
道祖神と石祠を祀った集落の入口に辿り着く。


三ッ沢集落入口の守り神

村の守り神だろうか。
道祖神は塞の神というから、
村に悪いものが入り込むのを防いでいるのだろう。
石祠の正面には滝があり、辺りはマイナスイオンに包まれている。

三ッ沢峠へ至る山道の入口が分かりづらい。
炭焼き釜の前を通り左にカーブして、
細い沢の流れを朽ちかけた丸太を束ねた橋で渡るのが正解。
入ってすぐ鋭角に曲がる道があるが本道を進む。

杉の暗い植林地の中の道を行く。
どう見ても、単なる細い仕事道。 
こんな道を地形図に載せていいものかとも、
あるいはコースミスかもと不安になる。


三ッ沢峠

地図の破線よりも、だいぶ西側に流されているような気になるが、
辿っている道は明瞭につけられている。

大きな椎茸をつけたホダギを越えた所で一休み。
迷ったかと心配して地図を確認中、背後に気配を感じて振り返ると、
四基の山の神らしき石の祠が並んでいる。

山の神のご加護を信じて植林の黒い林から、
広葉樹の明るいジグザグ道へと先に進む。

歩く人もいないようで落ち葉が積もり腐葉土のような道だ。
猪のものらしき掘り起こしも随所にみられる。


三ッ沢峠・右の大木の根元に石祠がある

周辺がさらに明るくなってきた所で、
三方分山からの山道と合流する峠に出た。 
今まで、歩んできた道が正しい峠道であったと分かり、
気分も明るくなる。

しかも峠は雰囲気もよく、まさに峠らしい峠である。
カラ松のような赤松?の大木の根元に石祠が祀られている。
古いものらしく刻字は風化して読めなかった。


落ち葉を褥にした馬頭観音

四尾連湖と精進湖を結ぶメインの山道ははっきりしており、
よく踏まれている。
この先しばらくは素晴らしい楢林の黄葉の山道である。

葉を落としつつある木々の間から八坂の集落であろうか、
チラチラと眺めることができる。
道端には一体の馬頭観音。
左手斜面は割と切れ落ちているので、
かつて馬の事故があったのだろうか。


力強いミズナラの大木

しばらく進むと、ひときわ大きい八坂のミズナラの威風堂々とした雄姿。
根の周囲5.6m、高さ23.5m、樹齢450年別名をオオナラと呼ばれる。
450年も昔から峠道を行く人々を見てきたのだ。

さらに進むと、小沢にさしかかる。
水道の蛇口の付いた水場があり、納屋もある。
地形図を読むと、ここが次に目指すヌケド峠への入口と思われるが、
地図の桑畑の記号とは異なり、辺りは杉の深い植林帯になっている。

よく踏まれた本道に誘われて、四尾連湖を指す標識に従うことにする。


三叉路の天保年間の観音様

八坂の集落辺りからのびてくる道が交わる三叉路に、
人待ち顔の観音菩薩。 天保年間の刻印でかなりのご高齢。

さらに進むと折八古関林道に飛び出した。 
立派に舗装された林道だ。

やはり、先程の水場の分岐がヌケド峠への道だと悟り、
この林道を使い、その方向へ進む。
予想通り、林道によって峠への道は寸断されていた。

かすかな沢沿いのケモノ道を這い上がり、また林道を横切り、
忠実にかつての峠道を拾いヌケド峠に至る。


ヌケド峠

ヌケド峠は何も無い。
ただ風が吹き抜けるだけ。
釈迦ヶ岳とその南のトリノ山の鞍部。
仕事道のような頼りない道が反対側に続いている。
(身延町HPのコースガイドには「ヌケット峠」とある)

釈迦ヶ岳に向けて赤松林の急登をのぼる。
三珠町と下部町の境界尾根と合流して、ひと登りで山頂に至る。


釈迦ヶ岳 1271m

釈迦ヶ岳は同じ名前が黒岳近くにもあるので、
こちらを飯田釈迦ヶ岳、あちらを黒駒釈迦ヶ岳と呼ぶらしい。

富士山と甲府市街の眺めを確保するため、
それぞれの方角の一部が切り開かれている。
登山客への心配りか、観光客誘致の試みか。

山頂から西に八坂峠に向けて境界尾根を辿る。
地形図には破線すらないので、ヤブ漕ぎを覚悟していたが、
最近、整備されたらしく青臭い。
潅木は払われ、急坂には階段状の土固めもされている。


新?八坂峠

突然前方が明るくなると、折八古関林道に飛び出す。
トラロープと即製丸太階段で林道に降り立つと、
そこには今仕事を終えた山作業の人々。 
たった今まで登山道の整備をしていたとのこと。

「ここがヤサカ峠ですか?」と尋ねると、
「ああ、ここがハッサカ峠だ」と読み方の違いまで訂正してくれた。

しかし、どう見ても鞍部とは言い難く、
さらに西の境界尾根上に最低鞍部が見えている。


旧?八坂峠

「これからどこまで行くのか?」と尋ねられたので、
「アンバ峠の方まで」と答えると、「それはどこか?」と逆に聞かれる始末。

地元では有名ではないらしい。
「地蔵峠の方まで」と言い直すと今度は通じて、
「それはエライ歩きがいがあるなー」と感心されたのか呆れられたのか。
「もう日が暮れるから下りた方がよかんべぇ」とのご指摘。

現時刻15時20分。まだ明るいし、ヘッドランプも持っているので、
山のプロ達の忠告を無視して、林道上の新・八坂峠から
本来の八坂峠を目指して進むことを決意。

「ここから先の尾根道は整備されていないから気ぃつけてのぉ」の声に、
「歩くのが好きなので」と答えにならない答えでかわして歩き出す。
これが今思えば失敗であった。

ここで林道を下って、車を停めた沢集落に戻っていれば、遭難は免れたものの・・・。

林道に別れを告げ、釈迦ヶ岳と1161m峰との最低鞍部を目指して、植林帯を下る。
降りついた所は、地図に載るようなはっきりした峠の様子ではないが、たしかに南北に道が越えている。
北側はすっかりヤブが被さり、南側も仕事道風で頼りない。(写真は南側) 眺望はまるでない。
空缶などゴミも多少あるので、ここがかつての八坂峠なのだろうか。

ここまで来たらアンバ峠までと、1161m峰をどう越えるか思案していると、北側に巻き道らしきものを発見。
はじめはしっかりした道だったが、次第に怪しくなってくる。
1161m峰から北の933m峰に派生する尾根に当たる所で道は消滅した。
山椒や名も知らぬ植物のトゲトゲ攻撃も凄まじい。

1161m峰に直登を試みケモノ道を辿るも、あえなく撤退。 
仕方なく巻き道発見地点に戻り、尾根上に徹して歩くことにする。
相当のヤブとの戦いが続く。 時には植林部分、時には雑木林部分と歩き易い所を拾って、
また時には、屈みこみケモノの視線でヤブを掻き分け進み入る。
ここを歩くハイカーは稀なようで、テープやヒモの類の目印もない。 
プラスチックの境界杭(林班杭)らしき人工物を唯一の頼りに進む。

1161m峰らしき小広い突端に出たが、すでに日が落ちかかり早くアンバ峠に出なければと焦りつつ、
桧の小枝の跳ね返りやトゲトゲ植物の攻撃と戦いながら道なき尾根を下る。

鞍部状の所には出たが、いかんせん地図に名の載るような峠とは思えない。 無論、標識の類もない。
先程の旧八坂峠とおぼしき所と同等かそれ以下だ。
暗い場所で、南側は植林帯の中のか細い踏み跡。北側は水の流れでできたようなエグレ道。
ここがアンバ峠とも思えないので、さらに西に進む。

(後で考えると、ここがアンバ峠としか思えない。
しかし、『甲斐の山山』には眺望に優れるとあり疑いは残る。
アンバ峠の名の由来「アミバ(網場)」から考えても合致しない雰囲気だった。
「アンバ」って「鞍馬」と思っていたが「網場」の転化らしい。 別名「アミカケ峠」ともいうとか)

結局、八坂に下る峠道は見つからず、すでに1142m峰付近と思えるが、日没まで秒読み段階に入り、
ヘッドランプの用意と心の準備に入る。
はっきりいって現在地不明。 踏み跡すら見つからない状況。 明確な尾根もなくなる。
(後で考えると、1142m峰西の等高線が緩やかな所だと思う。)

日没まで明確な道を発見しようと焦るが、逆に深みに嵌まり現在地を全く見失い闇に包まれた。
日も暮れ、途方にも暮れ、西に歩き続ければアンバ峠(この時はまだその存在を疑っていなかった)
・地蔵峠・折門峠のいずれかの峠道にぶつかるはずと信じて、
頼りないヘッドランプを頼りにして西に向けて進む。

もしくは南に向けて進路を取って地図上破線道に飛び出すことも考えたが、
南面は密度の濃い植林帯なので、闇が一層暗くなるし、不気味だし、歩きづらい。
かえって北側の雑木林の中が歩き易く、その中を西に向かう。
焦らなければ遭難しないだろうと(この時点で遭難している)、心を冷静に保つことに勤め、
あらゆるものに注意を傾け山道へ出る手掛かりを探すも、何も見当たらない。

ヤブ山の暗闇ほど不安になるものはない。
準遭難状態に陥ったと認識。 怪我をしたり生命に危険のある完全遭難の一歩手前である。
最悪、山中ビバークを考え、残りの食料や装備を確認。
食料はチョコ3個、ビスケット10枚、カッパエビセン小袋1袋、カレーパン1個、クリームパン1個と
子供の遠足のようだが量は十分で心強い。 特にパンの存在が心強い。
水は500mlのお茶がほとんど手付かずの状態で残っている。 飢えで死ぬことはなさそうだ。

ヘッドランプは予備電池が2個あり明日の朝まで点け続けても持ちそうで、闇に発狂することもなさそうだ。
防寒はユニクロのドライシャツ1枚とユニクロのセーターを着ているだけで心許ない。
ザックの中にノースフェィスの薄い長袖シャツが1枚と不安だ。
下はGパンで暖かいが雨が降るとイチコロだ。
無論、お気軽峠行のつもりだったのでカッパの用意はない。
つい軽量化のために雨具を持たないことに反省。

今は興奮して歩き続けているので暖かいが、日の出前の冷え込みは辛そうだ。
ライターがあるので、いざとなれば焚火で暖がとれるし、
生きのびる為なら山火事を起してでも助かろうなどと暴挙も思いに浮かぶ。

軍手は役に立った!実に暖かい。しかし、これも雨には弱い。
セーターには何種類もの植物の種が付着し、ヤブとの戦いの凄まじさを物語る。

ヘッドランプの効能だが、道がはっきりした所であれば有効だが、ヤブ山では頗る頼りない光量である。
覆い被さる枝や葉に乱反射するし、吐く息にも光が拡散してしまうのはいただけない。
手持ち用のハンドライトも欲しいところだ。
少し歩いては首を左右に大きく振り、辺りを照らし出し、道の痕跡を探すが何も見つからない。
360度雑木に包まれている。 時折、落ちているゴミに期待もするが、何も見つからず闇、闇、闇・・・・。
普段は目障りなゴミも、こんな状況では宝に思えてならない。

甲府の街の灯りがチラチラ見えるので、それに誘われてどうも北側の芦川側に流される。
どうせビバークするなら甲府の夜景でも見えた方が安心かとも思ったが、しかし地形図では芦川側は
等高線が詰まっており急峻と考えられるので容易に近づくことができない。
芦川沿いに点在する集落の灯りも見えるのだが、手が届きそうでなんと遠い下界だろうか。
それにできることなら車を停めた南側の八坂集落側に降りたいものである。

道を探そうと闇雲にウロウロするが、リングワンデリングでぐるぐる廻っているようだ。
コンパスを持っていることに気付いて取り出すも、現在地も判らないし周辺の状況も判らず
使いようがないのでポケットに押し込んだ。
甲府の灯りを右手に、西に進むことで峠道とぶつかることを期待して暗闇の中を進むことに集中する。
途中、ヌタ場のような水溜りもあり、ケモノの恐怖がよぎるが、日没前は盛んに吹いていた笛も疎かになり、
ケモノの方が先に気付くだろうと開き直る始末。

下界の灯が見えるこんな低山でビバークするのも悔しいので、
なんとしても峠道を見つけ出そうと必死に探す。


暗闇の岩谷峠

なんとかして道らしきU字状の凹みを発見。
ジグザグらしき切りかえしもあり、人為的に作られたものと確信。
これでなんとかなると、車を停めた南側を目指すが道は消滅。
北側の芦川側に下る道しかわからない。
止むを得ず車に戻ることはあきらめ芦川の集落に下山することにする。

しかし、当初順調だった道も沢筋で崩壊して消えている。
どうするかと冷静を保つためにクリームパンで夕食。
暗闇の中、崩壊した沢筋をトラバースすると再び道を発見。
再三、同じような箇所があったが冷静に対応。
上部二ヶ所、下部で一ヶ所この峠道は崩壊している。

だんだんと、この道を作った人の気持を考え感情移入していき、自分なら道をこう作ると考えて、
闇に沈む峠道を探し拾って進む。 
今までの登山経験も役に立ち、だんだんと道のあり方が想像つくようになってきた矢先、突然水量のある
沢に行く手を阻まれた。

前方に小突峰のシルエットが見えたので、
どうやら折門峠から芦川沿いの高萩集落へ下る道にいると考えられた。 
小突峰は地図上の708m峰らしい。

暗闇の中、足元に厳重に注意して沢を渡り植林とヤブの中を進むと、再び沢を渡ることになった時点で
間違いなく地図情報と一致するので、折門峠からの峠道であるとの確信を得て一安心する。

地図上708m峰の西の分岐は岩谷峠と呼ばれる地で、蛾ヶ岳への登路が分岐している所だ。
暗くて蛾ヶ岳への道はわからなかったが、ちっちゃな切通し風で峠状の地形であった。
峠付近には、林業作業用の索道施設(上写真)もあり、久し振りの人間の臭いにホッとする。
足元にはチラチラと集落の灯りが見えるが、ここは焦らず、慎重に植林帯のジグザグを下り、
沢っぽい道を降りて芦川渓谷沿いの県道に這い出すことができた。

時すでに22時。日没後5時間山中をさ迷っていたことになる。
水と食料があったから強気でいられたが、
ビバークして明るくなるのを待つという方策も一つとしてあったと思う。
暗闇の中の3度の崩壊地トラバースと2度の徒渉は、今考えると危険であった。
(意外に昼間歩けば、なんてことのない道だとは思うが。)

もとより頼りなきローカルバス路線。この時刻に運行しているはずもない。
とりあえず郵便局横の電話ボックスで自宅に無事の一報を入れる。
隣りの商店の自販機でホット紅茶を買ってカレーパンをつまみホッとする。
腰掛けた石段の前には三珠町町議会議員選挙の選挙ポスターが街灯に照らされ浮かび上がる。
久し振りに見た選挙ポスターの人の顔は、みんないい人に見えた。


一夜を明かした市川本町駅舎

車に戻ることはもはや叶わず、
明るくなるのを待ってどこかの峠を越えて南側に出ることも考えたが、
今の今までいた山中に再び戻るのも精神的にツライ。 
折八古関林道や、まして本栖道を歩くは果てしない。
タクシーを呼ぶ金は惜しいし、ここは市川大門に出て精神的・体力的
に再起を計り、日の出とともに蛾ヶ岳を越えて折門峠・地蔵峠を
確認して停めた車に戻ることにした。
そうと決まれば、芦川沿いの道を市川大門に向けて歩くだけ。

山道に比べアスファルトの道は足裏が痛くなるが、
一時は山中ビバークを考えたことを思えば苦ではない。
満天の星空を見上げては、深い芦川の谷合の道をひたすら歩く。
こんな時は大きな声で歌をうたって、ただ歩くだけ。
1時間半後、市川本町駅に辿り着く。 
ここが蛾ヶ岳登山口に近いので、今夜のネグラとする。

夜の街は静かで、シャッターの開いている店などない。
やっとのことで街外れにコンビニを発見し翌日の食料調達にかかる。
運良くその隣りに中華料理屋があり、深夜1時に中華丼にありつけた。
寒さで震える体を駅のベンチに横たえ、時々唸りだす自販機の騒音に
妨害されつつも、ウトウトして明るくなるのを待った。


四尾連峠手前の馬頭観音

翌朝5時前に、駅前に住むオバちゃんが無人駅である駅舎の清掃と
駅の住人黒猫のクロちゃんの世話にやって来た。
「昔は蛾ヶ岳登山の人で賑わったが、最近はめっきり減ってねぇー」と
嘆いていた。
掃除を終えてから、焼きたてのパンケーキとコーヒーを差し入れて
くださいました。 感謝!

5時34分甲府行始発電車が到着する頃は周辺も明るくなり出発。
碑林公園の裏手より山道に入る。
山道というより歴史的古道といった趣。
薬研状の道が続き、石碑や石像などもあり
富士講の古い道なのかもしれない。


四尾連峠

途中、復元された烽火台や朽ちかけた東屋のある展望台があり、
甲府盆地が一望できる。 真正面に八ヶ岳も見事だ。
笛吹川とそれに合流する芦川の流れも素晴らしい。

この先は勾配も緩まり歩き易い道が続く。
四尾連峠手前に寛政期の馬頭観音。
観音様は正面の南アルプスの山並を見つめているのか。

峠には野沢一なる人物の文学碑がある。
峠から四尾連湖の水面は望めなかった。

四尾連峠から大畠山までは、幅広の林道のような道。
湖から上がってくる道が合流する地点に大畠山の標識がある。


西肩峠

大畠山からはハイキングにもってこいの道。
途中のヤセている尾根もおもしろい。
よく考えてつけられた道である。
樹間より四尾連湖が顔を出す。

午前中の山歩きは清々しく気持ちよい。
昨日の遭難の精神的ショックは完全に消え去っている。


西肩峠の六地蔵

西肩峠は蛾ヶ岳のまさに西の肩。
反対側に越す道もある。

峠の六地蔵に手を合わせ、ひと登りで蛾ヶ岳山頂に至る。


蛾ヶ岳 1280mからの眺望

南面は雲に隠れ気味の富士。
北西は四尾連湖の碧が良く見える。
その背後に南アルプスの連なり。 
北岳・間ノ岳・農鳥・赤石・聖も見えているようだ。
八ヶ岳の八ツもくっきり見え、金峰山・甲武信岳の
秩父方面の眺望も見事な三等三角点の山頂だ。

山ノ神の石祠と金刀比羅宮の板碑がある。
今日は遭難しないようにと願をかける。


折門峠

山頂からちょっと急な下降をすれば、あとは大平山までは、
ナラ林の快適な尾根道となり、たいした起伏もない。

芦川側の谷から選挙の街宣車の音が聞こえてくる。
昨晩の選挙ポスターの感涙も忘れ耳障りだ。
尾根上には「水場北に150m」「このあたりは鴨の猟場です」の
看板があるだけ。

折門峠の手前に、字の消えかけた立札がある。
「大平山から眺める富士は日本一」ということが書かれているらしい。


地形図上の折門峠

折門峠は地形図上の位置とは異なり、
大平山南の巻いている部分をいうらしい。
さらに南にのびる尾根を進むと山神峠に至ると思われる。

富士五湖観光協会のパンフによると、地形図上の他に林道上にも
折門峠の名が記され二ヶ所になっている。
しかし、このパンフは蛾ヶ岳を蟻ヶ岳としていて疑わしい。

各種登山ガイドブックでは地形図の位置で示しているものが多いが、
下部町の設置した看板を信じて大平山南の位置を折門峠としよう。

地形図上の峠は注意していないと通り過ぎてしまうほど頼りない
U字状の凹道だ。(左写真のザック位置を右に折れる)
ここを下れば昨晩の遭難地点に出るはずだ。


栂ノ峠(地蔵峠)

栂ノ峠と地蔵峠を別にしているガイドブックもあるが、【*1】
現地の看板には「栂ノ峠(地蔵峠)」と書かれてあった。
たしかに栂の根元に地蔵も置かれていたので同一なのかもしれない。

峠の案内板には、「御地蔵峠はつがん峠と呼ばれ折八区折門沢地内
と市川甲府方面を結ぶ重要な生活道であった」とある。
樹齢500年、高さ16.3m、周囲4.08mの大木は甲府付近からも望め
「大つが」と呼ばれ親しまれてきたそうだ。

ちなみに地形図上の位置はもう少し西の1094m地点と思われる。
南に下る道は不明。
地形図上の地蔵峠から北に下る道を求めて稜線上に
進もうと思ったがヤブがひどいので止めた。

この辺りの地図の破線が怪しく、1142峰に上がる道も、
アンバ峠への道も見当たらなかった。


上折門の道祖神
微笑ましい性器描写がポイント!

先程まで暑いくらいに晴れていた天気も、
八坂集落上の折八古関林道に出た所で
俄かに曇りはじめポツポツと降りだしてきた。

八坂から反木川に降りる道を歩こうかと思ったが、
山道は懲り懲りなので舗装された林道を進むことを選択。
この選択がまたもや失敗。

林道は食い込みが深く、遥か西方の天狗岩のよく見える地点まで
遠回りに歩かされる破目となる。
雨脚も激しくなり、カッパを持たない身にはこたえる冷たい雨だ。
木の下で雨宿りをしながら、なんの面白味もない林道を黙々と歩く。
そして時には走る。

大平山から派生している南尾根も通り越しているようなので、
もしかしたら山神峠も林道化され通過したかもしれないが、
定かではない。

国土地理院による更新修正が追いついていないようで、
地形図の道がどうも当てにならない。
新しい林道開発に即応できていないのだ。【*2】

2時間もの林道歩きで沢の集落に辿り着き、
懐かしの車と再会できて今回の長かった峠行は終わった。

教訓・・・トラブルは人間を強くする。 かな?

【*1】 『続・中高年向きの山100コース』 山と渓谷社 浅野孝一著

【*2】 地形図の超最新版を見たところ、林道は全線記載されるに至りました。
     そして、なんと折門峠の位置が移動しちゃいました!(現在地元設置の標識がある大平山の南に移動)

● 後日、再訪問して遭難理由を確認したレポートを見る

● 三度目の地蔵峠訪問レポートを見る