雪降る前の峠 / 清水越・足柄峠

  
足柄峠の道標

あまりにも有名な峠である足柄峠。
今まで、車で、バイクで越えたことはありますが、
歩こうとは思いませんでした。
しかし、足柄峠の東北に位置する矢倉岳(870m)に登る途上に、
「清水越」という峠の仲間らしき地名を見つけて、
峠周辺を歩いてみたくなりました。

西高東低の冬型の厳しい寒さの中、
路面凍結に注意して地蔵堂まで自動車で入り、
清水越、矢倉岳を経て足柄峠に至り、足柄古道を降りてくる
雪降る前のささやかな峠行に出掛けました。


清水越


矢倉岳から富士を望む


矢倉岳から金時山を望む

地蔵堂から矢倉岳まで約1時間。 そのほとんどがスギ・ヒノキの植林帯の中を行きます。
花粉症の季節なら山頂に着く頃は、鼻水ダラダラ、目はショボショボになることでしょう。
気になった「清水越」は別に峠状でもなく、ちょっと拍子抜け。
しかし、ここを越えて山北町側に下れば「峠」という字名の地があります。
もしかしたら、足柄峠の関所を敬遠しなければならなかったワケアリの人々が越えた裏街道的な
峠であったのかもしれません。

矢倉岳の山頂は広く、眺望も優れています。
酒匂川沿いの開成町、大井町の街並みが一望できます。 相模湾もキラキラと輝いています。
そのむこうの山並には篠窪峠、六本松峠が眠っています。
京の都から足柄峠を越えて東国へ赴いた人々は、次にどちらの峠を目指したのでしょうか。

富士の眺めも雄大、金時山も大きく立ちはだかり、神々しいかぎりです。
明神ヶ岳から東に伸びる長大な尾根は、巨大な滑り台のようでもあります。


万葉公園の句碑


足柄峠一里塚


聖天堂に遊ぶ金太郎

矢倉岳から足柄万葉公園を経て足柄峠に至る道は、ほとんど平坦路。
快適に飛ばして振り返れば、今まで山頂に立っていた矢倉岳のカヤトの禿山が遠ざかってゆく。

万葉公園には、いたるところに万葉集の句碑が建っています。
あの有名な 「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は 清に見もかも」や
「足柄の 御坂畏み 曇夜の 吾が下這へを 言出つるかも」なども見受けることができます。

足柄峠は古代から都と東国を結ぶ要路でありました。
大和朝廷の昔、日本武尊が東征の帰路に立ち寄り、弟橘姫を偲んで「あづまはや」と叫んだ
という記述が古事記に残っているそうです。

奈良時代、東国の任地に赴く役人達がここで都に最後の別れをし、
そしてまた、防人の任に赴く東国の農民達はこの峠で肉親を思い、
心の叫びを詩に詠んだことでしょう。 
鎌倉時代に箱根道が開かれるまでは官道、公道として利用され続けた一級国道だったのです。
(802年に富士山が噴火して道が埋まった際は、一時的に箱根へ向かい碓氷峠を越えて
明神へ至る道が歩かれたそうであります)

峠付近は「おじぎ石」、「一里塚」、「首供養塔」、「源頼光の腰掛石」など見所豊富で賑やかです。
復元されている「足柄の関」は、黒沢明監督の映画『乱』の撮影で使用されたセットを
移築したものだそうです。 
関の前には観光地によくある顔をくり抜いた写真撮影用のパネルがありましたが、
とても使用する勇気はありませんでした。


足柄古道入口


雪除けを纏った道祖神

峠の聖天堂は「下の安穏」に効験あらたかということなので、しっかりと祈願してきました。
下半身が強くなるとか、元気になるとか、そういうことではなく、
「下の世話」をかけないで済むということらしいのですが・・・。

峠の路面はうっすらとアイスバーン気味、吹いている風も冷たいので
足柄古道を伝って、地蔵堂に戻ることにします。
古道は車道に寸断されてはいますが、それなりに雰囲気を味わうことができます。
古来より多くの旅人によって踏み固められてきた道を歩いていると思うと不思議な感じです。

麓に辿り着く頃には、日も傾きはじめ、いよいよ寒さが厳しくなってきました。
ふと見上げると、車道の高みに雪囲いされた道祖神を見つけました。
藁で作られた雪囲いは、とても暖かそうです。
集落の人々のやさしさが伝わってきます。
峠を行き来した旅人をやさしく持て成した麓の人々の気持ちが、
今も受け継がれているのかもしれません。

その翌日、箱根・丹沢地方は冷たい雪に見舞われました。