★ 市道の峠A+幻の峠
浅川峠(市坂峠)・大久保のコル(浅川乗越)・逢坂峠(宮谷乗越?)
| 以前、市(イチ)に通った峠道として醍醐集落から武蔵五日市へ越える醍醐峠を歩きました。 今回は葛野川流域の浅川集落から上野原の市(イチ)に通った浅川峠を訪れます。 |
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| 『奥多摩』(宮内敏雄著・百水社)には以下の文章があります。 「扇山北麓浅川村の文化吸収路は、葛野川沿岸に出るより、東の尾根を踰して鶴川沿岸の 諸村殊に上野原町附近に対しての交渉が深く、ために毎月開かれる上野原の市(イチ)に通う道として、 大群山から扇山への山稜のタル----乗越を市坂峠(一に浅川峠)と呼んでいるのである。」 また、古い山雑誌に掲載されていた「権現山とその附近」(岩科小一郎著)でも、 浅川峠は市に通う道として浅川側の人たちには「市坂峠」とも呼ばれていたことがわかります。 |
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| 本来なら浅川までバスで行き、峠を越えて上野原市街まで歩き通したかったのですが、 事前に調べたバスの便数は貧弱の極みであり、 一日二便のみの運行というお粗末なローカルぶりを呈していました。 仕方なく浅川入口の落合に車を置いて、 「落合-浅川-浅川峠-扇山-大久保山-樺ノ頭-コタラ山西尾根-落合」の周回コースを計画しました。 しかし、現地にてバスの時刻表を見てみると、平成18年4月に改正されたらしく、 ただし、次のバスには間があるので結局は歩くことになりました。 権現山と扇山を結ぶ稜線のタワミに向けて、浅川の流れに沿った緩やかな登り勾配の道が続きます。 |
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| 甲州街道野田尻宿に繋がる間道として、古くは多くの往来があったことでしょう。 道沿いには機織りを営んでいたと思しき旧家の佇まいも見られます。 一見すると平和的な山峡の集落ですが、昭和57年、権現山を襲った集中豪雨が浅川集落の中心部を直撃し、 濁流が家々を押し潰したという悲しい災害の歴史を持った地でもあります。 浅川公民館前で背後からバスがやって来ましたが、ここまで来てバスに乗車する気はありません。 バスの終点には、「浅川峠→」と書かれたお馴染み大月市設置の無愛想な道標が建っています。 |
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| 林道が終わりを迎えると待望の山道となります。 道はしっかりと踏まれていて迷うことはなく、前半部は植林帯、後半部は自然林の中を進みます。 林道の終点から峠までさほど距離はありません。 急登もないのでやさしい峠といえるでしょう。 しかし、本当に浅川の人たちはこの峠を越えて上野原まで通っていたのでしょうか? 浅川峠は明るい十字路で、権現山、扇山、浅川、上野原のそれぞれを指し示す道標が建っています。 事前情報では峠の棚頭側は道が荒れているとのことでしたが、 |
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| 峠から棚頭側に下ってみたい気持を抑えて、扇山に進路をとります。 扇山、百蔵山、権現山を北都留三山と呼ぶそうですが、このいずれの山にも登ったことはありません。 中央線沿線の定番中の定番なのですが、 三山の明る過ぎる雰囲気が、自分のように暗い人間の足を遠ざけてしまっているのです。 暗い人間は明るい所に出ると、その暗さが一層引き立ってしまいますから訪れるのを躊躇ってしまうのです。 北都留三山は下界から眺めると、 浅川峠を南下して、940m圏のコンモリとした場所は曽倉山。 この西面の谷を「地獄谷」と呼ぶようで、口碑によると山賊が住み、年中、生首が絶えなかったからとも、 |
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| 鞍部から扇山の北面を息を切らせて登りつめると、パッと開けた山頂にひょいと飛び出します。 大月市選定の秀麗冨嶽十二景第六番だけあって見事な眺望です。 ただこの日は気温が高すぎて富士の姿は霞んで望めません。 先客の中年男性3人組が憚らず、揃って立小便をしている姿はイタダケマセンでしたが、 彼らが立ち去った後は静かな山頂を独占することができました。 次なる目的地「大久保のコル」に向けては、防火線のような幅広の道を西進します。 |
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| 大久保のコルからちょいと登るとp1109の大久保山です。 ここからp818の樺ノ頭(カンバノ頭)に向けては立木に掴まりながらの急下降となります。 樺ノ頭(カンバノ頭)は『日本山岳案内』では「長尾山」としています。 ややこしくなってきましたが、“幻の逢坂峠”はこの辺りにあるようです。 そして、コタラ山付近の様子については、 |
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| どうやら“幻の逢坂峠”とは、 地形図「大月」図幅と「上野原」図幅の丁度合わせ目に位置している乗越道のようです。 地形図には北の浅川側に下る道は記されていませんが、 『山梨の峠』の「逢坂峠」の項では、この浅川側への下降路は発見できなかったようです。 『甲斐の山旅・甲州百山』では、 この馬頭観音像から北に向けて尾根伝いに下降する“逢坂峠らしき道”を発見してしまったからには、 道はやや潅木に隠され気味ですが凹状で確かな道形が続いています。 |
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| 上部の自然林帯から下部の植林帯に入ると、犬の吠え声と共に一軒の民家の屋根が見えてきます。 「地獄谷」の入口にある民家前の林道に無事に降り立ち、大坂橋、宮川橋を渡ると、 バス道のコーナー部分に接続となりました。 この道が“幻の逢坂峠”だったのでしょうか?確証はありませんが逢坂峠のような気がします。 バス道を進むと浅川公民館前のバス停で 落合に停めた車に戻った時、傍らを先のバスが折り返しを終えて通り過ぎて行きました。 |
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| <*1> 「権現山とその附近」 岩科小一郎著 より <*2> 『山岳第十五年第一号』の「多摩川相模川の分水山脈」(武田久吉著)では以下の参考になる文章がある。 <*3> 「逢坂峠」の存在について初めて知ったのは『甲斐の山旅・甲州百山』(小俣光雄他著・実業之日本社)という書物の中に <*4> コタラ山西尾根の末端、尾根が葛野川に落ちる所であるコタラ沢入口に「指さし地蔵尊」という珍しい石造物がある。 → 後日、逢坂峠を再訪し、指さし地蔵と対面したレポを見る。 → 3度目の逢坂峠 【参考文献】 『山と渓谷13号』 「権現山とその附近」 岩科小一郎著 【タイム】休憩込み 落合11:50-バス道終点12:30-浅川峠13:10-扇山14:00-宮谷分岐14:50-バス道復帰15:50-落合16:20 【付記】 後日、『葛野川物語』(鈴木美良著)という本を読んでいたら、浅川村と棚頭村との村境決定過程について書かれていました。 |