★ 雪の長尾根・麻生山 / 天神峠・尾名手峠


『大菩薩とその附近』(山と渓谷社・昭和35年) 挿入図より

遅ればせながら麻生内閣誕生を記念して(?)麻生山に行くことにしました。
といっても別に自民党の党員でもなければ、その支持者でもありません。
どちらかといえば反麻生であり、不支持者なのですが、
政権が崩壊する前に、こじつけて同名の山を訪れるというさもしい魂胆です。

天神峠から長尾根を登り麻生山の山頂に立ち、
尾名手峠、ミツモリを経て楢尾尾根(楢原尾根・鋸尾根)を下降するという
定番コースを歩く予定で現地へ向かいました。


上平集落から長尾根、ドウミ、ミツモリを望む

スーパー公正屋大月東店でウーロン茶とおむすび二つの計295円という侘びしい昼食を調達します。
1万2000円の定額給付金が支給されれば、山行昼食経費40回分かと、さもしい計算をしてしまいます。

上平集落から、目指す麻生山の稜線を望むと、昨日の雨が山間部ではかなりの雪だったようで、
雪山よろしくしっかりと白粉の厚化粧を施した状態に一抹の不安がよぎります。
なにせ装備は貧弱で、春の里山ハイキングという出で立ちでは、雪山には対応できませんから。
見上げるミツモリから麻生山へと続く稜線は、低迷する麻生内閣支持率よりは遥かに高く、
雪を纏った尾根に漂うガスが、現内閣には微塵もない威厳を感じさせます。


浅川側の天神峠登り口


天神峠

長尾根の取り付きは天神峠。
天神峠へ駒宮側から登るのはありがちなので、浅川側から登ります。
登り口は民家の庭先というか畑跡なので、進入するにはちょっと勇気が要りますが、
たまたま散歩していたお婆ちゃんに、
『山を越えて瀬戸に行きたいんで通らせて下さい』と声を掛けて許可を頂くと、
『刈ってないから行けんよー』と、無理だ、無理だと仰います。
見知らぬ不審者に警戒心もあるとは思いますが、
『いやいや、行けるとこまで行ってみますから』と半ば強行気味に峠道に入ります。

峠道の状態はお婆ちゃんの忠告に反して、良好で、
笹などもしっかり刈り払われていて不安要素はありません。
すぐに植林地へと入り、あっという間に天神峠に辿り着くことができるのでした。
杖を突いて歩行に難儀していたお婆ちゃんですから、出歩く機会は少ないのだろうけれど、
自分の家のすぐ裏手の山の様子を知らないのは不思議でもあります。
でも都会のマンションで暮らす人だって、隣りの住民のことをよく知らないではないかと言われれば、
人は意外と自分の身近なことについて知らないものであるとも思えてきます。


公的標識に現地峠名はしるされていない


p583三等三角点 駒止ノ嶺(駒止嶺)

峠には大月市の設置した登山標識がポツンとありますが、
そこには「←麻生山・権現山」とあるだけで、ここが「天神峠」であるとの表示はありません。
カバンから持参した手製標識を取り出し、公的標識に括りつけます。
反対側の駒宮に下る道はもちろん明瞭ですが、
観光スポットだと思っていた「駒宮砦」(p496)へ向かう尾根道はややヤブ気味のようです。

「←麻生山・権現山」の指示に従い長尾根歩きが始まります。
この尾根道は、単なる尾根道ではなく、尾名手峠の峠道でもあるのです。
以前に尾名手峠の腰掛側の峠道を歩きましたが、七保側の道は今回初めて歩くことになるのです。

立ち木からはポタポタと雪解けの雫が落ち、まるで雨が降っているかのようです。
午後から天気は回復と天気予報は伝えていましたが、日本経済のように空はどんよりとしています。
麻生内閣がなかなか退陣しないから、天気もなかなか回復しないとさえ思えてきます。


葛野川の谷を挟んでオゴシ山(尾越山)を望む

目立たぬ三等三角点p583は「駒止ノ嶺」で、下草に隠れるようにして三角点が埋まっています。
『山と高原地図』(昭文社)には「駒止嶺」との表記がありますが、
『日本山岳案内』(鉄道省・昭和15年)には「駒止ノ嶺」とあるので、その名の手製標識を括りつけます。
「駒止」の名は木出しの馬がこの辺で休憩でもしたことに因むものでしょうか?
それとも「魚留(止)の滝」などと同義で、これより上は馬はあがれないとの意味でもあるのでしょうか?
『東京附近百名山』(小林玻璃三・昭和16年)では、この三角点峰を「長坂山」としていますが、
そのような別称もあるのでしょうか?

「駒止ノ嶺」を過ぎると、左手が開け、葛野川の谷を挟んだ向こうに、
ピラミダルなオゴシ山(尾越山)の姿とそこから南方へのびる尾根を一望することができます。
奈良子と瀬戸との境であるオゴシ山南方尾根にはクシゲ峠、アカバネ峠、大曲り峠が眠っています。
最近の登山地図からはなぜかオゴシ山の名前が消えてしまったのが残念です。


駒宮分岐


ドウミ登りのジグザグに向けてトラバース

大月市設置の登山標識の立つ分岐で、駒宮からの明瞭な道を合わせます。
ここの登山標識には来し方を指し「←天神峠」の表示があるにも関わらず、
天神峠自体に峠名の表示がなかったのはどうも解せません。

長尾根は歩きやすい緩やかな登り勾配を保ちながら続きます。
気になるヤブや倒木もなく、自然林の心地好い樹相の中によく踏まれた道がのびています。
古くからの山仕事道も見られ新旧の道が入り混じっている箇所もあります。

立ち止まって汗を拭いていると、背後に迫り来るものの気配を感じ振り向くと、
先の駒宮分岐から尾根に乗ったと思われる銃を担いだハンターが一人近寄ってくるのです。
追い付かれてなるものかと、「ドウミ」への登りに向けて、左手前方に大きくトラバースする道を急ぎます。

ハンターを引き離し、雪と落ち葉の積もったジグザグを登りはじめると、
葉を落とした裸の木の間越しには、百蔵山や扇山、下降予定の楢尾尾根(楢原尾根・鋸尾根)などの
展望が広がり、この時季の山歩きの愉しさを堪能することができるのです。

遠く足下のジグザグから、遅れ始めたハンターの
『オ〜ィ、兄ちゃん、どこまで行くネェ』との声が掛かります。
登山者とは思えぬ格好から山中での自殺者と勘違いでもされたのでしょうか?

『あ・そ・う・やま でぇーす』と答えると、
『・・・(少し間を置いて)・・・エライ足が強いなぁー』とのお言葉。
ハイカーとしてはそんなに速い足取りとは思いませんが、
照れたように『エヘヘ・・・』と笑ってごまかし、さらに調子に乗って引き離しにかかります。


イノシシハンターに先を譲る


<推定> ドウミ

ジグザグを登りきり、ここらが「ドウミ」だろうという場所で歩速を緩めハンターを待ちます。
呼吸を乱した初老のハンター氏は到着するや『田舎の衆がヘバっちまっちゃ笑われるなぁ〜』と語り、
『それにしてもアンちゃん足が強いなぁ』と感心の言葉を投げかけたりするのです。
こちらが『山が好きですから』と答えにならない答えをすると、
『アンちゃん勢子になれるよ』と本気かどうかわかりませんが狩猟のお誘いを受けたりするのです。
どうせ狩りをするのなら勢子よりも、待ち構えて獲物を仕留める側にまわりたいものですが、
そんなことを真面目に答える必要も無いでしょうから、また『エヘヘ』と曖昧に笑ってごまかします。

ハンター氏はイノシシ狩りに来ているとのことで、
玄房と浅川から猟犬を放し権現山の周辺で仲間が獲物を追い詰めているとのこと。
猟師なら山に詳しいだろうと、『この辺は「ドウミ」と呼ばれるところですか?』と訊いてみると、
「ドウミ」なんていう地名は知らないとのことで、
さらには、『(さっき言ってた)あ・そ・う・やまってどこのことだい?』と逆に質問される始末です。
「ドウミ」はともかくも、山に詳しいはずの地元の猟師が「麻生山」を知らないとは・・・
「あそう」との読みが誤っているのかと心配にもなってきます。

猟犬の吠え声が前方から聞こえてきたので、イノシシハンターに先を譲り、
こちらは「ドウミ」と思しき場所に、見られぬように恥かしい手製標識を括りつけます。

古いガイド本によると、「ドウミ」は独標p884.9であるとのこと。
現行版の地形図にはこの標高点は表示されていませんが、
古い版の地形図を見ると、ジグザグを登りつめた最初の平場にその数字が表示されています。
標石があるかもしれないと注意していましたが、あったとしても雪に埋もれていたことでしょう。

「ドウミ」とは「遠見」のことでしょうか?
確かに周囲を見渡すことのできる展望は確保されていますが、
木々の葉が茂る季節はその眺望も得られないことでしょう。
それとも「ドウミ」とは、「小沢ドウミ」「ホリヌキドウミ」の「ドウミ」と同義なのでしょうか?
いや、そんな地形ではありません。 「ドウミ」とは「塔峰」の転化と考えた方が地形的にはよいでしょう。
「ドウミ」と思われる場所を過ぎ、登るにしても下るにしても快適なプロムナードがなおも続きます。

『東京附近百名山』には、「広い独標884.9の頭の左(北)側を捲き、殆んど東へ尾根上を進む。
このあたり浅川方面でアワホシバと称する尾根である。」との記述が見られます。
「アワホシバ」とは「粟干場」でしょうか?とすると、「ドウミ」は「唐箕」のことでしょうか?
なんとなく山容が唐箕を立て掛けた形にも見えます。


麻生山直登尾根と尾名手峠へ向かう道の分岐


峠道は険しい箇所もある

先行したハンター氏に追いつきましたが、前方稜線付近から猟犬の吠え声が盛んになり、
鉄砲を構えながらの歩行をしているので、その背後10メートルを空けてハンター氏の後に続きます。
どこからかイノシシが猪突猛進しては来ないかと緊張しますが、
狩猟は不発に終わったようで、ハンター氏は仲間と無線のやり取りをして、
猟犬を捕まえ狩りを終えたことを教えてくれます。

ハンター氏曰く、『洋犬は捕まえないと、いつまでも獲物を追い続ける』とのこと。
それは猟犬の調教の問題ではないかとも思うのですが、プロがそう言うのだからそうなのでしょう。
また、『洋犬は登山者を噛むことはないが、和犬は噛みつくよ』とのこと。本当だろうか?
和犬の方が忠実で、人間様に牙をむけるとは思えないのですが・・・

獲物を追っているときと、それ以外では吠え方に違いがあるのか尋ねてみると、
『探しているときも、獲物を追い詰めているときも吠え方は変わらない』とのお答え。
登山者にしてみれば、別に猟犬が怖いわけじゃない(時々怖い)けど、
猟犬に追い詰められ、死に物狂いで突進してくるイノシシの方が格段に怖いわけで、
さらに獲物と間違われて発砲されるのがなによりも怖いのです。
ひと気のないシンとした雪山を、上下灰色の着衣で、鈴も鳴らさずに、もっさり歩いているのだから
獣と見間違われいつ発砲されてもおかしくはないのですから。


三角点のないピークの麻生山


猿橋側の展望がある

麻生山へ直登する尾根筋と尾名手峠へ向かう峠道との分岐で峠道を選択し、
バテ気味のハンター氏と別れて再び先行します。
峠道は山腹をトラバースして基本的に歩きやすい道が続きますが、岩の露出した箇所や
切れ落ちた斜面の通過などもあり、雪で滑る足元に気を遣いながらの慎重歩行を余儀なくされます。

沢筋をひとつ越えた所で、積雪で進むべき道が不確かになるとともに、
切れ落ちた斜面がいやらしい口を開けて滑落者を待ち構えています。
エイ、ここは面倒だと、上を見上げれば稜線はすぐそこなので、強引に立ち木に掴まりながら
雪付斜面を直登し、豪快に稜線上へと這い出るのです。

飛び出した稜線は雪深い厳冬期の面持ちで、深閑とし、神秘的ですらあります。
時折、ハンター氏がその仲間と現在位置を確認し合うためにあげる大きな声だけがこだまします。
とりあえず麻生山の三角点を目指そうと、新雪に埋まる稜線を進みますが、
すぐに三角点のない、「麻生山」と大きく書かれた標識のあるピークに到着します。
麻生山の山頂は、麻生首相と同じくブレブレで、その位置が一定ではないのです。


三角点のあるピーク 麻生山


味のある標識がうれしい

稜線でハンター仲間二人と黒い猟犬二匹とすれ違い、
三角点のないピークの麻生山から、さらにわずかばかり進んで三角点のある麻生山へと辿り着きます。
大月市設置の山頂標識は三角点ピークにあるので、こちらが一般には山頂と認められているようです。
麻生山は地形図の「七保」「大月」「猪丸」「上野原」図幅の合わせ目付近に位置する山なので、
読図しにくいこともあり、山頂の混乱がみられるのかも知れません。

 「麻生沢のセリは即ち麻生山で、私達には近年迄疑問の山名のひとつであった。
 勿論此名は七保方面の称呼であって、西原方面から言えば、尾名手山の称を以って、
 三角点よりも少し東迄の部分を含ませることになると考えられる。」
    (『山岳第十五年第一号』 大正9年 「多摩川相模川の分水山脈」 武田久吉著 より)

 「・・・麻生山で麻生沢のセリである。1280mの閉鎖圏を有する麻生山の頂上は、濶葉樹の矮林、
 長い瘠せた尾根で、少しく東南の小隆起のカヤ野の疎林中に1234mの三角点がある。
 此処は栗干場と呼ばれる
 麻生山の中に包倉さすべきものだが、そういう字名である事を付記して置く。」
                                  (『奥多摩』 田島勝太郎著 より)

 「叢中に三角櫓の頭を発見する、栗干場の三角点(1267m)と呼ばれる麻生山である
 此の山の名は甲斐国志を始めとして、北都留郡聯合教育会発行(昭和5年)の書にも共に 
 アソウとあり、明治22年測図と云われる西原村図にも阿そう谷と此れ亦仮名書きである」
                                  (「権現山とその附近」 岩科小一郎著 より)

麻生山は「尾名手山」でもあり、「栗干場」という字名でもあるようです。
「栗干場」とは先に記した「アワホシバ」と関連があるのでしょうか?
単なる「栗」と「粟」の誤記なのでしょうか?田島本の「1234mの三角点」とは何のことでしょうか?
そして一体、真のピークとはどこなのでしょうか?

 「麻生山は、恩賜林石標「四三」のある峰、三角点峰、看板のある峰の三峰からなる
 山名は葛野川の支流麻生川のツメに由来するが、麻生山から大寺山にかけての
 北側一帯は尾名手山と呼ばれる」
                                  (『甲斐の山山』 小林経雄著 より)

『甲斐の山山』には三つの峰を合わせて麻生山であるとの記述が見られますが、
『日本山岳案内』(鉄道省山岳部編・博文館・昭和15年)には以下のように書かれていて頭が混乱します。

 「麻生山は標高1280mを算していて、地図上1267.5mを算する三角点標は頂上ではなく、
 頂上は三角点記号の西北の突起である
 その頂上より東南の茅の茂みには、三等三角点標が置かれてある。」

 「麻生山頂上---△1267.5mの西北の突起であって1280mを算する---に展望を終わったなら、
 東南へと山稜を下る。下って小高い所が△1267.5mの三角標がある所で、
 一般的にはこの1280m峰より三角点標のある方を、麻生山と云っている様であるが、
 これは1280m峰が麻生山である
。」

 「麻生山頂上は、良く地形図上では三角点標のある1267.5mの地点を麻生山頂上と
 間違われているが、
これは丁度この麻生山の頂上附近が、
 丹波図幅と五日市、上野原、谷村の諸図幅との接合点に当るので案外に見落されるものと思われる。」

上記のように『日本山岳案内』では、一貫して三角点ピークが麻生山であるということを否定し、
それより西北の突起(1280m峰)が真の山頂であるという説を唱えています。


雪の尾名手峠

ブレまくり定まらない麻生山を後にし、尾名手峠へと向かいます。
ハンター仲間と猟犬たちは、稜線に飛び出すために直登した雪付斜面に残された足跡を拾って
下降して行ったようで、尾名手峠に向けて足跡は残されていません。
峠まで無垢の新雪を踏んで雪山の愉しさを味わいます。

尾名手峠は、以前訪れたときの装いとは全く異なり白と灰色の世界です。
腰掛側の谷筋は吹き溜まりと化し、積雪も多そうで、もちろん人の歩いた形跡などありません。
大月市の設置した登山標識に腰掛側を指す方向板はなく、峠道は駒宮側だけが
登山コースとして生き続けている格好になっています。
その駒宮側の新雪にも足跡は刻まれていません。
先代の倒れた木製登山標識は雪に埋まっているらしくその姿はありませんでした。


誰の足跡も無い幻想的な峠


腰掛側は深い雪に埋まる

公的機関設置の登山標識には「尾名手峠」の名が表示されていないので、
余計なお世話と知りつつも、陳腐な手製標識を立ち木に取り付けて、峠名を喧伝するのです。
「尾名手」の名の由来はわかりませんが、どことなく床しい響きのする峠の名は峠マニアならずとも
愛着を持たれることでしょう。

こんな雪の日に腰掛側へと下り、集落跡の廃屋を訪れたら、
寂しさと哀しさのあまり、きっと胸はキュンと締めつけられるに違いありません。
こちらとあちらとを結びつける峠としての機能を失って久しいことは既に承知していますが、
あの廃屋に人の暮らしがあった時代、雪の峠を越えて辿り着く民家の戸板から漏れる灯かりに、
どれだけの人が救われ、安堵したことかと思い巡らすことは感傷が過ぎるでしょうか。


ミツモリは厳冬期さながらで人を寄せつけない


やりぬかなくてもいいのですよ・・・

さて、当初の予定ではミツモリを経て楢尾尾根(楢原尾根・鋸尾根)を下降するはずでしたが、
この積雪でミツモリの突兀たる起伏の連なりを越えるのはかなり厳しいように思えます。
ミツモリの通過はフリクションの効かない底の磨り減ったスニーカーではあまりに心許ないのです。
とっくにスニーカーの内部は浸水していますし、ズボンの膝から下は濡れています。
天気は回復するどころか、一層暗澹とし、日本経済と政治の先行き同様に不安は増すばかりです。

ここは予定通りに歩き通すのだという矜持は捨てて、
安全第一に往路と同じ長尾根を下降することにします。
山歩きでは、麻生首相のように、なにがなんでもやりぬくという依怙地とまでいえる態度ではなく、
時には、柔軟なやりぬかない勇気も必要となるのです。


天神峠 駒宮側の最終民家


駒宮砦(天神山)

尾名手峠から雪の積もった峠道のトラバースに注意しながら駒宮へと向かいます。
最前通った雪付斜面直登ルートの取り付き点まで来れば、もう安心で、
あとは緩やかに続く長々しい長尾根を周囲の景色を楽しみながら下るだけです。
ハンター三人と猟犬二匹が先行しているので、奇麗だった雪道は蹴散らかっていますが、
静かで落ち着いた雰囲気を持つ長尾根の虜になっている自分に気付くのです。

天神峠まで辿り着き、行きは浅川側から登ったのだから、帰りは駒宮側へと下ることにします。
すぐに土道は終わりを迎え、最終民家の庭先で、仕事をしているオヤジさんに
『山登りかね?』と声を掛けられるのです。
天神峠や尾名手峠について尋ねてみればよかったものの、笑顔で『ハイ!』とだけ答えて通り過ぎ、
駒宮の集落内を抜けてバス道へと出るのでした。

バス道からは長尾根の末端である「駒宮砦」を望むことができます。
地形図に描かれた葛野川左岸に沿う駒宮と落合をつなぐ破線道も通行は可能だといいます。
今回立ち寄ることのなかった「駒宮砦」には石祠が祀られ、砦の遺構が残されているといいます。

 「葛野川と浅川に挟まれた天神山(496m)山上に位置する中世の山城。
 築造時期、築造者は特定できず『甲斐国志』は「御前平」と呼んで、烽火台の跡としている。
 しかし遺構からみると単なる烽火台とは考えにくく、青梅街道から岩殿に抜けるルート上に
 位置することから岩殿城北側の守りのために築かれた砦という見方もある。」
                                          (『山梨県の地名』 平凡社 より)

 「地元では天神様を祭るので天神山だそうで、昔は1月25日の天神祭には山の上に店まで出て、
 子どもに楽しい祭りが行われていた」
          (『新ハイキング445号』1992年11月号 「葛野川左岸の道を歩く」 杉崎満寿雄著 より)

上平集落から見上げれば、ミツモリ、麻生山の稜線は暗い灰色のガスに覆われてしまっています。
麻生内閣が一日も早く退陣し、明るい春の光に日本経済も稜線も照らされはしないかと願うばかりです。

(2009.03.01)